日記代わりのぺージです。ボケ防止も兼ねています(^^;)
【お願い:サーバーを akirahp.s199 (ホームページ専用です)に変更してください 2019/07/01】

【表紙にかえる】

◎ネアンデルタールの「血統」について

◎アメリカの銃乱射事件

イケアで見た竹の利用法(これは資材革命です!) 2019/9/4追加(スノーピークにも竹を使ったテーブルなどがあった!)

◎ヨットが風に向かって進める理由

◎傘寿の同窓会!

◎「今の若い奴は……」
◎「あるじなしとて 春を忘るな」について
◎「ローマの休日」を観て、あらためて考えた
◎吉野ヶ里の鳥居
◎鹿児島県の伊佐市のこ
◎英国ヘンリー王子の結婚

◎志賀島の金印につて
◎天才児の作り方(真面目な話)
◎斉明天皇のこと
◎「ブンガワンソロ」(♪)の思い出
◎福島・原発事故について
◎1+1/2+1/3+……=∞は正しいのか?
◎「人間の数学」と「自然の数学」
◎1+2+3+……=ー1/12の証明(簡単!)
◎奇跡の水月湖へ行ってきた
◎博多駅前道路の陥没事故について 
◎英文を読むトレーニングの一番いい方法
◎宇宙が有限の証明(一筋縄では行かない……)
◎福沢諭吉について、まじめに考えた。
◎「これ、おかしくないか?」――神戸女児殺人事件
◎風水と土石流
◎「平和」雑感――テレビを見ていて、考えさせられた
「カンブリア宮殿」――豊田佐吉の自動織機の話
◎トヨタが発表した発電専用の超画期的ガソリンエンジン
炭酸ガスによる地球温暖化は「天動説」
首相の靖国参拝について
観世音寺と水城堤防、それに女帝
◎小泉元首相の「原発反対、即廃止」について
◎昭和天皇の署名(裕仁)――深いなあ!
富田倫生さんと「青空文庫」のこと
◎原発汚染水の処理について――地下水をなぜ停めないの?
◎キリスト教(新教のメソジスト派)の葬式に行ってきた――驚きました!

◎『0/0はいくつか?』――中高生向けの本はたいてい間違っている
◎シェールガス・オイル、メタンハイドレートについて
◎どこで間違ったんだろう?(初級数学の問題です――ζ(ゼータ)関数にもチョット触れています(^^;))
◎TPPと日本の農業について
◎キーボードを「東プレ」に変えた気持ちいい、大成功!
◎アマゾンからKindleを買った

◎太陽光発電(ソーラーパネル)、LEDについて
◎ワープロの日本語入力について――Atokに戻った
◎「黒部の太陽」について――(何かむなしいなあ)
◎「春な忘れそ」について
◎倉敷のトンネル水没事故について
◎「表す、現れる」、「分ける、別れる」などについて
◎ワープロの日本語入力について(「りゃ、きゃ、ちゃ、しゃ」の入力など)
◎些細なことをいろいろ

◎自動車道(高速道路)の看板の「分」の誤字について
◎耐震偽装について
◎ぼくの履歴書


 意味さえきちんと伝わるなら、文章は「軽佻浮薄」が楽しいと思う。だから以下は、軽佻浮薄体。だって、そのほうが楽しいでしょ?

◎ネアンデルタールの「血統」について

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 ホモ・サピエンスのDNAには2%程のネアンデルタールのDNAが入っている。これは今や万人に周知の科学的事実だ。これを最初聞いたときの実感は、「ふーん、そんなものか……やっぱりな」程度だったと思う。ただし、ネアンデルタールのDNAが入っているのは、白人と黄人(オウジン――つまり黄色人種。辞書に記載されている正式な日本語)だけで、サハラ以南の黒人からは検出されなかったそうだ。純粋のホモサピエンスはサハラ以南の黒人だ。ユーラシア大陸にすむ白人・黄人はネアンデルタールとのハイブリッドである。つまりアフリカで食い詰めて、ユーラシアにさまよい出て行ったサピエンスだけにネアンデルタールのDNAが交ざったということだ。ネアンデルタールが住んでいたのは主にヨーロッパ周辺のユーラシア大陸だから、これは納得できる話である。

 純粋のネアンデルタールは3万9000年前にイベリア半島でひっそりと絶滅した。これも科学的事実である。絶滅するまでの1万年間――つまり100世紀、ユーラシア大陸でサピエンスと共存している。氷河期が終わり、現在のような間氷期の温暖な気候になって1万年だから、サピエンスとネアンデルタールが共存していたのは、ユーラシア大陸が極めて寒冷な氷河期の間だ。

 以上を基本的な事実として、もう少し具体的に考えてみる。ネアンデルタールが絶滅して3万9000年、これ以降はネアンデルタールのDNAはサピエンスには入ってこなかったはずだ。かりに1世代30年とすると、3万9000年は1300世代になる。かりに当時のサピエンスに50%のネアンデルタールが混入していたとすると、(0.5)^1300(1/2の1300乗)≒0だ。つまり、1300世代後では、ネアンデルタールの血は薄められて、事実上0になっているはずだ。逆の計算もできる。1300世代を経て2%のDNAが残るには母集団に何%のDNAが必要か? x^1300=0.02を計算すればいい。x=0.997、つまり99.7%。ヨーロッパの氷河期を乗り切るにはネアンデルタールのDNAを色濃く持っていなければならなかった。

 これはユーラシア大陸のサピエンスは、ネアンデルタールの血を濃く受け継いだもの、つまり、ネアンデルタールとの混血児だけしか、生き残らなかったことを意味するとしか、考えられない。今われわれ白人・黄人がこうして生存していられるのは、ネアンデルタールとセックスをして子供を産んでくれたサピエンスの女性のおかげだ。全サピエンスの内でいちばん偉いのはその女性たちだ。ネアンデルタールのミトコンドリアDNAを持つ女性は見つかっていないので、ネアンデルタールとの間に子供を作ったサピエンスの女性は、サピエンスの部落で婿養子としてネアンデルタールを迎えたはずだ。そしてサピエンスの女性から生まれた子供が男子ばかりだったということはあり得ないので、男の子が生まれると家族は必ずサピエンスの部落に入るという極めて強力な不文律があったとしか考えられない。つまり、夫婦は女性が支配していたというわけだ。

 もう一つの場合もある。つまり、ネアンデルタールの女性に子供を産ませたホモサピエンスの男性の場合もあったはずだ。その場合はもしかすると、その夫婦はネアンデルタールの部落に入ったのかもしれない。ここでも夫婦は女性が支配者だ。そうすると、その子孫はネアンデルタールと一緒に滅んでしまったに違いない。

 氷河期のユーラシア大陸で生存するには、ネアンデルタールの遺伝子が絶対に必要だったとしか、考えられない。現在でも2%ものネアンデルタールの遺伝子がホモサピエンスのなかに現存しているという事実は、ホモ・サピエンスの女性は、筋骨たくましいネアンデルタールの男性の方を好んだということになる。この傾向は現代の女性のなかにも色濃く残っているようだ。それでなければ、氷河期のユーラシアではホモ・サピエンスは生存できなかった。

 サハラ以南の黒人にネアンデルタールのDNAは入っていない。これも容易に納得できる。サハラ以南では、氷河期でもけっこう温かかったに違いない。だから耐寒機能のすくない純粋のホモ・サピエンスでも生きながらえることが出来た。

 白人・黄人(ホモサピエンスとネアンデルタールとの雑種)と黒人(純粋のホモサピエンス)との間にある差はなにか? 死に対する恐怖の度合いだ。事故死がいちばん多いスポーツは自動車競技だろう。F1(ホンダが本気で参加している)、とりわけインディ500は危険極まりないスポーツである。F1の車体が宙に舞う事故を観客は密かに期待しているはずだ。世界ラリー選手権競技(WRC――トヨタが頑張っているが、北欧人が圧倒的に強い)もかなり危険だ。これらの競技に黒人の選手は1人もいない。皆無なのだ。オートバイ競技の選手にも黒人は皆無だ。これらには例外がない。これらの関係者、スタッフにも黒人は皆無なのだそうだ。ネアンデルタールは単独か少人数の肉弾戦で獲物の動物に挑み(槍を持った3人がマンモスに挑んでいる図を想像してほしい。ネアンデルタールの骨にはそういう激しい格闘でつけられた傷の後がたくさん残っているそうだ)、サピエンスは集団で遠くから矢を射かけて、あるいは投槍器を使って獲物を捕った。この違いが現在でも続いているのだろう。血は争えないというわけだ。

 民放のテレビを見ていたら、家系図をテーマにしているものがあって、あの芸人とあの有名人が親戚になると面白がっていた。これは本当に無意味だ。6代を遡れば、DNAの濃度は2%になる。つまり(0.5)^6≒0.02。ネアンデルタールと親戚だと言っているのと同じだ。何十代もさかのぼれば日本人は藤原か橘、つまり天皇家につながる。「ボクは天皇家と親戚だ」と言ったら、右翼に襲われるよ。親戚は血族でせいぜい4親等までか――つまり、曾孫の子供でDNA濃度は6.25%。こうしてみると、ネアンデルタールのDNA濃度2%は濃いねえ。ユーラシアに渡ったホモ・サピエンスの女性は、ほぼネアンデルタールの男性しか相手に選ばなかった、としか考えられない。それ以外に、2%ものネアンデルタールの遺伝子が現代人に残っているとは考えられないのだ。

 一万年後に人類が生存している場合、現在の人種の特徴は、混血が進んでほぼなくなっているだろう。つまり、人種はなくなっているはずだ。遺伝子の拡散を考えた場合、そうとしか考えられない。だけど、その代わりに、別種の差別が生まれていると思う。いやな予想だけどね。

 民法では親族は「6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族」だそうだ。考えてみると、ずいぶん広い。5親等でいいんじゃないか。6等親の親族(DNA濃度1.6%)なんて、ネアンデルタールよりもDNAの濃度は薄いよ。



アメリカの銃乱射事件について

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 テキサス州のエルパソで8月3日、銃乱射事件があり、20人の死者が出た。その数時間後、オハイオ州のディトンで9人の死者を出す同様の事件があった。エルパソの事件について、トランプ大統領は声明を出し、人種差別、白人至上主義はよろしくない、と言った。

 アメリカという異国の事件について、日本人の平均的な反応は、おおむね「銃規制!!」である。記事に添付の写真もいつも「銃規制要求デモ」だ。銃乱射事件はアメリカでは昔から存在し、日本の新聞には「銃規制!」の文字が、十年一日のごとく躍る。しかしアメリカでは銃を規制しようという動きは今まで起きたことがない。遠い日本で「銃規制!」なんていうよりも、「アメリカでは市民になぜ銃が必要なのか?」を考えた方が意味があると思う。なぜなら、アメリカ人は平均すると全員、銃が必要だ、と考えているからだ。たとえたまに銃乱射事件で犠牲が出ても、それよりも、市民が銃を持つことが利益になると考えているからだ。

 アメリカ社会と日本社会の間で、いちばん目立つ違いは何か? 第1は人種構成だ。アメリカは多民族国家、日本はほぼ単一民族国家だ。そのつぎに違うのは人口密度だろう。Wikipedeaによれば、日本は336人/㎢、アメリカは33人/㎢である【2008年統計】。一桁違う。アメリカ中西部の夜なんて、地方都市なら、あたりに人影はないだろう。夜中にうごめく人影は異人種の悪意の人間かもしれないと思ったとき、誰だって銃がほしくなると思う。10年以上昔、世田谷区の公園近くの住宅(都市計画で移転予定になっていて、近くに住宅は既に移転していたらしい)で、一家惨殺事件があった。たまたま開いていた二階のトイレの窓から侵入し、刃物を使い幼児も殺している。まだ未解決だ。純粋の物盗りの犯行なら、犯人は捕まらないだろう。たぶん犯人は複数の外国人だろう。日本人の殺し方ではない。

 アメリカの内陸部ではこれに似たような環境が普通ではないか。近くに他人さえいない、という状況だ。家族を守るために、誰だって銃がほしいと思うだろう。普通のアメリカ人なら、銃規制なんて考えたこともないに違いない。それを日本に住む日本人が文句言っても無意味だ。あれは対岸の火事なのだ。喜ぶ必要はもちろんないが、それをどうこう言っても何の意味もない。

 幸い日本は銃規制が徹底していて、泥棒は包丁か出刃が相場だ。たかが泥棒くらいに拳銃なんか使っていては、コスト割れだろう。だから泥棒から命を守るためには、包丁対策を考えればいい。何もしないでじっとしていれば殺されない、というのは現代では通用しないよ。泥棒が狩猟民出身なら、まず殺して、それから盗む、というのが常識だからね。ちょっと乱暴に言えば、これがユーラシア大陸出身者の常識だろう。これが世田谷の一家惨殺事件の例だ。羊や鹿を殺すように、かれらは平気で人間を殺す。グローバル化の一環だね。しかし、ピストルの入手がほぼ不可能な日本国内なら、これに対抗するには身長ほどの長さの竹槍で十分だ。剣道の心得があれば申し分ないが、竹刀なんか手にしたこともない場合でも、日頃からイメージトレーニングをしていればいいだろう。竹槍を狭い家の中で振り回すわけにはいかないので、突き専門に徹する。「槍」の意味を考えれば、「突き」が正解だ。これで包丁やナイフには十分に対抗できると思う。

 しかしいやな世の中になってきたねえ。



イケアで見た竹の利用法(これは資材革命です!)――2019/9/4追加――スノーピークも竹の集積材を使っていた!

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 先日、福岡市郊外のイケアに行って、あらためて考えさせられた。それは竹の利用法についてである。
 竹の利用といえば、日本人ならまず常識的に考えつくのが、竹籠などの竹ひごを使うもの(見事な美術品を否定するものではない)、タケノコ、それを加工したメンマなどの食用としての利用するものだろう。竹の塀などもあるが、腐敗が早くて、趣味の領域に限られるようである。つまりそれらは、使用量が限定されて、量的に微々たるものだと思う。
 九州は気候が亜熱帯で、降雨量が大きいものだから、竹藪があちこちに見られ、誰も量的に大量に使用しないものだから、それら竹藪は放置されている。福岡県と熊本県の県境あたりの国道3号線を走ると、「九州路は竹藪のなかである」とでもいいたくなる程だ。車から見る程度では、どの竹藪も放置されていて、人の手が入っている気配はない。県境あたりはタケノコの名産地で、竹林は他の地方に比べると管理されているはずだが、それでもこの程度だ。それは竹の利用法を真剣に考えなかったからだ。竹籠や竹を編んで作った椅子などでは使用量が限られるので、問題にならない。工業的に大量に使用する方法を考えなかったからだ。

 福岡のイケア(新宮)で竹の工業的な利用の萌芽を見たと思う。少なくとも1年前には、そういう製品はなかった。
 それは竹で作ったセミダブルベッドや生活用小物だ。竹をまったく木材と同じように使っていた。幅10㎜×厚さ5㎜ほどの微少な竹材(孟宗竹ではないようだ)を集成材にして、例えば脚なら幅5㎝×厚さ3㎝ほどの部材を作り、それをさらに集成させて、ベッドの脚を作っている。外枠はそれよりもずっと大きくなる。木材の集成材なら2部材ほどで作るものを、竹を集成材として30部材ほどを使っている。問題は製品の価格で、それは木材の集成材を使ったものとほぼ同じである。


すべて竹の集成材製。かなりの数の種類がある。
 


 ◎買ってきたトレー(500~600円位だったか) 簡体中文(和文の説明はない)によれば、

                    材質:基本材質 竹、硝化繊維亮光漆  原産地:中国、福建。

                    簡体中文のよれば、生産者はIkea of Sweden AB(宜家(中国)瑞典有限公司)、食品接触用と書いてあった。

                    つまり、食べ物と接触してもいいですよ、ということか。これは繁体中文、英文(for India)にはない。

                    主要材料:竹、硝基清漆、これは同じ。

                                                                    

 ◎竹製のベッド2台。写真のなかのものすべて竹の集成材製。多分、中国製。撮影手腕が悪くて、ごめんなさい。


 あらためて周囲を見てみると、竹の集成材のテーブルもあった。表面に竹の節が見えていて、それがアクセントになっていた。もちろん、表面は平らである。価格も木材の集積材のテーブルとおおかた同じかやや安価である。面版の大きさは木材の集成材よりもはるかに薄い。上から手で押してもしなるようなことはない。
 改めて店内を見てみると、大きさ20㎝×30㎝・厚さ10㎝ほどの3段重ねの小物入れ、カーブを多用したスマホ置きなどあった。1年前にはみられななかったものである。
 これは竹を集成材として、木材と同じ程度のコストで製作できるということを意味する。竹の丸みは明らかに平らに伸ばされていると思う。丸みをとるために、竹の表面を削った気配はない。ただし、竹のあの滑らかな表面はどこにも見えない。集成するのに都合が悪いのかもしれない。つまり竹の集成材に見えるのはすべて竹の繊維(と節)だ。表面のつるつるしたところはどこにも見えない。

 生産国は中国、福建省と書いてある。降水量の多い亜熱帯では、竹の生長はものすごく早い。木材(杉、桧)で40年が必要ならば、竹なら1年で可能だ。釣り竿の和竿に盛岡竿というものがあって、大変な名品だそうだ。この原料は北上川の両岸に自生している2年生の和竹でなければならないのだそうだ。制作者が自ら藪に分け入り選別採取する【NHKプレミアムカフェ2019/8/2】。竹なら2年生で十分に原材料になるのだ。真竹や孟宗では日に1.6m伸びた例もあるそうだ。杉などの木材とは比較にならない。

 孟宗竹は45日~60日で成長が止まるそうだ。節の数は竹の子の時から変わらない。そのあとはせっせと根に栄養をためる。つまり1年で、立派な成竹になる。それに比べ、杉は35年で伐採期になる(大分県の指針)。桧なら40年。集成材に使用できる間伐材まで成長するには10年は必要だろう。竹が中空だということを考慮しても、建築材に竹を使えば原料が不足することは考えにくい。これは確認したことではないのだが、集成材はシロアリには強いと思う。そうなれば、建設資材として木材に変わりうる。あとはコストだけだ。そのコストも中国では木材と並んだ。日本でこれが出来ないわけはない。後追いでもいいから、やるべきだと思う。集成材を作るのに絶対に必要な接着剤などの技術は、いまでも日本の方が中国よりも上だろう。

 竹の集積技術は、大いに学ぶべことだと思う。
 利用範囲は、とりあえずは、家屋の内装関係部材、家具などだろう。家具で見る限り、木製集積材とコストは競争できるようだ。

 最終目的は、竹で一般住宅を作ることだ。これは十分可能だと思う。大きな竹林の近くに集積材工場を作れば、日本の地方都市は、そこに住む人々の働くところが出来て、再生する。規格を統一して生産性を高めれば、木材と競合できるし、成長の早さ・強度から考えても、杉材には勝つと思う。杉なら集成材になるまでに10~20年かかるところを、孟宗竹なら1年ですむ。一桁違うとこれは革命だ。そうなればこれは資源革命だ。

 イケアがそれに目をつけて、竹製の家具を作り始めた。中国がその要求に応えた。これはおおいに賞賛すべきことで、日本もすぐに後追いすべきである。国が応援すべき技術である。ロールスロイス(――竹工美術芸品)では国は飯を食えないが、カローラ(――丈夫なざる)を作れば飯が食える。

 新潟県にスノーピーク(株)という会社がある。キャンプ用品などを作っている会社だ。その直売店が近所(といっても車で15分)にあるので、娘に連れられて覗いてみた。キャンプ用品に特化したメーカーだが、キャンプ以外に転用がききそうな品物がけっこうある。ここの製品が竹の集成材を多用していた。転居に合わせて家具を買い換える予定の娘は、従来使っていたガラス板のテーブル、重厚な感じの椅子、ソファをすべてここのキャンプ用品で置き換えるつもりだという。軽くて――竹天板のテーブルは折りたたんで片手で持てる――機能的で、けっこう丈夫そうだ。「応接間には3点セット」という固定観念さえ捨てれば、これは十分にありかなと思う。

 これらのテーブル類の天板板がすべて竹の集積材で出来ていた。どこの国で作ったのか、14ミリ厚さのA版のカタログには書いてなかった。竹の天板板は厚さ15ミリぐらいで、天板と底板には竹を割って平行に延ばした部分を使い、その間に竹を縦に並べている。これはすべてのものに共通だ。ベンチにも使えるという万能シェルフはサイズ1096×340×397ミリ(脚高さ)で、天板の厚さは他と同じである。つまり、この厚さの天板でベンチにも使える強度があるいうことだろう。金属製品はすべて自社工場制だそうだが、竹製品はどこで作っているのだろう。店員さんに聞いてみたが、わからないという。なお上記の竹ボード製の万能シェルフの値段は,20,500円(税別)だが、これが安いのか高いのかはボクにはわからない。ただし、イタウバという木材を使った、ほぼ同じ大きさのガーデンベンチ(同じページに記載してある)の値段は、115,000円(税別)である。

 話は突然それるが、LED電球は口金の大小にかかわらずイケアでは98円(たぶんベトナム製。調光機能なしの4W)だ。ダイソーではE26(普通の電球のサイズ)なら108円、それ以外の小口径なら216円だった。これがLED電球の世界標準だと思う。イケアに比べるとダイソーは少し割高だが、それでも、ずいぶん安くなった。10年前は3000円はしていたからね。30分の1になった。ボクの仕事机の電球は五六年前にイケアで買ったベトナム製だが、まだ問題なく点いている。多分、ボクが死んでも点いているだろう。
 ただイケアは日本には9店舗しかなくて、神戸以西は福岡郊外の新宮だけだ。






◎ヨットが風上に進める理由

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 ヨット競技では、出発点はかならず風下だそうだ。ヨットに関係ない人でも、風上にヨットが進むことができることは何となく知っている。7世紀頃のアラブのダウ船が向かい風に向かって進むことが出来るヨットの原型だそうだ。これが14世紀にオランダに伝わり、帆船の一大革命となった。【以上、Wikipediaから】
 当時オランダに多数移住していたユダヤ人(当時オランダだけがユダヤ人の定住を受け入れていた(この項、高原剛一郎氏からの孫引き))と帆船のこの技術革命が、オランダを海の覇者に押し上げた。資本の希望と技術の可能性がうまく合致したのだ。なお、かつてユダヤ人の居住を許していたポルトガルとスペインは、かれらを追い出した途端に、二流の田舎国家になってしまった。【以上はNHKとは関係ない】

 今日何気なくテレビ(NHK BS)を見ていたら、ヨットが風上に進める理由の説明をしていたが、それを見て、やっと本当の理由がわかった! 納得できた。いままで、真剣に考えたこともなかったということだ。ただし、テレビで説明していた理由は間違ってはいないが、正しくない(と思う)。「チコちゃんに叱られる!」ふうにいえば、ヨットが風上に進むことが出来るのは、「帆の立っている空気と、フィンの沈んでいる(海)水の粘度が(4桁も)違うから!」だ。中学生向けにもう少し正確に端折れば、「水に浮いているから」。それを科学にあまり関心のない素人にもわかるようにという上から目線で、NHKでは「船底にフィンがついているから!」といっていた。「水に浮いている」と「フィンがついている」では内容はまったく違う。
 フィンがついていたら風上に進めるのなら、無動力の飛行船にフィン状のものをつけたら、風上に進めるのだろうか。そんなことはありえない。現代のダウ船(帆船)は、大きな竜骨(keel)は持っているが、フィンは見当たらない。竜骨にフィンの役目を負わせている。

 要するに「水に浮いていて、帆があれば、風上に進める」のだ。フィンは単なる技術的な改善である。そうはいっても、フィンを持たないヨットなんて、すぐひっくり返ってしまうだろうけれど。

 ヨットは船長(長さ)の割に高い帆を張る。何もしなければ大変不安定になり、すぐ転覆するため、それを避けるため、船底に大きなフィン(鰭)(考え方によれば、比較的小さいと思う)を付けている。テレビでは、フィンのせいで風上に進むことが出来るといっていた。第一、船体の一部だって水中にある。水中にあるのはフィンだけではない。つまり、空気中にあるものの作用と水中にあるものの作用で風上に進むことが出来るというのが正確だ。
 なお写真で見る限り、現代のダウ船にはフィンはなく、キール(竜骨)を頑丈にして、フィンの役目を持たせていたらしい。

 ヨットの場合は、きわめて簡単な実験で実感できる。この程度なら、思考実験で可能だし、十分かもしれない。
 まず洗面器に水をため、名刺ぐらいの大きさの薄いプラ板を斜めに持ち、水中を先方から手前に引くと、水中のプラ板は斜め前方に、下方が残る形になる。つまり、水中のプラ板は斜め前方に水により力を受けている。帆が風から受ける力は、(風が前方から吹いていれば)前方の分力はゼロだから、後ろ向きだけである。ところが水に浮いているヨットを考えると、水中のプラ板(主にフィン)が受ける水からの反力は、帆が風から受ける後方への力よりも大きい。なにしろ水の粘度は空気の粘度よりも4.5桁ほど大きいのだ。4桁の違いは1㎜と10メートルの差だ。

 つまり、ヨット競技とは、風をいかに正確に読めるかということが勝負を分ける。真正面から吹く風に正確に45度だけ帆の方向を設定すれば、ヨットは風に向かって45度の斜めに風に向かって進む。この動きをジグザグに繰り返せば、結果としてヨットは風に向かって進む。ヨット競技でいい成績を残すためには、風と友達になることだ。風から尊敬されることだ。それ以外にはない。

 ジグザグに進めば、帆船は風上にも進める、という発見は、人類に多大な進歩をもたらした大発見だった。中学校でぜひその科学的な理由を丁寧に教えてもらいたいものだ。


傘寿の同窓会!

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 令和元年5月9日(木)~10日(金)に傘寿の同窓会を太宰府でとりおこなった。卒業時の人数は23人、現時点の生存者18人。そのうち九州以外の高校の卒業生は2人(高松高校と宇辺高校)だけ、残りはすべて九州の高校の出身だ。当日の参加者は6人、そのうちボクを含め3人が福岡県、関東が2人、関西が1人、計6人だった。みんな九州の出身者だ。欠席の理由は、同窓会に意味を見いだせないのが1人(これはこれで立派な理由だ)、「そんなの面倒くさい」が1人、あとは自分の病気か奥さんの病気だ。遠方のため「仮病」もいるだろうが、それはそれで「よし」だ。
 宿泊が太宰府の温泉宿なので、宿の手配と10日の太宰府観光がボクの担当である。太宰府観光は予定をメールで流しておいた。水城堤防と観世音寺、その裏手にある玄昉の墓、時間があれば九州国立博物館と太宰府天満宮、令和がらみの坂本八幡宮。結局、天満宮と九博は時間切れで省略となった。坂本八幡宮は水城堤防と観世音寺の間にあるので、移動のついでに立ち寄った。
 なぜ時間切れになったのか? ボクの説明に質問と意見が殺到したからだ。このあたりは、学生時代とほとんど変わらない。気だけは若くて、みんなうるさい。訪れる場所が事前通知してあるので、みんなそれなりに下調べしていたようだ。阿倍仲麻呂、吉備真備、玄昉は同期(つまり同じ船の)の遣唐使だったことも、多分みんな知っていた。吉備真備の墓は現在も確定されていないことも知っていた。玄昉の粗末な墓を見て、「いつの時代でも、癖の強すぎる人物は損をするなあ」と一人がつぶやいた。

 水城堤防建設のボクの説明は次の如し。
 「白村江の敗け戦」と「水城堤防建設」はセットで計画された遠大な権謀術数だった。発案者は天智天皇、つまり中大兄皇子。実母(斉明天皇)までを犠牲にしての「日本建設計画」だった。
 天智天皇は何はともあれ、政治的にややこしい朝鮮半島(高句麗・新羅・百済の鼎立。何となくいまと同じだなあ! なお、朝鮮半島の歴史的地名の読み方だが、中公新書「日本史の論点」(中公新書編集部編)によれば、新羅は「シンラ」、百済は「ヒャクサイ」である。コウクリはそのまま。)から手を引きたかった。それまで倭は300年以上、もしかすると1000年以上、朝鮮半島と付き合ってきた。半島に支店を置くほどに深く付き合ってきた。日本独自の前方後円墳さえ半島に作っている。これは商売上の付き合いで、侵略ではない。地理上、九州が特に深く付き合っていた。倭のなかの本格的な唯一の内乱(――奈良政権に対する内乱)、九州八女の磐井(九州の豪族)の乱(527年)は奈良政権にとって大きなトラウマになっていたはずだ。当時、新羅から攻め込まれた百済が、奈良政権に助けを求めてきた。奈良政権は地理的に近い九州八女の磐井氏にその役目を命じた。つまり半島出兵だ。ところが、新羅とは昔から商売上の長い付き合いがある、という理由でその出兵を磐井氏は拒否した。海外出兵は金がかかるからねえ。これが磐井の乱の原因だ。
 倭はなぜそれほど半島と深く付き合ってきたのか? それはが原因だ。620年頃まで、倭では鉄が生産できなかった。鉄はすべて半島から「鉄の延べ棒」の形で輸入していた。だから倭には青銅器時代はない。縄文初期の石器時代からいきなり鉄器時代へ突入している。石器と比べると鉄器の有効性は比較にならないだろう。鉄の輸入は当時の倭にとって最重要課題、最優先課題だった。だから、ややこしい相手だとわかっていながら、半島と深く付き合ってきた。政治的にややこしい鉄器文明の朝鮮半島と付き合う必要が当時の倭にはあったのだ。
 ところが620年頃、倭に「たたら製鉄」の技術が生まれた。ふいご(たたら・踏鞴)と木炭を使った比較的低温の製鉄技術だ。このときから、江戸時代最後期の西洋式反射炉の建設までの長い間、日本の鉄はすべてこのたたら製鉄でまかなっている。部分的には、明治20年頃までたたら製鉄はおこなわれていた。鳥取・島根海岸部の砂鉄、その内陸部、中国山脈の鉄鉱石が主な原料だ。その間たたら製鉄も改良を重ね、江戸後期にはずいぶん大型化されている。奈良時代から、技術の「カイゼン」は日本のお家芸だったのだろう。低温製鉄のたたら製鉄で生産される「鋼」には、珪素・燐・硫黄などの有害な不純物がすくなくて、刃物に最適な鉄鋼が出来る。日本刀が世界の名刀と言われるゆえんである。現在でも日本刀生産のためだけに、日立金属の一部でたたら製鉄で製鉄をおこなっている。政府の援助もないようなので、たたら製鉄に関しては、日立はもちろん大赤字だろう。鉱山・冶金の関係者なら、日立金属のこの話はみんな、敬意を払って、知っている。

 こういう状況の時、660年、百済から救助の依頼が倭国に届いた。高句麗を事実上支配している唐が百済に攻め込んできた、というのだ。天智天皇の時だ。知将中大兄皇子(天智天皇)はこれを千載一遇の好機と睨んで深く考えたに違いない。半島から手を引く絶好のチャンスである。半島から手を引くことに関し、倭国内をまず納得させる必要がある。磐井の乱のようなことが二度とあってはならないのだ。660年頃には、620年頃始まったたたら製鉄も軌道に乗りかけていたに違いない。これが半島から手を引きたい大きな要因だった違いない。もう鉄の輸入は必要なかったのだ。
 天智天皇は660年に開戦の詔勅を出している。
 663年、倭国は朝鮮半島の白村江に船団を送った。「送ったそうな」と人ごとのように日本書紀に簡単に記載してある。事実上の相手国はだ。ところが唐の歴史書「唐書」の本記にはこの戦の記載はなくて、何とかいう唐の将軍の列伝の中に、倭と戦って勝った、と簡単に載っているだけだ。個人の自慢話として載っている程度だ。つまり唐は本気で戦ったという気はなかったらしい。つまり戦いたくないという倭の態度が読めたのだろうか。
 倭としても、戦団は送るが目的は逃げ帰ることだ。まず倭国内と、それから百済を納得させるのが目的だ。
 逃げ帰った倭国は、664年、水城堤の建設に着手した。半島と百済の次は、唐は間違いなく倭国に攻め込んでくるという予想である。これは多分真剣に考えたはずだ。下幅80メートル~25メートル、高さ15メートル、北の四王寺山から南の基山へと差し渡した延長1.2キロメートルの大堤防だ。これだけの大土木工事の施工計画が一年で出来るわけがない。大規模土木工事といえば前方後円墳しか経験がない倭国に、国家の目的を持った大土木工事の計画が、一年で出来るわけがない。奈良政権は、当時先進国だった百済の難民技術者を動員して、開戦の詔勅を出した660年頃から計画していたに違いないのだ。
 その証拠に、この大堤防と堤防の両端の山に築かれた山城は、当時の技術先進国・朝鮮半島の技術で作られている。15万人とも30万人ともいわれている百済の戦争難民を倭国は引き受けて、つまり百済の難民を使って、この土木工事を倭国は遂行した。現在の人口に換算すると、100万近い難民だと計算されている。戦争難民を大量に受け入れた敗戦国は、世界広しといえども、ベトナム戦争の時のアメリカと、このときの倭国しかない。
 しかし考え方を変えれば、これだけの人口を計画的に動員できる管理技術は、そのまま彼らを軍隊として、これらの難民を利用できるということだ。天智天皇の先見の明の鋭さには脱帽させられるではないか。
 このとき倭国は、中大兄皇子の手腕で、第1回目の歴史のターニングポイントをうまく回ったのだ。第2のTPは元寇、これで武家政治が確立した。第3のTPは「黒船」、第4は「太平洋戦争」だろう。

 なお2000年代の発掘で、堤防に粗朶(そだ・木の枝)の薄い層が数層あったことが発見された。これは水城堤の見学者用広場に設置してある説明書にも書いてある。これは堤防の強度を出すためだとその看板には記載されているが、間違いではないが、正しくない。これは明らかに水抜きである。水城堤の背後に水をためることは初めから考えていなかったということだ。ダムの役目は水城堤には最初からなかった。まず戦争・防戦のための長城だった。建設目的は「万里の長城」と同じなのだ。それから当然多数の難民を養うための目的も含んでいただろう。現代の公共工事と基本的な考え方は同じだ。大宰府、ひいてはその背後にいる奈良政権を守るための、軍事施設だった。
 平成の土木技術者(というよりも、現場を知らない設計者)は知らないようだが、昭和のたたき上げの現場の土木技術者ならみんな知っている、土を扱う上での基本的な技術がある。土を盛って堤防や道路などを作るとき、一番怖いのが、ある程度以上の水分を含んだ土だ。ある限度の高さまでなら異常なく盛り土出来るが、ある限度を超えたとき、盛り土は一挙に崩壊する。じわじわ壊れるのではない。これを防ぐために、石灰などを混ぜて泥を固める方法をとる。当然カネがかかる。設計者がそれしか知らないものだから、大抵の設計はそうなっている。海岸の埋め立てなどには砂のパイプを使った別の方法がある。
 水分の多い土を盛り土する場合、われわれ昭和の技術者は、まず最下層に、直径50センチほどの、縄なんかで括った粗朶(葉がついていてもかまわない)の長い棒を作って置く。もちろん低い方の一端は外に出ている。この上に水分の多い土を盛ると、水は面白いほど粗朶の端から流れ出てくる。高さ5,6メートルの盛り土なら、最下層だけの粗朶筒で間に合う。粗朶筒の設置間隔は、それこそ技術者の勘で決める。柏崎の国道改修工事でそれをおこなった経験がボクにはある。完成後10年ほどして見に行ってみたが、土圧により1/5程に縮んだ粗朶の束から、澄んだ水が少量だがまだ流れ出ていた。
 1400年前の百済の技術者もそれを知っていたのだ。埋設された粗朶の発見がそれほど遅れたのも、粗朶が層状ではなく、間隔を置いた線上に設置されていたからだろう。水城堤は、鉄道・道路などのために数カ所で切断されているので、層状に設置されていたのなら、そのときわかっていたはずだ。
 水城堤の土は前方――つまり海側、博多側の湿地帯を掘って、その泥で盛り立てた。湿地帯から運んだ土の盛り土には水抜きが絶対に必要だったはずだ。

 水城堤の完成後、701年に大宝律令が発布され、倭国は国家としての体制を整え、ここで初めて倭は「日本」と名乗った。それから1245年後の1946年、つまり敗戦の1年後、昭和天皇は次の言葉を国民に述べられた。「白村江の敗戦後、天智天皇は唐の律令制度を採用して大化の改新を断行され、日本国を作られた。われわれもこれに習い、アメリカの優れた民主主義を取り入れ日本を作り直そうではないか――」(以上意訳だがほぼ直訳)。
 白村江の戦いの意義をみごとに理解した、実に素晴らしい歴史観だねえ。昭和天皇を支えていた周りの人々の歴史観も素晴らしいなあ。

 白村江の戦いから約50年後、日本は中断していた遣唐使を再開している。朝鮮半島とは縁を切ったが、唐とは付き合う必要があったのだ。まだ学ぶべきことが多かったのだ。再開のそのときのメンバーが阿倍仲麻呂・吉備真備・玄昉である。阿倍仲麻呂は玄宗皇帝に気に入られ、宮廷では詩人王維の上司だった。仲麻呂は彼の地で亡くなったが、彼の地で故郷を偲んで作った歌が「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」だそうだ(異論もあるようだけど)。そういう環境下で詠まれたこの歌に、「和歌はやまとことばで作る」という暗黙の了解を踏まえて、漢語は一字も使われていない。すべて和語だ。見事だねえ。――昔の人は偉かったねえ。

 661年、斉明天皇(天智天皇の実母)が九州の八女で亡くなった。67歳。何のために67歳の天皇の母が京都から九州の八女まで来たのか? 朝鮮出兵を励ますためである。これは明らかに国内向けプロパガンダだ。それだけ、奈良政権(つまり現皇室)にとって磐井の乱のトラウマは大きかったのだろう。斉明天皇も我が子の依頼なら喜んで受け入れただろう。しかし、当時の67歳にとって、九州までの長旅は厳しすぎた。磐井の乱のあった八女で老齢の女帝は亡くなった。
 その弔いのため、天智天皇は観世音寺を建立した。しかし当時は白村江の戦い、水城堤の建設で経済状態も厳しかったはずだ。それで観世音寺の完成までには約60年もかかっている。

 白村江の敗戦以後、半島に手を出したのは豊臣秀吉だ。秀吉は百姓の出で、まともな武士の基本教育を受けていなかったせいだ。半島出兵が豊臣政権の寿命をさらに短くした。あの海外志向が強かった織田信長さえ、ややこしい半島には手を出そうともしなかったのに。信長は東南アジアとの交易を考えていた。
 明治政府の朝鮮出兵は、ちゃんとした国家を半島に作りたい、という意向が強い。この半島がゴタゴタ続きだと、大陸国家(当時はロシア)からの日本の防衛が難しくなる。半島にはちゃんとした国家が必要なのだ。もちろん、これは日本の都合、わがままだけれどね。
 古代から現代まで朝鮮半島にまともな国家は存在しなかった。それに比べ倭国は、当時の超大国シナ大陸から、つまり後漢(西暦57年)から「漢委奴国王」、239年に魏から卑弥呼が「親魏倭王」の、いずれも金印を二度にわたり贈られている。シナ大陸の慣わしでは、金印は国家にしか贈らない。それ以下は玉の印だ。歴史上、朝鮮半島の国家にシナ大陸が金印を贈った記録はない。つまり朝鮮半島は太古から国家の体をなしていなかったのだ。以上は客観的な事実と思う。

 以上、このページのあちこちに書いていることを取りまとめて説明した。場所は水城堤の脇を通る県道の横に作られている休憩所兼説明看板のあるところ――石のベンチに野天だ。「まあ、そんなところか」と5人がボクの説明におおむね同意するまで2時間半ほどかかった。だから、太宰府天満宮と九州国立博物館は時間切れで、次回ということになった――次回があるかどうかはわからないけど。
 「事実と意見の峻別が少し甘かなあ」という意見もあったが、「学術論文じゃなかとやけん――」という助け船が出た。

 なおあと少し「実習報告書」について、書いておきたいことが残っている。「乞うご期待」!


