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この小説はもちろんフィクションですが、科学に関する部分、歴史に係わるか所はできるだけ正確を心がけました。なお、日時に関係する月齢、潮の干満などは、その場面の日時に合致させています。
                     





   
   (たいしゅうふうぶんがき)
   【2015/9/1改訂】

                           

    対州風聞書        西府 章 


  (一)  二〇二一年四月五日(月)     (晴)


 紅白の横縞模様に塗られた防波堤灯台を右手に見て、その堤防の内側に水中翼船が滑り込むと、対馬海峡であれほど吹き荒れていた波風もたちまちおだやかになった。
 午前八時三十分定刻に博多港を出航した純白の高速船は、壱岐の郷ノ浦港を経由して、ちょうど十時に対馬の厳原港に到着した。定刻の三十分前だ。定刻よりも早く着いたのは、きのうから吹きつづいている暖かい東風、『こち』のせいだ。九州一帯は太平洋高気圧に覆われ、厳原も五月初めの陽気である。雲一つない晴天だ。
「『本日天気晴朗なれども波高し』――だったな」
 すぐ脇に並んで立っている阿紗子にちらっと視線を向け、馬場周二は言った。深い意味はない。ロシアのバルチック艦隊をわが国の連合艦隊が迎え討ったあの海戦の日もこんな天気だったのだろうと思い、ちょっと気の利いたことを言ったという程度の心地よさはあった。
 下船待ちの行列の先頭近くに二人は並んでいた。海のにおいがきつい。船に弱い馬場にはそれは臭気だった。
「その名文句、リアリズムの立場からすれば、少々問題あり、なんだよね」
 ちょっと考えてから、阿紗子が応じる。内心の得意気を、馬場は見透かされたような気がした。
「わたしの宗旨はリアリズムだからね」
「聞きましょう――少々問題ありとは?」
 少しだけ身構えた気配が阿紗子からかすかに伝わってくる。
「あの海戦の日、沖ノ島の社に、宗像大社の神官と使夫の少年の二人がいてね、少年がその日の海戦の様子を社務日誌にくわしく書き残しているのね――けっこう達筆だったなあ」
 日露海戦は沖の島西方沖で火ぶたが切られたのだ。
「それは知らなかったな」
「わたし、その社務日誌のその日の記載を宗像大社の宝物館で見たんだ――もちろんオリジナルね」
 沖ノ島は玄界灘と対馬海峡の境の標識たる周囲四キロの孤島で、宗像大社の神官と使夫しか上陸できなかった。現在でも断固として女人禁制である。宗像三社のうち沖津宮が置かれている。
「その社務日誌によればね、開戦当日五月二十七日の天気は『西風強曇天、霧霞』――わたしこれ、パンフレットにシャープペンでメモしてきたんだからね。日誌の冒頭の日付の下に書いてあったよ。西風だから、今日とは風向きは逆ね。今頃の西風は大陸の黄砂を大量に運んでいるから、当然、天気晴朗とはいかないよね――もっとも、バルチック艦隊の船影は問題なく見えたんだろうけど。この天気の記載、きわめて正確だと思うよ」
 自信に満ちた断定口調だ。
「恐れ入りました――」
 参ったと言う馬場の表情を半ば無視して、阿紗子はつづける。
「この船、『天気晴朗』のせいか、ずいぶん飛ばしたね」
 二人とも、水中翼船ははじめての経験だ。
「つよい追い風だったからね。普通なら七十キロのところを九十キロは出していたね――シートベルトを締めろとうるさいわけだ」
 船室のデジタルの速度表示は、メートル法の時速キロメートルだった。陸の人間にはなじみの薄いノット表示でないところに、馬場は船会社に親しみを感じていた。
 博多からの乗客は二百五十人ほどで、定期船はおおむね満員だった。