◎「いまの若い奴は……」
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 これは孫自慢の一種だから、他人が読んでも、面白くないと思う。

 孫(中1♀)が世田谷区主催の「ガリレオコンテスト(第九回)」(対象は世田谷区中学生)に入選して、1月26日(土)に大きな会場で発表することになった。応募総数2928人(または組)から9人選ばれたのだから、それだけでもたいしたものだが、ボクの関心と注意を引いたのは、そういうことではない。発表にはOfficeのPowerPointを使用という条件がついていたのだ。使ったことあるのかと孫に聞いたが、使ったことはないが、何とかなるだろうと答えた。これが12月初旬のことだ。
 正月に家に来たとき、発表会用の原稿ができたのでリハーサルをするから聞いてくれという。もちろんノートパソコン持参のうえである。持ち時間は七八分だったと思う。孫の両親とボクと長女(孫の伯母さん)で聞いた。うちにプロジェクターなんかないので、パソコンの画面を見ながらだ。PowerPointは十分に使いこなしていた。女性たちは細かい注意をいろいろしていたが、彼女の父親とボクは何も言わなかった。
 発表会の画面では、PowerPointの画面に動きも加わっていた。学校でのリハーサルの時、担当の理科の先生が動きを入れた方がいいといったのだそうだ。

 話はこれだけだが、還暦以上の皆さん、あなたにはこれができますか? いまの中学生にはパソコンはたんなる道具なんです。われわれが小刀を使って鉛筆を研いでいたのと同じ感覚だと思う。パソコンが小刀だ。デジタル機器にたいする感覚がわれわれ世代とまったく違う。GAFAがトヨタをあっさり抜き去った現実を妙に実感させられた一日でした。
 Now the world was a different place, full of a new peaple with new ideas, and he was of the past. (from "The day of the Jackal")

 孫の研究テーマは、「悩まされる油のベトベトについて」というなんとも締まらない題だったが、ガリレオ賞(最優秀賞3人)をとった。9人の発表でボクの予想では、「飛行機にかかる力は見えるのか」と「あいこになる確率は――JavaScriptでプログラミング」が面白いと思ったが、前者はドリーム賞(2人)、後者はサイエンス賞(2人)だった。ほかにアイデア賞(2人)がある。これで9人だ。きっと孫の理科の先生の指導が素晴らしかったんだと思う。それと選考委員の好みもあったのだろう。ガリレオ賞は3件とも、頭よりも、実際に手を使い、手を汚さないとできない実験という共通点があった。




「あるじなしとて 春を忘るな」について
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 同じ内容をどこかに書いているが、ここに再掲載する。
 2019年1月9日、NHKの「偉人たちの健康診断」に菅原道真を取り上げていた。その一番最後に例の歌

 東風吹かば
 匂いおこせよ梅の花
 主なしとて
 春をわするな

 を、上記の通りに引用していた。「春なわすれそ」ではなく、「春をわするな」である。さすがNHK、というところだ。

 この歌の初出本は「拾遺和歌集」で、道真の没後103年(1006年)頃に出版されている。そこでは当然「春をわするな」だ。
 道真が「な・そ」の係り結びを知らなかったとは絶対に考えられない。あえて当時の口語体を使って「春をわするな」と軽くした。
 後生はそれを理解しなければならないと思う。

 「春なわすれそ」では、この歌は上から目線の堅苦しい歌になってしまう。上から目線の歌なんて、三流の下、である。この差がわからない人には、小学生の俳句「古池や 蛙飛びこむ さびしいな」と「ばせう」の差はわからないだろう。
 「春なわすれそ」ではまさにその三流の下だろう。道真はそれを当然わかっているので、かるく、当時の口語で少しおどけて「ぼくのこと、忘れちゃだめだよ」とかわいがっていた梅に話しかけた。
 拾遺和歌集の撰者はそれを当然わかっていて、「春をわするな」とそのまま採用した。「大鏡」「太平記」にもこの歌が引用してあって、もちろん、「春をわするな」である。
 その後の、歌のわからない選者が妙な忖度をして「春なわすれそ」とし、歌のわからない後生がそれを広めた、ということだろう。





◎名作「ローマの休日」を観て、あらためて考えた。
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 2018年11月10日午後、有料のスターチャンネルが、無料で「ローマの休日」を放映していたので、ついつい最後まで見た。この映画のDVDは持っているのだが、それよりもテレビの方がはるかに画質がいい。我が家のテレビはアンテナで受信しているのではなく、光ケーブル経由でBBIQから送られてくるので、そのせいもあるのかもしれない。
 ウィキペディアを見ると、エピソードを含めて、この映画の詳しい解説が載っているので、そこに載っていないことで、気がついたことを記す。なお、本邦初演は昭和29年(1954年)春である。今から64年前のことだ。この名画、今見てもまったく色あせていない。だから名画なんだけどね。

 この映画の中に、ローマのスペイン広場の石段でヒロインのオードリー・ヘップバーンが歩きながらジェラート(ボクにはソフトクリームとしか見えないけど)を食べる有名なシーンがある。せいぜい1分ほどのカットだ。
 日本女性が外を歩きながらものを食べるようになったのは、この映画が公開されてからのことだ。軽薄そうなミーハー(この言葉はもはや死語かな)がまず真似し始め、悪貨が良貨を駆逐するように、普通の子女がそれに続いたという構図だ。64年後の今でも、ボクの感覚の中では、歩きながらものを食べるのは――とりわけ若い女性が――下品ではしたないことだと感じる。映画の影響はつくづく恐ろしいと思う。
 なお今回の映画はデジタルリマスター版なので、石段の背後に見える鐘楼の時計は進んでいない。この意味がわからない人は、ウィキペディアを見てください。

 この映画の有名なシーンで、日本女性にぜひマネしてほしかったが、まったく見向きもされなかったことがある。それはグレコリー・ペックの運転するスクーター(ベスパ)にオードリー・ヘップバーンが二人乗りする場面だ。すべてのシーンで、ヘップバーンの腕がグレコリー・ペックの腰のあたりにきちんと巻かれている。運転のしやすさ、安全の観点からも、二輪車に二人乗りするときは、後ろに乗っている人は、運転者と体の動きを一体化すべきである。そのためには、同乗者は運転者の腰にきちんと腕を回して、体の動きを運転者と同化すべきだ。そうしなければ、運転者は非常に運転しにくい。とりわけ、カーブを曲がる時が、そうである。運転者と同乗者は同じように体を倒さないと、カーブは非常に曲がりづらくなり、事故と直結する。
 どういうわけか、このシーンは、日本では誰もマネしようとしなかった。運転者の腰に腕を回すのに抵抗を感じる人は、バイクに同乗すべきではないとボクは思う。日本では、たとえそれが明らかに夫婦か恋人同士でも、運転者の腰に腕を回して同乗しているカップルは見たことがない。安全を真剣に考えていない証拠だ。そうとしか言えないじゃないか。安全第一とは、安全は恥ずかしさや世間体に優先するということだよ。



◎鳥居のオリジナル――吉野ヶ里史跡公園
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 ←←吉野ヶ里の東入り口にあります。

 下の欄の「金印」でも触れたように、古代日本人は鵄(鳶のこと――金鵄勲章の鵄)を神の使いとして敬っていた。上の写真は鳥居の原型で、間違いなく、鳥居は止まり木だ。写真の鳥居と鳥はもちろんレプリカだけど、鳥と鳥居は別々に発掘されて、それを調べて、復元した。
 木製の鳥(翼は取れていた)が複数発見され、いずれも腹に小さい孔があったので、飾り物として使っていたらしい。そしたら、その穴と同じ孔が空いた木の大きな棒が発掘され、上手の写真となったようだ。展示場で鳥のレプリカを間近に見ることができる。全長50センチぐらいで,痩せたカラス、という風だ。
 昔の鳥と言えばカササギだが、弥生期に日本にはカササギ(鵲)はいなかった。魏志倭人伝にも日本にカササギはいない、と断定してあるし、万葉集にもカササギを歌った歌は一首もない。現在佐賀県の県の鳥となっているカチガラス(つまりカササギ)は朝鮮半島由来だと民間伝承では言われているが、はっきりしていないようだ。なお、朝鮮語ではカササギのことを「カチ」というらしい。サッカーの日本代表の旗にも使われている三本足の「八咫烏(ヤタガラス)――つまりカチガラス」はカササギのことだ。紛らわしいなあ。

 商(殷は蔑称)では神のシンボルだった。それが1000年後の漢ではである。明らかに民族がかわったのだ。韓国でも鳥を神の使いとする信仰があったらしく、T字型の止まり木に鳥がとまっている埋蔵物が発掘されたそうだ(吉野ヶ里の展示場でその写真を見た)。つまり、商時代にその文化が周辺に広がっていたか、あるいは滅ぼされた商の人たちが日本韓国まで落ち延びてきたかのどちらかだろう。「落ち延び説」のほうがロマンがあっていいなあ。3100年ほど前の話だ。ただし古代日本に漢字を使った形跡はない。BC1050年、商は周に滅ぼされた。AD2020年が和の紀元2680年だね。なお漢字を使い始めたのは商の人たちで、これは甲骨文字が証明する厳然たる事実だ。
 ところが商が滅びると同時につぎの帝国・周(たぶん漢民族かな?)は甲骨文字が彫られている骨を無視し埋めてしまったが、漢字だけは便利なのでそのまま使い続けた。周の2代後の帝国・漢の後漢時代の紀元100年、許慎という人が「説文解字」を表し、これが漢字の聖典として現代まで続いている(注を見てください)。「説文」は漢の前の帝国・秦の篆文を基本とした。ところが篆文は当時すでに文字の原型を失い、甲骨文字・金文(青銅器に彫られた文字)と字形が異なるものが多い。変形してしまった漢字の上に漢字の「聖典」が作られたのだ。「説文」に「それマジ、ほんとかよ?」という説明が多いのはそのせいだ。
 1899年、殷墟(古代の商の都)から甲骨文字を刻んだ多数の骨が発見され、漢字の根本的な研究が始まった。この研究の日本の第一人者――たぶん世界の第一人者――が白川 静博士(立命館大学・博士号は京大 1910-2006)である。
 例えば「名」の説明。「新漢語辞典」(岩波)「竹田晃 山口明穂 編」によれば、
 「夕」+「口」。夕暮れの薄暗い中で自分の存在を告げる意。
 これが「常用字解」(平凡社)「白川静」によれば、
 夕と口とを組み合わせた形。夕は肉の省略形。口は、神への祈りの文である祝詞を入れる器の形。【「口」のこの説明は白川学の骨格をなし、例外なくすべての字に共通している】子供が生まれて一定期間を過ぎると、祖先を祀る廟に祭肉を供え、祝詞をあげて子供の成長を告げる名という儀式を行う。そのとき名を付けたので、「な、なづける」の意味となる。(以下略)

 白川先生は発見された甲骨文字すべてをじぶんで写し取られたという。そんなことをしているものだから、最初の辞書「字統」が発行されたのは先生74歳の時だった。今ボクが愛用しているのは、そこから常用漢字だけを抜き出した「常用字解」だ。それでも、とにかく面白い。
 この本を知っていれば、自分の子供に「花」や「真」、「久」のつく名前をわざわざ選ぶ親はまずいないだろう。すべて屍体に強く関係した字だからね。
 先日、孫(中一♀)にこの本を送ったら、早速自分の名前を調べたらしい。「わたしの名前の漢字、よくも悪くもないね」と電話があった。そりゃそうだろう。名前の提案があったとき、この本で厳重にチェックしたんだからね。

 吉野ヶ里の鳥居の写真から始まって、例のように、行き先がわからなくなったので、この辺で打ち切り。

 【注】
 「新漢和辞典」の説は、吉川幸次郎・藤堂明穂など中国学者の主流をなし、2100年前に発行された「説文」に基礎を置く。大型書店で漢和辞典を探すと、全部がこの流れの本で、白川先生の本はまず見つからない。「説文解字」を基礎とする従来の説がいまだに本流である。白川先生の本を読もうとすれば、Amazonで注文するのがいちばん早いし,簡単・確実だ。普通の町の図書館なんかでも、まず見当たらないからね。白川先生は正規の教育を受けず、苦学力行されて立命館の教授になった。立命館も夜間部しか出ていないはずだ。そういう生い立ちの人の言うことなんか信用できん、というのがいわゆる中央学会の先生達の態度だ。
 寂しいねえ――こうはなりたくない。

 これも近頃テレビで得た知識だけれど、中国では、日本でいえば小学校の低学年から、中国の始まりは「夏」だと徹底的に教えている。「華夏(ファシャ)」の子孫が「われわれ」だという教育だ。文化大革命の騒乱が収まった後、「夏」の遺跡の発見が相次ぎ、もはや、「夏帝国」が実在したことは間違いないらしい。その遺跡からは、トルコ石で作った龍の大きな副葬品も出土している。神の使いとして龍を用いたのだ。現在の中国民が「華夏」の子孫だという大きな理由だろう。青銅製の酒器も多数出土している。なお夏の遺跡からは、現時点では、漢字に関係しそうなものは出土していないそうだ。
 「夏」はその後の帝国「商」に滅ぼされた。「商」つまり「殷」(これは蔑称だそうだ)は、「夏」が酒器にしか使用しなかった青銅で武器を造り、当時としては最先端の素材を利用した新鋭のこの武器を使って、「夏」を一気に滅ぼした。
 亀甲に刻みつけられた甲骨文字が殷の廃墟から大量に発見されたことで、いわゆる漢字を発明したのは「殷」だといわれている。漢時代から、「商」のことを「殷」と蔑称したのも、殷の神の使いが龍ではなく鵄であったように、商はいわゆる漢民族ではない、という意識が根底にあったのだろう。その異民族が漢民族の文明の根底をなす漢字を作ったのだから、商を蔑称で呼ぶ心理が生まれたに違いない。気にくわない奴だというわけだ。事実、殷墟からは切断された大量の人骨も出土している。周辺の少数民族のものらしい。殷は少数民族を生け贄として使っていたらしい。
 このあたりの深層心理が、「金鵄」を神の使いとした日本人に対する、南京大虐殺説の虚報をつくりあげたのだろう。
 白川先生の説を無視する日本の「正当派」に属する漢字学の先生達は、もしかしてこのあたりを深く考慮して、中国に忖度しているのかな。




 鹿児島県伊佐市のこと
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 6月9日(土)に所用があって車で伊佐市を通過した。ナビの方向を決めるためのたんなる通過点だったが、ちょうど正午だったので、市内の国道268号沿いにあるJoyfull(ファミリーレストラン)で昼を食べることにして、その駐車場に車を入れた。「ジョイフル大口店」というのが正式の店名である。ちょっと広めの駐車場は30台ほどでほぼ埋まっていた。土曜日とはいえ、家の近くのジョイフルではこんなに込んでいない。

 あまり外食をしない人のために説明しておくと、「ジョイフル」はボクの愛用のファミレスだ。ハンバーグを看板メニューとした店だが、他店に比べるとコストパフォーマンスがいい。つまり、安いのだ。アルコール抜きの自分用の食事としてなら、ランチなら600円くらい、夜なら900円ぐらいで済む。この値段ならうどん屋や定食屋と大してかわらない。それらのいわゆる食堂と比べると「高級感」があるので、来客の応接などにもボクはよく使う。(^^;)
 窓際の席で、何となく外を見ながら料理が来るのを待っているとき、自宅の近くの行きつけのジョイフルと感じが違うのに気がついた。チェーン店なので、店の感じはどこでも同じはずなのだ。自宅の近くではそうだ。普段の土曜日にしては、客が多い。近くに催し物が掛かっている様子もない。通ってきた国道脇に他のファミレスが見当たらなかったせいでこんなに混んでいるのだろうと思って、大きなガラス窓越しに駐車場を見ていて、雰囲気の具体的な違いのわけがわかった。駐車場に軽自動車が一台も見当たらないのだ。そう気づいて、あらためて見てみても、見える限りでは「軽」は1台もいない。ボクの家の近くのジョイフルでは、だいたい3分の1から半分は「軽」だろう。あらためて観察してみると、駐車場の雰囲気の違いの主な原因は、いわゆる高級車が多いせいだとわかった。メルセデスもEクラスだし、ボルボの黒い「V70」も目の前に止まっていた。ボクの乏しい知識ではV70はステーションワゴンのはずなんだが、目の前の車はどう見てもスポーツタイプだ――つまり超新型だろう。(帰宅した調べても、日本語の範囲内の情報では、わからなかった) たまたまクラウンは見当たらなかったが、プリウスはやたら新車が多い。もちろん普通の国産乗用車もおおいが、どれもこれもピカピカだ。スバルの青いWTiは2台もいた。
 これらの観察から導かれるごく普通の結論は、このあたりの人たちは、皆さん結構裕福なんだ、ということだ。鹿児島の山の中の小さい町(人口2万6千ほど)だ。何で稼いでいるのだろうと思った。うまい焼酎でもこのあたりで造っているのかな、と単純に思ってもみた。
 店を出て国道268号を南へ少し行ったところで十字路に出た。そのとき、やっと街の豊かさの原因がわかった。われながら(鉱山勤務の経験が10年ある――鉱山関係学科の出身である)まったく迂闊な話なのだ。十字路の交通標識に「菱刈」という地名が出ていたのだ。菱刈金山は伊佐市にあった!

 金属鉱山に関係の無い一般の人々のために簡単に説明すると、菱刈鉱山は住友鉱業により1985年から採掘されている。菱刈鉱山は現在日本で稼働している唯一の金山で、世界でも有数の金山だ。金山の鉱石の品位は6g/鉱石t(つまり6ppm)というのが世界標準だが、菱刈の平均は50g/tである。一時はそれが250gもあったそうだ。現在でも鉱石品位が世界のほぼ10倍である。文字どおり一桁違う。利益も世界平均の金山の10倍はあるはずだ。だから菱刈の原石運搬のトラックには厳重にシートが被せてある。このシートの件、菱刈にいたボクの先輩とある飲み会でたまたま一緒になったので、その後の麻雀大会で、麻雀しながら本当かどうか尋ねたことがあるが、つまらない顔をして「本当だ」といっていた(先輩は麻雀が強かったなあ)。すばらしいことに菱刈では、現在でも新しい金鉱脈が発見され続けている。

 住友金属鉱山という会社を普通の家庭に例えると、その家庭は毎日宝籤に当たっているようなもの、だそうだ。1985年当時、そう言われていた。その状況は現在でも変わっていない。別子銅山といい菱刈金山といい、住友は実に幸運続きである。住友系の会社の指導層には人間的に魅力的な人が多いのは、このあたりに原因があるのかもしれない。余裕があるのだ。「ひと山当てる」というのは昔から企業人の夢だったし、それは現在もかわらない。住友はそれを2山(別子と菱刈)も当てたのだ。

 帰宅して伊佐市のことをホームページで調べたが、財政的な豊かさはまったく出てこない。菱刈鉱山のことを知らなければ、普通の地方都市のホームページである。そこには住友金属・菱刈鉱山という名称もまったく出てこない。菱刈金山が伊佐市にあることすら記載されていない。多額の税金が菱刈鉱山から伊佐市に入っているはずだが、ホームページを見てもそのことはまったくわからない。
 伊佐市のホームページを見てわかるのは、市出身の有名人が榎木孝明氏だと言うことくらいだ。市の民間大使をやっている。

 地下資源の埋蔵量は最高の国家機密だ。だから、60年前でも石油はあと30年と言っていた。石油と天然ガスはシェールオイル・シェールガスが可採可能になったので、近頃は30年よりも少し長くなっているが、それでも200年ぐらいと言っている。それが本当かどうかはその国家しか知らない。
 金も同じだ。金は石油以上だろう。60年前、世界の金の埋蔵量は30年分だと言っていたが、どの国も現在でも同じことを言っている。国家が本当のことをいうわけがない。まして小さい地方自治体が、うちの市は菱刈が納めてくれる税金のおかげで豊かなんですなんて、世間に知らしめるはずもない。


 英国ヘンリー王子の結婚について
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 2018年5月19日に英王室ヘンリー王子(33歳)とメーガン・マークルさん(36歳-元アメリカ国籍)が結婚された。いわゆるロイヤルウェディングである。「いいなあ~」としか言いようのない結婚だと思う。日本では絶対に実現しない結婚であることは確実だ。なんのかんの言っても英国は断然たる第1級の先進国であることを証明したような出来事である。
 メーガン嬢の母親はドレッドヘア(いわゆる天然パーマ)の黒人女性で、現在離婚して独身である。この話を聞いてボクは、ヘンリー王子の母親、今は亡きダイアナ妃の強い意志をヘンリー王子の背後に見たような気がした。この気持ちは今でもそうである。
 ダイアナ妃は英王室の紛れもない犠牲者だ。破綻するとわかっている結婚を英王室から強制され、予想どおり破綻し、自身は事実上の自殺を遂げた。その強い母の怨念をヘンリー王子は引き継いだのだと思う。ただダイアナ妃の(多分)もくろみと違ったのが、ボクを含めた世間,世界のそれに対する反応だった。ボクを含め世界はこの結婚を人類の正しい進歩だと見なした。世界はヘンリー王子のこの選択を「人類の未来を照らす光」だと感じて、スタンディング・オベイションを送ったのだ。結果として、ダイアナ妃の怨念は正しい方向に間違っていたようだ。

 大げさだと笑ってはいけない。日本に置き換えて考えて見てほしい。日本の皇室のお姫様が、例えば、日本人の被差別部落の男性と結婚することをあなたは考えられるだろうか? 現時点ではボクには絶対に考えられない。ヘンリー王子はそれを遙かに超えることをしたんだよ。生まれてくる子供に黒人の顔貌が強く出ることは多いにあるんだよ。上記の日本の皇室の例だと、少なくともそれはない。日本の例では、破壊しなければならないのは日本人の中に巣くっている意味もない下劣下品な「幻影」だけだが、ヘンリー王子の場合は、目に見える現実とも戦わなければならないだろう。ヘンリー王子はそれを高貴な生まれの者の義務(Noblesse Oblige)だと考えたに違いない。人種差別をなくすことは、長い間世界中を植民地にして圧政をほしいままにしてきた英国王室の義務だとヘンリー王子は考えたに違いないと、ボクは考えている――甘いかなあ?……やはり、甘いか。

 高学歴の貴族の子弟が戦争の先頭に立って戦ったため、かれらに多数の戦死者が出た、という事実と結果が第2次大戦後の英国の凋落の原因であるという説がある。たぶんこの説は正しい。これに付けて思うのが、最近の日本の大人の行動だ。偉い人の仕事は部下の責任をすべて引き受けることである、ということを忘れている。自分に直接関係がある無いの問題ではない。日大の問題の場合、日大の偉い人たちはあきらかに考え違いをしている。直接関係のあるなしに拘わらず部下のやったことの責任はすべて引き受けるのが人の上に立つ「指導者」の本当の仕事だよ。自分が指示した、しなかったの問題ではないんだよ。ヘンリー王子の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ。


 志賀島出土の金印について
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 2018年初頭、太宰府天満宮関係の慰労会で博多湾の志賀島に魚を食べに出かけ、そこの金印記念館(?)で、志賀島出土の金印のレプリカが売っていたので買ってきた。大きさは23mm×23mm×9mm(高)で蛇のデザインの持ち手の飾りを含めれば高さは20mmで、形は本物より一回り大きいそうだ。真鍮に金メッキしたかなり立派な品物だ。ちゃんとした小さい桐箱に入っていた。3000円ぐらいだったかな――ボクのような小心者の年金市民にとって、一瞬の逡巡と小さい決心を要する金額である。

 気になったのが、その金印に彫られている文字だ。「漢委奴國王」と彫ってある。印影でいえば、右に一字で「漢」、中央の行が「委奴」、左に「國王」。これは「漢の倭の奴の国王」(カンのワのナのコクオウ)と読むのだそうだ。添付の説明書によればこれの意味は、漢に属する倭国の奴(な:つまり那の津、現在の福岡)を治める国王、だそうだ。調べるとほかのどの本にもそう書いてある。つまり、そう読むのが定説らしい。

 ←←●3000円のレプリカです。


 金印を下賜されたのは西暦57年だと「後漢書」の東夷伝に記載されている。漢420年のほぼ中ほどの時代だ。卑弥呼が魏に朝貢したのが西暦250年ぐらいだから、卑弥呼を遡ること約200年だ。

 ボクが引っかかったのが、「委奴」の読み方である。「委」は「倭」のにんべんを印章の字形のために省略したものだという。これはいくら何でも、あまりにご都合主義ではないか。両文字はまったく意味が違う。漢字の本家本元が、そんな省略なんかするわけはない。つまり、意味が変わるような、省略したら別の字になってしまうような字形の省略は「絶対に」しない。
 台湾で10年間働いた経験からいうのだが、小学生に対する台湾人(中国人といっても良いと思う)の漢字の教育はわれわれ日本人が想像しているのよりずっと真剣で厳しい。ボクが個人的に中国語を習っていた村の小学校の女の先生も漢字に関してはずいぶん厳しかった。これは、中国文明・中華文明を結びつけているのは「漢字だけ」という認識に由来している。科挙だって、突き詰めればあれは漢字、中国語の試験だ。官吏が正しい漢字(正しい文章)を書けなくては、国家の意思は統一できないからだ。もともと「漢民族」なんて幻想にすぎない。夏・商の昔から「漢字だけ」が中国という広大な国土をつないできたのだ。漢字のおおもとになる甲骨文字を残した商(後の漢人は「殷」と蔑んだ)はあきらかに漢族ではない。殷では「金鵄」が神の使いで、文身の風習があったが(甲骨文字つまり漢字に残っている――これだけ見れば、商とヤマトの文化は近い。ヤマトは商を追われた人々、商の末裔が作った国だろうか。鳥居は金鵄の止まり木だそうだ! そうはいっても、古代日本に漢字と関わった匂いのする痕跡はない)、漢ではそれは当然「龍」で、漢には文身の風習はない。秦だってあやしいものだ。兵馬俑の中には明らかにイラン系の顔がある。元は蒙古族が建てたし、清は満州族だ。みんな漢字を使ってあの広大な国土を統一してきた。漢字のおかげだ。シナ大陸では漢字だけが現実なのだ。現代にユダヤ民族が幻影であるように、漢民族も幻影である。泰西の歴史家によれば、ユダヤ人の定義は「ユダヤの歴史の鼓動に共鳴する人々」である。これに習えば、漢民族の定義は「漢字を使う人々」だろうか。

 この金印が造られたのは、漢代の真っ只中だ。だから「奴」の漢音読みは「ど」「濁った「と」」(中国語には日本語の濁音に相当する音はない)で、これを「ぬ、な」と読むのは呉音である。この印が造られて約620年後、漢が滅んで420年後におこった国が呉だ。つまり、ここでは「奴」は「ぬ、な」とは発音しない。

 だから、「委奴」は素直に「いど」(いと)と読めば、250年後の魏志倭人伝でいう「伊都」(いど)、現在の糸島になる。西暦0年あたりには、その地方を治めていて、当時の漢王に東夷国の代表だと判断させるほどの国使を派遣するだけの力を持った権力者が現代の糸島あたりにいたということだろう。
 当時「倭」国はまだ、国としての態をなしていなかったに違いない。続日本記によれば、日本が元号を初めて定めた(建元した)のは、701年の「大宝」が最初である。大和朝廷、つまり倭国が始まったのはこの時からと考えるのが妥当だ。それ以前は地方豪族が、とりわけ九州には割拠していたのだろう。527年には九州の朝倉で「磐井の乱」が起こっている。磐井が負けたあたりから大和朝廷が力を付けてきたに違いない。

 「漢委奴國王」は、「漢に朝貢するイトの国王」という意味になる。金印を下賜したということは、イトをいわゆる倭の代表と認めたということになる。「国王」だから金印である。それ以下の位なら、白玉(はくぎょく)の印のはずである。なお、朝鮮半島からの朝貢に金印を与えたというシナの記録はない。半島は、国の態をなしていないと判断されていたのだろう。それからほぼ2000年後、明治政府は「征韓論」を唱えた。朝鮮半島がちゃんと国家の態をなしていないと、日本が直接ロシアに対峙しなければならなくなる。きちんとした独立国を朝鮮半島に造りたかったからだ。日本のわがままといえばその通りだが、ヨーロッパ帝国の植民地化とは一線を画す。日本の朝鮮半島と台湾の支配は、「植民地化」ではないと思う。台湾なんか、日本本土より、先進的な科学技術を惜しげもなくつぎ込んだんだよ。ボクが台湾で働いていたとき、台湾の人から逆にそのことを教えられた。台湾の人はそのことを知っているので、本当に親日的だ。李登輝がその象徴だろう。

 委奴の国王に与えられた金印だから、すぐ近くの志賀島から出土した。もし那の津(福岡)の国王に与えられたものなら、板付付近から出たのかもしれない。倭国の卑弥呼に与えられた金印はまだ出土していない。これはヒミコが統治していたヤマト国がいまだに特定されていないということとも関連しているのかもしれない。

 現代の糸島周辺の詳しい地図(たとえばグーグルマップ)を見ればわかることだが、糸島の半島あたり、九州大学が移転したところが「志摩」(糸島のシマ)で、その内陸側が「怡土(いと)」である。「怡土」は怡土城趾というのもあるし、怡土小学校もあって、複数の地名に残っている。「怡土」とは「やさしい大地」という意味で、昔の人はいい漢字を選んだと思う。「糸」よりもセンスがいい。なお台湾では女性の名に「怡」はよく使われる。意味を考えれば納得できる。
 江戸末期に金印が出土した志賀島は、狭い博多湾を隔てて糸島と向かい合った、砂嘴で繋がった島で、古い由来の志賀海(しかうみ)神社などがある歴史を持った土地で、金印が出てもおかしくない土地柄だ。もしかすると金印は志賀海神社あたりが管理していたのかもしれない。もちろん、伊都国・糸島とは博多湾を挟んで目と鼻の先である。志賀海神社は安曇族発祥の地である。長野の安曇野はかれらが造った土地だ。志賀島から約40kmほど東に宗像族がいた。北九州市から福岡市あたりは、古代民族がさかえていた土地に違いない。西暦0年ごろの九州のこのあたりは、漢が国家だと認めるほどの文明地だったのだ。

 読み方が出てきたついでに、「邪馬壹(壱)國」(魏志倭人伝)の読み方。
 すなおに通常の読み方をすれば「やまい国」。宋の時代に表された「後漢書倭伝」では「邪馬臺(台)国」となっている。これは「やまたい国」。現代ではこれを二つとも、「やまたいこく」としている。
 前にも述べているように、漢字の国が漢字を間違えることはあり得ない。特に、両書とも帝国の威信を光背に背負った国定の史書である。そこに使用する漢字を間違うわけはない。
 「邪馬壹(壱)國」も「邪馬臺(台)国」も、倭人の発音を漢人が写したものである。つまり、「壹」も「臺」もおなじ発音だったと考えざるを得ない。そうだからこそ、違う字を使っても間違いと認識しなかった。これは絶対にそう考えるべきだと思う。
 この考え方が正しいとすると、「壹」(壱)の字の音符が「豆」に根拠して、当時の発音に「とう」があったとしたら、「邪馬壹」は「やまと」になる。そう考えると、「臺」(台)の発音は、音符「至」に由来して「とう」(「到」)になる。そうなるとこれも「やまと」になる。【「至」は、儀式の時に天に放った矢が落ちてきて、土に刺さった象形だそうだ。それならば、矢が土に刺さったときの音、「とっ」とか「とん」とかで、「至」に「とう」の音があってもおかしくないと思う。なお「到」は金文では「刂」が「人」になっていて、「至」の発音が「とう」と考えられる。つまり「とう」の発音は「刂(刀)」に引きずられたのではないと思う。つまり、「臺」に「とう」の発音があってもおかしくない。
 つまり「邪馬壹、邪馬臺」は「やまと」になって、日本人の感覚と見事に平仄が合う。卑弥呼のころには日本人は自分の国を「やまと」といっていたに違いない。「ヤマイ」とか「ヤマタイ」じゃないんだと思う。それがいちばん合理的だ。これ以外に考えられないじゃないか。

 こう考えると、卑弥呼は「やまと」つまり、九州の「山門」か、あるいは奈良あたりに都していたのだろうか。「親魏倭王」の金印がそのあたりから出土すれば、これはもうそれで決定だろう。ただ、魏志倭人伝の里程(1里=77mとして)を考えると、九州は近すぎると思うけどなあ――九州の人間としてはちょっとさみしいけど。
 
 これって、解釈の広げすぎかな(^^;)。

 その後、テレビを観ていたら(2018/8/15頃)、江戸時代から「委奴」を糸島の「怡土」とする説があったそうだ――それも多数。その基本は、「なんで『委』が『倭』なんだ、おかしいじゃないか」というボクの説とまったく同じ。いつから、それが「倭の那」が定説となったんだろう? それについては、まったく言及がない。このあたりがテレビの限界か。
 金印真贋説は多数あるようだが、金工に詳しい人の、偽物だという技術的な形式論はあまり説得力がない。字の彫り方が当時のものではない、というのだが、そんなものは個人差でどうにでもなると反論されたらそれまでだ。なお金印は中まで95%の純金であることは確認されている。これはアルキメデスの原理で簡単に測定できる。ということは、江戸時代に作るには原料、つまり金の入手に多くの困難が伴う。江戸時代、金鉱山から出た金の管理はめちゃくちゃ厳しかった。普通の人が純金を入手するのは極めて難しかったらしい。しかも、通用していた小判の純度は江戸初期で86%程度、後期では56%程度だ。秀吉の天正長大判は75.7%だった。つまり金印は大判・小判を潰して作ったものではない。やはり本物か。




 「天才児の作り方」はやっぱり正しかった!(自画自賛です)
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 このホームページに「天才児の作り方」というページがある。15年ほど前にボクが書いた文章だ。実はこれが正しかったことを証明できたと思う。そういうテレビを1週間ほど前に見た。NHKのBS3のプレミアム・カフェというところだ。
 最近の実験装置・技術の進歩で、リアルタイムで脳の中のどのあたりが活動しているかということが映像として見ることが出来るようになった。ボクが上記の記事を書いたときには、それはまだ不可能だったと思う。その装置(電線の付いた帽子のようもの)を生後約1週間の新生児にセットして脳の働きを調べたそうだ。もちろんまだ目も見えないし、発する声は泣き声だけだ。しかし、その結果は驚くべきものだった。
 その新生児に大人が話しかけると、新生児の脳の中の言語野が活発に活動していた。脳は大人の話しかけに敏感に反応していたのだ。もちろん大人の話しかけの意味はわからないはずだ。それでも、脳は言語野を働かせて一所懸命に学習しようとしていたのだ。これから容易に推測できることは、母親のおなかの中にいる時から、母親の発する声は鮮明に聞こえ、同じように賢明に学習していたはずだ。生まれる前に教えたことは,胎児の脳は懸命に確実に学習しているということだ。「胎教」の教えは間違っていなかったのだ。お釈迦様はお母さんの胎教のせいで、あのようにお生まれになったんだからね。
 驚いたことに、1歳未満の脳にあるシナプスの数は大人より遙かに多いのだそうだ。ところが3歳ぐらいになると、その数が減り始める。(こういうことさえ数えられるようになった!) その意味は、使わないものは捨てるということだ。つまり、「断捨離」をしているらしい。これは意味深長だ。パソコンのメモリーに溜まった「ゴミ」を捨てると動作が速くなることを連想させる。
 1歳の脳は、日本語では同じにしか聞こえない、発音記号〔u〕と〔w〕の発音を明瞭に聞き分けているそうだ。これらの音は、朝鮮語を話す人は明瞭に聞き分け、発音できるが、日本語を話す人は絶対に聞き分けられない。それが3歳の脳になると、すでに聞き分けられなくなっている。つまり、聞き分ける必要がないと脳が判断し、そういう能力を捨てたのだ。これは、ネイティブの発音を獲得するには、3歳までの間、ネイティブの間で生活する必要があるということだろう。それ以外は無駄な努力と言える。こういうことさえ、実験で確かめられるようになった!
 もう一つ、面白いことを言っていた。ビデオ学習は効果がないが、対面学習は効果大ということが、実験で示されたそうだ。

 「天才児」で書いたように、「おなかにいる時から話しかければ天才、生まれて話しかければ秀才」は本当だったのだ。
 言語能力は知能を発達させるための一番の要因、原因だ。言葉によって知識の共有、伝承が出来るのだから、当然そうなる。だから、たまたま脳の言語野が発達していたホモ族が類人猿の中で最後まで残り、現在に至っているというわけだ。
 人間存在の根本に関わる言葉の訓練を、赤ちゃんがお腹にいるときから始めれば秀才が生まれるということだ。お腹の赤ちゃんに向かってお母さんが、正しい日本語で話しかけることが、最も有効な教育である。生まれてからそれをやっても、もちろんおおいに利く。ただ、お腹の時からやれば天才、生まれてからやれば秀才、ぐらいの差はつくらしい。
 これは司馬遼太郎が書いているのだが、赤ちゃんに話しかけるときには、「むこうに犬がいるね」では不十分であるそうだ。「煉瓦塀のむこうに、小さい、あかい色の犬がいるね」と話しかけなければならない。「むこうに犬がいるね」は正しい日本語だが、赤ちゃんに話しかけるには、望ましい日本語ではない、と司馬先生は書いていた。これはまさしく小説作法じゃないか!
 「天才児の作り方」は、子供を持つつもりの若い女性にぜひ読んで貰いたいのだが、たぶん誰も読まないだろうねえ。

 以下は蛇足。
 ホモサピエンスとネアンデルタール人を分けたのは、言語能力だったというのは、発掘された頭蓋骨から証明された事実である。解剖学的に容易に推測できるという。ネアンデルタール人は動物学的に言語能力がホモサピエンスよりも低かったのだ。これは頭がいい、悪いということではない。
 ネアンデルタールは今からたった3万年前に、イベリア半島でひっそりと絶滅した。氷河期の極寒の西ユーラシア、ヨーロッパでネアンデルタール人とわれわれホモサピエンスとは1万年の間、つまり100世紀ほどの間、多分混ざり合って暮らしていた。食料の圧力、つまり食いっぱぐれた一部のホモ族がアフリカをさまよい出て、ヨーロッパに到達したのだ。ネアンデルタールから見れば、われわれが紛れ込んできた難民だった。
 ホモサピエンスはサハラ以南、アフリカ東部の大地溝帯で生まれたので、もともと黒人である。アフリカの太陽の下で暮らすにはあの肌の黒さがなければ紫外線にやられて生きていけない。ネアンデルタール人はヨーロッパの生まれで、碧眼金髪である。これはわずかに化石の中から採取されたDNAで確認されている。
 これら2人種は、もちろん共同で子供を作ることができる。その上、わがホモサピエンスはとりわけ好色と来ている。100世紀も一緒に暮らせば、多数の混血児が生まれる。かれらハイブリッドを交えたホモサピエンスの一団が、さらにユーラシア大陸を東に流れ、最果ての日本列島にたどり着き、別の一団は氷で閉ざされたベーリング海峡をアラスカに渡り、最後には南米の最南端、常に強風の吹きすさぶパタゴニアまで流れ着き、陸地、地表全体に分布したということだ。

 このこと(ネアンデルタールとの混血)に関して、自動車評論家の国沢光宏氏が面白い説をかれのホームページに書いていたので、紹介したい。
 それは自動車レースの選手には一人の黒人もいないことの理由だ。「グレートレース」(この名称のレースは世界中で多種多様)という、ほとんど危険を伴わない自動車レースがアメリカにある。フロリダ州のジャクソンビルからミシガン州のトラバースシティ間4000キロを、クラシックカーで競争するというものだ。もちろん、一番早く到着したものが勝ちだ。2017年の秋に国沢氏はスバル360でそれに出場した。そのとき気付いたことだが、出場者に一人の黒人もいなかった。それどころか、その世話をする係の人にも、黒人は一人もいなかったそうだ。言うまでもなく黒人を排除しているようなことはない。黒人にも経済的な余裕のある人は掃いて捨てるほどいる。レース自体、それほど伝統ある競技でもないようなのだ。
 それで気がついたのだそうだが、危険を伴う自動車競技、たとえばF1、WRC、インディ500などの選手には黒人の選手は1人もいない。皆無なのだ。ボクの記憶では、二輪のもろもろのレースの選手にも黒人はいない。WRCの選手には、雪道の競技が含まれるせいもあるだろうが、北欧の人間が多い。ところがこれらすべての競技に日本人選手がいる。2017年のインディ500では日本人が優勝した。「なんで日本人なんかに優勝を許すのだ」とスポーツ紙に書いてクビになったアメリカの新聞記者がいる。インディ500はすさまじい事故がひそかな名物の、アメリカ自慢の自動車レースだ。
 この理由だが、純粋のホモサピエンス、つまり黒人は命をかけるような危険なことが心から嫌いで、一方ネアンデルタールは危険がちっとも怖くなかった、と考えたら、すじが通るというのだ。ヨーロッパでネアンデルタールと混血してできた白人は、だから自動車レースのような命の危険を伴う競技が好きで、かれら混血の末裔が流れ着いた日本人にはネアンデルタールの気配が残っているというのだ。
 この仮説についてボクなりにいろいろ考えてみたが、かなり特殊な例まで含め、今のところ矛盾は見つからない。ベトナム戦争でPTSDになった黒人と白人の比率がわかり、それがこの仮説を裏付けるなら、つまり黒人の患者の比率が高いのなら、国沢氏の仮説は、いっそう強力な仮説になると思う。

 ネアンデルタールとホモサピエンスに交配があったという説は、ライプツィヒ大学の先生が提出したもので、ノーベル賞級の研究だそうだ。石器時代の多数の人骨をからDNAを取り出し、比較研究したのだという。それによれば、サハラ以北のホモサピエンスの人骨からは、平均して2.48%のネアンデルタールのDNAが見られるが、サハラ以南の人骨からはそれが0%だった。ヨーロッパ大陸で交配が起こり、その子孫がサハラ以北の全世界に散らばっていったのだそうだ。
 涙が出そうないい話じゃないか。国沢師匠説、あんがいいいところをついていると思う。当時のホモサピエンスは黒い肌に天然パーマだ。それに比べ、ネアンデルタールは金髪碧眼だ。ホモサピエンスの少年にとって、ネアンデルタールの女の子はきっととてつもなくかわいかった(pretty!)に違いない。




 老齢の女帝・斉明天皇がなぜ九州の朝倉まで来て亡くなったのか?
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 九州の八女市に岩戸山古墳がある。国道3号線のすぐそばにあって、現役の時はその脇の3号線を、週に2回は通過していたところだ。なんとなく気になっていたので、先日訪れてみた。なかなか立派な展示館があり、入場無料である。そこではじめて知ったのだけど、この古墳は磐井の乱で亡くなった筑紫国造磐井を祀っているところで、館内の展示によれば、森貞治郎先生によって特定されたそうだ。こんなところで森先生の名前と出会うとは思わなかった。森先生はぼくの高校の同級生の父君で、100歳を越えてご存命だ。「ボクの高校」で思い出したが、2017年にノーベル賞を取った大隅教授は高校の後輩だし、かれの父君はボクの卒論の指導教官だった。だからボクが偉いわけじゃ決してないけど、ノーベル賞がなんとなく身近に感じられたのは確かだ。

 磐井の乱は527年に起きた。当時の朝鮮半島には、現在のほぼ北朝鮮に高句麗、韓国の日本海側に新羅、黄海側に百済、百済と新羅に挟まれるようにして任那(ヤマトの植民地)・加羅(小国連合)がある。百済から新羅討伐の援軍を依頼されたヤマト政権(継体天皇)は、地理的に一番近い九州北部、八女の磐井(地方豪族)に出兵を指示した。ところが磐井は、新羅には古い知人も多数いるとの理由でヤマト政権の依頼を断固ことわった。もともと磐井は新羅と貿易していたし、だから仲も良かった。つまり、ヤマト政権=百済、磐井=新羅という構図だった。そこで怒った継体天皇が、滋賀から九州へ出兵して磐井を滅ばした、というのが展示館に掲示してある説明である。つまり、ヤマト政権は、結果的には海外出兵はしなかったのだろう。
 この説明は非常にわかりやすい。継体天皇は現皇室の、史実として確認された最初の直系の先祖である(――この説明でいいのかな?)。磐井の乱はヤマト政権で発生した最初の大規模内乱だろう。その後のヤマト政権には、ヤマトの植民地・任那(ここでは日本語が話されていて、ヤマト独特の前方後円墳も現存)の放棄を含めて、磐井の乱は大きなトラウマになったはずである。
 それから約130年後、親日国・百済が再び救援を求めてきた。こんどは唐が、属国となった高句麗・新羅を引き連れて百済に侵攻してきたのだ。時の女帝・斉明天皇(女帝は当時67歳!。それで、この遠征の実務者は実子の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、後の天智天皇)は船団を組んで、百済の白村江に援軍を送った。なにしろ130年前に見殺しに近い扱いをした負い目があるからね。その白村江でヤマト政権の水軍は、世界帝国・唐の水軍に大敗した。663年のことだ。日本書紀にそう書いてあるそうだ。負けたヤマトの水軍を率いていたのは廬原君臣(いおはらのきみおみ)という将軍らしいが、これの素性がまったくはっきりしない。他に資料が何もないのだ。白村江では陸戦もしたはずなのだが、その資料はいっさい皆無だ。日本書紀にも陸戦の記録はない。負け戦だったせいかもしれないが、何か他人ごとのような書き方なのだ。しかも、敵方の資料「唐書」の本紀、つまり本文には白村江の戦いの記述はなくて、その中の列伝「劉仁軌」(唐水軍の将軍)に自慢話として載っているだけだそうだ。白村江の勝利は、唐にとって本文に載せるような出来事ではなかった、ということだ。

 こうして見ると、白村江の敗戦はどうもフェイクの臭いがする。言うなれば「敗戦詐欺」、「作られた敗戦、でっち上げられた敗戦」だ。最初から勝つつもりがない戦だった。知将中大兄皇子が大きく絡んでいるだけに、大きい裏がありそうだ。当時の状況を見ると、半島はいつも内乱続きだし、その上、こんどは唐も絡んできて、「植民地的なうま味」もなくなった。朝鮮半島から、ヤマト、つまり皇子は手を引きたかった、と考えればつじつまが合う。なにしろ200年以上前からの因縁、腐れ縁があるところだし、磐井の乱という、ヤマト政権にとっては大きなトラウマになりうる縁も絡んでいる。それに第一、海外出兵はカネがかかりすぎる。21世紀のアメリカと同じムードになっていたと思う。
 200年以上も拘わってきたところから手を引くには、それ相応の大義名分も必要だし、国内もそれなりに納得させなければならない。唐の軍隊に大敗した、というのは半島から手を引く大きな理由になりうる。老齢の女帝がはるばる京の滋賀から九州の朝倉まで出向いて来て、遠征軍の出陣を励ました、という演出も必要だったに違いない。その上幸か不幸か、長旅の疲労がたたって九州朝倉で死亡するというおまけまでもついた。老齢の女帝を九州まで出向かすことが出来るのは、実子の中大兄皇子しかいないだろう。当時の67歳は現在では85歳ぐらいだろうか。大宰府の観世音寺は女帝を祀るために皇子が建立した菩提寺だ。戦後の資金不足(水城の大工事には金もかかっただろう)でその完成には50年以上かかっている。
 当時の世界帝国・唐が半島に絡んできたのは、ヤマト政権にとって、もっけの幸いだったのではないだろうか。半島から手を引く、という判断は、その後のヤマトの経過を見ても、実に正しい判断だった。実母を犠牲にまでした中大兄皇子の、朝鮮半島から手を引くという決断はその後の日本を救ったのである。朝鮮半島はその後20世紀に日本がふたたび植民地にするまで、内乱と戦乱続きだった。半島の樹木はすべて燃料となり、山は丸裸になった。都市の背後の森を維持できない文明は滅びる。世界の歴史を見るとみんなそうだ。都市から水がなくなるのだから、これはあたりまえのことだ。あんなところから手を切って、ヤマトは本当に良い判断をしたのだ。つぎに半島に手を出したのは豊臣秀吉だが、これはかれの教養が低かったせいだ。なにしろ正規の教育を受けていない。もし秀吉が由緒ある大名の出だったのなら、けっして半島に出兵はしなかっただろう。
 梅棹忠夫著「文明の生態史観」(中央公論社)によれば、東洋の朝鮮半島の歴史と西欧のポーランドのそれとはよく似ているそうだ。巨大文明の境に位置する国家の宿命である。決してそこに住む民族のせいではない。


 白村江の敗戦後、ヤマト政権は唐軍の侵略から大宰府を守るという名目で、水城の大堤防を短時間で作った。延長1.2キロ、底辺幅70メートル、高さ14メートルの、国家のための大土木工事である。これ以前の大型土木工事と言えば、前方後円墳の築造ぐらいではないか。水城は664年~665年に完成したと資料には書いてあるが、白村江の敗戦が663年であるので、現代の重機を使っても、これは不可能だ。664年に着工したのだろう。
 台湾に日本人技師・八田与一が戦前に造ったロックフィルダムが、ちょうど同じ長さだ。高さは水城の5倍の56mで、戦前にこれをちょうど10年掛けて完成した。もちろん、当時最新のアメリカ製重機を使用し、土の運搬には専用の列車まで採用している。だから1400年前に作られた水城の堤防は、いくら頑張っても、20年はかかったはずだ。
 ボクは台湾にいるとき、この烏山頭ダムを見に行ったが、現地では、八田技師は現在でも神様扱いだった。これは日本人台湾人をまったく区別しなかった八田技師の人柄にもよっている。烏山頭ダムは台中の農民を水不足による飢餓から救い、豊かにしたのだ。それは、戦中から現在でもかわっていない。
 敗戦で百済は滅亡し、多数の難民(現代の人数に換算すると100万人近くになるらしい)が九州に逃れてきた。堤防の建設はかれら難民に仕事を与えるという救済の意味もあったのだろう。堤防の工法も朝鮮式だし、堤防の両端の山に作られた山城も形状は朝鮮式だ。ところで、世界史の中で、敗戦国が多数の難民を受け入れたのは、このときのヤマトと、ベトナム戦争の時のアメリカ、だけらしい。

 白村江の敗戦から約40年後、ヤマト政権は国内制度を整備し、唐の律令制度をまねて「大宝律令」を制定し、この時ヤマトははじめて「日本」という名称を使用して、真の意味の統一国家になった。外圧を利用して、日本は歴史のターニングポイントをうまく回ったのだ。

 なお「大宝」という元号は、日本で、初めて対馬で金が産出したことを祝って付けられたという。それまで金は朝鮮・大陸からの輸入に頼っていた。ところで、対馬では今も昔も金は絶対に産出しない。対馬の鉱山に10年、鉱山技師として働いていたボクが言うのだから、間違いないよ。もちろん砂金も採れない。金を産出する鉱脈が対馬にはまったく見当たらないのだ。金は地下深くで固まったマグマの石英脈の中にしか存在しない。これが地殻変動で地上に姿を現す。砂金はその石英脈が長い時間を掛けて風化し、砂になったところから出てくる。含金石英脈が対馬には皆無なのだ。これは地質学者によって、確認されている。つまり、対馬で金は採れない。ただ、銀・鉛・亜鉛は豊富に賦存していた。大宰府への対馬の「調」は銀だった。金が採れたと世間をうまくだませたのも、この銀のせいかもしれない。銀が採れるなら金もあるだろう、と素人なら考えがちだ。これらの資源、鉛・亜鉛も昭和に取り尽くし、現在対馬に金属鉱山はない。
 なぜ対馬で金の産出があったということになったのか? これは当時の対馬の領主が作り上げたフェイクに違いない。国境の島の宿命で、自分の重要さを常に本国にアピールしていなければ、いざ外国から襲撃を受けたとき(対馬では、これはしばしば起こっている。蒙古の前には、女真(清帝国を打ち立てた民族=満州族)も対馬に数回侵攻している)に助けてくれない恐れがある。鎌倉時代からの対馬の領主・宗家は国書さえ、国印を偽造して自分に都合がいいように書き換えていた。これくらいの度胸と時勢を読む目がなければ、国境の島の領主は務まらない、ということだろう。宗家は関ヶ原の戦いでは西軍・豊臣側だったが、徳川の世にも領地を安堵され、その家系は現代も続いている。なお「偽造国書」の正体を朝鮮側では気付いていたらしいが、あえて受けとっていたという。これも大人の対応だろう。【この最後のくだりは、このホームページのどこかにも書いた記憶がある】

 最後に大事なことを一つ。西暦300年頃から663年の白村江の戦いまで、倭国は南朝鮮に進出し、前方後円墳まで残している。半島南部にしっかり根を下ろしていた。当時から朝鮮半島は高句麗・新羅・百済の3国に分かれ、争いが絶えない、ややこしいところだった。そんなところになぜ倭国は出て行ったのか? それは鉄の確保のためである。当時の倭国では鉄を産出できなかった。朝鮮半島南部で産出・精錬された鉄を、薄い延べ板の形で輸入していた。日本に青銅器時代はない。実用品の石器と鉄器を比較するとき、その差は歴然としている。状況は現代の石油と同じだ。
 その後西暦620年頃、日本で「たたら製鉄法」が考案され、砂鉄(出雲あたり)や鉄鉱石(中国山地)を使って倭国でも鉄の生産ができるようになった。なお西洋式反射炉が実用化される江戸末期まで、日本の製鉄はたたら製鉄法だけで国内需要をまかなっている。

 西暦663年の白村江の戦いの時、倭国内ではすでに鉄の生産は軌道に乗っていた。ややこしい朝鮮半島と手を切ってもいい時期に来ていたのだ。知将天智天皇がそれを考えないはずはない。663年に白村江の敗戦があって、664年に水城に着工している。あまりに手際がよすぎる。因縁浅からぬ百済からの要請があったので無視するわけにもゆかず、だから初めからわざと負けて負けて手を引くつもりだったのだ。そして、百済の人たちを、つまり難民を現在の人口に換算すると100万人近くも受け入れている。実質、かれら難民が水城の工事に携わっている。それだけの難民を組織的に働かせることができるということは、即、戦争の場合の動員にも役に立つということだ。やはり天智天皇はただ者ではなかった。それどころか、倭国内を納得させるために、実母を犠牲にすることさえ厭わなかったんだからね。当時68歳(現代なら90歳か!)の女帝を、戦意鼓舞と称して九州まで来させているんだからね。そして女帝は九州の八女でなくなった。

 百済の難民がみんな、すぐに役に立つ技術者ばかりであるわけがない。手に職のない貧民もいたはずだ。そういう層の人々は九州各地に分散させ、農村の労働力としたのだろう。五木の子守歌に当時の面影が残っている。「おどま韓人韓人、あん人たちゃよか衆、よか衆よか帯、よか着物」と三拍子の哀調ある民謡だ。日本の民謡に三拍子はない。朝鮮民謡アリランは三拍子だからね。【五木の子守歌の詞は、ボクが中学生の時(1950年代)の音楽の教科書にこう書いてあった。これを書くにあたりネットで調べたら、「韓人」が「勧進」になっている。不要な忖度がどこかで働いたらしい。
 日本国はその後、秀吉まで朝鮮半島には手を出さなかった。秀吉は農民の出で、まともな教育を受けていなかったせいだ。朝鮮半島出兵さえしなかったら、豊臣家の天下は続いていたかもしれない。秀頼は家康が危惧するほどの傑物だったんだからね。宋との貿易で一代を築いた平清盛さえ、半島には手を出さなかった。当時の支配階級の常識を守ったのだろう。海外志向の強かった織田信長が目指していたのは、遠い東南アジアだった。それも貿易による利益だ。決して隣の朝鮮半島の侵略じゃない。
 教訓:半島にはかかわるな。関わっていいのは竹島のときだけ。



 50年来のモヤモヤが解消した! ブンガワン・ソロ(♪)に関して
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 ボクが31歳頃の話だ。日本の産銅6社がJVを組んで、北ボルネオ(マレーシア領)で銅鉱山の本格的な露天掘りの準備工事に着手したばかりだった。ボクはそのJVメンバーの一員だった。現場に赴任して2年目、1971年8月にニクソンショックが突発した。ドル建ての仕事をしているときに、1ドル=360円が崩れてしまったのだ。仕事の採算がまったく見えなくなった。工事はいったん中止ということになって、JV幹事会社の三菱鉱業の保安要員だけを残して、全員いったん帰国ということになった。仕事の都合だったと思うが、皆よりも少し遅れて、ボク一人でぽつんと離れて帰国することになった。

 現場の大世話役にわれわれ日本人が「将軍」(山下将軍のこと)と呼んでいたチャイニーズ(マレーシア国籍)がいた。当時50歳ぐらいだったろうか。容貌が山下将軍にそっくりだったのだ。その彼が朝、現場に行く前に事務所に来て、みんながお別れの挨拶をしたいと言っているので、あすの昼休みに現場の広場に顔を出してくれとボクに小声で告げる。現場の広場といっても雨を凌ぐ掘っ立て小屋以外に何もなく、ブルドーザで荒く整地しただけの山頂である。

 重機などの部品発注伝票などの整理も終わり、それを残留組の三菱の事務屋に引き継ぎ、ジープ(トヨタの四駆)で山頂に登った。「将軍」とおもだった班長ぐらいを予想していたら、50人ほどが直径10メートルほどの円陣を組んで待っていた。一時休山ということで多くの作業者が去っていたので、まだ残っている昼番のほぼ全員だ。円陣の中央にボクを連れ出し、「将軍」が短い演説をした。ボクのマレー語の理解能力では、内容はありきたりだったと思う。そして演説が終わって突然大きな声で言った。「ブンガワン・ソロを歌って送ろう――一番を三回繰り返す!」
 ボクは思わず「陽関三畳」を思い出していた。王維の七言絶句の最後の句「西出陽関無故人」(西ノカタ陽関ヲ出デナバ故人ナカラン)を、人との別れに際しを3回重ねて歌うという中国知識人の習慣だ。「将軍」は調子外れだし、みんなの歌声はもちろん不揃いで、お世辞にもうまいとは言えなかったが、とにかくみんな心を込めて歌ってくれた。間延びしたメロディーだった。歌が終わって「将軍」と別れの握手をしたとき、彼の目に涙が光っていたのを目にして、ボクはびっくりした。

 ブンガワン・ソロはインドネシアの国民歌だ。戦時中に作られたそうだ。ここは東マレーシア、北ボルネオのジャングルを切り開いた山頂だ。マレー語とインドネシア語は日本人にはほとんど同じ言語だが、とにかく国は違う。ボルネオ島は北半分がマレーシア領、南半分がインドネシア領だ。「将軍」がなぜ、他国の歌ブンガワン・ソロを選んだのか分からなかった。インドネシア語(つまりマレー語とほとんど同じ)の歌詞を聴く限り、別離の歌ではない。その選択に、しかし、円陣を作っているマレーシア人のみんなも何の疑問もないように見えた。
 小さい疑問を抱えたまま50年近くが過ぎた。

 2017年11月17日、その疑問が解けたと思う。17日のNHK(BS3)の9:00~11:00の「プレミアムカフェ」という番組で、歌と楽器の歴史を紹介するような番組を放映していた。見るともなく観ていたら、その中の一部で、ブンガワン・ソロの作曲者とその歴史を紹介していた。作詞・作曲者はまだご存命で、自身での説明である。当時インドネシアはオランダの植民地で、その圧政に苦しんでいた。インドネシアの独立と民衆を鼓舞する意思を込めて、作詞・作曲者はブンガワン・ソロを書いたという。あからさまな表現ができないので、地元の人ならなんとなく分かる表現にしかできなかったが、国民はこの意図を難なく理解してくれたそうだ。
 その後日本軍が侵攻して来てオランダを追放した。インドネシアを占領した日本軍は自分たちの戦争を宣撫するために、その中にインドネシアの歌や歌謡を取り入れるのが有効だと判断し、大いに利用したそうだ。その中にもちろんブンガワン・ソロがあった。日本軍はインドネシアの独立を支援するために来たのだと、作詞者や地元の人々は感じたのだという。初代大統領スカルノをはじめインドネシアが親日的なのもこのあたりに理由がある。この空気は、同じ言語圏であり、イギリスの植民地であったマレーシアにも当然伝わっていたはずだ。
 別離に際しブンガワン・ソロを歌うことで、「将軍」は、日本人にかれの深い思いを伝え、表現したかったのだとボクは解釈することにした。いささか牽強付会の気配はあるが、ボクはこれで納得している。それにブンガワン・ソロを3回繰り返したのも、きっと「陽関三畳」を知っていたに違いない。「将軍」は教養人であり文人だったのだ。

 ついでに、日本人には分かりにくいロヒンギャの話。ウィキペディアを調べると、結構な量の資料があるが、詳しすぎて分かりにくい。それで、大雑把にくくってみると、わかりやすくなるよ。
 太平洋戦争中、イギリスから独立しようとしていたアウンサン将軍(スーチーの父親)達に刃向かって、ロヒンギャはイギリス軍に味方してその配下に入り、ビルマ独立運動を阻止しようとしたのだ。これだけ分かれば、ミャンマー政府があれだけロヒンギャに冷たいのも(ロヒンギャの存在そのものを認めていないんだからね)、スーチー女史さえ彼らに対して冷淡なのも分かるような気がする。何しろ、祖国独立を邪魔しようとした民族であり、父親・アウンサン将軍のカタキなんだからね。それにロヒンギャはビルマに住みながら、ビルマ語を解しようとしないのも深い理由かもしれない。
 この話にも、ある意味、日本が絡んでいたということだ。誰だか忘れたが、ある西洋の歴史家が言っていたが、500年後の世界史に残っている日本人は東条英機だけだろうと――東アジアを白人の支配から解き放って、戦争目的であった「大東亜共栄圏」を実現した人物として。500年も経てば、事実を客観的に見ることができるようになっているだろうからね。クラウゼヴィッツの「戦争論」によれば、戦争の勝者とは戦争目的を達成した国、だそうだから、太平洋戦争の勝者は日本ということになるなあ。敗者はイギリス、フランス、オランダあたりだろう。


 注)産銅6社:(名称は当時のまま)三菱金属鉱業、三井鉱業、住友金属、日本鉱業、東邦亜鉛、同和鉱業。”The more tension,the more metal” の言葉のとおり、この6社は、世界の緊張が高まれば、株価が上がる会社。このマムート鉱山は1973年に再開し、1999年に閉山した。当初の予定は16年で採掘終了だったと思う。見込みより10年伸びている。ちなみに三井炭坑は100年余で閉山。鉱山は鉱石がなくなって閉山するわけではない。経済的に採掘できなくなった時点で閉山である。ちなみに北海道旭川周辺にはまだ大量の褐炭が地下に眠っている。これの地下ガス化技術(概ね完成)が確立すれば、旭川市は復活する可能性がある。シェールガス・オイルの採掘技術が実用化されて、今やアメリカは産油国として復活した。あと500年は(より安価なエネルギー源が見つからない限り)大丈夫だといわれている。



 福島原発事故の基本的な疑問――(2017/10/9)
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 2017年10月9日、所用があって鹿児島まで行ったので、帰りに川内原発の資料館を見てきた。確認したいことがあったのだ。
 九電川内原発の種類は「加圧水型軽水炉」という。九電の原発はすべてこの形。一方、東電福島の方は「沸騰水型軽水炉」だ。これは、発電機を動かすための蒸気発生の仕組みによって分けられたもので、原子炉本体には大きな違いはない。つまり、二つの原子炉そのものはほぼ同じ、と考えていい。つまり、両形式とも制御棒で、出力を制御する。
 ボクが確認したかったのは、制御棒の作動方法だ。川内原発の資料館の説明パネルでは、電源が失われた場合、約2秒で制御棒が挿入され(燃料棒のなかに落ち込み)、燃料(ウランとプルトニュウム)の分裂は止まるそうだ。つまり、原子炉は止まるそうだ。それはそうだろう、制御棒は分裂に必要な中性子を吸収して、ウランやプルトニウムの分裂を止めるためのものだから。制御棒は電磁石でつり上げられていて、操作の電源が失われたら、制御棒自体の重さで、燃料の中に落ち込んで行くことになるからだ。電源がなくなれば、原発は重力の作用によって止まる仕掛けだ。
 重要な機器はだいたいこういうフールプルーフ(バカでも出来る、という意味)の装置を付ける。ボクが坑内電車で作った蓄電池機関車の有線遠隔操作も、操作線が切断したら(操作に異常が出たら)、強い電磁石で引っ張っていた緊急用ブレーキが外れ、バネの力で押しつけられて、電車は止まる。これは蓄電池機関車メーカーの技術者が「そんなの常識です」と言って、取り付けたものだ。「そんなのコストがかかるから、不要」と発注者が言わない限り、黙っていても着いてくるものだ。「そんなの不要」と言っても普通の技術者なら、強く反対するはずだ。どうしても付けるな、と言えば、契約書に記載させられるはずだ。
 川内の資料館には実物大の反応炉の模型があって、燃料棒の動作の様子を操作して見ることができるようになっている。
 福島第一の炉心溶融事故は、15メートルの津波で発電所の電源がすべて失われ、炉心が暴走して、チャイニーズシンドローム、つまり炉心溶融が発生した。
 もし炉心が溶けずに、原子炉が爆発していたら、広島型原爆の100倍ほどの人が死に、東日本には人が住めなくなっていた。これは当時の吉田所長がテレビでそう言っていた。炉心が溶融して原子炉の圧力が急激に下がったときには本当にほっとした、と吉田所長がテレビでつぶやいていた。この言葉、どうして誰も気にしなかったのだろう? ボクは本当にぞっとしたけどねえ。
 すべての電源が失われたら、制御棒を吊っている電磁石も利かなくなり、制御棒は自分の重さで落ちなかったのだろうか?(東電の沸騰水型は、自重ではなく、高圧の窒素ガスで押し上げるタイプ。電源がなくなると自動的に作用、は同じ) 普通の技術者なら、必ずそういう設計をする。制御棒は最重要な保安機器だ。それが、4基の原発すべてで作動しなかった理由は何だろうか? 原子炉格納容器は厚さ20㎝のステンレスで作られていて、震度9程度の振動で壊れるわけはない。容器全体は一体になって動くから、振動にはきわめて強い。トンネルや坑内が地震で壊れないのは、周りも全部一緒に動くからだ。
 それについて、言及している記事を読んだことはないし、だれもそのことは無視している。なぜだろう? 福島の事故以前に,同じ九電の玄海原発の資料館には行ったのだが、当時はそういう意識もなく、制御棒の動作について、説明を読んだ記憶もない。もう一度、玄海原発の資料館に行ってみようと思う。

 14日(土)に玄海原発の資料館(カタカナ名前がついていた)へ行ってみた。同じ九電だから似たような造りだが、規模は遙かに大きい。そこでも、原子炉に事故が発生した場合には制御棒が2秒で落ちて反応が止まると説明があった。映画でも説明があったが、同じことを言っていた。
 ただ玄海の資料館には、今まで発生した 原発事故のことがパネルにまとめてあって、福島第一の事故では制御棒は挿入されたと説明がある。
 つまり制御棒は、発電を止める程度までに核分裂反応を落とすためのものらしい。Wikipediaで調べたが、そこまで具体的には書いてない。

 原発で全電力が失われた場合の対策は、結局、水で冷やす以外にないということらしい。しかも、日本の原発である軽水炉型では水自体が中性子の遮蔽効果を持っているので、炉心の水がなくなると、核分裂反応は一気に進む、はずだ。
 原子炉における水の配管は、素人の想像を絶するほどの複雑さだ。原発の現場で、あの配管全部を一人で理解している人がいるのだろうか? そういう人がいなければ、緊急の事故のときには、とても対応できないだろう。
 つまり、原子炉には原理的な安全装置はついていない、ということだ。強いて安全装置と言えば、水がなくなれば、爆発する前に炉心が溶融する可能性が高い、というだろうか。

 いついかなる事故の時でも、重力かバネ、ガス圧などの力で、直ちに完全に核反応を停止できる装置ができない限り、日本のような地震国・津波国での原発使用は中止すべきだ。ロシアやアメリカ、中国のような広い国では、事故が起こったあたりを永久立ち入り禁止にすればいいが、日本ではそんなことはできないからね。

 究極の安全装置がなく、その上、事故が起これば、福島のような幸運な場合でも、数十年単位の放射能被害をまき散らす装置なんて、誰が日本に採用したのだろう? そうは言っても、エネルギーは絶対に必要だ。ここ100年ほどのエネルギー使用の増加率は、世界全体で見ると、1.02だそうだ。この数字が正しいとすると、100年後には現在使用しているエネルギーの7.2倍のエネルギーを使用していることになる。500年後には、ちょうど2万倍だ。それだけのエネルギーを人類は必要とするわけだ。
 200年後、現在の53倍程度なら、石油・天然ガスの賦存量が無尽蔵に近いから、日本はそれでなんとかすればいい。そうこうしているうちに、なんとかなると思う。石器時代が終わったのは、石がなくなったからじゃないからね。とりあえず200年後までの目標は、海水を安価に分解して水素ガスをとる方法だろう。地球の海の水を使い切るまで人類は生きていないだろうからね。



 1+1/2+1/3+1/4+……etc=∞ について
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 a=1+1/2+1/3+1/4+……etcについて、どの本にもa=∞だと書いてある。1+1+1+……=ー1/2の証明が載っている黒川先生の本にもa=∞だと書いてある。
 その証明は下記。
 1/3+1/4>1/4+1/4=2/4=1/2:1/5+1/6+1/7+1/8>1/8+1/8+1/8+1/8=4/8=1/2:
 以下同様にして、
 a=1+1/2+1/3+1/4+……>1/2+1/2+1/2+……=∞
 故に、a=∞。

 ところが、前の欄でやったとおり、
 1+1+……=-1/2:
 これは真理だから、
 1/2+1/2+……=1/2×(1+1+1+……=-1/2)=-1/4:
 つまり、a=1+1/2+1/3+1/4+……>-1/4とは、ならないのだろうか? -1/4より大きいことは∞も含むけど、=∞ではないと思う。1だってー1/4より大きい。
 どう説明すればいいのだろうか?



 「人間の数学」と「自然の数学」――前の話の続きです――(2017/9/4)
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 1/(1ーx)=1+x+x²+x³+…… はとんでもない魔性を秘めた数式(冪級数)だ。
 この式が成立するための条件は x≠1 だけしかないはずだ。言い換えれば、この式が成立しない条件は x=1 だけだ。これ以外には何の条件もつかないはずだ。
 そうすると、この式にx=-1 を代入すると、
 1/2= 1ー1+1-1+…… となる。
 両辺に2+2+2+…… を加えると(右辺はー1のところに)、

    1/2          1-1+1-1+1ー1+1ー
 +)2+2+2+……     +) +2   +2  +2  +2+……
 ――――――――     ――――――――――――――――
 =1/2+2+2+2+……     =1 +1+1+1+……
 
 1/2+2(1+1+1+……)=1+1+1+…… になる。つまり、1+1+1+……=ー1/2。

 これ以外にも、前の欄で書いたように、1+2+3+……=ー1/12など、「人間の常識」を越えた結果が、気の利いた小学生なら理解できる程度の数学で、簡単に出てくる。
 そんなの認められない、というわけで、とくに常識が好きな工学系では、つぎのように勝手に、xに制限を付けた。物事は「収束」すべきで、「発散」するのは嫌だというわけだ。
 そのやり方だが、  I=1+x+x²+x³+……+xʰ とすれば、
          xI=x+x²+x³+……+xʰ⁺¹
 IからxIを引けば、
         IーxI=I(1ーx)=1ーxʰ⁺¹
          I=(1ーxʰ⁺¹)/(1ーx)
          =1/(1ーx)ー(x/(1ーx))×(xʰ) 
 ここで h→∞ の時、⏐x⏐≺1 ならば xʰ→0 になり、I=1/(1ーx) で、何の問題もない。こうなると、x=-1とはできないのだから、1+1+1+……=ー1/2 ということに悩まされることもない。つまり、1/(1ーx)=1+x+x²+x³+……etc を取り扱うときの条件に⏐x⏐≺1 という条件を加えるのだ。つまり、「発散」しないようにしようというわけだ。この条件一つで、人間の常識が通じるようになる。
 だから、こういう数学を「人間の数学」と言うんだそうだ。

 ところがここにへそ曲がりの、Euler1707~1783 18世紀の人)という「発散」が好きな大天才がいて、1+2+3+……=ー1/12等で結構じゃないか、と考えた。このあたりが、天才と秀才の違いだ。「勝手に下らんものを付け加えるな」というわけだ。ここから、「自然の数学」が始まったんだそうだ。20世紀になって分かったことだが、自然と対話するには 1+2+3+……=ー1/12が必要だったというわけ。つまり、「自然数の総和はー1/12、結構じゃないか」というわけだ。
 なお、これら(例えば、1+2+3+……=ー1/12)の、一般的な厳密な証明は、解析接続という手法が必要で、素人にはちょっと手が出ないほど難しいそうだ。常識が通じない部分を数学的に説明するには、その手法が必要だそうだが、そうは言っても、基本は1/(1ーx)=1+x+x²+x³+…… なのだ。
 とりわけ、量子論が絡んでくると、この「自然の数学」を採用しなければならないそうだ。
 物の本によれば、1948年にCasimirにより量子力学的に予言されていた「カシミールエネルギー(真空が持つエネルギー。1996年にLamoreaux(ラモロー アメリカ人)により実験的に確認された)」は、1+2+3+……=ー1/12を使わないと計算できないといわれている。つまり、「自然の数学」を使わないと、計算できないそうだ。【カシミールエネルギーについて知りたい方は、ウィキペディアを見てください。嫌というほどの量があります】
 カシミールとラモローはノーベル賞を貰うかと思ったが、貰えなかった。ノーベル賞選考委員が理解できなかったのかもしれない。アインシュタインのノーベル賞だって、e=hν (エネルギー=プランク常数×振動数)に対して与えられたのであって、一般相対性理論じゃないんだからね。

 身近な話では、新聞の科学欄にときどき顔を出す、「リーマン予想」で 1+2²ⁿ+3²ⁿ+……=0 が出てくる。ここまで新聞の科学欄では書いてないが、内容は 1+2²ⁿ+3²ⁿ+……=0 なのだ。
 未解決の世紀の難問、リーマン予想(Riemann hypothesis)でいうところの、「自明の解を除けば」の自明の解とは、
「hが正の偶数ならば、1+2ʰ+3ʰ+……=0」である。つまり、例えば、 1+2²ⁿ+3²ⁿ+……=0 ということを自明としているわけだ。19世紀(Riemannは19世紀の人)でも数学者は「自然の数学」を前提にしていたということだ。例えば、1+1+1+……=ー1/2だし、1+2+3+……=ー1/12が正しいのだし、1+2²+3²+……=0 等々なのだ。

 こんな話、ボクは面白いと思うけど、ほとんどの人は関心がないようだ(^^;)。



 1+2+3+4+5+……=-1/12 の証明 ―― (2017/8/15)
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 「オイラー探検」(黒川信重 著、丸善出版)という本を読んでいたら、表題の式の証明が載っていた。これがすこぶる簡単で、算数好きの小学生なら理解できると思う。なお著者は「リーマン予想」の専門家(その道の第一人者らしい)で、東京工大の教授。これはEuler(1707~1783)の専門家でかつ、ζ(ゼータ)関数の専門家であることも意味する。こういう著者がオイラーのことを解説した本。「説明は高校生からわかるように心がけました」と前書きに書いてある。ただ、分からないところは読み飛ばせと書いてあるということは、けっこう難しいところがおおいということ。

 アメリカのラモロー(Lamoreaux)が1996年頃に実験で確認したカシミール(Casimirが1948年に予言)エネルギーは、上記の計算の結果を採用しなければ導けないそうだ。カシミールエネルギーとは真空のゆらぎ!!)が持つ、量子力学的力の理論値であるエネルギー(!!!)で、2枚の薄い金属板を真空中につるすと、金属板が互いに引き合う、というのが予想で、それが実験で確認されたというわけ。これの証明には1+2+3+……=ー1/12が使われた。つまり 1+2+3+4+5+……=-1/12 はほんとうだったというわけ。

 前置きはこれぐらいにして、その証明。
 まず冪級数
      1+x+x²+x³+x⁴+……=1/(1ーx)
       (冪級数という)  (母関数という)
 から出発する。なぜこうなるかは、実際に1を(1-x)で割ってみれば分かる。検算なら、(1+x+x²+x³+x⁴+……)×(1ーx)をやってみれば、1になることはすぐ分かる。
 これを平方すると、
      (1+x+x²+x³+x⁴+……)²=1/(1ーx)²
 左辺は 1+2x+3x²+4x³……となるので、
     1+2x+3x²+4x³……=1/(1ーx)²
 ここで、x=-1を代入すると、
     1-2+3-4+5-6+……=1/4
 18世紀の天才Eulerの偉いところは、これをこのまま真理として受け入れたことだ。この態度は、マイケルソン・モーレーの実験結果を事実として受け入れたアインシュタインの態度に通じる。つまり、光速不変(ただし、波長はドプラー効果を受けて変化する)とエーテル(光を伝搬する仮想の物体)の否定を事実としたことで、特殊相対性原理に通じた。
 Eulerのおかげで数学は、「人間の数学」(人間に都合のよい数学)から「自然の数学」(自然とも会話できる数学)へ発展した。
     1-2+3-4+5-6+……=(1+2+3+4+……)ー(4+8+12+……)=
                  (1+2+3+4+……)ー4(1+2+3+……)=
                   ー3(1+2+3+4+……)=1/4
     故に、1+2+3+4+……=ー1/12

 これは、数学者は18世紀の昔から、自然数の総和(つまり 1+2+3+4+5+……)はー1/12であることを知っていたことになる。
 無限が絡む世界は、常識や経験がまったく役に立たないことがこれでよく分かる。

 1+x+x²+x³+x⁴+……=1/(1ーx)の両辺を平方する代わりに、1+x+x²+x³+x⁴+……=1/(1ーx)の両辺を微分しても同じ結果が得られる。この方が遙かに計算が早いし、クールでエレガントだ。その後の発展性も断然高い。ただし、微積アレルギーの人は世の中にけっこう多いので、説明をするときには注意を要する。

 1+x+x²+x³+x⁴+……=1/(1ーx)の両辺にxをかけて、微分し、x=-1と置き、上と同じような操作をすると、
        1+2²+3²+4²+……=0
 が得られる。同じことを繰り返すと、自然数の偶数乗の総和はゼロになることが分かる。
 これは リーマン予想における ゼータ関数 ζ(-偶数)=0 を意味する。
 これはつまり、リーマン予想でいう「自明の解を除けば」の自明の解とは負の偶数のことである。
 リーマン予想とは、ζ=0 の解は「自明の解を除けば、1/2+it の上にある」と言うことだけれど、これがやたら難しく、まだ解けていない。15兆ほどスーパーコンピュータで検算してみたけど、どれも正しかったそうだ。しかし15兆1例目がそうならないかもしれないので、数学者はスパコンの結果は無視している。
 なぜそんなに難しいか、それは素数が絡んでいるからに違いない。素数を作り出すアルゴリズムが分かっていないからだ。素数は無限にあることは証明されているが、どんな具合に出現するか分からないという。
 この欄の前のほうでも書いたが、リーマン予想の解決にはアメリカのクレイ財団が百万ドル(約1億円)の賞金を掛けているが、一桁か二桁安いのではないかと数学者の評判は悪いという。なお、「自明の解を除けば、1/2+it の上にある」は解けている。「それ以外に解はない」という証明が未だにできないのだそうだ。


 水月湖へ行ってきた。――(2017/3/3)
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 水月湖がどこにあるのか、九州の人なら、知らないのが普通だろう。まして、どういう故事来歴の湖かなんて、その道の専門家以外はまず誰も知らないと思う。所在が福井県だから、九州北部から、一泊すればゆっくりと往復できる。10年若ければ、無理して往復、あるいは車中泊だけれど、それは諦めた。
 宿泊したホテルは水月湖よりも少し離れた小浜市のリゾートホテルだったけれど、ちょっと新しい発見があった。老人の一人旅にたいしホテルの人は、とりわけ親切(というより、気を遣うと言うことか――)だということだ。ホテルで夕食と朝食を食べたのだが、両方の席で男一人というのはボクだけだった。他は全部、夫婦・家族連れかグループ旅行だ。
 夕食のとき、食堂のマネージャーらしい中年の男の人と話が弾み(これって、老人の一人旅はアヤシイということで、「身上調査」だったのかな……多分そうだな(^^;))、九州から物好きにも水月湖を見に来たとか、太宰府天満宮は実利的(受験生がお参りすると合格する)に利くとかの話題に花が咲いた。
 翌朝、朝食が済んで食堂を出るときに、食堂の中年女性の方から、「今日は太宰府までのロングドライブだそうで――お口に合うかどうかわかりませんが、途中で食べてください」と言って、まだ温かいおにぎりを頂いた。そういえば、彼女、昨晩の夕食の時に見かけたような気がする。国内・国外のホテルに泊まったことは、職業柄、数は多いと思うが、こういう経験はこれが初めてだ。本当に嬉しかったなあ――ここは絶対に、単純に喜ぶべきだと思う。

 2017年の3月、近所のイオンの中のツタヤで「人類と気候の10万年史」(講談社ブルーバックス 著者・中川毅)という本を見つけた。買う気もなく漫然と店内を見て回っていたときだ。本屋巡りの一大効用だね。ネットではこうはいかない。この本を読んだら、誰だって水月湖を見たくなる。だから水月湖を見に行ったというわけだ。
 福井県の日本海沿いに三方五湖(みかたごこ)がある。若狭湾国定公園に属している。その5湖のうちの最大面積の湖が水月湖(汽水湖、他の湖を介して海とつながっている)で、5湖はお互いに狭い水路でつながっている。

 【これが水月湖。けっこう広い。湖中の櫓はダミーで、湖底をボーリングした様子を示す。周りには、魚釣りをしているブラジル人(たぶんポルトガル語、を話していた。スペイン語ではなかった)の2家族5人ミニバン2台がいるだけで、静かだった――朝の9時半と時間も早かったが。この周辺、魚釣りは禁止されていない。汽水湖なので、どういう魚がいるんだろう? 五湖の周辺には、ウナギ料理屋があるけどね】

 もともと気候には関心があった。生き物は人類を含めてすべて気候と進化の奴隷だ、というのがボクの基本的な世界観だからね。生物はほとんどの種類が進化し、その進化の結果、滅亡する。地球のつぎの支配者は多分、人の頭脳の進歩の結果生み出された電脳だろう。あと1000年・10世紀も経てば、いつの間にか人類はいなくなっていた、ということになりそうだ。そうなりたくなければ、今のうちに電脳との棲み分けを真剣に考えておくことだ。そうしないと、それだって、電脳に考えて貰うということになるよ。つまり、生物は滅亡するため進化する。気候の奴隷というのはわかりやすいから、説明は省略。

 海水温の上昇で、沖縄の珊瑚が死にかかっているというが、仕方ないと思う。だいいち、それに対して、現代の科学では打つ手なんかないよ。何もしない、というのが最良の方法だし、それ以外の対処の仕方なんてない。沖縄の珊瑚がなくなった頃には、鹿児島あたりに珊瑚礁ができているかもしれない。気候の変動に対して、人類は対処できないと思う。

 気候は複雑系の典型だ。複雑系の実験に、二重振り子という有名な例がある。ネットでググると、その動画がたくさん出てくる。単純振り子の動きは、一昔前の柱時計にも使われていたように単純明快だが、その振り子が2箇直列につながれば、現実的にはその動きの予想は不可能だ。現実には初期条件がまったく同一ということが事実上、不可能だからだ。まして地球上の気候の予想なんて、初期条件の不確実さを考えれば現実的には不可能だ。長期天気予報なんて、現時点では気休めだろう。天候の長期予報ができれば、飢饉なんて防げるからね。
 1980年代にアフリカで起きた干魃では、数年の間に300万人が死者が出たそうだ。死者の数だけをみると、その規模は東日本大震災の100倍を超える。干魃はかくも沢山の死者を出す。これだけをみても、長期天気予報の重要さがわかるが、こればかりは、実用的なものは実現しそうにもない。死者の数だけをみれば、アフリカの飢饉は、20年か30年に一度は起きている。千年に1回の地震と比べても死者の数が二桁も多いのだよ。
 「北京の蝶の羽ばたきが、ニューヨークの暴風の原因だ」なんて言われる。これをポアンカレは「バタフライ効果」と名付けたそうだ。現実の複雑系は予測が不可能だということだろう。二重振り子を大げさにすれば、こうなる。
 以上は、言ってみれば、未来の話だね。

 これに対して水月湖は過去の気候の情報に関わる話だ。過去の気候が詳しくわかると、その周辺の未来の気候の予測がつこうというわけだ。それには、前提が必要だ。今後1000年ほどなら、例えば、玄界灘から朝鮮海峡全部が凍結するような、気候の大変動はないだろうという予想が必要だ。現状は永遠に続くと考えたいのが人間の性だからね。バブルがはじけると、大騒ぎするのが普通の人間だからね。
 水月湖の湖底の泥を調べると、過去7万年()の間のその周辺の気候変動が、45メートルの堆積物に記録されているという。単純計算では、年間0.6ミリの堆積だ。つまり過去7万年分の泥が湖底にそっくりそのまま滞積しているのだという。湖底に堆積する泥が、乱されずにそっとそのまま7万年間も堆積し続けているという。世界唯一の希有の例だそうだ。
 人類が人間らしい文明を持ってやっと1万年だよ。日本の歴史だって、神話の時代から数えて、来年2018年が紀元2680年だ。その長さがわかろうというものだ。

 付近の河川から土砂が直接流入するようでは、湖底は乱され、こんな奇跡は起きない。それに、湖底に貝や水生昆虫などがいても堆積層が乱されてしまって、こんなことにはならない。湖底は常に、生物が住めない酸欠状態である必要がある。その上、7万年も湖底が堆積し続けるられるには、湖底が少しずつ沈降していなければならない。そうでなければ、1万年も経てば、湖はやがて湿地帯になり、そのうち陸地になる。
 水月湖はそういう希有な条件を備えた湖だ。その堆積層(こういう特殊な堆積物を「年縞」という。木の年輪を想像して貰えばいい)の分析は始まったばかりだ。もちろん1年ごとの湖の周辺の事情がわかるが、7万年間のデータがあるので、1年ごと調べるのは現実的ではない。とりあえず50年ごとか。そうすると、1400回の調査分析で、とりあえず済む。
 2012年、水月湖の年縞に基づいた「年代の目盛り」が地質時代の世界標準に認定された。ボクは知らなかったが、2016年から中学校の教科書にも載っているそうだ。
 年縞から何がわかるか? 過去7万年間にわたる日本の標準的な位置の、気候変動の様子がわかる。年縞にはその年ごとの湖周辺の花粉などが含まれているのだ。過去7万年の気候がわかれば、今後1000年ぐらいの気候変動の予想が立つのではないか。これが、みんなが知りたい一番の問題だろう。その研究と解析が今、端緒についたばかりだそうだ。
 今後1000年の気候の長期予報なんて、絶対に不可能なんだから、過去から推測するしかないのだ。水月湖の年縞からそれが出来るんだよ。

 こんな希有な条件の湖が、車で行けるところにあるのだから、普通の人なら、一度は見てみたいと思うだろう。ボクの周りの人たちはみんな、「物好きな……」としか言わないけどね。
 



 博多駅前の道路陥没について――(2016/11/10)
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 2016年11月7日(月)早朝、博多駅前の幹線市道で、深さ15m・幅約30m・長さ30mの大陥没事故が起きた。事故発生直後、施工業者が地表の道路の交通を直ちに遮断したので、さいわい人身事故は起きていない。
 地下鉄の駅舎の掘削工事箇所が崩落したのが陥没の原因である。8日になって、駅舎の掘削がナトム工法(NATM――New Austrian Tunel Method )で施工されていたのが報道されて、本当に「びっくりした!」というのが本心だ。

 現役時代は山岳トンネル工事がボクの本業だったので、ナトム工法はよく知っているつもりだ。ボクの最後の工事になる台湾でのトンネル工事3箇所のうち2箇所がナトム工法だった。最後の一つはトンネルマシーンによる機械掘削。
 NATM工法は、簡単に言えば、ロックボルト(末尾に説明)とモルタル吹き付けを主とする工法で――だから、水がある箇所では施工できない――、支保(トンネルを支える木枠や鋼枠)は使用しない。だからNATM工法は、素人の誤解を承知で言えば、切り羽の崩落があってもいいことを前提とした工法だ。つまり、地上に道路や建物がある市街地では絶対に採用しない工法だとボクたちは理解していたし、実際、NATM工法の現場では、しばしば切り羽の崩落は起こっていた。台湾の鉄道トンネルの掘削工事でも崩落が起こった。
 具体的には、含水層に突き当たらなければ原則として切り羽の崩壊は発生しない。怪しいな、と感じたら15mほど先まで削岩機で穴を開けてみるのだが、その穴が含水層を貫くとは限らない。トンネル掘削工事は、同じことの繰り返しだ。ほとんどの日が、同じ切り羽、同じ工程である。それでも担当者(所長を含む)は毎日、入坑して切り羽を見る。日常の状態を、頭にではなく体にたたき込んでおかないと、切り羽を見て怪しいと感じることはできないからだ。
 普通の地層では、NATM工法つまりロックボルト工法は、少々地層が柔らかくてもトンネルを掘ることができる。ロックボルトとコンクリート吹き付けの効果はオカルトとしか思えないほど岩盤や地層を支えるのだ。鋼支保でさえ支えきれない膨張性地盤でも、ロックボルトならコンクリートを打つまで何とか支えてくれる。粘土層さえ、ロックボルトを使用すればトンネルが掘れるのだ。
 しかし、含水層ではモルタル吹き付けはできないしロックボルトは利かない。水さえなければ、ナトム工法で、つまり、ロックボルトと金網とモルタル吹き付けを併用することで、割れ目の多い岩盤でもトンネルを掘ることはできる。

 トンネル掘削工事に想定外はない。1寸先は闇、というのがトンネル掘削工事の現実だ。1寸先の岩盤の状態が見えるわけがないからね。トンネル掘削工事の予算とは、掘削工事終了時の金額だと言われているのも、あながち誇張ではない。

 以上の知識を踏まえて、今度の事故の責任者は誰か? それは繁華街の真下の地下工事にNATM工法を選択した者だ。それは発注者つまり福岡市だ。
 公共土木工事の場合、当然入札で業者が決まる。一番安い工事費を入れた者がその工事を落札できる。その場合、入札時には(トンネル工事の場合には)岩盤の種類状況、掘削工法(この場合NATM)などが発注者から示される。そうでなければ、積算のしようがないからだ。
 この制度で一番の問題は、よほどのことがない限り(つまり今回のような崩落事故などのような)、発注者は工法の変更を認めようとしないことである。
 NATM工法は、より都市の地下土木工事に適しているシールド工法よりも、工事費がはるかに安価だ。だから事務屋が工法を選べば、一番安価なNATMになるだろう。
 それでは工法はだれが選ぶか? 最終責任者は福岡市だが、具体的に今度の工法を選んだのは、福岡市が設計を依頼した設計業者に違いない。それを鵜呑みに採用した福岡市もおかしい。
 要するに、福岡市にも、設計業者にも、トンネル工事を知っている人間がいなかっただけの話なんだろう。これが一番の問題だ。

 この地下鉄工事では、平成12年(2000年)と平成26年(2014年)に、同様の陥没事故を起こしている。つまり、今度で3度目だ。以前の工事の設計業者と今回の設計業者が同じかどうか知らないが、同じなら、福岡市の責任は一層重いと思う。仏の顔も三度まで、だからね。

 テレビでは今回の事故をいろいろ解説しているが、一番まともなことを言っていたのは、毎日放送系統に出演していた阪大名誉教授の谷本先生だった。都市土木の現場にNATM工法を採用したのが原因だと明言していた。過去に2回も同じような事故を起こしているのに、だれも反省していない。「トンネル工事に想定外はありません。毎日の工事が想定外です」と本当に怒っていた。谷本先生はNATMの本も書いている専門家である。それに比べ九大の先生の解説の歯切れは悪かったなあ。これは、谷本先生はOB、つまり仕事を卒業し、世間とはとりあえず無関係、九大の先生は現役で、本当のことを言うと仕事で差し支えるかもしれないという配慮が働くのだろう。

 【NATM工法とは】 専門書を読むと、小難しいことがいろいろ書いてあって、何のことかよくわからないところが多いが、要するに「アーチ構造を作れば天盤は落ちないはずですよね」と言うことだと理解している。割れ目の不規則な自然の岩盤の中にアーチ構造を作るために、ロックボルトで岩盤を縫い固めてアーチ構造を造り、小さな崩落を防ぐために薄い(1センチから数センチ程度)吹き付けコンクリートを掘削直後に施工して、アーチの形成を全うすると言うことだ。

 切り羽が崩落したらどう対処するか? まず湧水(地下水)が出てしまうのを待ち、切り羽の水がなくなったら(あるいは少なくなったら)、セメントや水ガラスなどを使って、含水層を固めてしまい、それから支保鋼などを使って掘り進み、岩盤が良くなったらNATMに切り替える。
 含水層が巨大と推測され、湧水が止まるまでの時間が読み切れなかったらどうするか? 水が動いていなければ水ガラスで地下水は半固体にできるので、坑道をコンクリートで塞ぎ、水ガラスを注入して、それから支保工を使って掘り進めばいい。大量の水が流れている坑道をどうやったらコンクリートで塞げるのか? そんなことは、鉱山屋に聞いたらすぐ教えてくれる――電話でも説明できる程度の簡単なことだ。鉱山では、廃棄した、地下水のある坑道はかならず塞いでしまうからね。そうしないと、排水の電気代がかさんでしようがない。

 ロックボルトとは、直径20ミリ~30ミリ、長さ1.5mほどの鋼棒を削岩機で掘削した孔に挿入して、先端が抜けないような加工をし、入り口に大きな座金をおいて、ボルト溝を刻んだ末端にナットをセットし、ナットを回して、岩盤を締め上げるものである。
 実はこの工法、鉱山では、NATMという述語が広まる前から、広く採用していた。ボクは学校を出て10年間鉱山の現場にいたので、よくしっている。鉱山ではルーフボルト工法と言っていた。モルタル吹き付け機も、年長の機械屋さんと一緒に、ああでもない、こうでもないと言いながら、現場の機械工場で、先行品を参考に自作したものだ。その後、鉱山が閉山して、土木業界に身を転じたのだが、土木業界に入って5,6年して、NATM工法が入ってきた。

 話は別だが、土木業界は仕事としては、本当につまらなかった。施主から示された設計図通りに、工期内に、物を作ればいいという。土木でも設計施工できるような有力な業種になればいいんだろうけど、一般のトンネル工事やダム工事、造成工事では、期限内に設計図通り作ればいいのだ。それに比べ鉱山は、創意工夫がいつでもどこでも入り込める業種だった。当時、人一人減らせるなら、400万円使ってよいと言われていた。稟議が通れば、何でもやらせてくれた。テレビとテレビカメラを組み合わせて、斜坑鉱石ゲートの無人操作化(斜坑巻き上げ手がゲートの操作も兼任)もやった。鉱石を運搬する構内電車の有線遠隔操作も、電車メーカーと一緒に実現できた。この設備にはFool Proofの考えを導入した。遠隔操作線が切れても、誤操作をしても、電車が止まるという設備にした。これで一列車2人の鉱夫が1人にできる。一番経済効果が大きかった創意工夫は採掘場の偽傾斜化だが、これの説明は面倒くさいので省略。予想よりうまくいったので、これを鉱山雑誌に投稿したいと言ったら、だめだと言われた。うまい汁を他社に吸わせることはない、というのだ。当時、鉱山業界は完全な貿易自由化で厳しかったからねえ――もちろん、失敗談のほうが多いことは言うまでもあるまい。
 ついつい、自慢話になったなあ。オレも未だ人間として未熟だねえ。



 英文を読むトレーニングについて――年配者の英文読書能力の錆び落としの方法――(2015/9/7)
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 これはやはり多読に限るだろう。飽きずに英文を多読できる方法を見いだしたので自信を持って紹介したい(^^;)。


 とっくに現役は引退したが、インターネットを友としている限り――その上、友はほぼインターネットだけという状況である身の上なので、日本語だけでは、ちょっと寂しい。その上、ちょっと特殊な分野になれば、データは英文しかないということも時々ある。
 若い時マレー語(これは会話主体)の必要に迫られ独習書を求めたが、結局イギリスで発行されたものが群を抜いて使い勝手がよかったのだ。(だからと言って、ボクのマレー語会話が流暢になったわけではないが) この参考書探しの時に、大英帝国の底力を思い知らされた。イギリス語なら世界中のどんな言語でも、学習参考書があった。インドの諸言語など、その地に行く人にとって実用になる日本語の参考書なんかあるわけがない。イギリス語にそれがあるのは、歴史を見ればこれは理解できる。東欧の諸言語、北部アフリカの諸言語ももちろん揃っている。クルド民族とクルド語のことなんか、その時初めて目にしたものだ。

 さて英文読解力の錆び落とし方法だが、これはたくさん英文を読めばいい。問題は、眠くならずにたくさん英文を読む方法だ。それには、できるだけ努力少なくて読める方がいい。その方法を見つけた!