 あまり広くない船着き場は、出迎えの人をまじえて混雑している。新学期前の春休みのせいで、客は若い男女がおおい。福岡・厳原間の定期船なので、乗客はほとんどが日本人だろう。
 船の甲板と埠頭に掛け渡された、ゆるい勾配のタラップを二人は並んで降りた。この勾配のゆるさは干潮のせいに違いない。新月なのだ。
 ゆっくりと人混みから離れて、馬場はあたりを見わたしたが、担当の常務と約束していた出迎えの人の姿が見えない。
 西部電力の制服で出迎えに出るはずだからすぐわかる、と本社の打ちあわせで常務が言っていた。電力会社の制服なら、簡単に見分けがつくので、あまり真剣に考えていなかった。馬場たちのほうの目印は決めていなかった。
 それにしても、馬場の助手が若い女性とは、先方は思ってもいないだろう。事前に電力本社で打ちあわせた時、常務にも、助手を同行させるとは言っているが、それ以上のことは話していない。対馬支店の電話番号は聞いてきているので、とりわけ不都合はない。
 それでも、天気がいいので、どこかのんびりとした気分だ。新しい仕事の前に感じる、あの一種独特の緊張感はあまりない。引き受けた仕事の内容もその一因に違いない。
 依頼された仕事は、奇妙で、わけのわからない類のものだった。それでも引き受けたのは、依頼主の素性と今までの因縁のせいだ。依頼主は、かつて三十年以上勤めていた会社なのだ。
「おじさま、出迎えの人が見えないね」
 阿紗子はあたりを見まわして言った。心配げな様子はまったくない。
 馬場は小さく咳払いをした。
「阿紗ちゃんなあ、事務所の外では、その『おじさま』はやめてくれ――誤解をうける恐れがある」
 そう言いながら、右手の人さし指で、黒くて細い金属縁の眼鏡のブリッジを馬場は押しあげた。馬場夫人がきらいな癖だ。
「じゃ、どう言えばいいのよ?」
「われながら気恥ずかしいが、やはり『センセイ』かな」
 すこし小声になって馬場は答えた。
 阿紗子は鼻で笑った。
 社員は自分と妻と阿紗子の三人だけの株式会社とはいえ、コンサルタント会社の『社長』だから、センセイでも仕方ないだろう。そう言おうとしたが、あきらめた。
 それを読んだように阿紗子がうそぶく、
「『センセイ』のイメージじゃないなあ――『シャチョウ』では小バカにしているみたいだしね。それかといって、いまさら『センパイ』でもないしなあ」
 馬場と阿紗子は、学部はちがうが大学が同じなのだ。『おじさま』で通そうという意思表示だろう。それに、あたりを気遣っているような声の大きさではなかった。
 そう言って、右手の甲を岸壁の白い連絡船にむかってゆっくりと振りぬく仕草をした。なんとなく太極拳に似ている。指先に全神経を集中しているのは、見ていてもわかる。
 阿紗子はフリスビー――フライングディスクが得意なのだ。中学三年のときに全国大会のジュニア部門で準優勝をしたことがあるそうだ。今でも週一回程度は、大宰府政庁跡の広場の裏の、人影の少ない草はらで一人で練習をしていると言っていた。風を読むことができることと精神を集中できることが、このスポーツでいい成績を残すためのポイントだといつか言っていた。教則本にでもそう書いてあったのか、阿紗子の信念なのかは、わからない。
 二人は待合室へ向かった。待合室の売店のまわりには男女二十名ほどの年齢混成の団体客がいて、辺りを憚らない声高の韓国語が飛び交っている。
 大陸が目の前の福岡あたりでは、どの店も中国人・韓国人に優しい。対馬ももちろんそうだろう。太宰府のような純門前町の観光地でもそうだ。日本人の観光客はネットの情報つまりあかの他人の話だけをたよりに店を選ぶが、中国人・韓国人は自分の目を信じてものを買う。店がこぎれいで暴利をむさぼっていなければ、外国人の観光客は来店する。つまり普通に商売をしていれば、ネットの利用が不得意な店でも、外国人の客はおおむね均等に入り、店は潤う。家庭用刃物の専門店、筆墨硯と和紙しか売っていない店などが福岡周辺の観光地で成り立つのは、このせいだ。遠いトンキン(東京)より近くのペキン、プサンなのだ。