 それは、英文に翻訳された、日本人小説家の作品を読むことだ。いまボクは村上春樹「1Q84」の英訳本をKindle上で23章まで読んだが、気合いを入れて読めば、今年いっぱいで3巻まで読めるだろう。半分はふとんの上と病院の待合室で読んだ。これは翻訳家の腕のせいではない。なお「1Q84」は2刷本あたりの原本を娘から借りて通読したが、記憶に残っているのは、大まかな筋ぐらいだ。
 出てくる単語の難易度から言えば、ヘミングウェイのほうが易しいと思う。下記の本が英語の勉強に最適だと、どこかでたいそう褒めてあったので、少年少女を読者対象とした”Holes"(Louis Sachar)も読んだが、これはイメージを掴むのに大変だった。半世紀ほど前の広大な湖がいまでは干上がって、毒トカゲだけが棲む砂漠になっているそうだ。この程度なら、何とか想像の範囲だ。その砂漠のなかにぽつんと低い山地があって、その山頂近くに水があり、大量のタマネギが自生している。これが重要な小道具になっている。この状況、日本人に想像できるだろうか? 雪をいただく山の麓に湧水がある、というのなら、難なくわかるけどねえ。アメリカの少年少女たちは、たぶん違和感なく想像できるのだよ。DVDで映画化されたものを見ても、砂漠の中の山頂に水が湧いているという状況には不自然さを感じたなあ。
 なおKindleで英文を読むと、知らない単語が出てきても、辞書を引く手間がきわめて簡単なので、楽だ。そのせいで辞書を引きすぎるのに気をつけなければならないほどだ。Kindleのなかに、プログレッシブ英和中辞典が入っていて、単語へのスローテンポのワンタッチで日本訳が出てくる。もちろん英英も選ぶことができる。語源を調べるには――単語を覚えるには――英英がいいが、疲れるからねえ。これを使うと、紙の辞書を使う気にはならない。いまの学生がうらやましい。

 なぜ村上春樹の英訳本が読むのに楽なのか? 考えてみれば当たり前のことだが、書いてあることが日本のなかの出来事なのだ。われわれの身の回りの出来事なのだ。1を聞けばたいていは5程度を推測できるのだ。ところがアガサ・クリスティではそうはいかない。イギリスの上流階級の遺産相続に関わる殺人絡みの話なのだから。石畳の通りと家に上る階段と石づくりの家との関係もよくわからない。ところが、柳の館の老貴婦人(dowager/ダゥアジャー/という単語は知らなかったなあ!)が温室で青豆と会う場面なら、あちらこちらに散らばっているボクの経験や読書体験で得た知識を寄せ集めれば、それとなく具体的に想像できるのだ。もちろんこれには村上春樹の文章力もあるはずだが。
 高校三年の時、近くに住んでいた英語の先生から、「"Wuthering Heights"(嵐が丘)」ぐらいは原書で読め、といわれて、真っ正直なボクはトライしたが、とても歯が立たなかった。英文と日本語訳の岩波文庫を並べて、20ページも読んだろうか、おもての意味は何となくわかるが、ヨークシャーの原野の深い霧のなかで目を凝らしている状態だった。ボクのような純真な高校生が、執念深いシロンボの、怨念がらみの延々たる復讐劇なんか、読んでわかるものか! それに比べると、青豆が首都高速の渋滞に巻き込まれた時の話はすぐ腑に落ちて、わかってしまう。首都高速の非常用階段を降りる場面(非常に重要なシーン)なんて、もちろんやったことはないが、たやすく想像できてしまう。だからすっと読んで、すっとわかるのだ。知らない単語だって、前後の関係で推測がつくというものだ。だからけっこう煩雑な関係だってすぐわかってしまう。辞書を引く回数はずっと減る。これを利用しない手はないと思う。

 ボクが知りたいのは、中国社会で進行している急激な社会構成の変化――老人世代の増加(これには一人っ子政策がおおきく絡んでいるらしい)、アメリカの人種政策(日本に比べたら、本当によくやっているなあ!)、地球温暖化とは本当は何だったのか、という類いのことで、北部ドイツやデンマークあたりでは、夕方とは夜の10時頃までのことを指す、なんてことはどうでもいいのだ。できるだけ心理的にも苦労せずに、大量の英文を読みたいのだ。
 もちろんそこには、ボケ防止の効果も期待している(^^;)。もしかして、こちらがおおきいのかな……。


 「宇宙が有限ということの証明」について――ζ 関数が絡んできたら、少し面倒だ――   (2015/4/27)  【トップへ】

 ギリシャの昔から、「宇宙は有限」の"証明"はつぎのようになされていた。もう少し正確に書けば、当時は「宇宙の広さは無限」と考えられていたので、この"証明"は「ナントカ(哲学者の名前)のパラドックス」と呼ばれていた。

 距離1のところの視野の広さが1²(1の二乗)であると仮定し、そこに恒星が1個あるとする。恒星は宇宙に均等に分布していると仮定すれば、距離2の所の恒星の数は2²=4個だ。距離3のところでは3²=9個この仮定に異を唱えるひとは、頭が固いと言われるか、思われるから気をつけたほうがいい。少なくとも、物理学者は目指さない方がいい。
 
ところで、例えば、距離3の所から地球に届く光の量は、距離に二乗に反比例するから、3²/3²=1となる。(話を簡単にするために、4π(パイ)の常数やその他の常数は省略する) つまり、距離nの所から届く光の量は1だ。
 つまり、星からわれわれに届く光の量は、宇宙が無限大だとすれば、
 1+1+1+……=∞ (!)
 である――つまり、宇宙の大きさが無限なら、夜空は恒星(自分で光を放っている星)で満たされ、深夜でも全天は光り輝いて明るいはずだ。ところが夜空は暗い。故に、宇宙は有限である――というわけだ。学校でこのように教えられたし、大いに納得もした。ちゃんとした先生が書いた科学読み物にもそう書いたあった。
 
 ところがこれが、現代の数学の知識を導入して、もう少し正確に記せば、目に届く光の量は(4πr²ー半径rの球の表面積ーの常数だけを考慮して)、
   1²/4π×1²+2²/4π×2²+3²/4π×3²+……=(1/4π)×(1+1+1+……)
   =(1/4π)×(ー1/2) 【なぜなら、1+1+1+……=-1/2 (ζ(0)の場合))】
   =ー1/(8π)≒ー1/24……
Πは円周率
 ――とにかく、値はマイナスになる。
つまり、無限のかなたからの光は届かない、ということになる。あるいは、無限の彼方では、光はどこかに吸い込まれているということだ。
 
いずれにせよ、夜空は暗い、ということになり、面白くない。
 

 これをどう解釈するか? これが意外に悩ましい。

 宇宙の広さは、現在のところ、138億光年だそうだ。これは観測事実から計算された値だ。つまり、138億光年先の星まで見えるということだ。半径138億光年の球だと考えていい。光年の距離を思い描くために、ボクはつぎの縮尺を使うことにしている。
 地球と太陽の平均距離(天文単位AU・約1億5千万㎞)を1mとすると、太陽の直径は約10mm、地球の直径は約0.1mm、そのとき1光年=9兆5千億km(ボクは1光年=約10兆キロと覚えている)は約63kmとなる。
 そうすると、138億光年は約9000億kmだ。直径0.1mmの地球から、9000億kmの先が宇宙の果てとなる。遠いなんてものじゃない。人間の感覚からは、無限の彼方、だろう。しかし、無限ではない。1+1+1+……=ー1/2の世界ではない。
 こう考えてはどうだろう。つまり、直径0.1mmの地球に宇宙の果て、9000億kmの奥から来る光は、有限個の星から来る光なので、やはり夜空は暗いのだと。
 こう考えると、夜空が暗い、のがなんとなく納得できる。
 今後の天文学では、「ダーク・マター(暗黒物質)」が絡んでくるが、これらの計算では、上記の計算(1+1+1+……=ー1/2等)が活躍すると思う。ボクの予想だけど、当たるかな?
 全宇宙の中で、僕たちが知っている物質(周期律表に出てくる元素)は5%、ダークマターが25%、残りの70%が宇宙常数というエネルギーだそうだ。ダークマターと宇宙常数はまったく未知なので、人類は宇宙の5%しかわかっていないことになる。神に近づけるのは当分先のことだろう。

 1+1+1+……=-1/2 (つまりζ(0)の場合)を東京工大の数学科ではつぎのように教えるのだそうだ。
 
「毎日10円ずつ無限銀行に貯金していくと、最後の審判の日には5円の負債が残ることになる」――何か意味深だねえ。
 1+1+1+……=-1/2 
証明は簡単だ。
 1/(1ーx)=1+x+x²+… の式に x=-1を代入し、少し変形したら、すぐ出てくる。




  福沢諭吉について、まじめに考えた(2014/10/28)   【トップへ】

 2014/10/27に大分県中津市にある福沢諭吉記念館に、ある団体の親睦旅行で行った。その時感じたことを書く。
 場所は大分県中津市、諭吉の生まれ故郷だ。資料館が結構面白かった。人物に関しては、すべて写真付きである。これは資料館の基本だと思った。話が具体的にイメージできるような気がするからだ。
 この資料館で感じたことは、福沢諭吉は経済人だということだ。思想家と言うよりは、実利を考えた人だ。
 諭吉の基本理念は「独立自尊」と「男女平等」だ。これの根本は、「働かざる者食うべからず」という資本主義の根本精神だろう。しかしこれでは、いくら何でも、身も蓋もないから、世間に通りやすい表現にしたのだろう。諭吉は健康にも気を配っていたという。病気になっては働けないからね。
 「独立自尊」とは、よく働いて、経済的に自立せよということだ。自分のことは自分で決めよ、ということだろう。これはわかりやすい。
 「男女平等」は、女も働け、ということだ。女性が家庭に引きこもられるのは――専業主婦で終わるのは、国家の損失だろう。女性が働かなくても、国家としては、喰い扶持はかかる。それなら、働かせなければ国家としては損だ。きっとそう考えたはずだ。諭吉のような合理主義者なら、きっとそのように考えるはずだ。
 このホームページのどこかに書いているが、この「男女平等」を強力に実施して、立派に国力を盛り上げた実例がある。フセイン時代のイラクである。
 イスラム世界は現在でも、極端な男尊女卑だという。女性が働くなどとんでもないという世界だ。ニュースで知る限りでは、とりわけアルカーイダなどはその傾向が強いようだ。そこでは女性の教育も否定されているという。最近でも、多数の女性徒を拐かしたイスラムのテロ組織があったじゃないか。
 そういう世界でフセインは、断固として女性の教育を奨励し、女性が家庭から外に出て働くことを押し進めた。人口の増加と食い扶持の増加なくして、一国の労働力が一気に倍増したのである。国力が一気についたわけだ。イラクを取り巻く、サウジアラビアなどのイスラム世界は、フセインのやり方と強大化を恐れて、そのやり方をイスラム教に対する冒涜だと言いつのり――そんなことを言っても、アメリカが聞くわけないから、その上、核兵器を隠し持っているとか適当な嘘をついて、フセインを抹殺させた。アメリカもその思惑に気付いていても、石油資源がほしいので騙されたふりをして、嘘に乗ったふりをして、フセインのイラクを抹殺した。
 「男女平等」はかくも経済的な効果が望める、強力な経済政策そのものなのだ。だから安倍首相も、同じことを言っている。
 江戸が明治になった頃から、諭吉はそんなことは見通しだった。諭吉が天才と言われるゆえんだ。

 これはまったくの蛇足だが(歴史に if はないと言うからね)、フセインのイラクがそのまま続いていたら、「イスラム国」はできなかったに違いない。「イスラム国」の主要メンバーはイラクから追い出されたスンニ派が占めているに違いない。「国」を目指す作戦があまりに巧みだ。政治の実務の経験者がその中にいるに違いない。
 アメリカもEU諸国も、空爆におカネを使う必要もなかったし、その後の人質誘拐・殺人も起きなかった。状況を読むというのはかくも難しいことなんだね。
 
 福沢翁記念館で、入り口の福沢翁の胸像の後ろに飾ってあるA0……01Bの一万円札を眺めながら、そんなことを考えた。





 「これ、おかしくない?」――神戸女子児童殺人事件 (2014/9/28)   【トップへ】

 誰が真犯人か、そんなことはボクにはわからない。おかしいのは、警察の発表とそれをそのまま載せるメディアだ。二三日前のテレビと新聞が報じていたが、遺体を包んでいた袋(たぶんビニールの)の中に、容疑者の診察券とたばこの吸い殻があったという。たばこの吸い殻には、当然容疑者のDNAが残っていた。唾液からDNAが特定されるという現代の常識が容疑者になかったとしても、自分の名前が明記されている病院の診察券を遺体と一緒に残すことは、通常ではあり得ない、と断定できる。だいいち診察券って繰り返し使うものなのだ。スーパーのレシートとは違う。そういうことを警察は、何の説明もなくメディアに公表し、メディアはそれをそのまま何の注釈も説明もなしに発表した。記者たちは何も疑わないのだろうか? 当然警察の発表を疑っただろうが、なぜそのことを記事に書かないのだろうか? これって、でっち上げの臭いがぷんぷんとするじゃないか。
 少女が身につけていたものの一部が容疑者の部屋から見つかったというのもおかしい。警察はこの捜査の前にも、容疑者の部屋を一日がかりで捜査している。その前にも、任意で家宅捜査をしている。その時見つからなかった物が、なぜ今になって出てくるのだろうか? それに、容疑者は遺体をこの部屋で解体したらしいと警察は言っているが、それなら、どこかに少女の血痕が残っているのではないか? 魚でも、まるまる一匹を三枚に下ろすときには、あちこちに血がついて、後がたいへんだ。換気扇を回していても、臭いもしばらく残る。ましてや小一の女児だ。血痕一つ残さず、素人が解体できるのだろうか? そのうちに、血痕があった、と発表するのだろうか?
 近くは、松本サリン事件の例もある。ご近所の評判のわるい人は、気をつけた方がいいよ。

 それにしても、人を殺すのは簡単だ。千枚通しとすこしの勇気と動機があればいい。それに比べると、死体の処理はたいへんだからね。人を殺しておいて、捕まりたくなかったら、そのあたりまでよく考えてから、行動に移した方がいいよ。条件さえ整えることができるのなら、参考になりそうなのは「二瓶のソース」かなあ。読んでいない方はぜひご一読を。



 風水と土石流――(2014/9/21)    【トップへ】
 2014/8/20に発生した広島市の土石流災害は、74人の犠牲者を出し、250戸以上の家屋を破壊した。後日、新聞で見たところ、これは自然の力を無視した結果だ、としか言えない災害だ。自然の道理を無視してはいけないと思う。

 昔ボクは中学校の人文地理で教わった。地質変動で隆起したところ(つまり山地)は、雨で削られ、やがて平地に戻る、と。これが広島市の郊外で起きたに過ぎない。
 山地に雨が降れば、雨は低いところに集まり、さらに低いところへ流れ下る。つまり、降雨は低いところ、つまり谷に集まる。その谷のどこかで崩壊が起きれば、それが大雨の場合、崩壊した土砂は土石流となって谷に沿って流れ下り、下流の平坦なところで堆積する。そういうことを繰り返して、山裾に扇状地を形作る。生意気盛りの中学生だったボクは、「先生、それって当たり前ですね」とうそぶいたら、「当たり前のことをきちっと教えるのが中学校だ」と怒鳴られ、頭を一つ殴られた。
 谷の最下流は、原則として土石流が押し寄せてくる。あるいは、扇状地の上流は土石流が来るところだ。そういうところに、家や設備を作ってはならない。いつか(これがもっとも悩ましい問題だ。明日かもしれないし、1000年先かもしれないのだから)土石流に持って行かれる。

 いわゆる「風水」では、谷の下流地を「陰地」といって、「そこに家を建てると、子孫は繁栄しない」という。尾根の裾野を「陽地」といって、子孫繁栄だそうだ。ボクは台湾の土木現場(台湾の会社とのJVだ)に満8年いたが、現場事務所を建てるときは、必ず風水師を呼んで、現場事務所を建てる位置を決めてもらう。結構大げさな木製の風水盤をあれこれ操作して決めるのだが、あとで風水師(年配なので日本語が話せた)にそっと訊くと、上記のことを教えてくれた。「けっこう理にかなっているんだ」と言うと、「中国5000年の知恵だ」と自慢した。

 ボクの家の近くに「大宰府政庁跡」がある。ボクの朝のウオーキングの折り返し点だ。その政庁跡が見事な「陽地」に立地する。しかも、後ろの四王子山が、広島の崩落した山と同じ、水を含むと崩れやすい真砂土(花崗岩が風化してできた砂礫)の山である。だから、山塊のどこかで20年に一度ぐらいの頻度で崩壊が起こっている。5、6年前の豪雨の日、山塊の西側を通っている九州道で崩落が起き、運悪くその場所を通っていた乗用車が埋まって、ご夫婦が亡くなった。さらにその20年ぐらい前、山塊の南斜面で土石流が発生し、砂礫は下流の御笠川まで達し、数軒が流され、1人が亡くなった。太宰府天満宮の近くでは、御笠川は四王寺山塊に沿って流れている。だから、ボクが小さい頃は、うちの近くで御笠川の右岸側にあるのは、高台の小学校と数軒の家だけだったが、現在はびっしりと団地で埋め尽くされている。昔から太宰府に住んでいる人には、御笠川の右岸には家は建てるものではない、という「常識」があったが、新しく家を買う人には、それはないだろう。御笠川の上流の右岸には、真砂土をとる土取り場まである。上質なので高く売れるらしい。
 このあたり(四王寺山塊の南東部)は、最近の地質時代(1000万年前ぐらいか)になって著しく隆起し、平均傾斜は40度を超える、のだそうだ【太宰府市史 環境資料編】。崩れないほうがおかしい。

 つぎの「広島」はこのあたりかな? ボクの家は左岸の高台、太宰府天満宮の近くだから、四王寺山塊で1000年に一度の深層崩壊が発生しても、まず大丈夫だ。

 「平和」雑感――テレビを見ていて、ふと考えさせられた(2014/8/12)    【トップへ】
 NHKの月曜の番組に「鶴瓶の『家族に乾杯』」という番組がある。どちらかというとボクはこういう「ほんわか強制」番組は苦手だが、連れ合いが好きなので何となく見る程度だ。8月11日の番組は珍しく海外ロケで、場所はニューカレドニアだ。ニューカレドニアの家族をアポなしで、鶴瓶とその時のゲスト(このときは竹内結子――女優よりもこういう仕事が向いていると思う。"上から目線"がないので気持ちよい)が訪問するという番組である。

 ニューカレドニアはオーストラリアの北東、ニュージーランドの北西の太平洋上に位置する絶海の孤島で、現在でもフランス領である。人口比率はメラネシア人43%、ヨーロッパ人37%、公用語はフランス語。
 主な産業はニッケル・コバルト鉱の輸出で、日本のニッケル・コバルトの輸入量の50%を占める。Google Earthで見ても、至る所に露天掘り鉱山が見える。【これらの数字は、Wikipediaに依る――多謝!】
 面積は九州本島(沖縄を除く)の半分強で、ニンジンの形をしている。人高密度は非常に低く、13人/Km2(島の総人口23万人。九州の人口の半分は600万人)で九州(325人/Km2)の4%ほど――都市を一歩出れば、人なんか見当たらないだろう。
 上記のように人種比率が微妙なので、政治暴動のようなこともあったらしいが、その後話し合いがあって、2014年から2018年の間に、独立かフランス残留かの選挙が行われるという。

 1860年代にニッケル鉱脈が発見されて以来、この島は経済的に豊かになった。しかも、南太平洋の絶海の孤島、という地理的条件から、ここの住人は150年以上、本当の近代戦を経験していない。太平洋戦争中は、この島にも米軍の基地があったが、戦争には直接関係していない。それどころか、基地から流れ出るアメリカ文化の影響で、フランス植民地文化に一歩距離を置くという、いい影響を受けて、とりわけメラネシア人はこの基地の存在を喜んだという。
 こういう平和郷の人々はどういう人間になるか、ということをこの番組は見せてくれた。他人に対して、本当に親切なのだ。幼い子供からご老人まで、みんなそうだ。メラネシア系の、ごく普通の中年夫婦の別れの言葉は、「多くの人々の中から、われわれを選んで、インタビューしてくれて、本当にありがとう」だ。こんな言葉、日本人から聞いたことがない。
 その他、フランス人の家内工業主の夫婦、フランス人の若者と彼の婚約者の華僑の娘、明らかにフランス人の血が入っているメラネシア人の大家族、中学校の女生徒たち、みんな親切で、人なつっこく、何より生きていることが楽しい、という雰囲気が溢れていた。

 これらの人々と対蹠にあるのが、いま戦場になっている砂漠の国の人々だろう。戦争さえしなければ、30年もたつと、戦禍の跡は見事に消え去り、外見上は一応は平和になる。ヒロシマ、ナガサキを思い出せば、そんなことは自明だ。自分を傷つけた敵、友人を殺した敵を呪う子供の叫びほど、悲しいものはない。
 自分の気持ちの満足だけのために、戦争を選んでいるのは間違いなくある種のオトナだ。自分自身がおぞましくないのだろうか?

 この島を「天国にいちばん近い島」と呼んだ作家(森村桂)がいたが、戦争さえやめて100年も経てば、どこの国だってそうなれるのに。そう言えば、ベトナム戦争を描いた「地獄の黙示録」という映画もあったなあ。戦争をすることは地上に地獄を作ることであり、戦争をしないことは、天国を作ることなのだ。

 ボクの父は福岡県久留米の第18師団(通称「菊師団」――菊の師団章を掲げるだけあって、本当に強かったという)の尉官(砲兵大尉――つまり職業軍人ではない)だったし、叔父の一人は陸軍中野学校出で満州にいたらしいが、二人とも戦後、ボクに戦争の話は一言もしなかった。いや父は一言だけ戦地の話をしたことがある。「黄河の水は本当に黄色い」。ビルマ(ミャンマー)に渡る前に、シナ大陸にいたらしい。父の戦地の写真はビルマのどこかでドラム缶様の風呂に入っているやつが一枚だけ、中野学校の叔父に至っては、一枚もない。出征前に、写真屋で撮る軍服姿の写真さえない。”小野田少尉”が姿を現したときも、一言の感想も漏らさなかった。



 トヨタがFCV(Fuel Cell Vehicle 燃料電池車)発売――衝撃の価格!――(2014/7/5)    【トップへ】

 トヨタがFCVを2015年始めに発売予定だと発表し、実車も展示した。本気なのだ。
 写真はここ。
 その発表に世界が驚愕したそうだ。驚愕の理由は二つ、価格と完成度だ。韓国のヒュンダイ(現代)もFCVはすでに発売していて、その価格は1500万円、トヨタの2倍だ。ホンダをはじめ、世界中の主な自動車会社はFCVのコンセプトカーならどこも発表している。ところが、700万円となると、話は別だ。700万円ならレクサスGS、メルセデスEなどそのクラスの価格の車はたくさんある。700万円なら絶対に売れると思う。しかも、1回の水素充填で走る距離は800Km、実効700Kmとしても実用上十分だ。今でも、福岡・東京間1500Kmで、福岡、宇部、神戸、大阪、名古屋、東京に水素ガススタンド(ステーション)があるから、理屈としては往復できる。
 車両価格は、大量生産できれば300万円程度までには値下げできるとトヨタは言う。300万円なら、虎の子の「定期」を解約したりして頑張ればボクだって買うことができる価格だ。300万円になったとき、まだボクが生きていれば、絶対に買う。
 FCVは理想の車だ。水素と空気中の酸素を燃料として――空気も燃料の一部だから、その取り入れ口たるフロントグリルが異常に大きい。排気ガスは水蒸気、つまり水だ。
 問題は水素をどうやって作り、供給するかだ。FCVの車自体の技術的な問題は解決されたと言っていい。

 つまり問題は水素製造と水素供給のインフラだ。現在(2014/07)、水素スタンドの数は日本全体で17基だそうだ。まず水素スタンドのある都市から販売するつもりだとトヨタは言う。東京、名古屋、大阪、福岡だ。市長車用、公用車用として絶対に売れると思う。700万円のベンツの公用車に市長が乗っているとなると、ボクだって文句を言いたくなるが、トヨタのFCVなら一応の無公害車と言うこともあって、文句は何となく言いづらい。国会議員にも売れるだろう。
 水素製造とインフラの整備は政府の仕事だ。現在、経産省は、2015年度中に100基の水素スタンド設立を目標としているそうだが、実際は19基ほどが計画に上がっているだけだ。
 この状態でトヨタが完成された実用的なFCVを発売すれば、経産省だってノンビリしているわけにはいかないだろう。エネルギー政策に関し、トヨタが政府のケツを引っぱたいた、という構図なってきた。面白くなってきたなあ。

 このトヨタの売り出し方、プリウスを初めて売り出したときによく似ているなあ。当時プリウスは売れば売るだけ赤字が増える、つまり赤字覚悟の値段だったと言われていて、たぶん本当だったようだ。初代プリウスが発売されたとき、ボクは台湾で働いていたのだけれど、新聞の広告を見て、「帰ったら、プリウスを買うぞ」と思ったもの。そういう値段だった。

 現在、水素は石油ガスや天然ガスに含まれるメタン(CH₄)から製造している。だから水素スタンドの設立会社は石油元売り会社がメインだ。メタンはよく燃えることからもわかるように、炭素と水素の結合の力は弱い。だから、少ないエネルギーで水素を取り出すことができる。FCVは水の電気分解(H₂Oに電気を通してH₂とO₂に分解)と逆の化学反応(H₂とO₂に触媒を作用させてH₂Oと電気を作る)を利用している。それなら、水を電気分解して水素を取ればいいと言うやつがいるが、水素と酸素の結合は強力だから、そんな電気の使い方をするのなら、直接電気を使った方がはるかに効率がいい。
 FCVもEV(たとえばニッサンのリーフ)も全システムとして考えれば、いずれもCO₂は排出する。ボクは炭酸ガスなんか、いくら出してもいい、という考え方だが、ここは多数決に従うとして、FCVの炭酸ガス発生量(水素を作るときに炭酸ガスが出る)は、効率のよいハイブリッドと同じぐらいだそうだ。これはEVのリーフも同じぐらい。ただFCVが圧倒的に有利なことは、3分間で700Km走行分の水素充填ができることだ。リーフだと、30分の急速充電で、150Kmぐらいだ。

 現在の水素の価格はよくわからないが、走行距離あたりで換算すると、ガソリン車よりも高いらしい。ハイブリッドの実情(プリウス)が20Km/Lだから、ガソリン1Lを160円とすると、8円/Km(走行距離)になる。これより水素が安価になれば、爆発的にFCVは普及する。そうなれば、FCV1台の値段もハイブリッド車並みになるはずだ。

 水素をエネルギーとして本格的に利用するFCVのような車が普及しだすと、みんなが知恵を絞り、効率よく水を電気分解することができる触媒を誰かがきっと見つけるよ。夢としては、太陽光発電で海水を電気分解して水素を得ることだけどねえ。現在、燃料電池の触媒(H₂とO₂をくっつけるやつ)は白金(Pt)だけど、これもそのうちにきっと、もっと安価な触媒を見つけるに違いない。この二つは時間の問題だと思う。

 水素エネルギーに関する研究は九州大学が一番熱心で、実績もある。産炭地の近くの大学だったという歴史もあり、エネルギーに関わる研究は昔から熱心だ。九大の近くの団地は、実験用に水素をタダで供給されていて、家庭のエネルギーはそれでまかなっている。具体的にはほかの地域の電気代とガス代に相当するものがタダだということ。もちろんその水素代金は無料。見学に行ったとき、対応してくれた団地の奥さん方は、「本当にたすかります! 一生ここに住みたいと思っています」とニコニコしていたなあ。家庭に一台ずつ備え付けてある燃料電池のせいで、電気代がタダで、その上無料でいつでもお湯が使えるんだからねえ。
 その他に九州大学は、メタンガスを直接使うことができる燃料電池も研究している。これはまだ実験段階だが、これが実現すれば、水素ガスを高圧(現在、70MPa/700気圧で使用)に圧縮する必要がなくなり、エネルギー効率が一段とよくなるし、車の値段も劇的に下がるはずだ。LNG(液化天然ガス)の運搬を見てもわかるように、また家庭用のガスボンベを見てもわかるように、一度液化されたメタンガスは比較的に取り扱いやすい――液化するときに、ー162度まで冷却する必要はあるけどね。

 燃料電池車は日本のエネルギー政策を変えうる力を持つ技術の塊だということだね。がんばれ、トヨタ。

 14年7月7日の新聞に、2016年までに水素ガスステーション100基計画を経産省が確認した、という意味の記事が載っていた。政府もさっそく反応したわけだ。700万円で売り出されるFCVの意味を本当に理解したわけだね。

 その後、2015年初頭に、トヨタは自社が持っている燃料電池車の特許数千件を全て無料で開放した。今までの各社の燃料電池車の発表会なんかに行くと、何を聞いても「それは企業機密でいえません」が普通の返答だった。それが一転して、どの特許もタダで使っていいですよ、となったわけだ。ぼくの好きな自動車評論家が、トヨタFCVの発表会のとき、燃料電池車の冷却水の流速を聞いたら、即答で返事が返ってきて、ほんとうに驚愕した、と書いていた。全特許の公開はその数日後だった。やはりトヨタの経営陣(もしかしたら「モリゾウ」さんの意見だったのかな)はすばらしいねえ。広い目で見たら、それが結局は自社のためになる、と判断したわけだ。このトヨタの考え方は、朝日新聞の「天声人語」でも取り上げ、賞賛していた。その評論家は、トヨタの燃料電池車をすぐに購入契約をしたそうだ。
 なおこの評論家は、電気自動車であるリーフも購入して、ラリーなんかにリーフで出場している。だからぼくは、この評論家の言うことは、全面的に信用している。近年亡くなった徳大寺有恒(ペンネームに敬称は不必要)の弟子だそうだ。(この項目は2015/1/27に追加)


 「カンブリア宮殿」――豊田佐吉の自動織機の話――(2014/6/13)   【トップへ】

 2014/6/12の「カンブリア宮殿」(村上龍の番組)に豊田章男社長(もりぞう――ハンドルネームです)が出演していた。あのキャラクターはすばらしい。「こんな車好きの社長の会社が作る車なら、買いたいな」と思わせられるのだ。
 当然の成り行きで、豊田佐吉の自動織機の話が出てくる。その話がまるっきりピント外れだったという話。自動織機の話はもりぞうさんがしていたのではなくて番組編集者が作ったビデオである。もりぞうさんの名誉のために強調しておく。
 上記の件を除けば、ボクのようなトヨタファンには、けっこう面白い番組でした。

 ボクが小学生(たぶん四年生か五年生の頃)の時、国語の教科書に日本の偉人というカテゴリーで、御木本幸吉と豊田佐吉が出ていた。日本の2大発明王というタイトルだったはずだ。真珠養殖の御木本翁の話は納得できたが、豊田翁の話は子供心にも納得できない話だった。たぶん弥生時代頃から実際に使われていた織機(その精緻な金属製の実働模型が、沖の島から出土している)を自動化(電動に)したのがなぜそんなに偉大なのか、せいぜい改良じゃないか、という疑問を持ったからだ。先生に聞いても多分納得できる返事は得られないだろうと考えていた。その頃のボクの小学校の担任の先生は「代用教員」(戦後の先生不足を補うための制度)で、生徒を殴るのが趣味で、オーストラリアとオーストリアが同じ国だと言っていた程度だったから。
 佐吉翁の偉大さが、思いもかけず納得できたのは、それから大方50年後、当時トヨタの会長(だったかな?)だった張冨士夫氏の講演を福岡市の会場で聴いたときだ。
 ご存知のように織機は、びっしりと張っている縦糸(経)を1本ずつ互い違いに上下させて、その間に横糸(緯)をシャトル(杼《ひ》)を行き来させることで織りあげる構造である。この織機を自動化するとき佐吉翁がもっとも心を砕いたのは、織り上げた布に、つまり製品に、絶対に不良品を出さないことだっただそうだ。この伝統――不良品を製品として出さない、は現代のトヨタ自動車にももちろん引き継がれている。不良品を市場に出さない、というのが現在のトヨタの最重要基本方針だからね。
 自動織機におけるその具体的な方法は、縦糸が切れたとき、それを織機が検知して、自動で織機を止めるというやり方だったそうだ。そのためには、縦糸1本1本にセンサーをつけて、糸が切れたことを検知するというやり方だ。これが豊田自動織機のもっとも重要で根本的な機構だそうだ。人が織っていれば、そんなことは織り姫さんがすぐ気づくからね。
 この考え方、作業中に不具合が出たら、その瞬間、その作業を止めてしまう、というやり方がトヨタのやり方の根本の一つだと張会長は言っていた。張社長がアメリカ工場を立ち上げたとき、アメリカ人社員に徹底させることが一番難しかったのが、不良品が発生した時点で、「ベルトコンベアを止めて」不良品が流れるのを止める、ということだったそうだ。ベルコンを止めるのは悪ではない、止めないで不良品を出すのが悪だ、ということを理解してもらうのは、本当に大変でした、と回顧されていた。これに比べると、カンバン方式はずいぶん楽に浸透したそうだ。
 豊田佐吉と自動織機が出てきたら、この話は絶対にしてもらいたかった。それに、トヨタ自動車は、自動織機のこの特許を英国の会社に売ったカネで作ったんだからね。
 
 なお張会長から聞いた話、このホームページのどこかに書いたような気がするが、よくわからない。重複していたら、ごめんなさい。わかったら、古い方を削除する予定。

 トヨタが発表した超画期的な発電用ガソリンエンジン――(2014/5/5)    【トップへ】

 まずここを見てください。
 クランク機構を持たないガソリンエンジンで、ピストンの直線運動そのもので発電する構造である。当然発電専用。つまり、レンジエクステンダータイプ(エンジンで発電した電気を電池に貯めてモータだけで走るタイプ)の車に搭載してくるはずだ。たぶん中・小型車用だろう。大型なら、上記のFCVだ。FCVの小型化にはもう少し時間が掛かるだろう。トヨタ式ハイブリッドは発電専用のモータを持っているので、この新方式のエンジンを搭載しても、制動・慣性エネルギーの回収は、当然可能だ。既に試作エンジンも完成して、熱効率は40%!!)を達成しているようだ。ガソリン・レシプロエンジンの熱効率が20%程度なので、性能として申し分ない。このエンジンを偶数気筒にして搭載すれば、振動も打ち消しあうはずである。0.66リットル(BMW エクステンダータイプのEV(i3)は2気筒で0.647L)にして、軽に搭載すれば、スズキは慌てるだろうなあ。

 クランク・レスなので、バルブの開閉は電磁式で行っているのだろう。作動動画を見る限り2サイクルのガソリンエンジンだが、発電専用なら一定回転域で使用するので、排ガス規制のクリアは可能なのだろう。そうでなければ、トヨタが発表するわけがない。

 これで実用的な電気自動車が見えてきた!! これを積んだ車が、ガソリン車の50~80万円高(ハイブリッドの実績は40万円高)ぐらいで売りに出されると、電気自動車は一気に普及するだろう。なにしろ燃費(電費)が安い。ガソリン160円/Lなら、ハイブリッドで8円/Kmだから、このエンジンを使えば、5~6円/Km以下だろうか。あとは電池の性能の世界だ。もし、リチウム「空気」電池をトヨタが実用化すれば、あと50年はトヨタの世界制覇が約束される。忘れずに、自動停止装置も急いで完成させてよね。”86”の前例もあるので、スバルに頭を下げて、頼んだら? 友達でしょ?
 がんばれ、トヨタ!

 炭酸ガスによる「地球温暖化」は天動説 
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 地球温暖化に関しては、まずIPCCの報告書を読むべきだろう。2013年度版(5次報告書)が気象庁のホームページで日本語で読める。これを読むと、「地球は温暖化しつつあり、北極海の氷の面積は小さくなりつつある」である。
 北極海の氷の面積は、JAXAのホームページに詳しく、人工衛星の写真入りで掲載してある。それによれば、2012年夏には今までで最小になったが、2013年の夏には2012年の夏よりも60%も多くなったそうだ。北極の氷は急激に大きくなりそうだという。2000年頃から2014年3月までの記録を見ることができる。これらの写真やグラフを見る限り、北極海の氷の増減は単なるブレで、徐々に氷の面積が小さくなりつつある、とはとうてい思えない。
 どちらを信じるか? ボクはJAXAのデータとボクの感性を信じる。温暖化が進みつつあり、極の氷が溶けつつある、というIPCCの報告を信じることは到底できない。

 CO₂による地球温暖化に似たような話に「フロン等によるオゾン層の破壊現象」がある。Wikipediaによれば、オゾン層の破壊現象はフロン等によることが認められ、1987年のモントリオール議定書により、先進国は1996年までにフロン等の生産を全廃することが決定され、これは見事に守られてきた。全世界はこれを必死に守ろうと努力している。つまり全世界はこの現象を認め、これを守らないと地上の生命が危険にさらされることを認めたのだ。ここにはカネの臭いはない。科学の世界の潔さがある。カネが絡む余地がない。フロン保有量取引なんて話は聞いたことがない。

 これに比べ、炭酸ガスによる地球温暖化説にはつねに、カネの臭いがつきまとう。CO₂をカネに換算して売り買いしようなんて考えは、CO₂が地球温暖化の原因だと信じていない証拠だろう。この一件だけでも、炭酸ガスが地球温暖化の原因だと真剣に考えていない証拠だろう。どこの国であれ、まじめな人は炭酸ガスを出すことが、悪だとは考えていないと言うことだ。
 炭酸ガスを発生する一番の現場は火力(石炭、石油、ガス)発電所だ。発電所を原子力発電発電所か風力・水力・潮力発電所にしなければ、炭酸ガスの発生は避けられないということだ。
 全世界の発電事情を見ると、世界の人口の半分弱を占める中国とインドは、全発電量のほぼ80%を石炭火力が占める。つまり、中国もインドも炭酸ガスによる地球温暖化なんて、端から信じていないと言うことだ。地球温暖化が本当なら、まず大陸国家が真っ先に温暖化するはずだ。そのつぎが大陸周辺の島国、最後がハワイなどの大洋の真ん中に点在する島々だろう。真っ先に被害者になるべき国が、温暖化を信じていないと言うことだ。

 あと数年もすれば、世界中に賦存するシェールガス・オイルの生産が全世界で軌道に乗る。メタンハイドレートの本格的な採取も始まるだろう。つまり化石燃料の生産が軌道に乗る。そうなると、総原価が高価な原子力発電力の比率は下がり、化石燃料発電の比率が上がるはずだ。シェールガス・オイルの賦存量は少なく見積もって500年、常識的には1000年は保つだろうと言われている。現在中東をはじめ世界中で採取されている石油は、シェールオイルがしみ出たものだ。今後のシェールガスの一大産地は、まずアメリカ大陸だが、地球上、どこにでも賦存している。採取技術があるか・ないかだけだ。アメリカは今後シェールガス発電を増加させて、盛んにCO₂を排出し続けるだろう。それにつれて、総電力原価も安くなるので、国力は強くなる。アメリカの工業生産力が一昔前のアメリカのように強くなるかどうかはわからないが、国はますます富むだろう。

 NHKと朝日新聞(その他の新聞は日経以外は読んでいないのでわからない)は相変わらず地球温暖化説を信奉しているようだが、いつまで続けるつもりなんだろう。



 首相の靖国参拝について――「参拝反対!」(2014/3/3)     【トップへ】

 首相の仕事は国益を守り、国を発展させることだと思う。これと、真実を述べ、正義を貫くことは別物である。真実を追究し、正義を貫くことは学者の仕事だ。政治家の仕事は10年先、50年先を見据えて、国の発展を図ることに違いない。
 ところで、首相の靖国参拝の件だ。中国と韓国の指導者はこれにかなり強固な嫌悪感を抱いている。もしくは、そのふりをしている。そうする理由は、反日感情を煽って、国内の不満を逸らしたい、ということらしい。それが正しいのなら、靖国参拝をするということは、中韓の指導者の手助けをするということだ。そして、それが日本の国益になるかといえば、もちろんなっていない。日本の民間企業に大きな損害を与えている。中韓がいう歴史認識なんかは学者が対応すればいい。首相が対応する必要なんかない。
 そのようなわけで、首相の靖国参拝は止めたほうがいい。靖国参拝を止めて日本人の誰が金銭的な損害を受けるか? 誰も受けない。もう少し大人になってはいかが。
 ただし領土問題だけは、首相がちゃんと対応しなければならないことは、言うまでもない。
 尖閣問題は、台湾を巻きこんだほうがいい。台湾が要求しているのは、漁業権を認めてくれということだ。それは先日認めた。このあたりで、台湾をこちらに引きこめばいい。竹島は正直、対応を誤った。あれまで実効支配させたら、負けだね。これは日本側の責任者をきちんと暴いたほうがいい。
 その点、北方領土はまだ何とかなるのではないか。ロシアが恐れているのは、北方領土を日本に返したら、米軍基地がそこにできるのではないか、ということだろう。北方4島には外国の基地は作らせないという法律を作れば、ロシアは返還には応ずるのではないか? その場合、現在のロシアの住民の取り扱いには、大いに配慮を払う必要がある。日本人と一緒に住めばいい。こんなことぐらい、特別立法でも作って処理できると思うが、素人なのでよくわからない。ロシア語学校でも作って、プロの日露同時通訳、ロシア語学者を養成したらいかが。ドストエフスキーの、よりすばらしい新訳が読めるかも知れないよ。

 ボクがこんなことを書くのは、EUの中のドイツの身の処し方を読んだ(2014/2/24 The TRUMPET)からだ。EUは設立当時からドイツがリーダーだ。経済はもちろん、軍事力においてもそうだ。そのドイツが初めてフランス旅団に参加することになった。目的は、サハラ南部のマリ共和国のゲリラ討伐らしい。マリは元フランスの植民地で「フランス領スーダン」。1987年以来、フランスは何度も参加を要請したが、ドイツはずっと断ってきた。ドイツは敗戦国なので具合が悪い、というのが表の理由だ。いわゆる人道支援にも軍事的参加は断ってきた。それが、フランスのたっての要請を受け入れるという形で、メルケル首相がしぶしぶ参加した、という恰好だ。Franco-German brigade to deploy for first time (フランス・ドイツ軍団、初編成)というのがタイトルだ。これを書いた Richard Palmer によれば、「EUへのドイツの軍事参加がいよいよ始まった」のだそうだ。メルケル夫人は機が熟した、と判断したのだ。それまでは軍事的には、フランスをずっと立ててきたんだろう。今までドイツは、敗戦国ということで、猫をかぶってきたというわけだ。
 ボクはこれが政治だと思う。

 ついでながら、ドイツは、台湾やトルコと違って、決して親日国ではない。文化的には、フランスのほうが親日的だろう。ドイツは親日国だと日本人が思っているのは、思い違いの、片思いのようなものだ。どうしてそうなったのか? 戦前――明治から敗戦まで――にドイツに留学した軍人・学者、いわゆる日本のリーダー層の大部分が、ドイツ政府が仕掛けた「ハニー・トラップ」に引っかかったせいだ。鴎外さえ引っかかった。伊藤博文が引っかからなかったのは、ドイツ女よりも日本の芸者のほうが好みに合っていたからだろうね。文人(鴎外は軍医だから、名目上は軍人)と政治家の違いではないだろう。
 ここまで先を読むのが政治家の仕事だろう。ハニートラップの話は、評論家の半藤利一氏が書いていた。

 これまたついでの話だが、ドイツの女は頂けない。ボクのようなぐうたらな男の性には合わない。
 昔ボクが学生の時、ボクの家の近所にドイツのおばさん(日本人教授の夫人)が住んでいて、ぼくの母親(本当にアタラシ物好きで、使途不明品が家にたくさんあった)が彼女から、好奇心だけでドイツ料理を教わっていた関係で、ぼくも顔見知りだった。それよりも、彼女の長男(お姉さんがいたが、本当に美人だったなあ――昔の軍人が引っかかるはずだね。どういうわけか、白黒を問わずハーフは美人だねえ)が、高校は違ったがボクと同級で、よく一緒に、かれの向かいの家の女の子(後日、彼女の一人娘がボクの長女と同校同学年)を誘って三人で、弁当を持って、近くの四王子山なんかに登っていた。かれは、趣味が昂じて航空大学校に進み、日航のパイロットになり、よど号ハイジャック事件の時、その機の副操縦士だった。
 そのおばさんがボクが行っていた大学で「ドイツ語会話」の講師をしていた。これは好都合だというわけで(つまり単位ぐらいはくれるだろうという甘い考えで)、ボクは「ドイツ語会話」を選択した。ところが、「あなたの成績はわたしの基準に達していません」の一言で、いくら頼んでも泣き落としにかけても、とうとう単位をくれなかった。あれには本当に苦労したなあ。何しろ、そのせいで語学の単位が足りなくなるんだからね。もしかすると、彼女のことを「ロッテばばあ」(シャルロッテというのが本名だ)と陰で呼んでいたのがばれていたのかな。
 その恨みで言うわけじゃないが、ドイツ料理からソーセージを抜けば、ジャガイモばっかりで、単純きわまりなく、すぐに飽きて、まずい。いくらかは、ぼくの母親のセンスの悪さもあったと思うが。ドイツ料理講習があった日は、講習から持ち帰ったジャガイモ料理ばかり食わされた。親父は「戦場の料理よりは、ずっとましだ」と言って、黙って食っていたけど。
 あんなものばかり喰っていて、カントを生み、ベートーベンが出てきた事実を考えれば、ドイツ・ゲルマンは大したもんだとは思うんだがねえ――。それでもボクは、ドイツは嫌いだ。


 観世音寺と水城堤防、それに女帝――(2014/1/2)     【トップへ】

 Kindleで斎藤茂吉の「万葉秀歌」(これはタダで読める! ほかに正規版でタダで読める本が多数(2万数千冊)ある!! これだけでも、元をとるよ)を読んでいたら、第4首目につぎの歌があり、その解説で引っかかった。
  熟田津に   (にぎたづに)
  船乗りせむと (ふなのりせむと)
  月待てば   (つきまてば)
  潮もかなひぬ (しおもかなひぬ)
  今は榜ぎ出でな(いまはこぎいでな)
   (巻一・八) 額田王
 歌が詠まれた背景を知らなければ、何ていうことのない歌だ。茂吉の解説は下記。茂吉は秀歌だと言う。
 「斉明天皇が(斉明天皇七年正月)新羅を討ちたまわんとして、九州に行幸せられた途中、暫時伊豫の熟田津にご滞在になった。その時お伴をした額田王の詠んだ歌である。」

 何となく引っかかったのが「斉明天皇」だ。どこかで聞いたことがあるという感じだった。さっそくネットで調べると、「失礼しました!」。朝のウォーキングで、毎日境内を通らせて貰っている観世音寺が彼女の菩提寺なのだ。よく見ると、正面と裏口の説明看板にもそう書いてある。斉明天皇(女帝。その子が天智天皇)はこのとき九州の朝倉宮(福岡県朝倉郡)で西暦661年になくなっている。この出張は女性天皇には過酷すぎた。つぎの天智天皇(”昔の名前”は中大兄皇子ナカノオオエノミコ。斉明天皇の子)の発願で観世音寺は建立された。しかし当時は日本がたいへんな時代なので、完成(746年)まで1世紀ちかくかかっている。
 なお「僧・玄昉」の墓も、観世音寺の隣西(金堂から歩いて百歩)、戒壇院の真裏にある。

 茂吉は「新羅討伐」と書いているが、そんな生やさしいものじゃない。日本国の第一回目のターニングポイントになる白村江の敗戦は、斉明天皇の崩御から2年後の663年(無理無理さんざん白村江)だ。
 新羅(しんら)討伐よりも、「百済(ひゃくさい)救済」と言ったほうがわかりやすい。当時新羅と高句麗(今の北朝鮮あたり)は唐の属国(あるいは交戦中)で、唐は朝鮮半島を征服しようとしていた。当時の唐は伸び盛りで、世界大帝国を目指していた。唐の征服に朝鮮半島でただひとり持ちこたえていたのが百済で、だからヤマトに応援を求めてきた。朝鮮半島が征服されるということは、つぎは日本が狙われるのは明らか。【このあたり、ロシアの侵攻を恐れて、朝鮮半島を支配した戦前の日本と同じ立場。客観的に見ると、半島の立地条件、立場はたいへんだ。ロシアとドイツに挟まれたポーランドの立場に何となく似ている】
 だから大和朝廷は百済に応援を送らざるをえない。対馬・壱岐に防人がおかれたのもこの頃からだ。
 それから2年後の663年、朝鮮半島の白村江東シナ海に面し、青島半島と向かい合ったあたり)というところで、大和・百済軍は唐・新羅軍と戦って、大敗を喫し、ヤマトに逃げ帰ってきた。このとき多数の百済人も日本に逃亡し、帰化している。新羅連合軍といっても実質は唐軍だ。
 当時の唐軍は、西域では異民族である騎馬民族と戦い、国内では飢餓と闘って鍛え上げられた軍隊だ。当時の唐では、死罪の罪人の死体は、病死以外なら食べてしまわれるのが普通だった。まして戦争捕虜は食料にされるのが常識だった。しかも白村江の戦は「負け戦」である。和軍の兵士は、世界征服軍――唐軍の異様さ、残忍さ、すさまじさを嫌というほど思い知らされたはずだ。逃げ帰った兵士は、自分を正当化するためにも、唐軍の異様さ、残忍さについて、あることないこと、輪をかけて話したはずだ。その結果、世界帝国に対する恐怖心は大宰府を通じて京都にも十分に伝わったに違いない。
 この名残は未だに残っている。現代、北朝鮮の脱北者が捕らえられ、掌に針金を通されて繋がれ、連行されている様子をTIME誌のカメラマンが撮影したが、さすがにこの写真は発表されなかったという話をきちんとした月刊誌で読んだ記憶がある。

 664年、天智天皇は倭国を防衛するために、大宰府水城大野城の山城を作ることを命じた。百済の技術を持った難民も多数いたので、四王寺山の山城は百済の技術、形式を取り入れた。
 山と山を連結した水城は延長1.2㎞、高さ14m、底辺80mの大堤防で、これを人力で作ったのだから、突貫工事でやっても、完成までには10年は要したはずだ。(0.5m³/日・人、500人/日と仮定して)

 大宰府は倭国のフロンティア、前衛都市だったのだ。日本の最前線、防衛線だった。大宰府政庁水城堤防大野城・四王寺山山城は生まれようとしている日本国を守るための三点セットだった。

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   水城の模型の写真。実物は大きすぎて、航空写真でないと感じがつかめない。中央上から下に黒く延びているのが水城。左上から右なかに延びているのは九州道。興味がある方は、「水城堤防」で検索してください。たくさんの写真も出てきます。場所(福岡県太宰府市水城)がわかっていれば、上の写真を参考に、グーグルマップの航空写真で見るのが一番手早い。パソコンの地図で見つけるのは困難です。

 倭国人は、白村江の敗戦までは、朝鮮半島にしょっちゅうちょっかいを出していた(つまり軍事介入をしていた)。この白村江の敗戦後、1894年の日清戦争までの1231年間で、大陸・朝鮮半島に軍事介入した日本人は、豊臣秀吉だけだ。秀吉は農民の出で、教育もうけておらず、歴史なんか教わることがなかったに違いない。秀吉の軍師、黒田如水はこのころ秀吉としっくりいっておらず(キリスト教を改宗させられている)、見て見ぬふりだったんだろう。
 なお如水は朝鮮出兵にも軍師として朝鮮まで行っているが、途中で、秀吉に相談するために一時帰国したのを敵前逃亡と疑われて、秀吉と仲違いした。この件があって、後の関ヶ原の戦いで如水の嫡子・長政は徳川方について、後の黒田藩(福岡藩)52万石の基盤を築いた。如水のことだから、そのあたりまで読んで、豊臣を見限ったのか。多分そうだろうなあ。そのとき、長政とまったく兄弟のように育てられた後藤又兵衛は、長政の元を離れ、10年あまりの浪人生活の末、大阪夏の陣の時には、豊臣方の強力な要請に従って豊臣方について、滅亡している――名だけは立派に残ったがね。戦前までは黒田家は侯爵だった。なお侯爵の上の公爵は、徳川・島津・毛利の三家しかない。
 なお半島側からは白村江の戦い以後数回、新羅、女真族が入寇しているが、これは対馬・壱岐・博多の武士や水軍、漁民が多大な犠牲を払って追い返している。文字どおり一所懸命で戦ったのだ。このあたりは、都の人間には他所事だっただろう。

 わがヤマトに、水城堤ほどの大土木工事はこれ以前にはなかった。これ以前の大規模土木工事は天皇の墓陵である前方後円墳だろうか。当時の国家の富の大きな部分を水城堤という国防工事に費やしたのである。それにはまず意識改革が必要だったはずだ。白村江の負け戦のショックはそれほど大きかったということだ。敗戦後、40年ほどして大宝律令が完成し、「日本」という名称が確定し、ヤマトは何とか国家の体をなした。白村江の敗戦はそれほどのインパクトを当時の日本に与えたのである。内紛なんかしている場合ではない、と日本全国が思ったのだろう。倭の「空気」が一変したのである。

 大宝律令は、しかし、唐の制度の借り物だった。これが日本独自の制度になるには、菅原道真の出現を待たなければならなかった。唐の政治は貴族政治を基本としている。これを、天皇を頂点とする武家政治に(結果的にだが)変えようとしたのが、道真さんだ。やろうとしたことの方向性は正しかったが、如何せん時代に早すぎた。大宰府に流される筈だ。道真さんは本当に、先が読める偉い人だったのだ。遣唐使の廃止は、粋がってやったわけじゃないのだよ。890年頃になると、唐からの交易船が日本に多数出入りするようになって、唐の文物がたやすく手に入るようになった。日本の貴重なエリート集団を、危険を冒してまで唐まで送り出すこともなくなった。つまり、遣唐使を送り出すメリットがなくなったわけだ。長らく続いてきた制度を中止するのは、容易なことじゃない。道真さんにだけ、できた方針変更だ。

 ついでの話だが、負け戦で、同盟軍の大量の難民を受け入れた国は、世界史で二つしかない。一つはベトナム戦争の時のアメリカと、あとの一つは白村江の戦いの時の日本だ。日本に避難してきた百済の人たち(現在の人口に比例換算すると、100万人ぐらいと言われている)は、すぐに日本に溶け込んで、同一化した。一方、当時の唐帝国は、降伏した高句麗、新羅をどう扱ったか、朝鮮半島の人々はご存知ですね? それでも中国と仲良くしたいのですか?