 阿紗子はジーンズに焦げ茶色のジャンパーだ。服装に気を遣っている雰囲気は見当たらない。大ぶりの黒い布のバッグを右肩に下げている。船の中での説明では、バッグは落下傘用の生地を使っているので、風袋が軽く、使い勝手がいいそうだ。おおきく膨らんでいるわりには、軽そうだ。中身はほとんどが着るものに違いない。
 体のまえには、飾りのない黒い革のポーチをななめに掛けていた。女性には珍しく、なりふり構わず、といった部類の身なりだろう。
 背丈があり、髪はたぶん染めていない。染めていれば、黒かそれに近い色だ。口紅がうすい。胸のふくらみは人並み以上で、これは母親ゆずりである。手首と足首が、モグラのようにきゅっと締まっているのがひそかな自慢だと、これは本人がいつか真顔で、ビールを飲みながら言っていた。その自慢の手首に、大きい黒いカシオのデジタルの腕時計が見える。バンドも黒いウレタンだ。Gショックと称するやつだ。
 馬場のほうは、黒っぽい綿のスラックスに、ちょっとだけ赤の入った灰色のジャケットという、典型的な初老スタイルである。ジャケットの下は、紺色の地味なポロシャツだ。これらに共通する主張は、汚れが目立たない、ということで、共通点はすべてユニクロで揃えたことだ。若いころ、髪の毛は豊かだったが、この歳になると、洗髪のときは地が見えるようになった。もう少し薄くなれば、五分刈りぐらいの坊主頭にしようと考えている。
 待合室の少人数の人の群――定時の出航は正午のはずだ――が、埠頭のタラップのほうに移動してしまったころ、白い小型のワゴンタイプの車が、待合室の横にかなりのスピードですべりこんできた。電力会社の社名を横腹に青色の丸ゴシックで書いてある。
 やせて背のたかい、五十年輩の男が運転席から降り立ち、すでに人影もまばらな埠頭にちらっと目をやると、急ぎ足で待合室に入ってきた。電力会社の水色の制服のジャンパーにノーネクタイだ。小さめの縁なしめがねをかけ、短く刈った髪は半分ほど白髪になっていた。
 ベンチから立ち上がった二人を目にとめると、一瞬、ためらいの表情をみせ、それからめがねを押しあげて、大股で近づいてきた。二人づれと聞いていたことを思いだしたらしい。
「馬場先生でいらっしゃいますか?」
 なれた物腰の尋ねかただった。
 阿紗子がきっと苦笑しているに違いないと思う。
「申しわけありません。今日は『こち』が強く吹いていることを忘れていたものですから――」
 そう言って待合室の時計をすばやく一瞥した。
 三人は名刺を交換した。
 男は山上といい、対馬の西部電力営業所長だった。
 電力会社の本社で聞いてきたところでは、西部電力の対馬全島の責任者だ。馬場が依頼された調査の、現場の責任者でもある。必要なことがあれば、かれに直に言っていただければ、すべてかれのほうで処理する手はずになっている、と常務から聞いていた。
「こちらはわたしの姪で、仕事の助手をしてもらっています」
 弁解めかないように気をつけながら、馬場は阿紗子を紹介した。
 正確にいえば義理の姪だが、仕事の上の紹介の場合には『義理』を取ったほうが何かにつけ差し障りが少ないだろうという判断だ。今までもそうしてきた。
 阿紗子に、山上は少し丁寧すぎるお辞儀をした。
「めずらしいお名前ですね」
 そう言って、山上は阿紗子の名刺にもう一度目をやった。
「『れんがや』なんて、気取っているようで――二十年ほど前の町名変更前は、住所も連歌屋一丁目でした」
「響きが優雅ですねえ」
 山上がひとしきり感心し、それから、とってつけたように言った。
「現場に乗り込むまえに、営業所でブリーフィングをしたいと思いますので――」
 以前は、船着き場の道ひとつ隔てた目のまえが事務所だったが、二年ほど前に、事務所を街中に新築したと言う。
「いまだに以前の癖が抜けず、たまにあるお客様のお迎えに、ときどき遅刻します」
 目抜き通りとおぼしきところに、潮の止まっている小さな川があり、川幅に不似合いな大きいボラの群が、ゆっくりと泳いでいた。二十匹以上はいる。橋を渡るとき、石の低い欄干ごしに車の中から見えた。
 その護岸は年季の入った本物の石積だった。流れを挟んで、両側にほどほどの道幅の、同じような様子の通りがある。電力会社の営業所はその右岸の通りのほうにあった。
 営業所の筋向かいに、車止めの付いた御影石の由緒ありげな橋がかかっている。手摺りも御影石だ。
 石橋の反対側の正面は、民家を改築したらしい、昭和の雰囲気があるこぎれいな喫茶店だ。木の格子の多用と、修理に使った新しい木材をあえて目立たたせている。
 車から見ると、町を歩いている人はほとんどが韓国からの団体客だ。声が聞こえなくても、服装の色使いでたやすく見分けられる。
 営業所まで、山上所長の運転する白いフィルダーで三分たらずだった。歩いてもせいぜい五六分だろう。
 営業所は、山上所長の説明どおりに、建てかえたばかりの真新しいビルで、このあたりの街並みにふさわしいつつましい大きさである。玄関前には車が数台駐車できるほどのスペースがとってあった。一階が事務所で、その上は会議室と宿舎になっているはずだ。五階建てだ。西部電力の営業所はどこでもこのスタイルである。外壁は白地の地味なタイル張りだ。
 山上所長の言葉にしたがい、大きな持ち物は車に残して、二人は事務所に入った。かれらが事務所に入ったとき、机にいた数人の男の視線が一瞬、阿紗子にあつまった。
 ワンフロアスタイルの事務所には女性一人を含む数人の制服の社員がいた。
 かすかな片笑みをうかべて、阿紗子が僅かに頭をさげた。
 ひき締まった躰の大柄な女は、それだけで、男の目をひく。眉は薄いし、鼻筋だってそれほど通ってはいない。馬場の好みで言えば、唇は少し厚すぎる。あらわに目につく耳たぶのかたちは無難だが、ピアスの趣味はあまりよくない。その歳で真っ赤なサンゴはないだろうと思う。部分を取り上げると、むしろ欠点のほうが多いのだが、全体が何となくまとまっているのだ。
 役職名を彫りこんだ、白い樹脂の名札が数個所の机に見える。次長席の一人を除いて男子社員はみんな若い。次長は紺色の無地のネクタイをつけていた。総務課長の席は空いていた。机の上を見ると、空席ではないようだ。所長をいれて一ダースほどのメンバーだろう。
 山上は二人を応接コーナーに案内した。
 所長室の扉は開いていた。人の背丈ぐらいの高さの間仕切りと、事務所などでよく見かける、たぶんレンタルの鉢植えの闊葉樹で仕切ってあるだけだ。人目はさえぎるが、声は筒抜けだろう。電力会社の営業所で内緒の話をする必要はないに違いない。馬場が在籍していたときは、どこの営業所でも、こういう開放的な間取りではなかった。この配置は山上所長の意向だろう。
「甘い缶コーヒーとお茶は温かいもの、みかんジュース、グレープジュースなら冷たいものですが――ウーロン茶はいま切らしていまして」
 椅子をすすめながら、老練なウェイターのようになめらかに山上所長が聞く。
「缶コーヒーをください」
 入り口の近くの目立たないところに、社員用の自動販売機があるのを馬場は見ていた。
「わたしも同じものを」
 大きく頷いて、一番近い席の、若い社員に山上は缶コーヒーを指示した。紙コップと洗ったばかりの缶コーヒーがすぐに来た。