 日本は難局に出会うたびに、脱皮するように強くなってきた。つぎの難局は二度の元寇だ。文永の役1274年(荷なし(矢が尽き果て)になって逃げてった)、弘安の役1281年(荷はいっぱいだが、神風吹いた)。白村江の敗戦から約660年後である。これは鎌倉幕府の成立が間にあったればこそ、防ぎえた戦だった。ここで武家政治が確立し、その状態が江戸末期まで続く。大陸と地続きではないという日本の立地条件がたいそう有利に働いた。

 つぎの難局は1853年(ヤッコさんもびっくり)黒船の来航で幕を開ける。これで1867年(やむなく奉還)明治維新が遂行され、世界にも類を見ない「支配階級からの革命」がなされ、またもや日本が脱皮する。
 清国へのアヘンの密輸と英国への茶の輸入で、つまりアヘン戦争で財をなしたユダヤのジャーディン・マセソン社(香港上海銀行はこの会社の、アヘンで得た利益を英国に送金をするために設立された)はグラバーを使って、日本の内乱を画策したが、勝と西郷の勇気と叡智で何とかそれは阻止された。なお坂本龍馬の活動資金と逃走資金は、日本の内乱画策を目的として、ジャーディン・マセソン社の日本支店長であるグラバーが提供した。勝と西郷の働きに比べれば、龍馬の功績は一段落ちる。しかし、三人とも私利私欲に全く無縁だった。これが日本を救った。日本人と清国人つまり中国人の違いだろう。
 元寇から約590年後のことである。

 4番目の難局は1945年の太平洋戦争での無条件降伏だ。2発の原子爆弾を落とされるという悲惨も味わった。
 ところが、戦争には敗れたが、戦争目的だった「大東亜共栄圏」は、日本の敗戦後、東アジアで見事に花開いた。西洋の植民地だった国々が戦後、一斉に独立を果たしたのである。東アジアの人々の眼前で、白人は打倒可能だということを日本軍が見せつけたのだから、いままで白人に支配されていた人々が覚醒するのは当然だろう。
 「戦争目的を達成した国が戦争の勝者である」というプロイセンの将軍の定義が正しいのなら、日本こそ大東亜戦争の勝者である。太平洋戦争の真の勝者は日本である、というのは、英国が生んだ世界的な歴史学者、あのトインビーの言葉だよ。

 そして直近の難局は、2011年3月11日の東北大震災(これは「陸奥(みちのく)大震災」と言ったほうが正確だ。東北地方の太平洋側を陸奥と言うんだからね)だろう。これだけが天災なのでカウントすべきではないのかも知れないが、1000年に一度の大震災と言われているので、とりあえず入れておく。
 原発の処理を含め、日本はこれを福と転じることができるだろうか? 権力欲と金銭欲ではなく、知性と理性が支配する国を作れるだろうか? 原発と縁が切れるだろうか? 日本の本当の実力が問われているような気がする。これの結果を総括できるのは、30年後2041年頃だろうか。ボクの目の黒いうちに、その兆候でも見せてくれないかなあ。「金持ち=偉いヒト」という方程式を否定しているのは、世界中で日本人くらいだからね。

 それよりも、2050年頃には地球の人口が100億を超える。これを人類は乗りこえられるだろうか? 地球は100億人分の食料しか生産できないらしいからねえ……。文字どおりの意味で食えないとなると、人間、何をやるかわからないよ。これは日本人だって例外ではいられないだろう。


 小泉元首相の「原発反対、即廃止」について――(2013/11/20)

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  小泉元首相は、首相のときは原発容認派(厳密には推進派か?)だった。それが福島原発事故を見て、原発反対派に変わった。福島の現状を見て、原発に対する考え方が変わらないほうが異常だと思う。だから、小泉氏の原発に対する態度の変化について云々するつもりはない。ボクが気になるのは、それが本気かどうかと言うことだ。「政治的」な変節かどうかと言うことだ。
 なお小泉氏はオンカロ――世界で唯一着工しているの核燃料最終処理場まで見学に行っている。使用済み核燃料が無害になるには10万年かかる。これはジョークとしか思えない年月だ。人類が都市文明を持って現在で大体1万年だ。10万年先にここに核燃料が埋まっていると誰がわかるのか? だいいちそれまで人類が持ちこたえられるのか?
 ぼくは小泉氏は本気だと思う。その理由を下記に述べる。

 11月3日(日)(もしかすると日付は違っているかもしれません)の「サンデーモーニング(TBS)」で、コメンテーターである毎日新聞特別編集委員の岸井氏が発言していたのだが、正式の記者会見が終わった後で、残っていた岸井氏たちにポロッとこぼしたのだそうだ。原発について「わたしは騙されていた」と。だから小泉氏は本気だ、というのが岸井氏の発言だった。番組の終わりのほうでの、ごく短いコメントだった。
 首相に就任したとき(当然それ以前にも)、経産省や専門家、担当メーカーの人々から原発についての様々なレクチュアを受けたはずである。かれらはわたしを騙した、と小泉氏は言ったのだ。騙されたと小泉氏は怒っているのだ。だから、小泉氏は本気で「反原発・即廃止」だと思う。

 同じ番組で(1年ほど前だったかな?)、岸井氏から聞いた重要なコメントがある。チェルノブイリの原発事故のあとの現場で、当時のソ連の書記長・ゴルバチョフの記者会見に出たときの話だ。もちろんソ連が崩壊するのはその後の話である。
 事故の感想を聞かれたゴルバチョフの応答が本当に印象的だったそうである。「国家、主義主張、イデオロギー、そんなものなんか消し飛んでしまった」とゴルバチョフははっきりと述べたのだそうだ。ソ連が崩壊したのはそれから5年後だ。
 ゴルバチョフ書記長就任は1985年3月。チェルノブイリの事故は1986年4月26日早朝、ソ連崩壊は1991年12月25日。



  昭和天皇の御名(特に字体)について――(2013/10/12)

                                                      【トップへ】

 左の「裕仁」はもちろん昭和天皇の御名である。特に「裕」の字にご注意。普通の筆記体とはちょっとだが違う。八を重ねて口になっている。「谷」にはなっていない。ボクがこれに気づいたのは、昭和憲法の天皇の御名を見たときだ。(「日本国憲法」で検索すると出てきます) 
 ちょっと違うな、という程度の違和感を感じた。二三年前の話である。

 何となくその違和感をふと思い出したので、調べてみた。こういう時に頼りになるのが、「常用字解 白川静(平凡社)」だ。現在の書体は、衣偏(衤)に「谷」。この字の「谷」は渓谷の谷とは違う字で、「祝詞を入れる器の上に神気の現れたる様」で、「裕」は「衣装の上に神気が現れること」だそうだ。金文では「谷」を「衣」が包む形になっていて、その「谷」はまさに上記サインと同じ字形である。昭和天皇は極めて由緒正しい字で署名されていたわけだ。


 ついでながら、渓谷の「谷」は山の連なる渓流に祝詞を入れる器を置いた形で、形だけなら天皇の署名の「谷」の形と同じで、それが由緒ある書体だ。つまり古い書体では、渓谷の「谷」も余裕の「谷」も「八を重ねて口」だった。
 谷の字は、人名(長谷川)や地名(世田谷)で日常的によく出てくるので、さりげなく昭和天皇と同じ形に「谷」を使って、自尊心(?)を満足させようと思っている。それから、漢字は基本的に象形文字だ。許される範囲で基本の形――つまり、形がわかる字形を残したいとボク個人は思っている。

 ついでのついでながら、一番上の写真の外務大臣の署名は「松岡洋右」である。こういう場合に、書き順があらわに出る。この「右」はもちろん正しい筆順だ。「洋」の羊の縦棒に続いて「右」の第一画が出ている。こういう場面で筆順なんか間違うと、歴史に残り、末代まで恥をさらすことになる。偉くなりたい人は、ちゃんと勉強をしておくことだね。


 富田倫生さんのこと・青空文庫と「BookLive!」について――(2013/10/2)     【トップへ】

 青空文庫の発起人のひとりである富田倫生(とみた・みちお)さんが2013年8月16日に亡くなった。享年61歳だった。ボクはうかつにもこのことを知らなかった。肝臓がんで長く苦しんでいたことも知らなかった――悲しい。
 ボクの作品を青空文庫に収録して頂くのに、富田さんにはたいへんお世話になった。2000年3月のことだ。当時ボクは日本企業の台湾支店で働いていて、深夜富田さんと、自作小説の青空文庫掲載に関して、メールのやりとりをしたことを思い出す。メールの上での付き合いだったが、本当に面倒みのいい、温かい人だった。メールのやりとりが終わると、ボクは直立不動で立ち、パソコンに向かって、その向こうにいる富田さんに最敬礼をしたものだ。青空文庫の「そらもよう」の欄で、ボクの第1作「対州風聞書」を面白いと言ってくれたのも富田さんだった――あれは褒めすぎだよ、富田さん。その後の2作は、富田さんひとりだけを読者と決めて書いたものである。ボクより若いのに先に逝くなんて、ひどいじゃないか――ボクの書いた小説を読んでくれる人が誰もいなくなったじゃないか……。そう言えば、1年前(2012/6頃)にボクがプロバイダーを変えたときの青空文庫の対応も富田さんがやってくれて、細かい指示やあたたかい注意まで頂いた――肝臓がんで苦しんでいたのに……悲しいなあ。富田さんの死を、新聞の特集記事で深夜に知ったとき、ボクは男泣きに泣いた。

 下記は、2000年に「青空文庫」の「そらもよう」に掲載された富田さんの文章である。上に書いているように、これは褒めすぎだろう。ボク自身の記念のために、富田さんの文章を転記する。こういう読者をもってボクは本当に幸せでした。「一人でも読者がいたならば、その人は小説家である」と言ったのはサマセット・モームだが、その定義が正しければ、ボクは小説家だ。http://www.aozora.gr.jp/soramoyou/soramoyou2000.html

【青空文庫の「そらもよう」に記載された富田倫生氏の文章】
2000年3月24日
西府章さんの『対州風聞書』を登録する。
対州とは、対馬の国の別称。朝鮮半島と九州のあいだに位置するこの島で起こった「不可思議な事件の報告書」がタイトルの謂である。
本作を開いた読者はやがて、さまざまな文化の潮が行き交う島に配置された異物の一つが、時の流れの中に、怪奇と悲劇の色を帯びた英雄譚を幾重にもこだまさせるのに気付くだろう。近未来に起こる事件の一部始終を読み終えた後も、七百数十年前のドラマの主人公や、やがて再び舞台に引きずり出されるはずの、次の登場人物の命運を思って、心の幕が下がりきらない。広がりが想像を誘い、空白が余韻を響かせる。盤石の構成と、大地に基礎をえぐり込む鉄壁の細部。たとえ職業としてたくさん書いたとしても、これほどの〈成功〉は滅多に得られるものではないと思う。
小松左京が『地球沈没』で書きたかったのは、生きる空間を失って世界に四散した日本人のその後の運命だったという。だから本来は、列島が沈没したところから物語をスタートさせても良かった。それが結果的には、プロローグの〈沈むまで〉で、息が切れた。
SFを物しようと志す者は誰も、仕立てを書き込むことに、強烈に誘惑される。だが、実にしばしば、膨れ上がった設定は書き手の足場をふらつかせ、物語を破綻へと誘い込む。
〈置き去りにされた透明な黒船〉というテーマを与えられた書き手は、先ず間違いなく〈黒船〉を細密に描くことに熱中するだろう。その誘惑を断ち切り、西府さんは小さな空間に、異物を異物のまま閉じこめた。科学の有り様と、人の心を描くという二本の軸足を最後まで微動もさせず、歴史の時間軸に鏡像のように劇を浮かび上がらせるという妙技は、この抑制こそが生んだのだと思う。
ついに結末を迎えられなかったSFもどきを、何本か引き出しの奥にしまい込んでいる我が身故に、本作を読み終えた後は、「この手があったか!」と強烈な嫉妬を覚えた。
いずれこの作品は、広く知られるに違いない。微力ながら青空文庫もそのお手伝いをさせていただけることを、ありがたく思う。(倫)


 どうです? こんな文章を読むと、『対州風聞書』を読んでみようと思いませんか。このホームページに掲載していますので、是非読んでください。もちろん、タダです。但し、時間はあなた持ちで。



 青空文庫を、BookLive!ですべてよむことができる。
 BookLive!という電子書籍がある。凸版印刷と三省堂が作ったらしい。BookLive!にある書籍はパソコン、スマホ、専用機であるLideoでなら読めるが、Kindleでは(たぶん)読めない。このように電子書籍は、現在のところ、特定の端末機でしか読めない。ハードがソフト(本)を選ぶ傾向がある。どの端末でも読めるようなソフト(OS)が開発された時点(その業界がそのように意思統一された時点)で、電子書籍は一気に普及すると思う。

 ボクはAmazonのKindleの使い勝手には満足しているし、無料で読める本にも概ね満足している。ただ一点だけ、BookLive!のほうが優れている点がある。それはBookLive!では青空文庫がすべてタダで(全部無料で)よむことができるという点だ。Kindleでは、著作権がある青空文庫の本は読むことが出来ない。ところが、BookLive!ではそれも出来る――もちろん、合法的に。

 実例を挙げて説明する。
 ボクのショウムナイ(もちろん謙遜です!)小説3編が青空文庫に収録されている。もちろん読むのはタダだ。ただ著作権は放棄していない。青空文庫でこれを読む場合には、青空文庫に記載されているボクの作品のウェブサイト(つまりホームページ)にコンタクトして読むか、そこからダウンロードして読むということになる。もちろんタダだ――タダで読める状態にしている。これが青空文庫に掲載される条件だ。手早く読もうとすれば、ウェブ上で横書きのまま読むのが一番簡単だ。縦書きに変えてページをめくるような感じで読めるようにするソフトもあるが、2000円程度だけど有料だし、よほど小説好きでないと使わないだろう。
 ところがkindleでボクの作品を読もうとすると、読めない。まず「西府章」や作品名が検索に引っかからない。著作権が存在する作品は読めない状態になっている。すでに著作権が切れている鴎外や漱石なら読める。
 ところがPCを使って、BookLive!上で「西府章」で検索すると、ぼくの3作品が出てくる――しかも、表紙付きの本の体裁をして もちろん、縦書きで定価0円である。これを購入して読めば、いつでもタダで読める、というわけだ。ボクの作品が引っかかるくらいだから、青空文庫上の他の著作権のある全部の作品もこうして読める。つまりBookLive!なら青空文庫はすべて読むことが出来る。
 ただ、ボクの本に関していえば、ホームページで直接読めば、現在は4次改訂版(とにかく何回か改訂した)だが、BookLive!で読めるのは2次改訂版(最新版ではないということ)だ。ダウンロード版(KindleやBookLive!が使用できる版)は青空文庫が手を掛けて、読めるようにしているということだ――つまり、カネと時間を青空文庫はかけている。本当に、頭が下がる。もちろんぼくの掲載料は無料である。

 つらつら考えるに、青空文庫を立ち上げた富田倫生さんはすごい人だと思う。著作権の切れた書籍をタダでみんなが読めるようにしようという意図はすばらしいと思う。鴎外、漱石、敦、竜之介などが、いつでもタダで読めるのだからね。先日露伴の「五重塔」をKindle上で、やっと読み終えた。青空文庫がなかったら、「五重塔」は一生読まなかったと思う。今「平家物語」に取りかかっている――「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も――」で始まるあれだ。(2014/8まだ読み切っていない(^^;)。ヘミングウェイの短編10編ほどと、”Holes”は読了したけどね)
 ボクは竜之介の「お富の貞操」が好きで、先日読み返したが、やはりいいねえ! この短編、若い人にぜひ読んでもらいたいなあ。タイトルのせいで、教科書には絶対に採用されない部類の短編だからね――プロットもすばらしいが、引き締まった文章がいい。三毛の描写もいいなあ……。それから、桑原博士の講演集もおもしろいなあ――寺田寅彦もすばらしい。「津浪と人間」なんて、予言書じゃないか。切りがないのでこれくらいで止めるけど、青空文庫はとにかくすばらしい。根本的な設立意図が本当にすばらしい。
 富田倫生さんのご冥福をお祈りします。

 「福島第一原発の汚染水処理」――地下水を停める方法なんて、一昔前から技術的に確立しているのに――(2013/9/12)
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 この問題、土木業界はどうして黙っているのだろう? 対処方法はボクさえ分かるぐらいだから、土木の専門家はみんな知っていて、こんなの常識の筈だよ。

 福島原発の放射能に汚染された地下水の処理が問題になっている。すでに汚染された地下水の処理はその専門家に任せるとして、新しい地下水が原発の下部に入らないようにする方法は、土木屋ならだれでも知っている。その技術も地下ダムですでに確立されている。どうしてそれを採用しないのだろう?
 素人にでもわかる簡単な技術だ。まず直径1メートルとか2メートルとかの(要するに必要な大きさの)円形の孔を垂直に不透水層まで掘り、その中にコンクリートを流し込む。必要があれば鉄筋を入れる。その孔を水が漏れない程度にダブらせて連結していく。これだけだ。コンクリートが固まるまで自立できないような地層では、ちょっとした工夫が必要だが、それも既知の技術である。これで原発全体を囲んでしまえば、原発の地下に地下水が流入することは防げる。もちろん、海水もだ。あとは雨だけの処理を考えればいい。

 凍結工法を使うようだが、これは短期間の工事に採用する工法だ。ちょっと考えても分かるとおり、莫大な維持費、電気料金が掛かる。納税者として、そんなのは嫌だ。凍結工法は、海中に人工島を作って、そこから縦坑を掘るような場合に使う。縦坑を掘ってコンクリートで固めてしまう間、採用する工法だ。三井三池炭鉱が有明海に換気用の縦坑を掘る時に採用していた。古い工法で、その費用も十分に分かっている。つまり、カネが掛かるよ。
 凍結工法を長期に採用するほどカネがあるのなら、凍結工法を補助工法として、コンクリートの地中壁を作ったほうが安価な筈だ。さらに、凍結工法と上述のボーリング地中壁を組み合わせれば、完全な地中壁が、すぐ出来上がる。トンネル工事と違い、多数同時に着工できるから、費用さえケチらなければ、設計から半年で出来上がると思う。地中壁の専門業者は日本中にたくさんいる。ゼネコン4、5社(鹿島、大成、大林、間、熊谷、奥村ほか多数)に分割発注すれば、発注から3ヶ月+1ヶ月(コンクリートが固まる時間)でできる筈だよ。
 放射線が強いのなら、シフト数を増やすことで対応できる――たとえば、1シフト3時間の8交代制で、ツラ交代させればいい。カネは掛かるけど、仕方がないだろう。
 そうすれば汚染地下水は be completely under control だね。

 繰りかえすが、土木業界はどうして黙っているのだろうか? それが不思議だ。こんな嫌な仕事をしなくったって、災害復旧の普通の工事で手一杯で、やる必要がないのかな。土木業界は電力業界にいままでさんざん仕事をさせて貰ってきているのだから、ここらで恩返しをしたらどうなんだろう。技術的には何の問題もないんだからね。

 ●2014/1/18の朝日新聞(プロメテウスの罠)によれば、上述の「地下ダム方式の止水工法」を大成建設が2011/6当時に見積もり(コンクリートの代わりに粘土を使用。深さ・強度を勘案してコストを下げた)を出して提案したんだそうだけど、結局は鹿島建設が提案した凍結工法に決まったのだそうだ。なお鹿島建設は福島第一原発を建てたゼネコン。対策委員会はいろいろな屁理屈を付けて、政治的に凍結工法に決めたようだ。確かに凍結工法のほうが初期投資は安いだろうが、それを、下手すると50年は維持しなければならないんだよ。50年間、膨大なエネルギー(つまり電気)を使って、地下を凍らせ続けなければならないんだよ。それに比べると、地下ダム方式は維持費はタダみたいなものだ。どちらが安いか、バカでもわかる。つまり、凍結工法は政治的に決められたのだ。
 何とかならないのかね、こんなばかげたことは。


 キリスト教(新教)の葬式に行ってきた!     【トップへ
 
 クリスチャンの縁者が96歳で亡くなったので、東京杉並区阿佐谷教会の葬儀に参列した。わたし自身、キリスト教に関しては、真性の門外漢だが(強いて言えば異教徒だが)、わが家の葬式(臨済宗、つまり禅宗)よりも、はるかに心打つものがあった。浄土真宗もそれなりに努力はしていると思うが、レベルが違う、と感じた。
 なお故人は亡くなる前1ヶ月たらず入院しただけで、それまでは自宅住まいだった。学生時代に肺結核に罹った以外は、病気らしい病気はしなかったらしい。余談だけど、これで思い出すのが丸山ワクチンだ。結核の罹病者にがん患者が少ないという事実から、結核菌(?)からワクチンを作ったらしい。話としては筋が通っているじゃないか。

 故人はプロテスタントのメソジスト派らしい。旧教カソリックではなく、新教というやつだろうか。学生(現在の一橋大学)時代に、正式の洗礼を受けている。故人の奥さんも子供も一家全員クリスチャンだ。
 まず印象に残ったのが、葬儀の主役が故人であるということだ。牧師は司会者だ。そして、式の白眉は、式辞と称して牧師が紹介する故人の履歴だ。なにより、鼻白む故人の賛美は皆無だった。戦時・戦後という時代背景を縦糸とし、故人が趣味として格闘していたロシア語とドストエフスキーを横糸として織り上げた、見事な個人史だった。織られた布に隠し模様として織り込まれているのが、故人の人生観だ。
 人生の最後にこういう紹介のされ方をするのであれば、故人の子供や孫たち(1人は小さい出版社の編集者で、小学校の先生の若奥さん、男の子の方はいまやベンチャー企業の社長! 他の孫はよく知らない)である若い参列者たちは、これからの自分の生き方を考えるに違いない。世間に認められなくても、そんなことは構わない――と。おおいに遅すぎるけれど、わたしだってそう考えたもの――「雨ニモマケズ」をおもいだしながら。
 「自慢」という小骨を、ピンセットで一本一本丁寧にとりさった牧師のセンスはさすがとしか言いようがなかった。
 話の内容から、一つ一つのエピソードは家族の方(二人の娘さん)が原稿を書いたと思う。でもそれを見事な叙事詩にまとめ上げたのは、牧師に違いない。
 この教会ではいつでもこのような弔辞を読むのだろうが、この弔辞が今日の牧師の資質によるものか、他の牧師では聞くに堪えない鼻白むになるのかは、わたしにはわからない。確かめる方法がなかったのが残念だ。
 この式辞を中心にして、賛美歌を3曲、ヨハネ福音書と詩編の一節の短い朗読、祈祷、などを含めて、教会の儀式は1時間30分で終わった。この故人の生涯の紹介にいかに多くの時間が割かれたかが分かる。葬儀の中で、仏式の葬儀のお経のような、意味のわからないお祈りは一つもなかった。強いて探せば、「アーメン」一つか。仏教だって、「南無阿弥陀仏」だけなら許せると思う。
 ドストエフスキーをロシア語で読みたいと故人が考えていたのは、若いときかららしいが、それを実行に移したのは、80歳を過ぎてからだという。そのために語学専門学校に3年ほど通ったそうだ。「100歳生きたら、100歳学べ」というような意味のことわざがロシア語にあるらしいが、それを実行したわけだ。棺の中には、使い込んだロシア語の辞書が一冊そっと入れたあったのが印象的だった。
 感動できる葬式がある、ということを大発見した日だった。
 もちろんカソリックの葬儀のスタイルは違うのかも知れない。ラテン語のお経のようなものを読むのかも知れない。わたしが経験したのは、あくまでプロテスタントのメソジスト派の葬儀である。

 仏教もすこしは考えたらどうか? とりわけ禅宗の葬式は改めた方がいいんじゃないだろうか。普通の人が聞いただけでは意味のわからないお経は意味がないと思う。坊主の威厳を保つための手段だとしか思えない。お経だけは止められない、というのであれば、お経には意味があるのだから、それは現代日本語に訳して、丁寧に語りかけたらどうか? その場合、サンスクリットのわかる学者や僧もいるのだから、漢語からの重訳よりも直接サンスクリットから訳した方がいい。

 何はともあれ、葬儀の主役は坊主ではなく、故人だ。これを演出できる儀式が最高だと思う。

 なお、葬儀の段取りをしたのは、日本の普通の葬儀社だという。葬儀社の人の話では、その葬儀社が取り扱う葬儀の1パーセントほどがキリスト教だそうだ。日本のキリスト教徒は何人ぐらいだろう。わたしの大学の同学年25人のうち、クリスチャンは1人だった。天草出身で、隠れキリシタンの末裔だと言っていた。ネットで調べたかぎりでは、0.5%程(100万都市で5千人)ではないだろうか――キリスト教徒をどこで線引きするかは、よくわからないが。
 段取りをしたのは葬儀社だが、仏教の葬儀のように、葬儀社が表に顔を出すことはまったくない。完全な裏方だ。祭壇に花は飾られているが、花輪などの献花は一つもなかった。孫が数人はいるのだから、わたしの常識では、子供一同とか孫一同とかの献花があってもおかしくないのだが、そういうものは一つもなかった。そういうものは飾らないというのがしきたりだろう。
 そんなだから、香典のたぐいはくれぐれも不要だとはじめから強く念を押されていた。「数珠と香典は絶対にご遠慮ください」と言うことだった。

 キリスト教信者の数を調べていたら、ちょっと面白い記事を見た。それは韓国に於けるキリスト教信者の多さだ。30%程だそうだ。韓国はもともと儒教の国だ。儒教は法事が多いのだという。古い家だと毎月法事をしているということになるらしい。それをサボると、親戚や周囲がうるさいのだという。費用もそれなりにけっこう掛かるらしい。それでキリスト教に改宗すると、「うちはキリスト教ですから」ということで、法事から逃れられるのだという。考えさせられる話だ。


 0/0はいくつか?――この下の「どこで間違ったんだろう?」に書いている「0除算」に関することを、ここにまとめる。                             【トップへ

 きのう(4/28)わが市の図書館の「数学」の棚の本を何気なく見ていたら、ここにも「0/0は不定」と書いてあった。中高生あたりを対象にしたまじめな本だ。そののち(9/18)、「ニュートン別冊 ゼロと無限」にも「0/0=不定」(p147)と書いてあった。なおこの本の「暗号 巨大な素数が個人情報を守る」は秀逸である。公開鍵暗号の仕組みが、これを読んでやっと納得できた(と思う)。
 確認のため、帰ってネットで「1/0」でググってみたら、1/0、0/0に対して様々な回答がでていた。さすがに数学関係の本では、「1/0は数ではない」(つまり、「不定義」)にほぼ統一されている。数学では、同一定義の下では、答は一つだから、ここに正しいと信じていることを書く。
 但し、0除算に関するコンピュータでのIEEEによる定義は、これと異なることは、下にも書いているとおり。つまり、コンピュータが関わる数学では、0の定義が通常の数学とは異なると言うことである。

 数学での除算の定義は次のとおり。『a,x,bを数とし、ax=bが唯一成り立つなら、x=b/aである』 つまり、2×3=6なら3=6/2だということ――あたりまえといえば、そのとおりだけどね。複素数でも同じ。(3+2i)(1+i)=1+5iなら1+i=(1+5i)/(3+2i)=1+i
 ①:ここで、a=0,b≠0の時、ax=bは成り立たない。ゆえに、x=b/a=b/0は「不定義」。つまり、数として扱わない、ということ。数学の対象ではないということ。
 ②:また、a=0,b=0の時、ax=bは成立する。ゆえに、x=0/0は数として存在する。
 
ここで気をつけなければならないことは、0×X=0はXがなんであっても成り立つから、X=0/0=不定と早とちりしてはならないことだ。
 ここで、(c、d)≠0かつ c≠dとすると、0×c=0×dは成り立つ。この両辺を0で除すると、0/0×c=0/0×d。【なぜなら、c/0、d/0は数ではないから、(0×c)/0=0/0×cしかあり得ない。dの場合も同じ】
 任意のc、dに対し、これが成立するためには、0/0=0でなければならない。ゆえに、0/0=0。決して「不定」ではない。
 ちょっと気の利いた中学生なら、つぎのような質問をするかもしれない。
 「1/1=1、0.1/0.1=1、0.01/0.01=1、これを無限に続けると、0/0=1になる。どうして、0/0=0なのか?」
 ここで lim(a→0)=0とa=0との違いを教えておけば(無限の概念を教えておけば)、「無限が絡むと、常識は通用しない」ということが、わかる生徒はわかるだろう。だけど、高校で微分を習うときには、悩むだろうなあ。ボクは「微積は実用数学」と割り切ったけどね。こんなことで引っかかっていては、ほかの学科の勉強をする時間なんかなくなるからね。

 以上が「0で除する」場合の答。

 ただし、コンピュータ上の計算では、1/±0=±∞、0/0=NaN(Not a Number――つまり、数ではない)。これはIEEE-754(アイ・トリプルイー/これは電気関係業界の憲法のようなもの)でそのように定義されている。この0と∞の使い方は、微積での扱いと同じだね。

 『数学の秘密の本棚』(「イアン・スチュアート著/水谷淳・訳)という本の25ページに「π(パイ/円周率のこと)の値を法律で決める」というタイトルがあり、インディアナ州議会がπの値を法律で決めようとしたことがあったんだそうだ。実際にはそうはならなかったんだけど、そうなったらどうなったか、ということが書いてある。
 法律上の円周率の値をpとし、数学的にはp≠πだけれど、法律的にはp=πだとすると、
 数学的には(p-π)/(p-π)=1
 法律的には(p-π)/(p-π)=0
 となる、と書いてある。
 つまり、数学的にはp-π≠0、だから(p-π)/(p-π)=1。法律的にはp-π=0だから、0/0=0だということだ。
 こんな法律を作ると0=1となって、とんでもないことになりますよ、というのがオチだ。なお著者は英国の大学教授で第一線の数学者だそうだ。訳者は理学博士の翻訳者。だから、どうってことでもないが。
 【ここだけフォントが違うのは、「π」の字形がこのフォント(DF平成明朝体W7)にあるからだ

  ついでながら00はいくつか? 不定形だそうだ。話は下記。http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu.htmから引用しました。

  「0^0はもともと不定形である」

(理由)0^0は略記号で,正式にはlimx^y(x→0,y→0)である.この対数をとればlog(x^y)=y・logxであって,これは
 0×(-∞)型

の不定形である」(つまり,xとyとの0への近づき方によって,どのような値にもなる).
 ただし,t・logtはt→0のとき0となる.したがって,
 limx^x=1  (x→0)

である.
 一般的に,xとyとの0への近づき方具合がほぼ同程度ならy・logxは0に近づき,x^yは1に近づく.したがって,0^0=1と解釈してよい場面は多いが,いつもそうではない.
(例)a>1とし,x=a^ーn,y=1/nとすればx^y=xa^-1であって,この0^0は1/aである.(0~1の任意の値になり得る)
 0^0は1^∞とともに大変に誤りやすい「不定形」(極限値)です.もともと不定形であって,学会で定めるような対象ではありません.(たぶん学術的会合で質問があって,大先生が「不定形」と質問したのか?) (一松 信)【引用以上】

 この筆者は数学の「愛好家」だそうだが、ここまで行くと、プロだな。愛好家の域はとうに越している。



 シェールガス・シェールオイル、メタンハイドレート」――(2013/3/25)      【トップへ
 シェールガス、シェールオイルの歴史は古い。ボクが採鉱科の学生だった頃、こういうものがあると教室で習った。これらの油やガスが染み出て、適当な条件の地層に溜まったものが、現在採掘している、いわゆる油田だという。だから、現在の油田は、油田が存在するための地質条件が厳しいので、偏在していて、それほどたくさんはない。
 シェールガス、シェールオイルはいわゆる油田のおおもとなんだそうだ。シェール(shale)とは頁岩(けつがん)のことで、水成岩の一種だ。つまり、海の底に溜まった土砂が長い年月と圧力で岩になったものである。頁岩よりも粒が小さいのが泥岩で、粒が大きいのが砂岩だ。もちろん、種類により粒の大きさも決まっている。玉石を含んだものが礫岩。台湾の中央山脈には、人頭大の玉石を大量に含んだ礫岩が広く分布している処がある。その地域の塀は、それを利用した見事な玉石作りだ。
 頁岩の「頁」は、「ページ」の意味に転用されるように、頁岩は薄く割れやすい。その割れ目に、土砂と一緒に堆積した石炭紀(3.6億年~3.0億年前)などの森林、海中のプランクトンなどの有機質が圧力を受け変質して、原油・天然ガスとなり、染みこんでいる。当時、大陸は一つで(ゴンドワナ大陸という)、北極・南極の極地にも氷はなかったので、大陸全体が大森林だったそうだ――大森林のおかげで、酸素も35%(現在は21%)もあった。炭酸ガスも空気中にたくさんあったが(地球ができたての頃は、大気はほとんどCO2だった)、やがてこれは木に吸収され、石炭として固定された。だから、石炭は現時点でも無尽蔵に近く埋蔵されている。ちなみに、現在は北極・南極に大量の氷があるので氷期だ。氷期の中のつかの間の間氷期なんだよ、現在は。わが地球は、22億年前と7億年前に、赤道直下まで凍ってしまた時期もある。生物らしい生物が海中に現れる、5.5億年前のカンブリア紀の前の話だけどね。ついでながら、約5億年前の、カンブリア紀の生物化石を大量に産出するバージェス(Burgess)頁岩というのがある。地学を習った人なら一度は聞いている筈だ。バージェスというのはカナダの地名。
 人類の技術はやっと、シェールガス(天然ガス=主としてメタン+少量のエタン)・オイル(石油)に手が届いたと言うことだ。これは、天然ガス・石油のおおもとに手が届いたと言うことだよ。この油母頁岩は世界中に(ただ、地層の新しい日本にはないだろうと言われている)、大量に分布している。つまり、石油・ガスは無尽蔵にある、と考えていい。たぶん人類はこれらを使い切れずに、数万年後(はたして、そんなに耐つのかな?)に新人類と交代するだろうと学者たちは考えている。もちろん、ホモ・サピエンスはそんなに耐たない、と考えている人も多いらしい。

 シェールオイル・ガスは地下3000m~7000m程の深さに希薄に、しかし大量に賦存しているが、ぼくが学生当時は、採掘しても採算に乗らないし、採掘技術もない、と教わった。1965年当時、アラビアあたりの原油単価は1$/バレル以下だった。
 あれから50年経って、原油価格も上がり、2005年あたりまで40$/バレルだった原油価格が、2009年には120$になり、2013年現在、100$あたりで落ち着いている。採掘技術(これは海底油田の掘鑿技術の応用)とコンピュータの発達のおかげでシェールガス・オイルの採掘技術が確立し、100$なら十分に採算が合うようになったからだ。OPEC結成当時のヤマニ石油相の名言のとおり、「石器時代が終わったのは、石がなくなったからじゃない」のだ。石器よりも性能がよくて、使い勝手もいい銅・青銅を使う技術が出てきたからだ。OPEC結成当時、OPECの大多数のメンバーは、原油はいくら高くしても売れると考えて、うんと高く売りつけようとしたとき、それをたしなめたのがヤマニ石油相で、その時の名言が上記だ。最近、同じようなことが中国のレアメタルで起こった。レアメタルの価格をつり上げ、輸出規制なんかやるものだから、代替品や使用量の激減が起こって、価格が規制前に戻ってしまった。歴史には学んだほうがいい。
 100$がある程度固定されると、藻類から採れる石油が採算に乗るようになる。風力などの自然エネルギーも悠々と採算に乗ってくるだろう。【2017年の実績ペイラインは40$/バレルと言われている。】
 そうなると、日本近海に豊富に賦存しているメタンハイドレートの採掘費も、それらを競争相手にしなければならない。その技術を確立するのに何年かかるだろう。20年程度で実用化したいものだ。そうすると、今後100年ほどは、日本はエネルギー源に翻弄されることがなくなる。100年も経てば、核融合が実用化され、エネルギーは安価に、無限に得られるようになるだろう。
 地下資源は「掘って、採算に合って」はじめて、存在する、と言える。採算に合わなければ、誰も掘らないし、掘っても意味がない。採算にあわない地下資源は「そこにない」のと同じだ。
 その好例が石炭だ。とくに低品位の褐炭だ。これは北海道にまだたくさんあるが、坑道を掘って採掘しても灯油に太刀打ちできない。ところが、原油価格が100$/バレルになると、話が違ってくる。
 近年これを地下でガス化して取り出す技術がほぼ確立した。例えば、夕張市のまわりの地下の低品位炭を地下でガス化して、夕張市で使う、という案が計画されているという。これだと十分に採算に合うようだ。エネルギーの地産地消だね。これが実用化されると、安いエネルギーを餌にして、工場も招致できる。九州や北海道の「昭和の産炭地」が、60年を経て、甦るかも知れない。石炭は日本の地下にまだたくさん残っている。海底炭田は、ガス化した後の地盤沈下を放っておいてもいいので、採算上とりわけ有利だろう。
 こういう地下資源の採掘技術のような地味な技術にこそ国はカネを出すべきだと思う。アメリカは従来の油田のボーリング技術を基礎にして、シェールガス・オイルの採掘技術を30年掛けて実用化した。掘り出した地下資源はそっくり国家の財産になるのだからね。文字どおり、無から有を生じるのだから。だから、鉱山労働者(と船員)には、いまでも年金の割り増しがついているんだよ。

 化石燃料を燃やせば、もちろんCO2を出す。いまアメリカはシェールガス・オイルの生産に拍車を掛けている――アメリカはエネルギー輸出国になると、オバマ大統領が演説していた――が、誰も(もちろん、アメリカ人がそんなことを言うわけがない)地球が温暖化するから止めろ、なんて口にしない――本当に温暖化するのなら、大陸国家から熱くなるのは、誰が考えたって本当なのにね。ちかごろはマスコミも静かだ。地球温暖化説はいまや天動説なんだよ。
 暖かくなれば、食料生産も多くなり(暖かいと植物がよく育つ)、人間は戦争なんかしなくなる。植物は空気中のCO2が食料なんだよ。植物だって、食料が多ければ当然よく育つ。気密な温室をつくって、その中のCO2を1000ppm程度――現在の大気では390ppm程度――にすると、生産量が20%ほど増加するそうだ。CO2の1000ppm程度なら、その中で人間が働いても、影響はない。金属鉱山の深部の採掘切り羽では1500~2000ppm程だろうか。CO2は空気の平均比重よりも重い(空気を1とすれば、1.5位)から、深いところに溜まる傾向がある。

 核燃料が絶対に使い勝手がいい分野が一つだけある。潜水艦だ。これだけは、炭酸ガスを発生する化石燃料はだめだ。いまはウラン235を使っているが、アメリカはこれをトリウムに変えるはずだ。こちらの方が安全性が高いと言われている。それに、燃料(トリウム)の賦存量がこちらの方が断然多い。特にアメリカ(つまりロックフェーラ)は、ユダヤであるロスチャイルドからウランを買いたくないはずだからね。ウランの流通はロスチャイルドが一手に握っているのだから。