 その間に、所長室から、山上所長は二冊のファイルを持ってきた。一冊は緑色の表紙の、工事現場用に作られた写真帳で、数ページしかない。ページ数が増減できるようになっているタイプだ。あとの一冊は青い表紙のスクラップブックで、これも薄い。
「ちょっと気持のわるい写真ですが、調査の役に立つかもしれませんので――スクラップのほうは、わたしどもの事故の新聞報道と、それに関連がある事故の切り抜きのコピーです。ファイルは現場へ持って行きますので、ざっと目を通しておいて頂ければいいと思います」
 抑揚のない、どちらかといえば早口で山上所長は話す。声はあまり大きくない。
 なにげなく写真帳を開いた馬場の息が一瞬止まった。
 直射日光のもとで撮った写真だった。デジタルカメラで撮って、L版にカラー印刷したものだが、どこか手慣れた印象をあたえる写真である。これが馬場の第一印象だった。
 写真の右下には赤い数字で2019・9・30と小さく日付が入っていた。
「わたし、だめだ」
 ひとめ見て阿紗子が顔をそむける。
 西部電工の作業服をつけている死体の写真だが、どのような事故、あるいは、殺されかたをすればこのようになるのか、考えもつかなかった。顔は鏡餅のように潰れていて、脳漿が出ていた。顔かたちはない。胸からうえもおなじ厚さに潰れ、水色の作業服の上着は、血で黒くなっている。服の下で明らかに肋骨が露出していた。下半身は無傷で残っていて、それが死体をいっそう異様なものにしていた。雨で洗われ、砂利の露出した細い山道に死体は投げ出されていた。撮影者の影の長さから、天気の良い夕方に撮られた写真だ。


    *    *    *


 三月中旬、土曜の朝の十時ごろ、西部電力の本社から電話が掛かってきた。おちついた男の声だった。土曜日なので、OB会の飲み会あたりの電話だろうと馬場は思った。
 はじめて聞く、低い声の男は狩倉と名乗り、『安全労務』担当の責任者だと自己紹介した。このクラスからの電話は、まず秘書あたりが掛けてくるものだがと、一瞬馬場はいぶかったが、すぐに、今日が土曜日であることに気づいた。
 馬場が在籍していた数年前なら、安全労務関係の最高責任者の主要な仕事は、外部とのトラブルの折衝役だったはずだ。一種の汚れ役である。ときにはやくざなど常識と理屈の通らない連中を相手にしなければならない部署だ。役職は常務か執行役員だったと思う。即断即決が必要なときがあるからだ。
 在社当時の馬場と同様に、いまの馬場にも、よほどのことがないかぎり関係のない部署である。もちろん狩倉という名前は記憶にない。組織表には載っていたのだろうが、覚えていない。


 六十歳の定年まで五年を残して馬場は西部電力を退社し、コンサルタント業をはじめた。電力の仕事は優先的にまわすという条件で、独立を強く勧められたのである。有り体にいえば馘首されたのだ。
 二〇一一年三月の東北大震災と福島の原発事故をきっかけに、まず原発の再稼働がきわめて困難になり、発送電の分離が実施されて、電力会社は殿様商売ができなくなった。そのとばっちりをまず受けたのが、スタッフ部門である地質調査部だった。自分の腕と技術には自信があったが、サラリーマンとして『有能』でないことぐらい、馬場は自分でもわかっていた。だからそのことはそれほど衝撃ではなかったし、なにより自尊心を傷つけられることもなかった。ただ、顔をこわばらせた妻が一週間ほど口を利かなかった。
 在職中の馬場の専門は、西部電力が造るダムに関連した地質調査だった。それらに加えて、既設のダムの挙動調査や漏水調査(ダムはけっこう漏るのである)などもあった。いわゆる『地質屋』である。
 そのほかにも細々した調査もあり、電力会社にかかわる『地質屋』の仕事は途切れることがなかった。
 西部電力から仕事が優先的にまわされてくる約束があるとはいえ、地質のコンサルタントで生計がたてられる自信は当初はなかった。就職した後で出身校の博士号をとっていたので、食えなくなれば、地元の短大か高校の先生の職を探すつもりだった。退職した途端、自宅近くの私立の工業高校から副校長に招聘の話があったし、福岡の私立大学からも教授への打診があった。退職したとき、名ばかりだが役員待遇だったので、学校としては、学生の就職の有力なコネになってもらおうという下心が、当然あるにちがいない。もしかすると、そのほかの積極的な理由はなかったに違いない。
 二三年は様子を見たいという情況を正直に話して丁寧に断ったが、それらの学校とのつながりだけは、打算めいた下心もあって、維持している。もちろん無給だが、一度、税務署員が事情を聞きにきた。
 コンサルタントを始めてみると、『プロパー』の仕事が予想外に多かった。とりわけ市町村からの依頼がおおい。地下水の調査や地滑りの対策に関連するもの、大型の建物やタンクなどの基礎調査の判定、判断などである。
 それらは、工事や調査を担当した会社が概ね結果を出していたが、市町村の役所や役場は『箱書き』がほしいし、議会の説得のためにも、一種の権威付けが必要なのだ。これには旧帝大という馬場の出身大学とその博士号、西部電力のOBという履歴がおおいに役にたった。会社を辞めて、たぶん初めて、「学歴」が役にたったのである。
 もちろんそういう骨董品の鑑定のようなものばかりではない。
 西部電力から今回の依頼がきた時には、大分県の山沿いの小さな市から頼まれた地下ダムの報告書の仕上げに取りかかっていた。そこは地下ダムに最適の地質構造だった。依頼した市もそのことは知っていた。
 市が実施したボーリング調査がしっかりしていたので、取水位置を決めるのは簡単だった。工法も、ごくありふれた、実績のあるSMWで十分だ。以前から、地質構造が調査、報告されている一帯なので、可能取水量も推定できる。馬場と同名の先輩教授も、この周辺の地質調査の結果を、本にまとめていた。したがって、必要な純建造費も上二桁の概算ですぐに出た。
 依頼された項目はこれだけで、報告書もそのことだけ書けばいいのだが、馬場の仕事の真価はこのあとにあった。
 馬場の結論は、地下ダム築造は現実には不可能、というものだった。
 地下ダム計画位置から下流で工場などが地下水を使用している場合、当然、下流の地下水位が変動し、取水に影響がでる。たいていの場合、地下水位が下がる。地下ダムを家庭専用と仮定して試算してみると、一メートルほど低下することがわかった。
 そうなると、地下ダムを築造する場合には、地下ダム下流の関係者の同意が絶対に必要である。
 下流にある工場数と業種、地下水の概算の使用量を調査すると、関係者の同意、とりわけ醸造関係社の同意を得るのは到底、不可能というのが、馬場の結論だった。このあたりは地下水の水質が極めて良質であり、焼酎の名産地なのだ。
 市の担当者に簡単な説明と結論を電話で話して、対馬に来るまえに、報告書は郵送してきた。
 そういう報告書の構想の立案と原案の起草、技術計算は馬場が行うが、それのコンピュータへの入力と計算、校正全般、検算と仕上げ、清書から製本までは阿紗子の担当である。最小自乗法による答の算出、t分布を使った誤差範囲の計算、カイ二乗検定などは、むしろ数学科出身の阿紗子のほうが遥かに得意である。
 阿紗子のかつての仕事はコンピュータのプログラマー兼システムエンジニアである。
 阿紗子のおかげで、大手コンサルタントの報告書よりも体裁は群をぬいて垢抜けしていると馬場は思う。
 会社の銀行口座に一千万円ほどの余裕ができたとき、その半分ほどを使って、大型のプロッターと、スキャナー付の大型のカラープリンターを、馬場は阿紗子から買わされた。使用頻度が高いので、外注やリースは非経済的だと言う。