 エネルギーに関してあと一つ。
 2013年4月1日)に、ちょっと気になるガセ記事がインターネットに載った。結構堅いので評判のブログだ。4月2日には「騙された」とすぐに訂正とお詫び記事が載ったが、果たして本当にガセ記事だったのか、と勘ぐりたくなるような内容だった。
 それは、リチウム空気(酸素)電池の実用化の目途がついた、2015年頃には製品として世に出る、というものだ。エイプリル・フールの記事としては、あまりに専門的だ。つまり、その意味がわかる人が極めて限定されている。ガセとは思えないのだ。トヨタとBMWの技術提携の真の目的はこの電池の実用化だったというのだ(これは本当らしい)。ドイツの化学技術と日本の製造技術が手を組んだ結果だともいっていた。4月1日を隠れ蓑にしてちょっとリークしてみたが、あまりに反響が大きかったので、引っ込めたとも勘ぐりたくなる記事だった。
 リチウム酸素電池はそれほど魅力的な電池だ。現在、リチウムイオン電池を搭載しているi-MiEVの1回の充電での走行距離は160kmだが、もしリチウム空気電池が実現すると、同じ重量の電池を搭載したとすると、その距離は1000km(!)以上になる!【理論値では、Li/O2=11,140Wh/kgに対しLi/ion=1,000Wh/kg】 しかも、大量にある資源で作れるし、使う酸素は空気中の酸素で十分だ。ただ、解決しなければならない技術的な問題も多いらしい。
 この電池が実用化されると、いままで貯蔵できなかった電気が、実用上は、安価に貯蔵できるようになる。そうなると、太陽電池と風力発電が俄然その意味を重くする。自動車は一気に電動化され(こうなると、ハイブリッドもディーゼルも、電気自動車には太刀打ちできない)、再生可能エネルギーだけで走るようになる。普通の家庭なら、屋根にソーラーパネルを敷き詰め、この電池を10kgほど用意すれば、理論上は、買電は不要になる。これは電気の革命を意味する――と思うんだけどなあ(^^;)。

 ところが、2017年の初旬、中日新聞が内容的には上記と同様のスクープ記事を出した。トヨタが2022年にはリチウムの固体電池を商品化するめどが立った、というのだ。これを車載するための車体を作るための工場建設に着手しているという。リチウム固体電池は、上記の酸素電池に匹敵する能力を持っている。中日新聞のトヨタ関係の記事は信頼が置ける。なにしろガチガチの地元だからね。
 やはり、2013年4月1日の記事は、ガセではなかったんだね。



 「どこで間違ったか、わかりますか……?」 一応、まじめな数学の話です。かなり力を入れて書いています(^^;)―― (2012/4/10、2013/1/4、0で割ってはならない、ところを一部加筆)(2013/3/8ゼータ関数の証明を追加)  
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 素人向けの数学の本【「新版・感動する数学」桜井 進著 P146 海竜社】に、以下のようなことが書いてある。
『ラマヌジャン(インドの天才数学者です)の例の公式、《1からすべての自然数を無限大まで足していくとマイナス12分の1になる》に関しても、ゼータ関数の考え方を使うことで正当化されます。その証明の仕方は、たいへん難解なものですが、このようにしてゼータ関数(ζで表す)の理論を使うと、無限大というこの世にはない世界に入れるのです』

 つまりこれは、1+2+3+4+……=ー1/12だということ。ちょっと気取って書くと、ζ(ー1)=1+2+3+……=ー1/12。
 ついでにζ(ー2)=1+2²+3²+……=0という話も、別の本に出てくる。
 ゼータ関数には、人類がまだ十分に理解できていない素数1と自分自身でしか割りきれない自然数。ただし1は素数としない。たとえば2(最小の素数)、9929、9931(一つ挟んで並ぶ素数を双子素数という)。素数は無限にある。10,000までに1229個の素数がある)が関わってくるから。

 その後、”ikuro”という方のHPを見ていたら、つぎのように書いてあった。
 ――実解析関数の変数を複素数に拡張することにより、未知の世界が開けてきます。sinxはxが実数のときはー1から1までの値をとりますが、複素数のときは違います。ゼータ関数も同様です。
 ζ(ー1)=1+2+3+……=ー1/12
 ζ(ー2)=1+2²+3²+……=0
 一見して目がくらんでしまいます。これらの式は現代数学では当然のことのように使われています。パラドックスを引き起こした謎は、複素関数論の解析接続にあって、sを複素変数とするとき、ζ(s)をすべての複素数に対して意味を持たせることができ、sをー1とすると値が-1/12、2とすると値が0になるというわけです。もっと詳しく述べるならば、複素平面上での特異点を避けながら、各経路で級数展開をしていくと上記の結果が得られます。

 つまり、ボクの能力を超えていると言うことだけは、よ~く分かりました(^^;)。
 ただ、1+1+1+……=ー1/2や、1+2+3+……=ー1/12、1+2²+3²+……=0などの初等数学的(素人向けの)な証明は簡単だ。

 そうは言っても、ゼータ関数は絶対に正しいんだよね。自分で証明してみたから、これだけは断言できる。ぼく程度の数学の頭でも理解できるんだから、ゼータ関数は普通の関数だ。どうなっているんだろう? 自己絶対矛盾――なーんちゃって(^^;)

以上が長すぎる前書きです。いわゆる「明確な間違い」があるのはこれから下です。つまり言いたいことは、無限が絡むと常識が通用しなくなるという点です!】

 以下の問題、知り合いの高校生(高3♂)から質問されて、一日暇をもらい、考えた結果だ。大昔、習ったかも知れないが、完全に忘れていた。推測するに、高校生のかれは明らかに「ー1/12」のことを知っている。高校生でゼータ関数を知っているだけでも、たいしたもんだけど。

 彼曰く。ゼータ関数なんか使わなくても、簡単な数式で上記と似たような、常識に反する結果を得られる。中学程度の数学の知識があればいい。以下がその数式とそれが導く結果。1/3=0.333……の計算ができる人なら、理解できる話だと思う。(と若い質問者はボクを問い詰める)

 彼が提出した簡単な数式とは下記だ。
 x≠1なら1/(1ーx)=1+x¹+x²+x³+……が成立する。(どうしてこうなるかは、実際に1を(1ーx)で割ってみたらすぐわかる。このタイプに関してなら、マクローリン展開を使うまでもない。1/(1ーx)のことを「通常型母関数」というそうな。1+x¹+x²+x³+……は「冪級数」という。ちょっと難しく言うと、こういうタイプの展開を、マクローリン展開という。
 
数学は数学の約束さえ守ればいい。前例がどうこうなんて、まったくナンセンス。この式の制約はx≠1だけ。つまり、この式が守るべきことはx≠1だけ。(と、若い質問者は声高に主張する。これは正しい)

 検算のため、1/(1ーx)=1+x¹+x²+x³+……の両辺に(1ーx)を掛けると、
 左辺は 1。右辺は(1+x¹+x²+x³+……)×(1ーx)=(1+x¹+x²+x³+……)ー(x¹+x²+x³+……)=1
 つまり、1=1でまったく矛盾がない。つまり、問題ない。この式に必要な制約はx≠1 だけ(と彼は主張する)。

 この主張は正しい。何の問題もない。

 彼が主張するには、この式を使うと、次のようなことが言える。
 ①:1/(1ーx)=1+x¹+x²+x³+……に、x=2を代入すると、
 左辺は1/(1ー2)=1/(ー1)=ー1、右辺は1+2¹+2²+2³+……になる。プラスの数字・2ⁿを無限に加えていくと、マイナス1(ー1)になるということだ。つまり、1+2¹+2²+2³+……=ー1。ゼータ関数で導かれる 1+2²+3²+……=0 に似ている。常識に反するが魅力的だ。
 ②:またx=ー1を代入すると、
 1/2=1ー1+1ー1+1ー1+……になる。
 両辺に2+2+……を加えると、
 1/2+(2+2+2+……)=1+1+1+……

 つまり、
 1/2+2(1+1+1+……)=1+1+1+……
 つまり、
 1+1+1+……=-1/2

 【「リーマン予想」とは、「ζ(a)=0のときaの一般解は、a=-2nとa=1/2+t・i の線上にある」というもの。予想というからには未解決で、クレー財団が100万ドル(約1億円)の賞金を掛けている。スパコンで15兆個)ほど検算したが、すべて、予想通りだったそうだ(イアン・スチュアートという人の本に書いてあった)。無限の個数から考えると、15兆個なんて取るに足らない、と数学者は考える。ゼータ関数の正式の形は下記にあります】

 上記の彼の計算、どこで間違ったかわかりますか? 説明は下記。

 1/(1ーx)=1+x¹+x²+x³+……が意味を持つのはx≠1だけではない。こういう形になると、xには他にも条件がつくのだ。それはつまり、xの絶対値が1より小さくなければならない、という条件が付く。つまり、|x|<1。(これにはx≠1も含まれる)
 その証明は次のとおり。
 無限項数の計算はできないから、n次項までの計算をし、n→∞としなければならない。つまり、
 1/(1ーx)=1+x¹+x²+x³+……+xⁿ:(n→∞)
 両辺に(1ーx)をかけると、
 1
(1+x¹+x²+x³+……+xⁿ)×(1ーx) 
  =1ーxⁿ⁺¹ (どうしてこうなるかは、例のごとく、実際に掛けてみるとすぐわかる)
 n→∞の場合、1ーxⁿ⁺¹1ならなければならず、そのためには、xⁿ⁺¹:(n→∞)ゼロにならなければならない。つまり、xの絶対値が1より小さくなければならない。
 
すなわち、上記①はxが1よりも大きいので、この式は意味を持たないし、こういうことはあり得ない。②と③はxの絶対値が1だから、これもダメ。もちろん i の絶対値は1。

 x=1/2(つまり-1<X<1)の場合の検算は下記。(この検算の仕方、ちょっと技巧的ですねえ(^^;))
 Sn=1+1/2+1/2²+1/2³+……+1/2ⁿ⁻¹とすれば、
 Sn+1/2ⁿ⁻¹=1+1/2+1/2²+1/2³+……+1/2ⁿ⁻¹+1/2ⁿ⁻¹
      =1+1/2+1/2²+1/2³+……+1/2ⁿ⁻²
      =………………
      =1+1/2+1/2²+1/2³+1/2³
      =1+1/2+1/2²+1/2²
      =1+1/2+1/2
      =1+1
      =2
 つまり、Sn=2ー1/2ⁿ⁻¹。n→∞の場合、1/2ⁿ⁻¹→0だから、Sn=2。左辺 1/(1ーx)=1/(1ー1/2)=2で、OKだ。

 ついでに、1/(xー1)=1/x¹+1/x²+1/x³+……となる。
 この場合も上記と同じように処理して、|x|>1という条件が付くことがわかる。こんどは上記と逆に、xの絶対値が1よりも大きくなければならない。x=2とした場合の検算も、上記と同じようにやればいい。


 「無限項数の計算はできない」ことつまり (1+x¹+x²+x³+……)ー(x¹+x²+x³+……)≠1。この答は 、この形ではわからないということは、肝に銘じておく必要がある。正確には、計算ができないのではなく、こと無限に関しては、われわれの勘や常識が通用しないことなのだ。

 【以上は数学の工学系の参考書(「オイラーの贈り物」吉田 武)に書いてあったやつの孫引き。「無限項数の計算はできないから、n次項までの計算をし、n→∞としなければならない。」と言うことは、あくまで「工学系」の態度。
 オイラーは無限項数の計算を平気でやっている。質問者の質問内容は正しい、あとで彼にそう言って、謝った。】


 上でちらっと触れているゼータ関数は厳密に証明された数学上の真理その証明は、それほど難しくはなく、ぎりぎりボクの守備範囲だ。この章の最後に書いているである。

 ゼータ関数(ζ(a)つぎのように定義されている。
 ζ(a)=Σ(1/nª)≡Π(1/(1ー1/pª))、n(自然数 )=1→∞、p(素数 prime number)=全ての素数。aは複素数を含むすべての数。Σ(シグマ)は足し算、Π(パイ。字体がnと紛らわしいなあ)は掛け算の記号。パソコンの書き方ではわかりにくいので、本当にわかりたい方は、自分で紙に書いてみてください。
 ζ(a)=0
としたとき、aの値を求めるのが、「リーマン予想」という、数学者が必死になって解こうと(証明しようと)している問題。予想の内容は、「aがー2nの場合を除けば(普通、「自明な解を除けば」と表現される)、a=1/2±Bi となる」というもの。
 ここで注意しなければならないのは、「a=1/2±Bi となる」というのはすでに英国のハーディによって解かれている。問題は、それ以外に解はない、ということだ。

 ためしに、a=ー1A+iB のA=ー1、B=0 の場合)とし、nを5迄、pも5迄(つまり、2、3、5)として、計算してみると、
 Σ(a=-1)(1/nª)=Σn=1+2+3+4+5=15
 Π(1/(1ー1/pª) )=(1/(1ー2))・(1/(1ー3))・(1/(1ー5))=ー1/8
 つまり、1+2+3+4+5≒ー1/8となる。こうなると、ζ(ー1)1+2+3+4+……=ー1/12 をなんとなく納得せざるを得ない気にさせられるんだけど(^^;)。

【ゼータ関数の証明】――これが意外に簡単!
 ζ(a)=Σ1/nª=Π1/(1ー1/pª)の証明。但し、n(自然数)=1→∞、p=すべての素数、a=複素数を含むすべての数。
 まず、「すべての自然数は素数か素数の積で表される」ということを確認しておく。
 つまり:2007=3×3×223(3、223は素数)
     2008=2×2×2×251(2、251は素数)
     2009=7×7×41(7、41は素数)
 素数は無限にある、という証明は、背理法を使いギリシャ時代になされている。だが、巨大な素数(100桁とか1万桁とか)を見つけるのは極めて難しい。もちろん、現代ではスパコンを使うのだけど、それでも難しいそうだ。なぜなら、素数を見つけるアルゴリズムがわかっていないから。

以上が予備知識。それはさておき、証明は下記。これは「エラトステネスの篩」の知識があると、いっそう良くわかる。考え方が同じなのだ。

①:ζ
(a)=1+1/2ª+1/3ª+1/4ª+1/5ª+……=Σ1/nª 
 ①に1/2ªを掛けると:
②:1/2ª・ζ
(a)=1/2ª+1/4ª+1/6ª+1/8ª+1/10ª+……
 ①ー②=③を作ると、
③:(1ー1/2ª)ζ=1+1/3ª+1/5ª+1/7ª+1/9ª+1/11ª+1/13ª+……
 つまり、③では、分母の偶数すべてが除かれている。
 ③に1/3ªを掛けると:
④:1/3ª(1ー1/2ª)ζ=1/3ª+1/9ª+1/15ª+1/21ª+1/27ª+……
 ③ー④=⑤を作ると、
⑤:(1ー1/2ª)(1ー1/3ª)ζ=1+1/5ª+1/7ª+1/11ª+1/13ª+
 つまり、⑤では分母の3の倍数はすべて除かれている。もちろん、偶数も。
 以後、同様にして、2番目の項(1の次の項)とその倍数を減じていくと、次のようになる。
⑥:{(1-1/2ª)(1-1/3ª)(1-1/5ª)(1-1/7ª)(1-1/11ª)……}・ζ=1
 つまり:ζ=1/{(1-1/2ª)(1-1/3ª)(1-1/5ª)(1-1/7ª)(1-1/11ª)……}
      =1/(1-1/2ª)・1/(1-1/3ª)・1/(1-1/5ª)・1/(1-1/7ª)・1/(1-1/11ª)・……=Π1/(1ー1/pª)
 【証明終わり】

 こういう証明を、自分でこつこつとノートで、鉛筆なめながらやってごらん、ゼータ関数がわかった気になるし、ひいては「リーマン予想」を垣間見た気になれるので、ちょっといい気分だよ。

 上記のように証明は難しくないが、その結果は衝撃的だねえ。自然数でできた数列(冪関数)の和が素数で組み立てられた数の積で表せるのだから。ζ 関数の発見者はオイラーという、この業界では超有名人なんだけど、1+1/2²+1/3²+1/4²+1/5²+…… この計算をしているときに発見したそうだ。
 1+1/2²+1/3²+1/4²+1/5²+……=π²/6
 
これの厳密な証明は難しい。1/(√1-x)のマクローリン展開とarcsin(x)なんかを使う。このあたりになると、数学マニアの領域だろう。

 驚いたことに、こんなところにπ(パイ/円周率)が顔を出してくる。上記のようにπ²/6を導く計算は難しいが、ζ
(2)=1+1/2²+1/3²+1/4²+1/5²+……が1.5よりも大きく、2よりも小さい価に収束する証明は比較的簡単だ。

 ついでだけど、1+1/2+1/3+1/4+……=∞。これの証明は簡単だ。
 1/3+1/4>1/4+1/4=1/2、1/5+1/6+1/7+1/8>1/8+1/8+1/8+1/8=1/2。以下、同様にして、
 1+1/2+1/3+1/4+……>1+1/2+1/2+1/2……=∞(
と学校では習うけど、これ、よく考えるとおかしいよ。なぜなら、1+1+……=-1/2と代入すると(1+1/2+1/2+1/2……=1/2+1/2(つまり、1=1/2+1/2)+1/2+1/2+……=-1/2だから)、
 1+1/2+1/3+1/4+……>1+1/2+1/2+1/2……=-1/4
 つまり、1+1/2+1/3+1/4+……>-1/4だからね)

 1+1/2+1/3+1/4+……は100万項まで足して14.393……、10億項(!)まで足して21.3……だそうだ。だからといって、無限に足すと50あたりに収束するかというと、発散して∞になる。無限が絡むと、本当に気をつけなければならないと言うことだ。それから、証明されていないことは絶対に信じてはならない、ということ。スパコンで15兆個の検算をしても正しかった「リーマン予想」を数学者が誰も(表立って)信じていないのは、きちんと証明が終わっていないからだ。ここらあたりが、物理学と数学との違いだね。

 ところで、上でも書いたように、ゼータ関数を使うと、自然数の総和がー1/12になるんだそうだ。ゼータ関数を使わなくても、その初等数学的(つまり厳密でない)証明、意外と簡単。1/(1ーx)=1+x¹+x²+x³+……を少し変形して(両辺を微分するか、微分がイヤなら二乗して)、x=ー1を代入すれば、すぐ出てくる。


 ボクのこんな数学がらみの文なんか読む人はほとんどいないだろうと考えていたのに、今度は、上記を読んだ知り合いの高1(♂)から質問が来た。今度は前と違って、少々幼い質問だけどね。
 彼曰く。「x≠1なら1/(1ーx)=1+x¹+x²+x³+…… x≠1は何のことよ?」

 まちがいなくこれは数学の時間にちゃんと教えているはずだ。「x=1なら、(1ーx) は0になる。0で割ったらいかんだろうが」と言ったら、「どうしてよ?」という。以下はそのときのボクの説明。

 「1/0の意味を考えたらわかるんじゃないか。3/2=1.5の意味は、『まんじゅうが3個あります。それを2人に均等に分けたら、1人の取り分は1.5個』ということだね。それじゃ1/0の場合、まんじゅうが1個あります、それを0人に分けたら=分けなかったら、1人の取り分は、というのは、論理的に意味をなさないよね。分けないのに、1人分の取り前なんか計算できない」
 「わかりやすい説明だね、納得――それじゃ、まんじゅう0個を0人で割ったときはどうなるんだろう?」
 「それは、ちょっと難しくて、0/0=0だね。疑わしそうな目をしているので、証明する。これは、言葉だけの説明では、わけがわからなくなる――数学の基本中の基本は、0=0、1=1ということだね。いかなる場合でも、これが成り立つことが数学の基本中の基本だね。『0を0で割ったら0』でなければ、数学が成り立たなくなるんだな。だから、0/0=0だね」
 「ほんと?」
 「ほんとだ。それじゃ、上の二つを証明するよ――」 以下はその証明。

 数学では、ax=bとx=b/aとは同時に成り立たなければならないね。これが割り算の定義――つまり、約束。つまり、2×3=6と3=6/2は同じだということだ。あたりまえだといえば、あたりまえ。【a、b、xを数としたとき、ax=bが成り立つなら、x=b/aである、というのが数学に於ける乗除算の定義。したがって、これを満足しないときは、「不定義」(つまり、そんなの数じゃない)となる】
 ここで、a=0、b≠0とすると、ax=bは成り立たない。だからx=b/0は存在しない。つまり「不定義」。(b≠0)/0=不定義。1/0は数ではないということ。

 つぎに、a=0、b=0とすると、ax=bは成り立つ。その時、x=0/0だ。xの価(0/0)が何なのかは、これだけではわからない。なぜなら、ax=bの式では、xは任意の価を取り得るから。
 そこでc、dを考え、c,d≠0、cdとする。すると、
 c×0=d×0は当然成り立つ。この両辺を0で除すると、
 c×0/0=d×0/0
 これがc、dが任意の場合に成立するためには、0/0=0でなければならない。だから0/0=0
 【証明終わり】

 こんなの面倒くさい、というなら、つぎをどうぞ。

 1×0=2×0 (あたりまえだ!)
 これの両辺を0で除すると、
 1×0/0=2×0/0……1と2を0で割ることはできないから、こうなる。
 この式が成り立つためには、0/0=0でなければならない――この証明、エレガントだねえ。
 なお、学生向けの数学の本を図書館で見ていたら、0/0=不定と書いてあった。0/0は不定ではない。0/0=0だ。
 【これじゃ、あまりにあっけないなら、つぎをどうぞ】

 a=1とする。
 両辺に a を掛けると
 a²=a
 両辺から1を引く。
 a²ー1=aー1
 左辺を因数分解する。因数分解とは掛け算の形にすることね。
 (aー1)(a+1)=(aー1)
 
この因数分解がわからない生徒は、真剣に自分の将来を心配した方がいいと思う。少なくとも、技術系の仕事には就いてはならないと思う。
 ここで両辺を(aー1)で割る。(つまり、a=1だから、0を0で割るのと同じ)
 (aー1)(a+1)/(aー1)=(aー1)/(aー1)
 この式のうち、(aー1)/(aー1)は0/0と同じ。
 ここで0/0が存在すると仮定し、それをxとする。つまり0/0=xとする。と、この式は、
 x・(a+1)=xとなる。つまり、ax+x=x。これはax=0となる。
 a=1だから、x=0となる。つまり、0/0=0。
(このやり方、ボクの好みじゃないなあ(^^;)

 1/1=1、0.1/0.1=1、0.01/0.01=1、0.001/0.001=1……だから、0/0=1とはならないことに注意。
何度も言うけれど、無限が絡むと気をつけなければならないということ。
 
仮に、0/0=1とすると、上記の(aー1)(a+1)/(aー1)=(aー1)/(aー1)は
 (a+1)=1となり、a=0、つまり1=0となり、数の意味がなくなる。

【註】
最新のコンピュータなら、1/0やlog(0)を計算させると、IEEE-754の規則通り、±∞を返してくる。当然、±0が定義されている。つまり、1/ー0=-∞、1/+0=+∞。これがコンピュータで0除算を行う場合の定義だそうだ。そうすると、コンピュータにおける0の定義はつぎのようになる。「n→+∞のとき、1/n=+0,n→ー∞のとき、1/n=ー0」。そうすると、0/0は難しくなるなあと思って調べたら、「0/0=NaN(not a number)」を返すんだって、そう決めてあるんだった。


 2012年8月23日、「100年の難問はなぜ解けたのか」――天才数学者の光と影――春日真人(NHKディレクター)編・新潮文庫という、娘がくれた本を読んでいると、その本の227ページの註(特異点の説明)に下記のような文章があった。
 
(前略)例えば、1/xの値はx=1なら1、x=2なら1/2……などと定義できるが、x=0の場合だけは無限大になってしまって、定義することができない。(以下略)

 1/0は無限大ではない。数学では「不定義」だ。言うまでもなく、「無限」と「不定義」はまったく別物である。微分の定義を考えるまでもあるまい。Δx=0とΔx→0を一緒にする人はいない。
 この本は数学の専門書ではないが、「ポアンカレ予想」が解けたことを記述した、準専門書の部類に入る本だろう。読者もほとんどが数学にある程度関心がある人に違いない。マンガしか読まないと言う人が読む本ではない。
 こういう場合、やはり数学の素養のある人に一度目を通して貰うべきだったと思う。自戒の念を持って読んだ。


 こういう知識が何の役に立つかという質問が来そうだが、それが結構役に立つんだよ。役に立つというより、それを知らない人がいたが故に、被害を受けたという例を二つ知っている。

 一つ目はぼく自身が被害者だ。1978年頃、その頃の、いわゆる最新の電気計算機はソニーの卓上型の計算機で、数字表示にニキシー管を使っていた頃の話だ。大きさはA4ほどあり、現在のポータブルパソコンと同じほどの重さだ。その2、3年後に液晶表示がシャープから出始めるという時期の話である。ソニーの計算機は14桁(?)の加減乗除と開平ができた。この開平が実務者には大変ありがたい計算機だった。その計算機で、うっかり間違って、0で割り算をしたことがある。その結果がたいへん面白かった!
 計算機が頭をひねるのだ。どういうことかというと、いったん数値を出し、間違ったといわんばかりにすぐ消し、しばらくチカチカしてまた数字を出し、また消し……というのをつづける。つまり、0で割ってはいけない、というソフトが組み込まれていなかったのである(これをやめさせるには、「C」(クリア)を押せばいい)。それだけなら、やっぱり機械ってバカだなあ、と笑っていられる――バカなのは、ソフト屋だけどね。
 ところがある日、遊びで0で割り算をさせているとき、急用ができて、半日ほどそのまま計算機の前を離れたことがあった。帰ってきたら、計算機は薄い煙を出して、壊れていた。結果の出ない計算を加熱して焼けるまでつづけていたのだ。その健気さにちょっとだけ愛おしくなったことを覚えている。(火事にならなくてよかった!!
 いまの計算機なら、0で割ると「E」(エラー)を表示して、実に素っ気なく終わりだ。計算機はそれ以上計算しないので、焼けるようなこともない。0で割ったとたんに、計算を止めてしまうのだ。賢いといえば賢い。つまり、0で割ってはいけない、というプログラムが組み込まれている。実用上はこれで十分なんだが、ボクのような偏執狂は、0を0で割ったら0を表示する計算機がほしい。そういう計算機があったら、必ずそれに買い換えるんだがなあ。市販の計算機は、店頭で、大体すべてチェックしたが、そういう計算機はなかった2行ほど簡単なプログラムを追加すればいいだけだと思う。もしかすると、0/0=0ということを知らないのかな?

 
二つ目の例は、週刊誌で読んだ話だ。太平洋で活動していたアメリカ海軍の駆逐艦で、艦に搭載されていたコンピュータが暴走して焼けてしまったことがあったそうだ。その結果、その駆逐艦はハワイの軍港まで曳航されてきたという。後で原因を調べたら、駆逐艦に搭載されていたコンピュータが焼けていた。誰かが間違って0で割り算をしてしまったらしい。それが駆逐艦だからよかったものの、もし潜水艦なら浮上できなかったかも知れない。その上、もし原潜だったら、国際問題だ。
 また下記はWikipediaからの転載――こういうこともあるんだねえ。【「1/0」でググってみてください】
 1997年、民生品の応用を研究していたアメリカ海軍はタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦ヨークタウンを改造して主機のガスタービンエンジンの制御にマイクロソフト社のソフトウェアを採用したが、試験航行中にデータベースのゼロ除算が発生してソフトウェアが例外を返し、結果として主機が停止、回復するまでカリブ海を2時間半ほど漂流する事態となっている[2]


 若い諸君、何事も、どんなにつまらなく見えても、基礎は大事だということだよ。上記のソニーの計算機は0/0を計算させても、いつまでも計算を止めず、0は表示しなかった。プログラムを書いた人が0/0=0を知らなかったに違いない。
 電子計算機ができるまで、0で割っても何の実害もなかった。ただ、試験で×がつくだけですんだ。ところが、電卓ができて、0で割ったときにはエラーにしなければ実害が出るようになった。今後、技術が進み、1/0=不能(エラー)、0/0=0にしなければ、実害が出る場合が発生するかも知れない。

 なお、「1/0」でググると、いろいろ出てくる。その中には、「0/0=不定」としているものが、結構見える。こういうものは、言葉だけで考えないで、できるだけ数式を使ったほうがやりやすいようだ。(ー1)×(-1)=1の説明も、言葉だけではなかなか要領を得ないだろう。ここは数式で、納得させた方が早い。

【質問が来たので、マイナスとマイナスを掛けるとプラス、の証明。ここでまず、分配の法則つまり、
 a×(b+c)=a×b+a×cは公理(証明不要の自明の理)とする。
 1+(ー1)=0
 両辺に(ー1)を掛けると、
 (ー1)×(1+(ー1))=(ー1)×0
 (ー1)×1+(ー1)×(ー1)=0
 (ー1)×(ー1)=1
 簡単で分かりやすいね。ここで「まんじゅうの話」をしても、誰も納得しないだろうね。

 誰が何と言っても、数学は気持ちがいいねえ。「正しさ」や「正義」のように、人によって答が変わることがないんだからね。新聞やテレビが何と言っても、正しい答は一つなんだからね。数学以外の科学だって、時代と人によって、何が正しいのか、ということは、さんざん変わって来たのだからね。天動説が絶対真理の時代があったんだからね。

 ながながとお付き合いをいただき、ありがとうございました。



 TPPと日本の農業について――まじめに考えたつもり―― (2013/3/2)      【トップへ
 アメリカが「狙っている」のは、日本の農業と郵便局の簡保と医療保険・国民健康保険、株式会社の病院参入だそうだ。日経と朝日には大体そう書いてある。簡保と健康保険関係はわからないので、ここでは話を農業(つまりコメ)に限る。建設業も自由化されたらヤバいんじゃないか、という話もあるが、これは安全だろう。建設業は人力(つまり労働力)に頼る部分が多いからだ。人力に頼る世界は、浪花節の世界だ。外国人には無理だ。

 ただ、現在の健康保険を自由参加にするというアメリカの考え方は何となくわかるような気がする。極論すれば、現在の国保の強制加入をやめて、のこりは民間の保険会社に任せろ、ということだろう。つまり任意加入で、自己責任。自分の命は自分の責任で守れ、と言うこと。この考え方が、国民が銃を持つ権利に繋がっていく。それはそれでイサギヨイが、日本人には向かないと思う。カネがないので病院にも行けずに、見殺しにされた、と嘘つきのジャーナリズムは、書き立てるだろう。保険代を遊興費――ひと昔前は豪気に「飲む・打つ・買う」と言っていた――に回した報いだ、とは決して書かない。
 そうは言っても、「命の基本的な補償費だけは国が強制的に全国民から取り立てる」というのは、世界に誇っていい制度だ。「健康保険費は全国民から強制的に取り立てる」ということだけは死守して貰いたい。

 TPPに賛成か反対かは、立場によってまったく違ってくるだろう。日本は輸出によってしか成り立たない国だとボクは考えているので、その立場で書く。

 世界の中で、農業が日本の産業の一部になり得るか? なり得ない。なり得るわけがない。それは農家1戸あたりの農地面積を比べればわかる。
 農家1戸の農地面積(単位ヘクタール――1ヘクタール=1町歩と見なしてもいい。約100m真四角だ。ついでに1反は約32m真四角、1畝は10m真四角で1アール)【農林省・農林業センサス/USDA 2002 Census of Agriculture/The Agricultural Situation in the European Union2007】
  アメリカ    178.6ヘクタール(1.3キロ四方が「うちの畑」!)
  イギリス    55.6ha(750m四方が「うちの畑」! あの島国でねえ)
  フランス    48.0ha
  ドイツ     43.7ha
  北海道     18.7ha
  日本全国       1.8ha
  日本都府県平均  1.3ha(北海道を除けば、「114m四方がうちの畑」なんて、案外広いと思うなあ)

 オーストラリア、ウクライナ(チェルノーゼムという大肥沃地が広がっている)、ブラジルなどは、アメリカよりもさらに広い。日本の農業は、世界とは戦えないのだ。はじめから負けている。こんな戦いはしてはならない。日米開戦がいかに無謀な戦争だったか、とっくに学習しているはずだ。
 それじゃどうするのか? 世界と競争なんかしないことだ。農業は、価格なんかの枠の外にある趣味だと思えばいい。趣味の世界に競争なんてない。そういう世界を目指せばいい。世界には、日本のコメでなければ食べない、と言う裕福な人はごまんといる。そういう人たちと商売すればいい。ボクのようにオーストラリア米で十分だというやつには、安い米を食べさせてほしい。ブラジル米も一度食べてみたいものだ。

 統計局で調べた(http://www.stat.go.jp/data/sekai/13.htm#h13-03)コメの値段【日本を1とする。1=3.5ドル/kg=350円/kg――2008年統計】
 日本       1.00(だいたい350円/kgぐらい)
 韓国       0.62(安いねえ! これが本当なら、日本の農家は見学に行ったらどうだ!
 オーストラリア  0.60
 アメリカ     0.51
 ブラジル     0.14!(350円/kgの米が53円/kgで買える! 5キロパックで265円だ!!)

 若いときボクは、日本の産銅鉱山各社のJVの一員としてボルネオで働いていたが、現場のコメ(ジャポニカ種)はオーストラリアから買っていた。当時の価格は日本の三分の一(当時1ドル=200円~220円)、味はわたしの舌では、日本のコメと区別がつかなかった。そのコメのおかげで、食費は日本の現場で毎月徴収されていた金額のほぼ半額で、ずいぶん助かった。【実は、食費のこの安さを不思議がっていると、現場の経理担当がオーストラリア米だと教えてくれた。別に秘密にしていたわけじゃない】。同じ状況が現在の日本の全家庭(および学校給食)で可能だとすると、日本全体で幾らカネが浮くのだろう? とりわけブラジル(残念ながらTPPには参加していない)から輸入すれば、もっと劇的に安くなる。農産物の関税をなくせば、これが可能になる。ブラジルには日系の人がたくさんいるから、日本人の舌に合うコメを作って貰えるはずだ。商社にでもたのめば1ヶ月後には、日本のコメの値段の30%ぐらいで入ってくるよ。

 上に書いたことを再度繰りかえす。
 農産物を工業製品と同じように考えてはならないと思う。農産物は嗜好品である。現に、サクランボだってピーナッツだって、完全に自由化されているが、よく頑張っているじゃないか。コメだって生き残れないはずはない。経済的に余裕があって、本当に味がわかる人は、日本のコメを食べればいい。ボクは5キロ600円現時点のオーストラリア国内ケアンズの店頭価格でこの程度)のオーストラリア米で十分だ。ブラジル米がジャポニカ種で100円/kgぐらいで買えれば、味に文句は言わない。

 2毛作が可能な非積雪地帯の田んぼで、2毛作をしているところは、どれほどあるのだろう? (佐賀平野では裏作に麦を作っている) 2毛作が可能な米作農家で1毛作しかしないところに、税金から捻出した補助金を出す必要はない。誰が考えたってそうなるはずだ。それが正義というものだろう。

 鎖国していた江戸時代、綿は日本国内で作っていた。明治になり、外国と貿易できるようになって、国内での綿花栽培なんてバカなことはすぐやめた。外国から買ったほうがはるかに安いからだ。その代わり、買った綿から衣服をつくって輸出するために、紡績業に力を入れ、しっかりと発展させ、儲けた。国益とは何かを考えれば、こうなる。明治の政治家、役人は偉かったと思う。綿花と米とで何が違うのだろうか?

 日本の農家は兼業農家だ。農業収入が無くなったって、食うに困るわけじゃない。だから誰も2毛作なんかしない。政治家が、自分の票のために、税金を使って農家を養っているだけだ。コメは完全に自由化すべきだと思う。それが本当の国益だと思う。誰か、インディカ種の米粉(これは自由化されていると聞いている)を輸入して、日本人の口に合うようなパンやケーキ、パスタのような製品を安価に作ってみないか? タイやインドネシアは喜ぶと思うよ。これこそ「大東亜共栄圏」だ!

 対アメリカ貿易のことを考えると、TPPのない現時点で、乗用車にかかるアメリカの関税なんて2.5%とかそういう単位だ。トヨタなんてアメリカに関してなら、アメリカで売る車の85%以上はアメリカ国内生産で、TPPなんか関係ないし、もちろんドル建てだから、為替レートの影響もない。もちろんドル建ての単価で損するような価格はつけるわけなく、円安になれば、アメリカで稼いだ利益を日本に持ってくるときに、濡れ手に粟の利益になるというだけの話。TPPは、車に関しては、無関係だと考えていい。TPPの恩恵は殆ど受けないだろう。日本でしか車を作っていないマツダでもこれは同じ。 
 LED、太陽電池、家電などの電気製品は、とりあえずはTPPの恩恵はあるだろう。しかし、これらローテク製品を日本で作っていては、先は見えている。日本では、こんなものは先にやめた者が勝ちだろう。シャープや三洋のようにはなりたくないでしょう? 日本に似合うのは、「重厚長大」だよ。「軽薄短小」なんて、発展途上国に任せておけばいいんだって。

 アメリカのGM、フォードはピックアップトラック(大型トラック以外のトラック)で生き残ったようなものだ。とりわけこの2社が生産しているピックアップトラック類にはアメリカは25%(2.5%じゃないよ)の輸入関税を掛けている。中西部では、この種の車は無税か安い税で、昔の馬(カウボーイが乗っている、あの馬)という感じの使い方をしている。だから、アメリカの中西部の田舎ではこのタイプの車が主流だ。V6の4.2LとかV8の6Lなんてクラスの車だ。
 「イージーライダー」のラストシーンでこの手の車が印象的(アメリカに潜む悪意の象徴として)に使われていた。このラストシーンで「イージーライダー」は伝説の名画になった。
 もちろん、アメリカでもこの手の車は、都会では殆ど見られないそうだ。大きいSUVを街中で乗り回しているおニイチャン、その手の車は田舎で乗ってこそ映えるんだよ。ただ、事故の時には有利だろう。こんなSUVと軽とがまともにぶっつかったときのことを考えたら、SUVが有利なのは(死なないのは)、自明の理。
 
 アメリカがぐずぐず言ったら、それじゃピックアップトラックの関税を0にしてくれ、と言えばいい。アメリカはGM、フォードはつぶすわけにはいかないので、さんざんぐずるだろうが、交渉力があれば、話は有利に進むだろう。

 農産物は嗜好品だ。いいものを作れば、少々値段が張ったって世界中の誰かが買ってくれる――千葉成田のピーナッツのように。日本の農業の膿を出すためにも、TPPには大賛成だ――もちろん、農業には「聖域」なしで。

 近くに住んでいるボクの小学校の同級生は、JAのメンバーだし、もちろんコメも作っている。典型的な兼業農家だ。そのかれがTPPは大賛成だと言っていた。飲んだときに言っていたのだが、いまの農家は補助金目当ての乞食だそうだ。いろいろ賛成の理由も述べたが、日本の農業を改革するための一番手っ取り早い方法じゃないか、と言うのだ。政治家は票田なので手をつけない。結局外圧を利用するのが一番効率的だとかれは言う。ボクは妙に感心した。念のために言っておくけれど、ボクだってJAの会員だよ。

 世界はひとつと考えると、労賃、運賃などを含めて気候風土の一番合っているところが、一番得意なものを作り、世界に安く供給する、というのが一番いいと思う。
 コメの自由化で、日本の全家庭の食費が20%安くなれば、米作農家の減収よりも、国にとっては有益だと思う。誰か、その場合の損得勘定を詳しく計算してくれないかなあ。



 アマゾンからキンドルを買った(2013/1/8)(2014/5/1) 
                                    【トップへ
 1年以上使用して、現在の使用状況を書く。
 現在はKindleでもっぱら英文を読んでいる。いわゆる「英語(と脳)の錆落とし」だ。目的は英文の読解力の維持と補強で、ネットの記事では、その量から言っても、英文のやつが絶対におもしろいからね。会話やヒアリングには興味はない――実利がまったく伴わないからね。
 何が便利かというと、Kindle自体が辞書を内蔵していることだ。英文の場合、「プログレッシブ英和中辞典」「The New Oxford American Dictionary」をもっぱら利用しているようだ。辞書の選択はKindleが自動で行っているので、こういう言い方になる。英文の場合、「英和辞典」を主に使っている。そこに単語がなければ、「英英」を使用しているようだ。調べたい単語を指で長押し(2、3秒)すれば、その単語の意味等が同じ画面に現れる。語学の学習として、これは非常に便利で楽だ。これは和文でも利用できる。たとえば、「譫妄」(せんもう delirious)の読み方がわからなければ、同じことをすればいい。この場合、「デジタル大辞泉」が使用されるようだ。
 英文の場合、知らない単語でも、自信を持って意味が推測できれば、もちろん原則として辞書は引かない。どうしても文章の意味がわからない場合だけ、辞書を引く。紙の辞書を引くより遙かにスムーズで速い。机の上で使っている場合は、調べた単語は手帳に簡単に書き写してしておく。その場合、何章にあったのかも、メモしておく。自分だけの、使い勝手のいい辞書ができる。空き時間に英文が簡単に読めるのが何よりありがたい。多読用の本として評判の高いHoles(by Louis Sachar)を読み終えたが、少年たちが多用する擬音由来の単語の多出も全く気にならなかった。今は、ヘミングウェイの「老人と海」も読み終わり、世評の高い短編集(例の「殺人者 The Killers」や「雨の中の猫 Cat in the Rain」が載っているやつ)に取りかかっている。どういうわけか、Kindleでは、一般的には英文の本はきわめて安価だ。宝の山を、ご自由にどうぞ、と言われているような、非常に贅沢な気分になれる。気分爽快だ。
 なお、Kindleを使う場合は、正規のブックカバーは絶対に必要だこれが結構高価なんだよね(^^;)。
 それに何より、字の大きさ(字体も)を自由に変えることができるのが、われわれ年寄りには何よりありがたい。
 青空文庫の無料本は、その後範囲が大いに拡大され、Amazonで「無料本」で検索すれば、すぐ出てきて、いつでもすぐに落とし込める。よほど特殊なものでない限り、下記に書いているような面倒は不要になっている。
(この項、2014/5/1に追加)


 目的は「どこででも、読みたい本が読めるから」。だから、Paperwhiteという一番安いヤツ。アマゾンの通販で買って、7980円。専用の充電器(990円)もついでに買った。パソコンのUSBから充電できるから、使い方によっては充電器は不要。寝ているときに充電したいからボクは買っただけ。結論は、極めて快適、快調。予想どおりだった。余生に楽しみが増えた、という感じだ(^^)。
 アマゾンの通販で買ったので、ボク専用の登録設定がすでに終わっている状態で、届いた。これは心憎いサービスだ。トリセツはキンドルの中にあるので、紙の説明書は形だけ。あとは本を落とし込んで、読むだけだ。12月9日に頼んで、12月27日に届いた(当初の予定は1/6だった)。

 Kindleの一番いいところは、字の大きさが自由に変えられることだ。これは電子本全般に言えることだろう。われわれのような目が薄くなった年寄りには、これが一番ありがたい。これだけでも買う価値がある。
 次のいい点は、「本代」がかからないことだ。新しい本をまともに、アマゾンから電子書籍で買えば、結構高い。せめて半額にならないかと思う。ただ、ボクにとって、これはほとんど問題ではない。キンドルを買った目的は青空文庫をキンドルで読みたいためだ――それも、あたりの明るさを気にせずに、寝転んで。
 キンドルのサービスの中に金額0円で青空文庫の本がある。19,000冊(!)ほどあるが、漱石「三四郎」でも1冊だが、竜之介「羅生門」でも1冊だ。それでも、大概の古典といえるものは網羅してある。先日、露伴の「五重塔」をやっと読んだ。青空文庫はただでキンドルに落とせるということは聞いていたので、試した見たら、その通りだった。パソコンを使えば、簡単にキンドルに入ってしまう。
 簡単にその方法を記す。まず「青空キンドル」というフリーソフトをパソコンに落とし込んでおく。そのパソコンで、青空文庫を開き、読みたい作品のところを出して、「青空キンドル」をクリックすれば、作品がパソコンに落ち込み、あとはピックアンドドロップで、PDFでキンドルに入れる。このやり方だと、キンドルに入れた本は、パソコンに残っているので、管理がしやすい。実に簡単だ。実行する人は、「青空キンドル」を見てください。懇切丁寧に書かれている。「青空文庫」と「青空キンドル」の作者に感謝しなければならない。もちろん、青空文庫の中でも、著作権のある本はキンドルに落とせない。
 
この方法には、一つだけ制限がある。文字の大きさをキンドルの中で変えられない(ようだ)。文字の大きさは、「青空キンドル」で前もって決めておく必要がある。ボクは「大」を使っているが、これならルビも読める。若い人なら、「中」で十分だろう。さっそく森鴎外の「寒山拾得」「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」、夏目漱石の「三四郎」を、光・無線で落としてみたが、あっという間だった。もちろん中島敦の「李陵」「山月記」も入れた。ところで、青空文庫に鴎外の「北條霞亭」がないんだよなあ。青空文庫立ち上げ人の富田倫生さん(本当に尊敬しています)、入れて頂けませんか?
 なお、アマゾンで購入した本なら、0円でも自動的にアマゾンのクラウドに取り込まれているので、キンドルから消してもすぐ復活できる。だから、二度と目を通さないだろう、と言う本はキンドルから消しておいた方が良いようだ。日本国憲法は、もちろん、タダで取り込めるよ。
 しかしそうは言っても、青空文庫から直接落とすやつには、読むときに制限があるので、できたら0円で買ったほうがいい。もちろん、検索も利くから、探すのも比較的簡単だ。
 ざっと見たところ、英文の本は安いねえ。
 キンドルで読むと、英語・日本語・中国語(8年間台湾にいて、2年間が日本の会社、6年間を台湾の会社で働いた)の辞書が画面の中で使えるので、極めて便利――特に、英語の場合はね(^^;)

 電池は28時間ほどもつそうだ。これだけもてば、十分だろう。1日4時間使って、1週間はもつ計算だ。10分ほどそのままにしておくと、自動的に電源が切れているのは、大変便利――特に、夜、電気もつけないで寝床の中で使っているとき(^^;)。いい世の中になりました。小学生の頃夢想していたことが、現実になったのだから。

 ひと月ほど使ったとき、充電終了の緑のランプが点かなくなった。いつまで充電しても、橙色のランプのままだ。画面の表示もわずかに満充電にはなっていない。5%程、未充電だ。アマゾンに電話したら、一度リセットをしてみてくれと言う。リセットは簡単だ。唯一のボタンを20秒以上押せばいい。それをやって充電したら、1分ほどで満充電になり、表示もそうなっていた。電話の「お嬢さん」の応答のなめらかさ、様子から、かなり発生している事象らしい。トリセツにでも書いておけば、電話をかける手間がいらないのに、と思った次第。
 


 太陽光発電装置(ソーラーパネル)やLEDについて(2012/12/22)         【トップへ
 これらの製造は、ハイテクなんかじゃなくて、むしろローテクだ。あと10年もすれば Made in Congo や Made in Cameroonあたりが出てくるだろうね。

 一条工務店という、木造住宅に特化した住宅建設会社がある。じつは我が家は、10年前に、この会社に建ててもらった。
 この会社の、屋根に載っている太陽光発電装置は他社と少し違う。これはもちろん新築に限定されるのだが、ソーラーパネルで屋根を兼ねさせればいい。つまり、ソーラーパネルに瓦や鉄板の屋根材の代わりをさせる。新築なら、この考え方はたいへん合理的だ。屋根を葺いて、わざわざその上にソーラーパネルを載せるのは、無駄が多い。ソーラーパネルを屋根と兼用すれば良い。そうなれば、当然、屋根は南向きの緩い片流れ(1.5割)になる。
 現時点では、買い電単価(25円/Kwh程度)より売り電単価(40円以上)のほうが遙かに高価なのだから【10kW以上発電なら契約時の単価が20年間、適用される。1軒屋なら大体これ以上】、パネルで発電した電気は全量、電力会社に売る。自家発電した電気を自分で使う奴はバカだ。売るのが目的なら、高価な電池などの電力貯蔵設備は不要。つまり、パネルだけなので、設備費、設置費用が安価になる。
 その上、一条工務店はパネルを自社生産している。実際に工場を建てて、自分でソーラーパネルを作っている。ぼくの注意をいちばん引いたのが、この自社生産という点だ。「OEMを買っているんじゃないんだね?」と何度も念を押したものだ。自社生産だから、屋根の形に合わせて生産できる。片流れの屋根全体にきっちりと敷き詰められる。きっちりと敷き詰めなければ、美観上みっともない。これを一条工務店のシステムで設置すれば、わが家程度の広さでも、20年間で500万円ほどわが家の収入になる。売り電収入を一条工務店と折半しているので、もちろん、設備費用、設置費用0円だ。月に直すと2万円の収入だ。わが家の現在の電気代は暖房を使う冬期でも1万円/月だから、現在に比べ、差し引き1万円程度の収入になる。これは魅力だ。そういうわけで、わが街の一条工務店の新築は、みんな屋根にソーラー発電装置が乗っかっている。当然だ。残念ながら、10年前にこういうシステムはなかった。
 電力会社による電力の買い取り強制制度は、民主党政権のすばらしい置き土産の一つだ。自民党では、絶対に実現しなかっただろう。
 
売り電価格は毎年見直すという取り決めだから、その金額は徐々には安くなっていくのだろうが(実際もそうなっている)、こちらが売りたいといえば、とにかく電力会社がすべて買う、というのが法規だから、この「全量売り電」という話は成り立つ。自民党政府になったけど、これを一気に取りやめるというようなことはしないだろう。そんなことをやれば、また政権交代だね。

 このテーマで言いたいことは、実はこんな事ではなく、今となっては、ソーラーパネルは住宅会社でも、その気になれば、すぐにでも作れる、と言うことだ。もちろん、中国やインドネシアでも作れる。ソーラーパネル製造専用の会社は、日本では成り立たないと言うことだ。ソーラーパネルの製造はローテクなのだ。テレビのようなローテクに固執している日本の会社が赤字になるのはあたりまえだろう。世界の動きは実に速い。ついでの話だが、60インチ程度のテレビは差し押さえの対象にはならないそうだ。つまり、日用品なのだそうだ。日用品の茶碗が差し押さえられないのと同じだ。今日、テレビで言っていた。

 
韓国や中国があれほどソーラーパネルやLEDに強くなったのは、日本の会社(特にシャープ)をリストラされた技術者が多数、サムスンや中国の会社に高給で流れ込んだためだと言われている。当時のシャープの社長とその取り巻きはみんなバカだった、と言われているのは、このせいだ。社員をコストとしか見ることができない社長なんて、社長をやる資格はないだろう。たいていの技術は、情報さえあればすぐ真似できるということさえ、わからなかったのだろう。材料さえ調達できれば、原爆さえガレージで作れる時代なんだよ。自分で自分の首を絞めて、結局、シャープは事実上、倒産した。


 ぼくの家にはたばこの自動販売機が設置してある。その前面にLEDをバックライトとしてふんだんに使った広告が付いている。ケントの販売会社が無料で取り付けていったものだ。使ってある白色LEDの素子は200個ぐらいだろうか。そのおかげで、夜中の街灯が不要なほど自販機の周りが明るい。つまり、LED素子の単価はそれほど安価だと言うことだ。多分10円以下だろう。もちろん中国製に違いない。LEDの製造はいまやローテクなのだ。ちかごろ街の電飾がやたらきらびやかなのは、LEDが安価になったせいに違いない。もちろん、LEDは長寿命で電気をあまり食わない。
 LEDは車の照明関係には最適だ。とりわけストップランプには最適(切れないし、応答時間が速い)だから、殆どの車に採用されている。フィラメントの電球に比べ応答時間が僅かだが早いので、場合によってはこれが大変な長所になる。10センチ手前で止まったので、追突せずに助かった、と言うような経験をした人は、おおいにLEDに感謝しなければならない。
 ところで、車のLEDはなぜあんなに高価なのだろう。とりわけ、純正部品はべらぼうに高価だ。LEDのヘッドライトなど5万円以上する。それに比べ、LEDを3個使ったmade in Chinaの懐中電灯なんか、単一電池2個使いで、105円(電池別)だ。胴体本体のプラスチックが薄くて、落としたら割れるけれど、注意して使えば、数年は持つだろう。家に2、3個置いておくと、物を探すときに、実に便利だよ。電池切れの心配はしばらくは無用だし。
 そう言えば、わが街では、市役所の近くから、街灯がいつの間にかLEDになっている。1球で素子20個ほどを使っている。直視するとまぶしいほど明るい。
 日本製のLEDの電球は、なぜあんなに高価なのだろう。そんなことをやっているから、家電メーカーが赤字になるのだ。中国製が少なくとも半値で買えるんだから、日本製のLED電球なんて、誰も買わないよ。うちのLED電球は、メーカーは日本の会社名(オーム、その他)だけど、made in China だ。使い始めて半年ほど経つが、寿命はまだわからない。
 日本でLEDを製造して利益を出そうとすれば、一条工務店の方式が参考になる。つまり、自分でその使い道まで作ってしまうことだ。単にLEDだけを作っていては、とても中国、ベトナムやがてはアフリカ諸国に対抗できない。


 ープロの日本語入力に関すること
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 IMEをMicrosoft IMEに変えたけど、半年ほど使ってみて、やはりAtokの使い勝手が捨てきれずに、Atokに戻した。こんどは心機一転でAtok2012【ベーシック】を7000円ほどで買った。以前のAtok17は、IEで使用すると、ローマ字の設定変更が無効になって(たとえば「Li」が「り」ならなかったり)して、IEでは、きわめて使い勝手がよくなかった。こんどのAtok2012はこういうこともなくて、使い勝手はよい。変換速度もMircosoftIMEよりは、微妙に早い。とくに差を感じるのは、学習機能だ。数字や括弧などの学習機能はAtokのほうが、遙かにいい。7000円程度なら、出す価値はあると思う。日本語の辞書はやはりAtokが一番だ。


「黒部の太陽」(三船プロ・石原プロ共同作品/現在は石原プロ所有)について――しらじらしい話だなあ――
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 この作品は、ぜひ劇場で観てほしいという石原裕次郎の遺志により、DVD化やテレビ化はされていない。1968年の公開だが、劇場での再公開はほとんどされていないので、いまの若い人は知らない人がほとんどだと思う。それが今回、東北大震災支援(利益を寄付)という形で全国数十個所で劇場公開されるそうだ。裕次郎夫人(北原ミエ)が5/16にテレビで言っていた。本当にいい話だと思う。
 本編は3時間半という長さだ。観たという人もたいていは縮小版のはずだ。香取慎吾のリメイク・テレビ版もあるが、これは本当につまらなかった。
 「黒部の太陽」は黒部川第4発電所建設に関する話だ。1956~1963にこの発電所は建設された。総工費は513億円で当時の関西電力の資本金の5倍に当たる。関電が社運をかけた工事だった。関電の工事責任者は太田垣士郎社長。建設の目的は、関西地域の電力(つまり工業生産力)の確保である。最大発電能力は33.5万kW、完成当時は25.8万kW。現在の原発は1基で100万kW。最新火力もほぼ同じ。隔世の感がある。後復興期の電力不足を見抜いた上での、日本近世史に残る名決断だったと言われている。なお関電はこのクロ四のまえにも、木曽川上流に、資本金の10倍をかけて丸山ダム・丸山発電所を作っている。これを見てもわかるように、技術志向の強い会社で、この「大艦巨砲主義」的な傾向(当時はこれで正しかった)が、何の修正もされずにその後も続いた。原発を最初に導入した電力会社も関電なら、現在でも原発の比重がいちばん大きいのも関電で、だから、原発が全部停止している今、この夏の電力不足が一番深刻だと言われているのも関電だ。太田垣社長がいま生きていたら、きっと嘆くよ。
 この関電の話、大艦巨砲主義を捨てきれずに(もちろんそのせいだけじゃない)アメリカに負けてしまった旧日本軍・海軍に似ているなあ。日露戦争の対馬海戦の勝利の栄光が忘れられずに、その上、時代の変化が読めず、負けてしまったわけだ。飛行機・潜水艦の時代が読めなかった。そういえば、旧日本軍には空軍はなかった――陸軍航空隊、海軍航空隊はあったけど。同じような飛行機を、狭い国内で、張り合って作っていてはどうしようもないだろう。戦力は分散するなというのが、戦いの基本だろう。

 この話、いまの家電業界にも通じるなあ。2011年度の決算では、テレビを早くから見切った日立、東芝が黒字で、テレビを諦めきれなかったパナソニック、ソニー、シャープが大赤字だ。シャープなんか大型テレビで何とかするつもりらしいけど、有機ELならともかく、普通の液晶ではダメだろう。それに、シャープは台湾の何とかいう家電屋と手を組むというが、経営陣に先を読む力がなければ、きっと乗っ取られる。
 【以上が長すぎる前書き】

 これからが当文の本題だが、本題は上記前書きのように、社長が決断にかかわるような大きなスケールの話ではない。ごくごく特殊な、細部の技術の話だけど、「黒部の太陽」の話の根幹にかかわると、ボクは思っている。

 黒部第4ダム(以下クロ四)を作るとき、一番のネックが資材運搬ルートだった。クロ四はアーチ式のコンクリート大ダムだ。使用する資材の量も半端じゃない。はじめは、人力、馬牛、ヘリコプターなどを使って運搬するつもりだったらしいが、豪雪地帯という悪条件も重なり、やってみたら、これではダムはできないということがわかった。それで大町側から資材運搬用の長さ5.4kmの単線断面のトンネルを掘ることになった。これが、トロリーバスが通っている現在の関電トンネルで、当時は大町トンネルと言っていた。飛騨山脈、後立山連峰の赤沢岳(2678m)・鳴沢岳(2641m)を結ぶ線と直交するこのトンネルが貫通しなければ、関電が社運をかけたダムはできない。「黒部の太陽」はこのトンネルを掘る時の話である。工事を請け負ったのは熊谷組、実際に掘ったのは下請けの笹島建設である。笹島建設は熊谷組が受注してきたトンネル工事の大半を掘っている熊谷組専属に近い、いわゆる下請け建設会社である。元請け、下請けの話はもう少し詳しく書きたいのだけど、今回は省略。

 「黒部の太陽」の原作者は木本正次で毎日新聞に連載された。原作者はもちろんトンネル現場で働いた経験はない(と思う)。監督、脚本家すべてトンネル現場の経験などない(はずだ)。一般読者にも、ほとんどの人がトンネル現場で働いた経験などないだろう。つまり、トンネル現場なんか知らない人が書いた小説をトンネル現場を知らない人が読んで、面白いと大評判になった。それをトンネル現場を知らない人が映画化したのが「黒部の太陽」である。


 一般論として言えば、トンネルを掘る話なんて、面白いわけがない。使用する機械、掘る工法などを決めてしまえば、あとは同じことの繰り返しである。面白いわけがない。つまり、維持管理の話になる。だから「黒部の太陽」の主題は、トンネル内で異常出水があり、それにどう対処したか、になる。

 トンネルを掘っているとき、切り羽から異常出水があり、切り羽も崩れてきた――どうすればいいか? まず逃げることである。津波と同じで、逃げるしかない。時間と状況次第では、設備・機械なども持って逃げる。ほかに何もできない。

 問題はそのつぎだ。そのつぎにどうするか?
 普通のトンネル――つまり陸上のトンネルの時には、これも定石がある。基本は水が出なくなるまで待つ。早く水を出してしまうという名目のもとに、いろいろ手段を講じるが、これはあくまで補助手段で、基本は水が出なくなるのを待つことだ。大町トンネルも水を含んだ大破砕対にぶち当たり、切り羽が崩壊してしまうが、7か月掛かって水は引いた。水抜き導坑掘削、止水グラウティングなどやったらしいが、そのために7か月で水が引いたのか、放っておいても7か月で水がなくなったのかはわからない。外部に対しては、もちろん、いろんな対策が功を奏したと言う。

 地中、岩盤中の水は破砕帯などの破砕された岩石の隙間、破砕帯でなくても、亀裂の多いところの亀裂に溜まっている。水で満たされた大きな大空洞が地下にあり(本当にあれば、地中探査で事前にわかる)、それにぶち当たって水が出る、なんて場合は、まずないと思うが、もしそうだったら、命は諦めることだ。それだって1年もほっとけば干上がるだろう。
 狭い亀裂に溜まっている水は表面張力で引っ張られているから、坑内出水の場合、水圧は普通は3~4キロ/cm2(つまり=気圧)、6気圧あったと聞いたこともあるが、ボクの経験ではせいぜい3気圧だ。これはトンネルの土被り(地上までの岩石の厚さ)には関係しない。大町トンネルのように土被りが1000メートル以上(多分)あっても、水圧が100気圧になったという話は、理論的にもありえない。とにかく、表面張力が支えきれなくなった水が出るだけで、周辺全体の水が出るわけではない。もちろん、雨などで地表から少しずつは補給されているので、完全になくなるわけではない。とにかく、待てば出ている水はそのうちに必ず、工事に差し支えないぐらいまで、少なくなる。【切り羽からの出水の圧力の計り方には、切り羽の条件にもよるけど、簡便な方法がある。2~3mほどの高さのところに、ほぼ水平に削岩機で穴を開け、湧き出る水の水平の長さを測る。あとは計算で水圧が出る。高校生諸君、腕試しに計算してみてください。あとで水圧計を設置するんだけど、この簡便法、意外に精度がいい。ついでの話だけど、紙面上の面積を測るのは、紙を切り抜いて、その重さを天秤で量る方法が、一番精度がよくて、時間が掛からない。プラニメーターは意外に精度が悪いからね

 問題は水が引くのを待つ時間をどう取り扱うか、だ。これは現実には、かなり高額のおカネがからんだ生臭い話になる。現場には少なくとも100人近い作業者、職員がすでに働いている。そのほかにも、宿舎(飯場なんて今はいわないんだよ)、事務所、トンネルを掘るための重機が既に現場に大量に持ち込まれている。じっと待っていても、人件費、損料は容赦なくかかってくる。本当に待つだけなら、人間は数人の監視員だけを残し、あとはすべて一旦現場を引き上げなければならない。その他の作業者は一旦解雇せざるを得ない。重機は持って行って使うところがあれば(そんな都合がいいところなんて、普通はない)、そこに持ち出すが、いつ水が切れるかわからないので、たいていの場合は、現場に置いておかざるをえない。
 現場を一旦閉鎖すると、施主側もカネを支払うのは難しくなるし、メンツの関係もあり、施主側もそれは望まない。

 トンネル工事は、掘削した距離でおカネが支払われる。掘ってなんぼ、の契約が基本だ。だから、破砕帯にぶち当たって進行が止まったときには、一旦それまでの契約を棚上げにして、新規の契約を結ばなければ、おカネが入ってこないし、支払う側もそうしなければ支払う名目がなくて、困るだろう。そのためには、水が止まるのを待っている間、とにかく何でもいいから工事をして、その賃金を支払ってもらう必要がある。その工事の効果なんて、この場合、あまり関係がないのである。そのため、無駄だとわかっていても、掘削する、あるいは掘削しているふりをする。1 日 1センチでもいいし、もしかすると、マイナス 1メートルかもしれない。切り羽をさわったために、かえって崩れてきた場合である。水抜きトンネルも掘るかもしれない。そのようにして、少なくとも損しない程度のおカネを戴きながら、水が切れるのをひたすら待つ。施工する側もそれを望み、施主側(たいていの場合、国・公営企業、電力会社のような本当の大企業)もそのほうが万事都合がいいから、どこでもこうしている。もちろん、施主側にもトンネル経験者がいるから、施工側の思惑はわかっている。施工側は化かしたふりをし、施主側は化かされたふりをするという、「おとなの付き合い」ができることが必要なのだ。本当に化かされているのは、世間だろう。

 昔、大町トンネルを掘削した笹島建設のメンバーと、ボクは別の仕事の上で面識があった。そのとき(ボクも若かった!)はちょっと不思議な感じがしたのだが、熊谷組の職員も、笹島建設の職員も、「黒部の太陽」の話は誰も進んではしたがらない。映画のような状況が現実の話なら、聞けば喜んで反応するだろうけれど、現実はもっと生臭いから、あまりそれには触れてもらいたくない、という反応が返ってきたのだろう。技術者は良心的なのだ。
 その代わりに、撮影のセットの話なら、みんな喜んでしてくれた。撮影の時、熊谷組が現場の坑道のセットを、熊谷組豊川工場(重機などの修理、製作をする熊谷組の機電工場。現在のテクノス(株))に作った。切り羽の出水・崩壊の撮影の時、裕次郎を含む数人が実際にけがをしたという。セットや撮影のそういう話題なら、又聞きやエピソードを交えながら、みんな喜んで、おもしろおかしく話してくれた。

 現実のトンネル現場の話は、あまり面白くないのである。ただ、現場の本当の貫通式(部外者や外部を交えた貫通式が、新聞なんかに出る、いわゆる貫通式)で飲む酒だけは本当にうまい。このときは、施主側も施工側も文字通り無礼講だ。この酒のうまさだけは、「トンネル屋」にしかわからないだろう。


 「春な忘れそ」について――(2012/2/12)           【トップへ
 
以下はこのホームページに載せている「創世記考」の中にも書いていることを、ここに再掲する。ボクの小説(!)なんて誰も読むはずないからね。

 菅原道真公の有名な和歌「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」は、太宰府天満宮の飛び梅の前に立っている立て札では、「春な忘れそ」となっている。天満宮のおみくじを引いて大吉が出ると、この歌が載っているが、そこでも「春な忘れそ」である。1月25日の初天神で奉納される謡曲でも「春な忘れそ」と謡われる。地元では「春な忘れそ」が定着している。
 しかしこれは、絶対に「春を忘るな」がいい。以下はその理由。

 まず第一に、この歌が初出の拾遺和歌集では「春を忘るな」となっていることだ。道真公が「な・その係り結び」を知らなかったとは絶対に考えられない。知っていてそれを使わなかったのには、意味・意図があるはずだ。
 この歌は、和歌としてあまりできがいいとは思えない。「東風ふかば」は、自分がうけた処遇に不満があることを人に愚痴っている。そのことは道真公本人も十分承知で、だから、当時の口語で「春を忘るな」とちょっとおどけて軽く流している。格調などあっては、かえってじゃまな歌なのだ。
 平安初期、「な・その係り結び」は、既に、かしこまった、文章語だったのだろう(と思う)。ここでこの歌に格調を与えれば、かえって下品になってしまう。だからあえて口語で軽さを与えたのだろう。拾遺和歌集の撰者(撰者不明)もそのあたりがわかっていて、「春を忘るな」をそのまま採用した。それを理解できなかった後世が、気を利かせて重みを与えるつもりで「春な忘れそ」として、この歌の品位を下げてしまった。さらにそのあとの後世が、教養あるつもりで「春な忘れそ」を採用した、というところだろうか。
 太宰府天満宮発行の季刊誌「飛梅」(平成24年新春号)に森弘子氏が引用されているこの歌は、ちゃんと「春を忘るな」になっている。さすがだと言わざるを得ない。


 倉敷のトンネル水没事故――技術者として信じられない!――(2012/2/9~)     【トップへ
 以下の話は、海底下5メートルを、岩盤の予備補強工法をとらずに、シールド機で掘削していた、という新聞テレビの報道を正しいものとしている。

 2012/2/7に事故は起こった。8日になって、トンネルの位置図・配置図を新聞で見て、まさか、と思った。トンネル技術者なら、誰だってそう思うはずだ。しかも元請けが業界の盟主である鹿島建設だ。なぜこんな事故を起こすのか、理解に苦しむ。それより、こんな設計を誰が認めたのか、そちらの方が不思議だ。海底の下5メートルをシールド機を使い、そのまま掘るなんて、明らかな自殺行為だ。9日の日経の記事によれば、地質調査もしていなかったそうだ。
 どうしても海底の下5メートルを掘らなければならないのなら、凍結工法を使うのが一番安上がりかもしれない。ボーリングで多数の孔を掘り、その孔を使ってトンネルの周囲を凍らせてしまい、それから掘削する方法だ。海底炭田で人工島なんかを作り、その人工島に通気竪坑なんかを作る場合に使う、かなり以前からあり、実績もある工法だ。そのほかの工法として、鹿島なら、得意の沈埋工法もある。距離が長くなれば、こちらの方が安くなる。
 土の中でもシールド機を使えばトンネルは掘れるが、上が海の場合は話はまったく別だ。ボクがこの工事の所長なら、土被り(岩盤の厚さ)は最低でも50メートルは取り、50メートルしか確保できないのなら、そのうえ、凍結工法かあるいはグラウティングで水ガラスかセメントで掘削する予定の岩盤を固めてしまい、それからしか掘らない。【青函トンネルのもっとも薄い土被りは100メートル、水深140メートル。先進導坑を掘っているときは、毎日切り羽から出ている水を舐めて、塩辛くないことを確認するのが、係員の最重要な仕事だったそうだ。当時の責任者から直接聞いた話だ。関門鉄道トンネルは海底部の土被りは最浅部で確か20メートルを切っていたと記憶している。戦時中の軍主導の工事で、日本初の圧気シールド工法で、その圧気が海に出て泡となり、大騒ぎになったそうだ。海底に粘土やコンクリートを流し込んで、なんとか切り抜けたという。参考まで。ドーバー海峡トンネルは水深40メートル。土被りは石灰岩で40メートル。強固な岩盤のヨーロッパと地震でずたずたにされている日本列島の地盤の違いがわかる。
 すでに近くに既設の同じようなトンネルがあり、その能力を増強するためのトンネルを新設する工事のようで、前回が無事に掘削できたので、今回も同様にしたのかもしれない。地質調査をしていないのはそのせいか。しかしこの件の報道は最初、テレビでちらっと言っただけで、日経と朝日では報じていない。
 それが本当でも、トンネルの掘削は一寸先が、実際でも比喩でも、闇だ。誰も予測できない。だからトンネルの技術者は、半日は切り羽に張り付いている。トンネル工事は、ほとんど毎日、同じことのくり返しだ。そこで、同じ切羽面を毎日見ていれば、ちょっとした地質の変化、出水の予兆でもわかる。技術者よりももちろんトンネルの世話役の方が、ながく切り羽にいる。だから、技術者は世話役を大切にする。両者はお互いがリーダーでフォロアーだ。
 ボクが一番不思議に思うのは、この工事の施工計画が、鹿島の社内のチェックを通りぬけたということだ。ボクが在籍していた中規模のゼネコンでも、工事を入手すると、工事着工前に、その工種の経験者を交えて、現地で施工・工法検討会を開く。このとき安全が最も重要なテーマになる。こういう会議の2大テーマは採算と安全だが、採算はその所長が責任をとらざるをえないから、工法検討会では工法と安全(これは土木では密接に連動する)が主題になる。
 信じられないことだが、もしかして施工検討会を現場でやらなかったのか。提出された施工計画を誰も読まなかったのか。建設業でも、劣化がかなり進んでいるらしい。そろそろ外貨預金でも考えるかな。
 今度の事故は鹿島建設本体の責任だ。


 2/10にNHKが夜9時のニュースでこの事故を解説していたが、事故の原因について、まるでピントはずれだった。シールド機によるトンネル掘削はきわめて安全で、ドーバー海峡トンネルもこれで掘削したようなことを言っていた。これは無知のせいなので、まあ許せる。しかし、現場の鹿島の所長の話は許せない。曰く「こういう事故は、想定していなかった」 会社の一員としての現場の所長としては、こう言って頭を下げるしかないだろう。上部からの指示もあったはずだ。これに対し、「またしても、想定外」というのが、NHKのコメントだ。こんなコメントなら、九官鳥にだってできるよ。
 岡山大学の先生のコメントはいっそうひどかった。「シールド工法が40年間、死亡事故を起こさなかったからと言って、今度も起こらない、と考えてはいけません」 ピント外れもいいとこだが、あえてピントを外したんだと思う。鹿島建設本体に責任が及ぶのを避けるために、あえて現場の責任にしようとした反応としか思えない。

 表す、現れる;分ける、別かれる;停める、止まる、……その他たくさん。つまり、「他動詞的」漢字と「自動詞的」漢字のつかい分けの間違い。               【トップへ

 漢字は単音節がおおいので、どうしてもおなじ音に言葉が重複することがおおくなる。それで、ご存知のとおり、使い勝手のうえから、似たような意味の漢字を二つ重ねて言葉をつくることがある。例:表す→表現する。
 この2語を重ねる場合に、厳密な規則があって、先頭が他動詞(あるいは、その意味、主という傾向、を有するもの)、うしろに自動詞(あるいは、その意味、従という傾向、を有するもの)がくる。
 ぼくはこのことを、中学三年のとき、明治生まれの国語の先生(
頭が見事に禿げていたなあ)から教えてもらった。

 つまり、「表現」の「表」はもともと他動詞。「現」はもともと自動詞だ。したがって、「表す」「現れる」が断然、由緒正しい使い方だ。新聞では、この表記、かなりみだれているね。鴎外はもちろんちゃんと使いわけていたよ。【
鴎外 〈ヰタ・セクスアリス〉のごく初めのほう。「そのうちに出歯亀事件といふのが現はれた。」
 「表」は毛皮(裘-カワゴロモ)の毛のついたほうで、毛のついたほうを外にするので「あらわす」。「現」は霊の表象である玉を拝んでいる形で霊魂が現れるということ。これらがおおもとの意味。

 「分別」だから「分ける」、「別かれる」だ。「分かる」とは書かず、「わかる」にする。
 「分」は後に書いているように「八-別れたもの」を刀で切り離すこと。「別」は「死別」からもわかるように「わかれる」。「別」のもとに意味は字を見てもわかるように、人の首の下あたりの骨を刀で切り分けるという意味。骨のほうに観点を置いて「わかれる」になったらしい。

 「停止」だから「停める」「止まる」だ。だから、停止線のまえにはちゃんと「止まれ」と書いてあるね。「停まれ」とは書いてないよね。あれは字画のすくないほうを使ったわけじゃない。「停車場」は「車」を「停めるところ」だ。なお漢の時代には「停」は「亭(駅亭の建物)に宿泊する」という意味だったらしい。

 「売買」は「売」が先。決して、「買」が先ではない。

 「言語」は白川静先生の本(「常用字解」――愛用しています!)によれば、「……言語と連ねて用いるが、言は攻撃的な言葉であるのに対して、語はそのような攻撃から祈りを守ろうとする防御的なことばといえる。」と説明されている。それにしても、白川先生の本はおもしろい。

 「大小」、「上下」、「前後」はあたりまえすぎて、誰もそんなことは考えないだろうが、このあたりが芯になって自然とそういう規則ができたんだろう。ところで「前後」ときたら「左右」だ。つまり、左が上位ということもこれでわかる。
 ただし、「左右」が定まったのはあまり古いことではないだろう。「左遷」の左は明らかにネガティブだ。「補佐」の佐は助けるという意味だ。しかし、古代では右も助けるという意味があったそうだ。佑はその例。なお右は「右手で祝詞入れ祭具」、左は「左手で祭器」だそうだ。だから右と左は筆順が違う。「有」は「右手で供物の肉」だから、右と有は筆順が同じ。
 なお、筆順は重要だ。普段手書きの時、もっとも使う字体は行書だけど、行書にはまともに筆順が残るから、注意したほうがいいと思う。筆順なんかで人格まで論ぜられてもかなわないけど、えてして世間はそんなものだ。「必」なんか筆順を知らなければ書けないと思うが、「田」「蔵」なんか、けっこう間違っている。
 偉そうに言っているけど、わたしだって自慢できたものではない。「弘前」を「ひろまえ」じゃないと知ったのは大学入学してからだし(高校で人文地理の点数はいつも良かったんだけどねえ)、「田」の正しい筆順は入社して現場で教えて貰った。

 だから、右大臣よりも左大臣のほうがえらい。光源氏は右大臣(つまり副首相。昔、緒方竹虎が自嘲気味にどこかに書いていたが、副首相だったときは、ほんとうにひまだったんだってねえ)が長かったから、あれほどひまで、女性のお尻ばかり追っかけることができた。紫式部はリアリストだねえ。リアリストだから、源氏物語には下層の人々の厳しい生活もちゃんと描写してある。光源氏が最後まで愛したのは、身分は高いが貧乏で、どちらかというとしこめだった末摘花だったしね。「女は狐の化けたもの」というのが源氏物語のテーマだとぼくは思うけど、誰も賛同してくれないなあ。とにかく、だから千年以上も読みつがれている。ところで、紫式部の名前はなんといったんだろう――気になるなあ。文学の専門家は名前なんか問題にしないけど、気にならないのだろうか? それから、光源氏は総理大臣までしたのだけれど、源氏物語には政治や仕事の話はひとつも出てこない。皇族や貴族は和歌と恋のことだけしか関心がなくても、世の中は動いていくシステムになっていた。オスマントルコと同じシステムで、実務は下々のものがやる。けっきょく歴史の結末も同じになってしまったけどね。

 この配列の規則は、あらゆるところに生きていて、だから『「呼吸」でも「吸呼」でもいいじゃん』というこどものイチャモンは受けつけないようになっている。
 「機械」の「機」はエンジン(
働きのある仕掛け)のこと。「機能」の機はこの意味。「械」はシャーシーのこと。本来の意味は手枷足枷の枷のこと。だから、エンジンあっての機械だから、「」。「」とは絶対にいわない。

 あとになって、ぼくがいちばん「すごいな」とおもったのが、「宇宙」。「宇」は空間。「宙」は時間。これは淮南子・斉俗訓にも出てくる古い言葉。くやしいけど、ぼくには空間に時間を絡めるセンスはないねえ。この古い言葉を探し出してきて、科学用語にした明治のひとの漢字の素養と直感はすごかったねえ。この熟語はアインシュタイン以前にできていたんだからね。

 「色彩」もけっこうすごい。「色」は人の上に人が乗っかっていること。つまり、男女が絡み合っていることだそうだ。白川先生の「常用字解」にもそう書いてある。だから、「色欲」「色情」。それに比べ、「彩」は木になった美しい果実を指(爪)で取っている意味。この字に激しさはない。だから「色」が先で「彩」が後。ついでながら、「犯」は獣の上に人が乗っていること、つまり「獣姦」。これも「常用字解」に載っていた。

 なお、現代中国語では、この規則は日本ほど厳密に守られていないようだ。日本語の「売買」は現代北京語では「買売」(
意味は商売、ビジネス。これは、買って売るという意味に力点を置いたのだろうか?)だ。
 台湾では、左よりも右が優位だと、台湾の社長が言っていたが、ぼくは信じていない。だから、台湾の会社とJVを組んだ時に、看板の社名表記に問題は起こらなかった。日本から視察に来た上司なんか、JVの看板を見て、「あれでいいのか?」と本当に心配していたね。


■他動詞と自動詞がでてきたついでに――すばるの語源にたいする反論(われながら、イサマシイねえ)を書く。
 「星はすばる」、「すばる望遠鏡」のすばるのことです。学名はプレアデス(Pleiades)散開星団。

 これはもちろん星座の和名だが、この「すばる」という言葉は、「統べる」の自動詞だというのが定説のようですね。すばるは、もやもやっとしたところに、ごちゃごちゃと星がかたまっている星座です。(もやもやっとしたものはNGC1453という名のガス星雲。おおきな天体望遠鏡で見ると、120個ほどの星が見えるそうだ。双眼鏡を使って見たところ、ぼくには6個の星――つまり「スバル」のあのマーク――しか見えなかった。) つまり、自分できちっと統べてかたまっているという意味。統べるsuberu(他動詞)→統ばるsubaru(自動詞)。
 つまり「ageru上げる→agaru上がる」、「tomeru停める→tomaru止まる」――などと同じグループの動詞だね。

 ところで、その「統べる」だが、ぼくは、これは断然、煙で燻すという意味の「すべる(すぶ)」(九州の福岡周辺ではいまでもこの意味で使っている。現代語辞典にはその意味では載っていない。ぼくのホームタウンでは、一月七日に「鬼すべ」というお祭りがある。鬼を煙でいぶし(すべ)だす、豪快な火祭りだ。なお、「燻す」を「すぼす、すぼらかす」と言っているのは、飛騨地方・浜田市・長崎市にあるそうだ)の自動詞形「すばる」だとおもう。ぼくの田舎では、これが「すぼる」となまっていた。

 「統べる」を考えたひとは、すばるを実際に見ていないんじゃないか。すばるの周囲にはまだ星になっていない水素などが漂っていて、あたかも煙にかすんだような感じだ。
 清少納言だって、「星が煙たそうで、かわいそう――」と感じたんじゃないか。「可哀想ダタァ惚レタッテ事ヨ」(夏目漱石「三四郎―四の終わりのほう」――Pity's akin to loveの名訳ですね)だそうだからね。数ある星座のなかで、すばるのような地味な星座を彼女が選んだ深層心理は、これしかないとおもう。

 晴れ渡った冬の真夜中、双眼鏡ですばるを見てごらん。星が煙に巻かれている、としか見えないよ。「統べる」の語源を知らないうちに、ぼくはすばるを見たんだが、そのときの印象は、「ホンナコト(ほんとうだ)、星がスボットルトばい(煙たそうだなあ)」だった。

 だから、ぼくはこの自説に自信があるんだが、たぶん誰も賛成しないだろう。でも、真実は、権威や多数決とは無関係だということは、ガリレオの例をもちだすまでもない話。

 ところで、これとは関係ない話だけど、ガリレオが天文対話をやったのが1623年――「それでも地球は動いている」という捨てぜりふを言ったときだね。そののち、ローマ教会がガリレオの名誉回復をしたのが1976年。353年後だ。〈白ンボ〉は、ほんとしっこいねえ。


 ワープロの日本語入力に関すること(2012/1/22)       【トップへ

 いままで日本語入力はAtokを使っていたが、とうとうMicrosoftのIME2010に替えた。ただし、OfficeIME2010 はだめだ。絶対にMicrosoftIME2010だ。OfficeIME2010 を使っている人は、すぐ簡単に、もちろんフリーでMicrosoftIME2010 に変えられるから、変えたほうが絶対に得だね。やり方はMicrosoftIME2010 でググれば、すぐ出てくる。
 IMEを変えた理由は、IME2010が無料だということがいちばん大きい。【ボクは年金生活者だから】 Atokはけっこう高価だからね。そのほかに、IME2010になって、反応も結構早くなった。IMEは今でも、「;」を「ん」に直接、置き換えできないが(Atokはできる!)、これは以下の方法で何とか解決できる。つまり、キーボードを変更できるソフトを使って、「;」を「V」に変換しておく。次に、IMEの中のなかの機能をつかって「V」を「ん」に変更する。こうしておけば、「;」を押すと「ん」が出る。ぼくの日本語では、「V」(ヴァイオリンなど。車名のヴィッツは単語登録)と「;」は使用しないのでこれでいい。英文などで「;」を多用する人には、勧められないけど。

 ところで、日本語IME(Imput method editor)は、現役のときは「Atok」を愛用していた。当時、無料のマイクロソフトのIMEを使わなかった理由は一つだけしかない。
 MS-IMEでは当時、ローマ字とかなの組みあわせを変えられなかったのだ。IME98以後は、これが可能になったが、如何せん遅すぎた。

 当時、変換速度はAtokのほうが、微妙に速かった。MS-IMEは一呼吸おく感じがあった。長文を書く場合は、この差が意
外に利く。

 ローマ字入力の場合は、日本語で使いやすいように、ローマ字と日本語の組みあわせを変えたほうがいい。これって、文部科学省(これでいいのかな?)の許認可は必要ないからね。
 特に、ホームポジション(Aのある行)はフルに使わないと時間と労力の損。ホームポジションのキーを遊ばせるなんて、愚の骨頂。だから、「L」に「ら行」を、「;」のキーに上述のように「ん」を割り当てる。「R」はあまり使わない。「R」って、使いづらい位置にあるから、ちょうどいい。(Ra、Ru、Roは「りゃ」「りゅ」「りょ」に変えている。これも慣れると、超便利)
 それに小理屈をいえば、日本語のラ行の音はLを使った方が日本語にちかい。
 ただし、パスポートなどにローマ字で署名する場合、日本の役所がからむところでは、お役人によってはクレイムをつけるかもしれないから、要注意。
 なお、お役人の口頭の要求は、「文書でちょうだい」と言えばたいていは(ぼくの経験では100%!)引っ込むが、こんなことで、それまですることはあるまい。

 「;」キーを「ん」へ割り当てるやり方は、使い始めると、絶対にやめられないぐらい便利だよ。これをやらないと、右手の小指の働きが悪く、じつにもったいない。「ん」を出すのに、右手の人差し指で「N」を2回たたくなんて、愚の骨頂というもの。
 それからもちろん、「F」と「J」は、瞬間接着剤で触覚目印を増強しておく。ぼくは、「X」と「ー」、「ctr」(caps lock――どうしてcaps lockなのかは、すぐあとで出てきます。)にも、おなじように目印をしている。

 もしノート型なら、このとき注意しなければならないことは、瞬間接着剤が完全に乾くまで、ぜったいに蓋を閉めてはならないことだ。接着剤の発生するガスが、液晶面を保護している透明なプラスティックに付着して(を腐食して?)、画面に小さい曇りがつくことがある。デスクトップタイプのキーボードでも、瞬間接着剤の発するガスが周囲のキーボードのキー面について、少し白い影を残す。これが気になる人は、瞬間接着剤は使わない方がいい。

 AtokやIME2010を使っていて、まだやっていないかたは、だまされたと思ってやってみてください。わたしに感謝しますよ、きっと。

 言うまでもないことだが、こんなことを会社のパソコンなんかでやったら、大目玉を食うからね。あくまで、自分専用のパソコンでの話だよ。


 それから、これは単語登録だけど、「Q」1字を「?」にしている。これは、「?」を多用するひとは便利だと思うけど、この程度の工夫は、みんなやっているんだろうね。社用文には不要だけどね。

 ふつうの日本文だけなら、エディター(
ぼくはWZエディターを使っている)がやはり気持ちいい。一太郎Liteもけっこう軽い(ぼくは満足しています。)が、やはりエディターの軽さにはかなわないとおもう。スノータイヤと普通タイヤの走り具合ほどのちがいがある。これは、素性がちがうのだから、仕方がない。

 しかし、公式、数式とか表、図のはいっている仕事の文章(仕事のときは、これらがはいってくることがおおい)は、断然一太郎Liteとエクセル。文章だけのときは、エディターと使いわけている。ただし、ほとんどをEメールで送るので、保存は仕方なく、Wordタイプにしている。 ウィンドウをたくさん開いて、あちこち参照しながら長い文をつくるときは、断然エディターが使いやすい。仕事では、そんな気合いのはいった文は作らないけどね(^^;)
 あとひとつ、WZエディターの気にいっているところは、画面と印刷のフォントが独立して設定できることだ。つまり、画面をメイリオ、印刷はMS明朝体にしている。メイリオやMSゴシックは明朝体に比べ、プリンターのインクの減りが早い。その原因は、印刷された字を見ればすぐわかる。
 ただし、WZエディター(6)には印刷機能にバグがある。ページをつける時、ページ番号が120あたりを越える(小説などを書く場合に、これはしばしば出てくる)と、印刷を受け付けなくなる。だからボクはそういう長編の印刷には、一太郎の印刷機能を使っている。なお、禁則処理など、一太郎が断然優れている。


■ワープロの日本語入力について
 ぼくはローマ字入力だ。信じられないけど、いまでもいるんですねえ、JISかな入力のかたが。日本語の入力は、現時点では、富士通の親指シフトかローマ字入力しかないとおもうんだけど、なにしろ世の中広いからなあ。
 JISかな入力じゃ、ブラインドタッチは事実上不可能だよ。
 あれ? もしかすると、可能なの? (その後インターネット(「2ちゃんねる」で)で読んだが、JIS仮名のブラインドタッチの修得は簡単だという意見が複数あった。信じられない。あの「2ちゃんねる」だから、でたらめだったのかな?

 これからの人生、キーボードが一生ついてまわる(表現が大袈裟だね。)ということがわかれば、ブラインドタッチを習得するほうが、断然有利。これって、単なる技能だからね、覚悟さえすれば誰だってできる。ぼくは、怪我の功名で、若いときに習得した。

 若いとき、北ボルネオ(旧英領、現マレーシア)に仕事で行くことになり、英語圏だから英文タイプライターが打てなければ、ひとに読ませる文書は作れない、とさんざんおどされて(これって、ほんとうだったけどね)、タイプライター(たしかドイツのオリンピアド(もしかするとオリンピック?)というメーカーだった)と教則本を買ってきて、缶ビールをのみながら夜なべで2週間ほど独習した。その程度でじゅうぶん実用になる。あとはOJT(on-the-job training)でやればいい。それに、ローマ字入力なら、英語よりももっと簡単。


 些細なことをいろいろと。(ボクの個性が出ています ^^;)      【トップへ
■日本語の正書法では「?」などのあとに、一字分あけるようになっている。たとえば、「それが正解だろうか?_違うと思う」のように。このほうが断然、読みやすい。
 メールなどでは、あけていない文が圧倒的におおい。こうなった理由は明白だ。コンピュータを使う種類のひとたち(若い人たち)が、日本語の正書法を知らなかったからだ。
 あけたほうが読みやすいよ。
 ――でも、いつのまにかきっと、あけないのが普通になるんだろうね。

■文章では、ぼくが絶対につかわない言葉、きらいな言葉、気をつけている表現などは、下記のとおり。

 
(1)にて:「第一ゲートにておまちください」なんて、空港なんかでもやっている。これは「で」でじゅうぶんだ。日本では、ぼくの担当現場の書類には絶対に使わせなかった。
 「ブルドーザにて掘削を行う」なんて、もってまわった、気取ったつもりの文を日本の現場の書類ではよく見かける。
身の毛がよだつ。目につきしだい、これは「ブルドーザで掘削する」と訂正することにしていた。社内むけの文なら「ブルドーザで掘削」と名詞止め。鑿岩機を使って坑道などを掘る場合は、「掘鑿」という字をつかいたいのだが、これは趣味の領域になるだろう。
 「にて」がでてきたら、そのあとはほんとうは読みたくないのだが、それだと、社内の文書が読めなくなってしまうので、しかたなく読んだ。苦行としかいいようがない。
 もちろん、文語脈の中で使うのならいっこうにかまわない。たとえば、「友人、白州夫妻、休暇にてスペインへ来訪。ジャギュアをパリから持ってきてもらう。多謝。」【伊丹十三 ヨーロッパ退屈日記――この本はほんとうに面白い。でも、どうして自殺なんかしたんだろう。女でしくじったんなら、人間味は感じるけど、バカだねえ。】

 (2)「とある」:語感がきらいだから、しようがない。この言葉、ちかごろのわかいひとの文によく目につくねえ。もっとも、歌詞などで、語調を整えるうえで必要だというのなら、しかたないけど。「とある酒場のかたすみで」なら、うまく七五調にのるからね。しかしぼくだったら、「くらい酒場のかたすみで」にする。あるいは「拗ねて酒場のかたすみで」という手もある。「とある」など無意味なことばで、歌詞のような字数を制限されている場所で、字を浪費することはないね。

 歌詞で思いだすことがある。美人の女流作詞家のデビューの作品(歌詞)のなかに「小さな子猫を拾った晩に――」というのがあった。(その女性作詞家の旦那が歌手で、そう歌っていたので、念のために調べると、3番の歌詞にその文句があった。) この一句でぼくは今後、彼女を作詞家、詩人としては、無視することにした。
 子猫はちいさいにきまっているじゃないか。長編小説のなかならいざ知らず、歌詞のなかで、こういう無神経さはそれだけで、詩人失格だ。「やせっぽちの子猫」、「黒い子猫」ならいい。「小さな子猫」は絶対にだめだ。

 「とある街角で」なら「ある街角で」で間にあってるとおもう。とあるは太平記にもでてくる古い言葉だ。
 とあるがでてきたら、そのあとは、たとえ社内の文章でも、読まないことにしていた。社内の文章では、いままでその例はなかったけど。

 
(3)「契機」:内容がない文や話にでてくる傾向がある。かわいそうに、「きっかけ」というきれいな日本語を知らないんだね。
 「契機」はもともとは哲学用語で、きちっとした定義があるそうだ。その意味で使うぶんにはいっこうにかまわないが。
 さすがNHKのアナウンサーは「契機」なんて言葉は使わないね。みんな「きっかけ」と言っている。

 (4)「べし、べき」は現時点では未だ文語だと思う。
 つまり、「恋するべきである」ではなくて、「恋すべきである」がいい。本当は「恋すべし」としたい。

 これは小学校のときに習ったことが尾を引いている。「ゴミ捨てるべからず」ではなくて、「ゴミ捨つべからず」が正しいと教わったからね。「べし・べき」がすでに口語だと思うかたには、もちろん、反対はしないけど。 




 自動車道(いわゆる道路公団管轄分)の看板の誤字について――誤字を使用された地元のひと(大分、追分の人など)は、気にならないのかなあ?                             【トップへ

 これは中国道で撮ったが、日本全国同じである。
 追分の人は文句をつけないのだろうか? そういえば、大分の人が道路公団に文句をつけたという話は聞かないなあ。
 ただし、北九州にある東九州道への分岐点の「大分」の字は正しかった。新しい看板は直っているのかなあ。



 高速道路の道路標識の「分」の字は明白な誤字だ。「分」という字は「八」の下(中)に「刀」。八の原義は「わかつ」(左右にものが分かれる形。象形文字として、これはわかりやすい)で、その中に刀を書いて、刀でものを二つに分けるというのが原義。「分」は甲骨文字の時代からほとんど変わっていない。つまり3000年前から同じ文字だ。
 手書きの場合、この八を人偏にして、くっつけてしまう人が、日本では結構いる。つまり上図。「今」や「食」の人かんむりのように書く。これはもちろん明らかな誤字だ。小学校でこういうことはきちんと教えないのだろうか。
 もっとも、古い文書(太平洋戦争の記録など)でも、この誤字は結構使われている。とりわけ、軍関係の記録には多いようだ。

 念のために言うが、「戸」の第一画「一」を「ノ」や「ヽ」にしたら誤字だと言っているのではない。「八」は上をくっつけたら明らかにおかしいだろう、といっているだけだ。「公」「六」「兌」なんかで、「八」の部分を「人」にしたら、明らかに変じゃないか、といっているだけだ。だから、「分」だって、「八」を「人」にしたら断然おかしいはずだ。

 台湾の小学生二人(3年生と5年生)に「分」という字をそれとなく書かせたら、二人とも間違いなくきちんと正しく、離して書いた。8年間台湾にいたが、街の看板などでもこの誤字は一度も見たことがない。さすが漢字の国だね。日本で見かける、手書きの場合の誤字の双璧はこの「分」と「報・服」だろう。漢字は元の形(
つまり甲骨文字や金文)をちらっと教えれば、小学生だって絶対に間違わないだろう。そうすれば、「方(横木に死者を掛けたた形)」「放(方」を打つ形)」「激(されこうべ(白)が残っている死者を木につるして打つ形)」」「真(木に逆さに掛けられた行き倒れの人。魔よけにした)」「列(胴体と頭部を切り分けること。歹は頭髪のついた頭蓋骨)」などの語源の凄まじさがわかり、異民族とつねに死を賭して接さねばならなかったユーラシア大陸の厳しい歴史と、他国とは海で隔てられた平和な日本の歴史の違いを、小学生だって、身をもって感じるだろう。漢字の由来(白川静先生の本を見るのが一番わかりやすい。「常用字解」を愛用しています)を教わっていれば、かれらが成人したとき、自分の子の名前に「真」や「花(化は死体を交互に並べた形)」の字を使うことはたぶんあるまい。自分のこどもの名に「死」という漢字を使う親なんているはずがないのと同じだからね。【真知子ちゃん、真くん、ごめんなさい! そういえば皇族に真子様というお子様がいらっしゃったようだなあ……】 日本のナンバープレート(正しくはライセンスプレート)に「し」と「へ」はないよ。

 国道の道路標識(管轄は国交省)の「分」の字は正しいが、自動車専用道(いわゆる高速道)の道路標識(道路公団管轄分)の「分」の字は、たぶん全国でみんな誤字だろう。大分県にはいると、誤字だらけだ。東名でも「分岐」という字で、誤字になっていた。これは、道路公団ができて以来間違ったままだ。こういうことにチェック機能は働かないのだろうか。公団内部に気づいた人はもちろんたくさんいるだろうが、その人たちは、なんの意見具申、注意もしないのだろうか? 誤字を指摘してはいけない雰囲気でもあるのだろうか?
 看板屋さんも当然気づいていたはずだけど、誰も指摘しなかったのだろうか。そういうことはあり得ないなあ。なぜなら、誤字だから書き直しをさせられる恐れがある。だから、原稿の時点で、看板屋は発注者(
道路公団)に問いただしたはずだね。ところが、道路公団からは、直すな、と指示された。そうとしか考えられない。
 考えてみると、これが役所仕事というものだ。一度決めたものは、決定的に間違っていても、認めようとしないし、変えようともしない。
 今思いつく言い訳は、「あれはデザイン上、そうしている」というやつだけど、それは誤りをごまかすためだけの単なる屁理屈。【
公団の説明では、識別しやすさ、見やすさという観点から、あの字になったそうだ。そう返事があった。下記追記2参照
 ぼくの結論は、「
道路公団なんて、所詮この程度」だね。

追記:もしかすると、「分」がこういう字体になっているバカげたフォントがあるのではないだろうか。たしか、岩陰太行書とかいうフォントの「分」の字が誤字だという話は聞いたことがある。このフォントは「行書なので筆の勢い」とかなんとか言って、訂正する気もなさそうだったけどね。訂正にはカネがかかるからねえ。台北の故宮博物院で見た草書(
作者は覚えていない。懐素ではなかったなあ)では、それはないだろう、というほど離れていた。もっとも草書で書く「分」の字は、楷書の2画目を最後に書くから、筆の勢いで、離れがちになるけどね。

追記2:あまりうるさく言うものだから、道路公団からはじめて返事が来た(09/7/8)。看板の字体はパソコンなどで使用しているフォントの角ゴシック体を基準に現在検討中で、追々変更していくということだ。次回の看板取り替えの時に訂正するということらしい。いままでは有識者の委員会等をつくって、一字一字決めていったそうである。表示の関係上、「豊」や「鷹」は画数が省略されているそうだが、それはそれでいいと思う。要するに、委員の選別を誤ったのだろう。字を決めるときに、字の専門家を入れておけば、「分」の誤字を採用することはなかったと思う。



 いわゆる耐震偽造について  
                                    【トップへ】
 計算をごまかした奴はもちろん悪いけど、その図面でものを作った現場の所長も同じくらい悪いと思う。但し、ここでは安全率15%程度の不足は採用する計算方式の違い(
この考えを素人はわかってくれないんだねえ。国交省採用の計算方法だって、それが正しいという保証なんかないんだよ。)の範囲としておく。つまり、誤差の範囲。だけど、耐震の安全率が50%程度しかないのなら、担当の技術者なら、図面を見ればわかるはずだ。絶対にわかると断言できる。つまりその現場の所長は、耐震強度が大幅に足りないのを知っていて、作ってしまったに違いない。これは、設計計算者と同罪だ。
 【耐力計算式の違いの問題】:耐震構造の計算に使用する式は二つあって、従来から使っているのが「許容応力度等計算」というやつ。これに対し、2000年(
阪神淡路大震災は1995年1月)からは「限界耐力計算」という計算方法も使っていいようになった。極くわかりやすく言うと、「限界」で計算した値を「許容」で計算すると、安全率は85%ぐらいになる。つまり、15%の安全率不足。(あとでできた式だから厳しくなったわけじゃない) だからといって、法規違反じゃない。これだってもちろん合法だ。ところが、古いひとは従来からの「許容」を使いがちだ。新しい「限界」を使いこなせないのだ。マスターするには、結構きびしい勉強が必要なのだ。姉歯氏のように個人事務所のひとなら、そのうえ高価なソフトも自腹で買わなければならない。現在の構造計算は電卓を叩いてできるようなものじゃない。たぶん姉歯氏は古い「許容」を使っていたはずだ。
 なぜ安全率の低い計算式の使用が許されたのか。しかも大震災後に。これはつぎのような考え方をしたからだ。つまり、どんな地震にも耐えるような建物を造るにはカネがかかる。しかも、大地震なんて、滅多にこない。日本全国を見れば、人生80年のうち、大地震に遭わないひとの方が絶対多数。それなら、大地震ですこしぐらい被害を受けても、建物自体が倒壊してひとが死ななければいいじゃないか、強度はその程度でいいじゃないか、という考え方だ。これは誰だって納得できる考え方だろう。つまり、合理的だ。
 ぼくのような畑違いの技術者だって、この程度のことは知っている。だから、姉歯氏も当然そのことを知っていた。自分の計算値を15%程度削っても、良心の呵責は感じなかったのではないか。一度こういう妥協をすると、あとはずるずると50%まで行ってしまうのだろう。

 ぼくに似たような経験(
ごまかしじゃないよ!)がある。(以下は自慢話だから面白くないだろうなあ(^^;)) 某県で県農林水産部発注のダム(ロックフィルダム――つまり、粘土と岩石で造るダム)を造っていたとき、水を止める粘土(これが一番重要)の透水係数が、盛り土試験の時にどうしても達成できない。つまり、この粘土を使うと、造ったダムが漏水で壊れるかもしれない。それで現場のメンバーのうち、ロックフィルダムの経験のある部下と土工事の経験の豊富な部下とぼくの三人で検討してみた。ぼくを含めて、以前の工事の経験から推測すれば、この類の粘土をこの程度締め固めれば、間違いなく問題ないはずだ、というのがこの検討の結論だった。。
 日本の各省には、その省の威信をかけて作った「設計指針」という類の、現場技術者にとっては、いわゆるバイブルやコーランのような本がある。農林省(
当時――県農林水産部の親分だからね)のその〈バイブル〉が間違っているのではないか、とわたしは疑った。これは、イスラム教徒がコーランを疑うようなものなんだよ。つまり、現場技術者はそれほど自分の経験に自信を持っている。体を張って覚えた技術なんだからね。自分で計画し、使用する重機を選定し、動かし、自分で測定してきたんだからね。
 それで、上記の、頭の切れる技術者に農林省の「設計指針」のその項目のチェックと再計算をやらせたら、やはり(対数の計算を)間違っていた。試験盛り土の結果は、正しい計算なら、十分に満足できるものだった。花を持たせてやろうと、本社の技術部の馬鹿どもにそう報告しても、「〈指針〉が間違っているわけないだろう」と聞く耳を持たないので、農林省に現場から直接電話した。答は「いま改訂版を準備中」だということだった。思わず「ふざけるな!」と怒鳴る寸前だったねえ。農林省のこの「指針」の基本的な部分は、指針発刊以来変わっていないはずなんだよ。ロックフィルダムにおける透水係数の計算は、基本中の基本だ。
 つまり、今まで作った農林省のダムは、みんな数値をごまかして作っていたわけだ。ぼくが馬鹿正直なだけだったということか。(
この場合、安全側に間違っていたので、事実上は、たぶん合格なんだけど、役所に提出した数字は適当に作っていたに違いない。間違った指針が求めていたような、そんな数値は絶対に達成不可能なんだから。何しろ、信じられないほど計算が違っていたんだからね。

 ここではこんなに簡単に書いているけれど、現実はものすごく大変な手続きが必要なんだよ。農林省だけではなく、発注者の担当部署、ダムを設計したコンサルタント、それに以前の工事の書類とどうつじつまを合わせるか――これは役所の担当者がいちばん大変だろう。
 ただ、われわれの場合、ものすごくラッキーなことがあった。このダムの設計・管理のコンサルタントの社長が大変有力な農業土木の技術者(
つまりその業界のボスで、実績も実力もあった)で、設計指針の作成にも一枚かんでいたそうで、そのボスが盛り土試験の時ちょうど二週間ほどの泊まりがけで現場に立ち会っていた。盛り土試験はそのくらい大切な試験なんだよ。そのボスにまず計算結果を見てもらったら、すぐに(といっても数時間はかかったけど)指針の間違いを認めた。【あのボスは偉かったなあ。古武士の風格があったねえ。】 「県の関係者にはぼくから話す」ということになって、その場で、県の担当部署を飛び越えて、盛り土工事開始のオーケーがでた。盛り土開始に向けて現場では、たくさんの重機、人間、材料の手配もすでに終わっていて、みんな待機しているのだから、「その場でオーケー」というのは、涙が出るほどうれしかったなあ。

 09年12月23日のNHKテレビのニュースを見ていたら、農水省発注のダムでは23%に漏水などの致命的な欠陥があると言っていた。だから、今後しばらく農水省発注のダムは造らせないそうだ。
 どこかにも書いたが、12%の家庭にテレビがあれば、「どこの家にもテレビがある」とひとは感じるらしい。23%がだめだというのは、「農水ダムは全部だめ」と言うことだね。政権が変わると、こんなことまで表に出てくるんだなあ。

 現場の所長ぐらいの経験者になると、この程度のことは、勘でわかるんだよ。ぼくは土木屋だけど、建築屋だって同じようなものに違いない。耐震偽装建築の現場所長は絶対に、自分が作っているビルの耐震強度が不足していることがわかっていたんだよ。図面をみただけで、一瞬に違和感を感じたはずだ。元・現場技術者として、そんな奴は絶対に許せない。マンションを購入した人たちのことを考えると、担当した所長は、みんな首を吊れ(
つまり、死んでお詫びせよ)、と言いたいね。辞職ぐらいじゃ追っつかないよ。



 ぼくの履歴書と思いついたこと           【トップへ
 京大(
♪紅萌ゆる~」が大好きで(^^))の文学部か北大(♪羊群声なく~」もいいですねえ(^^))の農学部に行きたかったのだけど、親に妥協(親元から通える学校なら学資を出してやると言うもんで。)して、九州で、地元の大学の工学部(の「山師養成学科」)になんとなく滑りこみ、なんとかそこを卒業。工学部というところは、遊ぶ時間もないところだった。ぼくの「人生の蹉跌」は、ここから始まったといっていい。やはり、文学部か農学部(農学部が暇かどうかは知らないけど)に行くべきだった。

 ぼくらの時代、あまり人気のない学部だったら、旧帝大だって、その気になれば、誰だって入学できた。文学部を選んで、印哲でもやっていれば、遊んで――つまり、興味のない勉強なんかしないで、卒業できたに違いない(と思う)。残念だ。
 ぼくが大学に入学した昭和30年代前半、日本はまだ貧乏だった。ある程度、親の資力がなければ、大学には行けない状況だった。頭がよく勉学への意欲があっても、大学をあきらめなければならない友達はたくさんいた。
 それどころか、中学までしか行けない友達もいた。中学3年の担任(
先生は学校出たてで、ぼくたちが最初の担任だった)がひとりの学友の親のところに行き、「学資はわたしがなんとかするから」と親と掛け合っていた。昔の先生はほんとうに偉かったねえ。ぼくはこの先生に「君にはほんとうにがっかりした」と説教されたことがある。これはほんとうに応えた。この歳になっても、恩師――一年しか習わなかったけど、と思うのはこの先生だけだ。
 中卒のかれはいま福岡市の団体世話役なんかして、元気にやっている。旧帝大まで行かせてもらったぼくは、のほほんと遊んでいる。要するに、学歴なんてどうでもいいんだよ。一番大切なのは、本人のやる気だね。そのかれは〈IQ〉が高かったなあ。今でも覚えているけど、140ぐらいだったと思う。ぼくは100前後(つまり、ごく平凡)だったけどね。今はどうやっているか知らないけれど、昔は、中学校で一斉にIQテストをして、校内で公表していた。補習授業のときには、教室内の机の配置も期末試験などの成績順だった。補習組はたしか2組あったが、補習授業のときだけは成績順に組分けするので、試験ごとに補習の組は変わり、机の配置が機械的に変わっていた。1組の最終列の窓側が成績が1番、2組の最前列の廊下側が成績がビリという具合だった。ぼくがどのあたりにいたかは、あえて言わない。

 家庭の具合で大学を諦めるというような状況はいまでも同じだというかもしれないが、その割合と程度は断然違うと思う。だから、かれらのことを思うと、上記のような脳天気なことは書けないはずなのだが、ぼくの書いたことにある程度の真実は含んでいるという程度に理解してもらいたい。

 学校卒業後、鉱山で10年、その後中堅ゼネコンに替わり、定年はそのゼネコンの台湾現地法人でむかえた。それから少しして、ゼネコンがつぶれたので、当時JV相手だった台湾の会社に横滑りした。適当に流れに身を任せて生きてきたという感じだ。
 2008年8月で台湾の会社を辞めた。その2年ほど前から、65歳になったのでそろそろ辞めたい、と申し出ていたが、仕事の切りが悪かったので、ずるずると在籍いた。そうこうしているうちに、台湾の社長と仕事上のことでケンカして、じゃ辞める、ということになった。台湾の会社との契約で、退職金は最初から無いと、わかっていた。歳から考えても、やめる潮時だった。おおかた8年ほど台湾で働いたことになる。台湾の現地法人で2年、台湾の会社で6年。まあまあ楽しく働いたほうだろう。
 幸いぼくには借金がないので、働かなくても大病さえしなければ、何とか食っていける。これからは、健康を趣味として、ネット三昧で暮らすつもり。いい時代になったなあ。


 下記に書いているように、会社が会社更生法を適用されて、その結果、平社員(副理事とかいう役職だった)のぼくにも、少し影響があった。
 ゼネコンにいたとき、自社株を買っていた。これは半ば強制的に買わされていた。会社がつぶれた時の単価で五六百万円だろうか。これが紙くずになった。もちろん、社内貯金などは問題なかった。
 更正法が適用されると、従来の株券は価値がなくなることは、知識としてあった。だから、同業の「あの会社」がつぶれたら、売ろう(もちろん売ることはできる)と密かに考えていたが、「あの会社」がつぶれる前に自分のところがつぶれてしまった。一生の不覚だ。
 自社株を持つことは、会社がつぶれなければ、結構利益がある。会社の公認会計士も「へたな保険よりも率がいいよ」といっていた。但し、「会社がつぶれなければ」とは言ってなかったなあ。
 こういう場合も含めて、「株は自己責任」です。損をするのは自分の不明のためだから、人に文句を付けてはいけない。
 ライブドアの事件で、だまされたと騒いでいる株主がいるようだけど、あれはお門違いだね。自分が馬鹿だと世間に公表しているのと同じ。


 ゼネコンにいた当時、会社が会社更生法を申請した。つまり、つぶれた。会社がつぶれて、ほんとうに、貴重な見聞をさせてもらったことがある。以下は台湾の現地法人の職員(日本人)がいささか興奮気味にぼくに話してくれた実話である。

 更正法が適用になると、管財人と称する弁護士が乗りこんできて、会社のすべてをかれらが決定する。
 その管財人の1人が、台湾の現地法人の件を台湾の弁護士と打ち合わせるために、台湾に来た。副社長クラスだろう。
 つぶれる前なら、副社長クラスが台湾に来るとなると、その対応がたいへんだった。空港への送り迎えはもちろん、ホテルの手配、夜の接待など、現地の職員は、仕事以外でたいへんな労力を強いられる。日本の会社なら、どこだって似たりよったりだろう。

 日本にいるときのことだが、ぼくの受け持ち現場へ出張に来て、「オレの好みの食べ物ぐらい調べておけ!」と、しらふで不満をこぼしたバカな支店長さえいたからねえ。出されたものを黙って食えってえの! こういう人物を支店長に選ぶ会社はやはりつぶれるなあ。

 こういうバカには、コーエン・パウエルの、国務省の職員に向けた就任スピーチをぜひとも読ませたいねえ。自分の出張の際には、「チーズバーガーでいい。宿泊はホリデーインが好きだ」と戒めた。文章も、中学生でも読めるような平易なものだ。
 "I have no food preference, no drink preference―a cheeseburger will be fine. I like Holiday Inns, I have no illusions."

 乗り込んできたその管財人は、いままでの会社の上役とは、おおいに違った。台湾の弁護士へのアポイントと通訳の手配さえしてくれたら、あとはそれにあわせて全部自分で処理するということで、あとの手配はいっさい不要だったそうだ。
 つまり、航空券や宿の手配は本社の方ですませ、空港からはバスとタクシーで事務所まで来られたそうだ。それも、旅行案内書で自分で調べられたそうだ。台湾には以前、仕事で3、4回ほどは来られた経験はあるようだと社員は言っていた。
 事務所での昼食はもちろん割り勘ですませ、仕事がおわると、1人でホテルに帰られたという。
 翌日土曜日は休暇をとって、故宮博物院をひとりで見物して、夕方の飛行機で帰国された。台湾の弁護士との打ち合わせのほかは、現地法人の職員はいっさいタッチする必要はなかったそうだ。
 
 わたしはこの話をきいて、愕然とし、目が覚めた。いままでの自分が、ほんとうに恥ずかしくなった。現地法人にいたときは、中正空港まで黒塗りの(
)キャデラック(!!)が迎えに来てくれていた。やくざの親分だって、恥ずかしがるよ。
 日本の会社のサラリーマンは、所詮、世間知らずの「できの悪い坊ちゃん」だったんだね。
 建設業を取り巻く環境は厳しいけれど、こういう管財人がいれば、再建もきっとうまくいくだろう。
【予定どおり更正法も解除され、2005現在、もとの規模に戻すべく努力中だそうだ。もちろん、上記の「食通」の支店長は管財人により一番にクビにされた。】

 会社がつぶれて(更正法の申請と破産は、その内容においておおいにちがうのだが、世間のひとにはおなじにしか見えないだろう。これは、経験者でないとわからない。更正法が適用になると、必然的に、会社をつぶした元経営陣は総退陣する。これだけで、会社は生き返るよ。だから、経営陣が生きのこる民事更正法は論理的にダメだね。)、いいこともあった。

 当時、台北の歯科医にかかっていて、一週一回で治療は一年がかりだと、最初から言われていた。
 「会社がつぶれた。いつ給料がとまるか不明。明日にでも帰国の可能性あり。故に、早く終わらせて」と言ったら(当時は、親会社の社員なので、嘘をついたわけではない)、同情してくれて、本当に真剣に対応してくれた。でも、歯医者だけはせかすものじゃない。一日五時間も治療してくれるのはいいが、口をあけておくのは、ほんと、たいへんだった。

 ついでに、海外で働くつもりのひとに忠告。歯だけは、日本で保険をつかって徹底的になおしておいたほうがいいよ。それとも、いい治療は、日本でも保険だけじゃ無理なのかな?
 外国の歯医者で一年がかりの治療になると、カローラの最高クラスにカーナビを含めたオプションを全部つけたぐらいのおかねがかかる。(保険がきかない治療なら、日本でもおなじか?) 貴金属なんか使っていないし、高価なインプラント(植歯)はすべてことわった。ただ、十年ほどはもつようにしてもらいたい、と頼んだだけ。
 なお、現在は居留証(つまり労働ビザ)を持っているので、健康保険もきく。台湾の会社の社員だから、当然だけどね。そのうえ、年齢のせいで(歳がばれるなあ)、交通機関が半額になる。これはありがたい。

 ただし、台湾にかんするかぎり、歯科医と技工士の腕はいい。最後の日、「いかがですか?」と英語で聞かれて(歯周病の先生はアメリカの歯科大を出ていた。要所要所では、歯周病医、歯科医と技工士の3人がかりで、口をあけた患者の目のまえで、口の中をのぞきこみながら、ケンケンガクガクと議論しながら(おおまかな話の内容程度なら、ボクの中国語の実力でも、だいたいわかるつもり。)、治療をしてくれる――これには正直、感激した。心臓移植でもされている気分になった。)、思わず「ファンタスティック!」とこたえたほどだ。
 台湾で歯科医に行くと、そこのお医者さんの卒業証書が、いやでも目につくところにかかげてある。

 ぼくは、学歴なんか糞食らえ、の主義だが、医者だけは別だ。看板に最終出身校名を表示してもらいたい。台湾では、学歴を書いた医者の看板をよく見る。このリアリズムは学ぶべきだ。歯科で殺されることはあるまいが、そのほかはやばいよ。医者だけは、ちゃんとした医者にかかりたいからね。(これはたんなる確率の問題です。とんでもないごく一部の私立医科が怖いだけの話。
 鉱山にいたとき、鉱山医は半年ごとにわが母校の医学部から来てもらっていた。
 人身事故があると、手術を手伝う。発破などで2人以上がいっしょに受傷すると看護の資格の有無なんて言っていられないんだよ――同窓というよしみで、指名があり、にわか助手になる。だから、誰が手術がうまいか、手に取るようにわかる。そのとき、腕がよかったのは、きまって他校の医学部出身の、つまり傍系のドクターたちだった。山口大医学部出身の先生なんか、若いのにまさに「神の手」だったなあ。
 こういう傍系の先生は、勉強もよくしていた。暇なときには、ガンのスライド写真をいつも見ていた。
 かれにくらべ、わが母校直系のドクターたちは独身寮にいりびたりで、麻雀ばかりしてたけどね。先が案じられるなあ。


 もちろん、台湾での歯の治療には、日本に保険還付の請求をするのだが、還ってくるのは一割未満という話。歯が悪くて、海外で働く予定のひとは、覚悟しておいたほうがいいよ。それにしても、毎月二万円少々をおさめている日本の健康保険ってなんだろうね? 【結局、保険の還付は3%ほどしかなかった。ホント、「歯」に来る!】

 いまとなっては手遅れなんだが、毎日三回、歯を磨いている。それまでは盆と正月の年二回だった。後悔しているが遅すぎた。

 ここで、「毎日歯を磨く」習慣をつける、てっとり早い方法を伝授。子供に教えたらいいよ。

 それは、歯ブラシと歯間ブラシ(これはキャップつきがいい)をいつも胸ポケットに裸のままさしておくことだ。ポケットから飛びだすようなら、すこし柄をきって、みじかくする。ケースなんかにいれておけば、取りだすのが面倒になり、つい磨かなくなる。医者は歯磨き粉なんか不要、といっていたから、普段はなにもつけないで磨く。洗面台に石鹸でもあれば、使ったらいい。コップなんか使わないで、水は手ですくって口にいれる。(コップがないから、磨けない、といういいわけが利かなくなる。

 これだけで、1日3回の歯磨きの習慣がすぐにつく。水のあるところならば、歯を磨きたくなるから、不思議だ。空港の洗面所で、備えつけの液体石鹸を使っていたら、変な顔をされた。(あの水石鹸はまずいから、やめたほうがいい。それに、呑み込んだら、有毒かもしれないからね。
 ここで、ちょっとしたコツがある。歯ブラシと歯間ブラシは同時には使わないことだ。そんなことをしていると、面倒くさくなってやめてしまう。1回につき、どちらか一方だけを使う。ぼくは、かわるがわるを目安にしている。
 こういうことこそ、親は子供にちゃんと教えるべきだ。教育はかくのごとく具体的でなければものの役にたたない。

 ところで、ひとにものを教えるときには、こういう具体論だけでは話が薄っぺらになるので、具体論のまえに、精神論のようなものをつけくわえたほうがいい。
 つまり、歯がじょうぶなことが、生きるうえでいかに重要かとか、咀嚼は脳の働きをよくするとかの話をして、歯の重要性をわからせ、それじゃ歯をじょうぶにに保つには、どうするかというわけで、結局、歯磨きしかない、という具合にもっていき、上記の話をするわけだ。
 
 この「精神論+具体論」の2本立てで行くという手法は、役にたつ技術だよ。具体論だけでは軽薄だし、精神論だけでは、退屈だ。

 たとえば、帽子のかぶりかた。まず、帽子が似合うんだ、と自信をもつ。(これが精神論。) それから、ちょっと、はすにかぶる。(これが具体論。森英恵がいつかラジオで、このようにしゃべっていた

 戒壇院の和尚から教えてもらった掃除のしかた。中学生(
戒壇院の近くの、学業院中学という由緒ありげな名前の学校の生徒だった)のときに習った。
 まず、毎日かならず掃除をする。すこしでもいいから、とにかく毎日掃除をする。(これが精神論。
 最初に、すみずみを掃除する。時間がなかったら、部屋の隅の1箇所だけでもいい。極論すれば、掃除は隅だけでよい。(これが具体論。
 この掃除のしかた、役にたちますよ。どんな汚れた部屋でも、この掃除のしかたを知っていれば、1か月の後には、部屋はみちがえるようにきれいになっているからね。

 ついでに、女にもてる方法。
 それには、女なら誰でもいい、というのでなければならない。「おれはとにかく女が好きなんだ」と自信を持つこと。「美人でなきゃ」なんて、だめなんだよ。大多数の女性はそうではないし、自分でもそれを自覚しているので、「美人でなければダメ」なんて思っていたら、口に出さなくても、そんなのはすぐに見抜かれる。彼女たちの勘をあなどってはならない。光源氏がもてたのは、生まれはいいけど貧乏で美人でない末摘花を死ぬまで愛したからだよ。(これが精神論。
 つぎに、女性とお話をするときには、話題と内容を女性のレベルまでさげること。つまり、女性のレベルまで降りていくこと。じつはこれがいちばんむずかしい。(これが具体論。
 ばかばかしくて、自分の程度を落とせないばかりに、ボクは女性から好意を持たれた記憶がない。つまり、もてるやつは、単にこれができるか、あるいは、もともと女性とおなじレベルなんだね。


 現場のちかくの人情と雰囲気がいいので、台北にでるのは(歯医者にいくのを除けば)年に三四回(三十四回と読むんじゃないよ。「さんし」回と読む。)だった。 それも全部が仕事がらみ。バーやスナック、とりわけカラオケがきらいなので自慢じゃないが、自費で飲んだことは一度もない。タダでいいなら、飲んでやってもいい、という態度。つまり、社費でしか、飲まない。だから台湾では、家が買えるだけの貯金ができた。
 これはゴルフもおなじ。ただし、ゴルフはただでもイヤだ。カネか景品を無条件でくれるというのなら、つきあってやってもいいというスタンス。だから、誰からも誘われなくなったのは自然の成り行きだ。ゴルフの腕前は70ぐらいだろう――もちろんハーフで。

 趣味ではないが、職業柄(現場責任者だったんだからね)、くるまの運転は苦にならない。
 日本にいたときは、一回目の車検までに、つまり三年で、だいたい15万キロは乗った。これくらい走ると、燃費を考え(車は自分持ちで、燃料費・オイルなどの維持費は会社持ちだったから、燃費なんて考えなくてもいいんだけど、貧乏性だからね)、当然、ディーゼル車(ディーゼルはガソリン車にくらべて、おなじグレードなら十万円は高いんだよ。車に会社の補助はなかったから、ぼくもバカだねえ)になる。
 それに、ガソリンエンジンのように高圧の電流を使っていないだけ、エンジンの信頼性はディーゼルのほうがだんぜんよろしい。われわれ土方(どかた)の使うくるまは、故障しないことが第一。第二以下はない。これは弾丸の飛び交う戦場で使う車とおなじ条件だ。

 日本で使っていた「ターセル」(もちろん1.5リッターの旧型のディーゼルね)は三年でちょうど世界4周、きっちり16万キロほど走った。一日に約150キロ。いつそんなに乗ったんだろうという感じ。このくるまは、高速道路なら29㎞/リッター(どうしても30㎞には届かなかった)は走った。

 30万キロか、9年(女房のくるま。9年で2万キロぐらいしか乗らない。こんな使い方だと、「軽」でじゅうぶんだと思うんだけどねえ……)を買いかえの目安にしている。買いかえるごとに一クラスずつさげていくと、日本では、実質的に、いつもおなじレベルのくるまに乗っていることになる。それだけくるまがよくなっているというわけ。昔乗っていたコロナは5万キロあたりでショックアブソーバがへたって交換したが、ディーゼルのターセルは20万キロでもアブソーバは交換しなくてもよかった。そのかわり乗り心地はコロナのほうがはるかによかった。車格もあるだろうが、乗り心地と耐久性を交換したのだろうか(
アブソーバのメーカーは、ターセルはカヤバ)? ぼくはそのほうが歓迎だけどね。
 コロナに始まり(そのまえに練習用に中古でおんぼろのカローラやスプリンターに乗っていたけど)、カローラが2台、ターセルで4台目だから、歳がわかろうというものだ。

 このつぎに買うのは、宗旨をかえて、プリュウスこのくるまが出て以来、アメリカもドイツも、くるまでは二流国になりましたねえ。「あぁ、メルセデス、普通のくるまね」という感じ)にきめかけていたが、考えが変わった。モデルチェンジでプリュウスが「3」ナンバーになったからだ。MCまえは5ナンバーだったのに。狭い日本で3ナンバーなんて、とんでもない話だ。【
3ナンバーだから、税金が高くなることはない。税金は、排気量と車重(と購入価格――これは納税時に一回だけ)で決まる。
 だから、コモンレール式のディーゼル乗用車(軽のディーゼルでもいいけど。)が出てくるのを待っている。現時点では(2008年1月)、適当な乗用車は未発売だ。2010年頃になるらしい。

 ここにきて(07/5)プリウスに乗らざるをえなくなってきた。連れ合いが一度はプリウスの所有者になりたいというのだ。ぼくの計算では、ハイブリッドよりもディーゼルのほうが、いわゆる「エコ」だし、家計にも優しいんだけど、理屈の通る相手ではないから、来年(08/05)はプリウスになりそうだ。

 ところがまた少し様子が変わった。09年にホンダがフィットのハイブリッドを、現行のフィットよりも20万円高程度で出すらしいのだ。値段を餌に、買い換えるのはそれまで待とうということで話が付いた。やれやれ。簡単に説明すると、プリウスなら総額300万円。フィットなら250万円ぐらい。テキは50万円に食いついた、というわけ。それまでの間に、シビックのディーゼルが出ないかなあ。政府もそれまでにはディーゼル乗用車への補助金の額を決めているだろう。20万円ぐらいという噂だけどね。だけど時間的に厳しいかなあ。

 ただし、プリュウスは評価している。それは、地球の温暖化防止とか環境のためではない。機構、機能が新鮮で(このくるまのアイデアは、ずっと以前から提唱されていたが、それを商品として量産できることは、まったく別の次元の技術。プリウスのソフトはものすごく複雑だという)じつにおもしろいからだ。ただそれだけで、このくるまには乗るだけの価値があるとおもう。上記の理由でぼくはあまり乗りたくないけど。
 地球が暖かくなって(50年で2,3度程度)、具体的に、どこが悪いのかとぼくはかんがえている。具体的な反論は下記。

 [温暖化防止論に対する反論――そんなことより人口抑制対策を] つまり、温暖化してどこがわるい、という話。これは、ほんとうにまじめに書きました。
 

 小説(SFと推理のつもりだけど(^^;))を書く気になったのは、単身赴任なので、夜に時間があったためだ。話し手と聞き手がおなじというわけ。世界中で、いちばん純粋な動機じゃないかしら?
 テレビはばかばかしいし、麻雀やゴルフはやる気もない、となると小説まがいでも書いてみようか、ということになるのはなりゆきというものだろう。それに、インターネットという恰好の発表舞台(読者皆無という状況もおおいに考えられるんだが、それはそれでいいじゃないか。)もあることだし。
 脳細胞の老化防止の効果もひそかに期待している。

 台湾にいたときのこと、女性への興味をうしなったわけではないのだが、そこにいたるまでのもろもろを考えると、台湾では言葉の問題もあり、めんどうくささがさきにたち、興味もなにも立ち消えてしまう。だから、現場の台湾の人たちの間では、「品行方正清廉潔白、カタいひと」でとおっていた――本当だってば!


 ところで、日本の公共工事では、まだ談合をやっているのだろうか。
 発注者(とりわけ、国土交通省だね)が指名入札制度さえやめれば、談合なんてすぐなくなるんだよ。なんのかのと屁理屈をつけて、役所がまだ指名入札をしているようでは、談合はなくなっていないだろう。発注者側も談合をやめさせようという意志なんかないにちがいない。
 ぼくの予想では、市町村あたりの発注から、内部告発もあって、談合はなくなっていくとおもう。発注量、つまり受注量がへると、施工業者は、背に腹はかえられなくなるからだ。

 ちかごろの若者は、ほんとうに社会正義から内部告発をする。世の中は変わりつつあるんだよ。それに気がつかない上層部がいる会社が、内部告発で揺れている。世の中の動きが読めていないんだね。
 たぶん今後、談合は本当に成り立たなくなるよ。
 こうして、日本は少しずつ良くなっていくんだろうね。

それからこれは老婆心だが、内部告発するときには、絶対に身分がバレないようにしなければだめだよ。身分を名乗って内部告発して、その会社に残ろうなんて、社会常識を疑うね。こちらも時代を読んでいない。まだ時代の趨勢はその程度だからね。

 談合をしていない公共工事なんて、日本で仕事をしていたときには、ぼくは聞いたことがなかったけどねえ。ほんとうの競争入札は「叩き合い」といい、土木工事では、本物の「叩き合い」を、ぼくはいちども、見たことがない。
 06年3月あたりの新聞によれば、ダムなどの設備業者が水門工事で談合を摘発されているが、ダムの水門工事なんてダム本体の金額から見れば、付録以下。ダムというトカゲの尻尾のようなもの。(ただし、施工業者――三菱造船、日立金属などは、超一流だけどね。) 本体工事をほったらかしにして、水門工事というトカゲの尻尾にうつつを抜かしているのは、片腹痛いというものだ。

 民間の会社が発注者になる建築工事では、ある程度以上の工事規模になれば、発注社のメインバンクが施工業者を指名する場合が多いようだね。
 こんなことばかりやっていた業界がいまたいへんな苦労をしているのは、当然の結果か。

 それにしても、談合に関するマスコミ――とくに新聞、雑誌――の態度は、あれはいったいなんだろう。ほんとうに知らないのならアホだし、知っているのなら、大本営発表をそのままながしていたときと、マスコミの体質はまったくかわっていないね。
 えらそうなことを社説でぶちあげていても、新聞社って、その程度の心情、見識なんだろうね。ようするに、知力がないんだね。真剣に日本のことなど、考えていないんだね。

 2007年2月に昔の会社のメンバー(つまりぼくの部下だった人たち)と一杯飲んだ。ぼく以外はまだみんな現役。そのときみんな口をそろえて言っていたけど、事実上、談合はなくなったそうだ。名古屋の地下鉄が告発されているが、あれが最後だろうという。つまり、あれは戦後処理がまずかっただけ。
 だから、ダム本体の落札率なんか、ひどいところでは60%台だそうだ。
 こうして日本も少しずつ良くなっていくのだろう。
 
 つぎの改善すべき「談合問題」は、高級官僚の天下りとそのシステムだろうね。国を預かっている連中がこういうことをやっていると、民心が腐るよ。国がだめになるよ。中国の賄賂のシステムを「アジア的貧困」なんて言えないね。
 高級官僚の天下りをやめさせることができるのは政治家しかいない。それが政治家の役目だよ。同期が事務次官になると、他の同期がすべて役所を出るというのは、規約でも規則でもない。単なる内輪の取り決めだ。天下りが絶対だめだとなると、大金持ち以外は役所に残らざるを得ないだろう。残って次官を支えていけばいいだけの話。次官としても、口うるさい同期の意見を聞きながら仕事をしなければならないので、たとえばゴルフにうつつを抜かすこともできなくなり、これは次官自身のためにもなる。
 何よりもいいことは、天下りのための公団や公社を減らせるので、税金の無駄遣いが少なくなり、もしかすると、ここ50年ほど(
)は増税なんかしなくてもすむんじゃないか。

以下は、牽強付会の傾向があるなあ(^^;))          【トップへ
【だいたい、江戸時代の株仲間なんて、談合組織のようなものだったし、ヨーロッパ中世のギルドだって談合組織そのものだろう。談合は文化の一形態なんだよ。他国からとやかくいわれるいわれはないね】、ってなことを書いて、以前、ここには談合賛成論を展開したが、台湾の総統選挙(
陳水扁が選ばれたやつ)をまぢかに見て、気がかわった。今後は断固、談合反対の立場にたつ。

 台湾の総統選挙がなぜ、談合反対と関係があるのか? それは、以下を読んでいただければわかる。

 この項のタイトルは、『わが総理大臣は直接選挙で選ぼう!』

 台湾の総統選挙は国民の直接選挙だ。つまり、日本でいえば、知事選とスタイルはおなじだ。
 今回の総統選挙の結果をうんと模式的に書けば以下のとおり。

有効投票数 12,000,000 (投票率84%!!)
陳氏(野党) 4,800,000 40%
宋氏(無所属) 4,200,000 35%
連氏(与党) 3,000,000 25%


 いまこれを日本のように、国会議員が選ぶ間接選挙でおこなったとする。
 わかりやすくするために、国会議員の数を200人(220人ぐらいだったはず。台湾の人口は日本の17%)とすれば、

 陳氏         80
 宋氏         70
 連氏         50

 が、選挙結果として出るはずである。
 ここで、おカネのある宋氏(省長時代にこの日のためにうんと公金をばらまき、かつ貯めたそうだ)が、陳氏派のうちから6人をひきぬけば、陳氏76人、宋氏74人となって、宋氏が勝つ。これはじゅうぶんにに可能だ。可能ならきっとやる。宋氏いじょうに、連氏がやるだろう。31人引き抜けばいいんだからね。なにしろ、与党国民党は世界でいちばん金持ちの政党なんだからね。その気になれば、できる。

 ところが、いくら金持ちの宋氏だって、直接選挙の差の60万票をあつめるのは、容易ではあるまい。おかねで買収できる数ではない。今回の相場が1票2000元(約8000円。地元の町長選挙あたりになると、これが1票1万元(約4万円)に跳ね上がる)だったそうだから、12億元(約48億円)用意すればいいのだが、おかねだけもらって、投票は絶対に意中の候補、というのが台湾のスタイルだから(つまり、政治参加意識が日本よりも非常に高いし強い。やはり、中国系だ。)、その2倍、3倍のカネを用意しなければ、不安だろうし、不確実だ。
 つまり、直接選挙なら談合・買収がほとんど不可能だが、間接選挙なら談合・買収が十分可能だ。

 つまり、ぼくが言いたいのは、「国の舵を取るひとは自分で選ぼうではないか」ということだ。
 首相を選ぶことを、代議士なんかにまかせるから、国をあやまるし、あやまらなくても、国の品位をさげることになる。もし直接選挙で選んだ首長が国をあやまっても、それならあきらめもつこうというもの。だから、選挙のときにも、真剣に考えるはずだ。多数が選べば、わけのわからないひとが総理大臣になる可能性は、ずっと低くなるはずである。大阪のノックの例があるから、皆無だとはいわないが。これを防ぐ手段はいくらでも思いつくので、問題はないだろう。

 つまり、選挙人がすくない間接選挙は談合が可能な選挙制度だ。民意は反映しにくい。談合が可能ならだれだって談合するにきまっているじゃないか。

 談合をやめさせるいちばんの、そして唯一の正道は、指名入札制度をやめることだと書いた。だれが入札するのかわからなければ、談合のしようがないではないか。つまり、これは直接選挙の考えかたにつうじる。

 「総統選挙は直接選挙」とした台湾の知恵に敬意を表する。
 台湾の総統選挙をまぢかで見て、談合の利かないすがすがしさをはだで感じた。
 やはり、談合はやめたほうがいい。

 直接選挙にしてごらん、へんな宗教団体の人数なんて、どこかに吸収されてしまうよ。そのかわり、労組の組織票も意味がなくなるけどね。
 ことわっておくけど、身震いがでるほどきらいだけど、ぼくは創価学会の存在意義はみとめるね。
 共産党でさえ二の足をふんだ最貧層へ手をさしのべ、それを組織化したエネルギーと能力にはおおいに意義を認めざるをえないね。だから松下幸之助は池田大作が好きだった。創価学会は世界にも例がないんじゃないか。共産党が左翼なら、公明党は超左翼だね。
 それにつけてもおもうんだけど、日本共産党とは、何なんだろうね。誰のために存在するんだろう? 共産党がまずすべきことは党名の変更だね。そうするともう少し議席数は増えるんじゃないか? 言っていること(
天皇制は認めていたんだよね?)はそこそこ筋が通っているから。

 日本を復活させるためには、『総理大臣は有権者全員の直接選挙で選ぼう』。つまり、代議士の談合で首相(と間接的には大臣も)を決めるから、国がへんになる。

 もっとも、具体的にはいろんな制限をつける必要があるかもしれない。候補の資格を現国会議員と現知事に絞るようなぐあいだ。そうでないと、横山ノックのようなへんなやつがでてきて、選ばれる可能性がある。

 首相は国民が直接きめる――これが日本復活のいちばんの王道だよ。


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 それやこれやで雑用に明け暮れながら、何とかやって来た、というのが、実状だ。現実は、もっとどろくさくて、時には「汚れ仕事」もしなければならない。こんなきれいごとばかりでは断じてすまないのは当然の話。立腹と失望と嫌悪をくりかえしながら、いらいらしながら、毎日を送って来た、というのがほんとのところだ。



●外国地名の表記について――とくに、漢字文化圏の地名表記について――   【トップへ

 三十年ぶりぐらいに世界地図を買った。以前ぼくが使っていた三省堂のちゃんとした地図でさえ、「メキシコシチー」なんて表記をしていたが、三十年たつとさすがにそれは「メキシコシティー」になっていた。

 ところが、2000年4月14日の日経夕刊に、
 JR東京駅前の「丸の内ビルヂング」が姿を消して三年近く。
という記事があった。丸ビルの正式名称は「丸の内ビルヂング」だったんですねえ。びっくりした。三菱のチェック機構もビルの呼び方までは届かなかったようですね。
 こんなことにまで、文部省の顔を立てることはないと思うんだけどねえ。「D」と「I」の音は日本語にもあるんだから、「ビルディング」のほうがいいと思うんだけどなあ。「R」と「L」を区別せよと言っているんじゃないよ。「V」を表記せよと言っているんじゃないよ。
 だけど、もしかすると、「Building」 の発音は所詮カタカナでは正確にあらわせないので、ビルヂングでもビルディングでもどっちだっていいじゃないか、と醒めた判断をしたのか? 三菱のことだから、きっとそうだろうね。

 これは、この文を読んでくださったからの指摘だが、以前(たぶん、大正あたりからか)から、「ビルディング」は「ビルヂング」という表記が普通なのだそうだ。東京駅界隈の三菱村を歩くと、ビルヂングの表記が結構あるんだそうだ。丸ビルの名称はそれに従っただけだろうという意見だが、そのとおりだろうね。三菱は世間通常の表記をしただけだった、というのが、オチです。つまり、丸ビルの名称をあげつらったのは、ぼくの無知による独り相撲だったというわけ。赤面と感謝!



 外国地名などの日本語の表記は、現地発音にちかい音で、カタカナで表記する、つまり現地発音主義だと以前聞いたことがある。だからエベレストはチョモランマになったし、エスキモーはイヌイットになった。が、あれは真っ赤な嘘だね。
 それなら「ハンガリー」はなぜ「マジャール」にしないのか。「フィンランド」は「スオミ」になるはずだ。「スイス」もなんとかいう別の国名があった。この伝でいけば、沖縄はウチナーになるし、鹿児島はカゴマか?
 もっともこの場合、フランスを「フォ~ンス」では嫌みだろうなあ。

 要するに、やることが中途半端なのだ。こういうことこそ、きちっと規制した方がいいよ。

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