 「財務」担当の妻の雅子は贅沢だと反対した。いまでも、なにかにつけ思いだしては、あれは贅沢だったと言っている。
 しかし、それでまた阿紗子がつくる報告書は、とりわけ見栄えがよくなった。カラーで表示した大型の図形ほど効果的なプレゼンテーションの小道具はないからだ。
 阿紗子は、馬場夫人の姉の一人娘である。隣の太宰府市に住んでいて、義理の姪になる。三十歳をすこし超えたところで、もちろん独身だ。
 馬場夫婦に子供がないので、夫人は阿紗子を赤子のときからわが子のようにかわいがってきた。DNAの仕組みと濃度からいえばごく自然なことだろう。本気で、自分の子のように躾けていた。阿紗子にとっては第二の母親みたいなものだ。阿紗子がケチなのは、その躾が利きすぎたせいだ。
 阿紗子の高校が馬場の自宅のすぐ近くだったので、今事務所にしている階下の一部屋を阿紗子専用に使わせていた。月の半分以上は馬場のところから通学していた。試験のある期末はほとんど馬場のところにいた。食費は入れていたようだが、詳しいことは馬場にはわからない。
 馬場が出た地元の大学に行くようになってからも、状況は同じようなものだった。馬場の住んでいる大野城市から通学したほうが、通学時間が半分ほどになるので、高校のときの状況がここでも繰り返された。
 大学の数学科を卒業すると、大手の企業グループに属するコンピュータの販売と維持管理の会社に入社して、阿紗子は東京へ出た。
 そして、一年半前に退社して帰ってきた。十年近くはその会社に勤めた勘定になる。
 阿紗子が退社したのにはもちろん深刻な理由があった。
 阿紗子が担当していた大手の証券会社本社のコンピュータのどこかで、六億円あまりが跡形もなく消えたのである。
 その証券会社で使用しているメインフレームの維持管理が阿紗子の当時の主要な仕事だった。その大型コンピュータは、阿紗子が勤めていた会社の企業グループのメーカー部門が製造したものである。
 当然、まず阿紗子が疑われたが、メインフレームのメモリーやソフトウェアに証拠らしい痕跡は一切なかった。
 証券会社と保険会社は当然ほかのソフトウェアの会社にも調査を依頼したが、成果はないに等しかった。その調査の唯一の成果は、消失した正確な額で、それは6億2、831万8、530円だという記事が、新聞に小さく載った。
 ニュースが少ない十一月だったので、その「事件」は三日間ほどテレビをにぎあわせたが、都内世田谷区で、幼児を含む一家四人惨殺事件が発生し、たちまちテレビと世間は六億円に興味を失った。
 これが阿紗子が退社した理由である。直接の責任者として、責任を取った格好だ。
 保険があるので、証券会社は実害を被らない。証券会社の担当者が処罰されたり、責任をとった話も聞かない。はたして犯罪があったかどうかも実証されていないのだから、責任を取ろうにも、取りようがないのだ。
 この事件には深刻な被害者がいない。それに、警察もこの手の犯罪は伝統的に苦手だし、知識も経験の蓄積もない。この類の犯罪の担当部署もあるらしいが、だれも勉強なんかしていない。その部署はこれからの花形だとマスコミは書き立てるが、警察機構の中では所詮、傍流なのだ。だから、みんな不熱心で、この事件は早々と迷宮入りになってしまった。
 義理の姉夫婦と馬場夫人は、もちろん阿紗子の無実を確信している。疑ってもいない。それどころか、第一の被害者だと言っている。
 しかし馬場は阿紗子が犯人だと秘かに思っている。これは確信に近い。
 十一月に六億円紛失事件が起きた。その同年の八月、つまり事件の前のお盆に阿紗子が帰省したときのことだ。就職して以来、いつも身につけていたオーディマ・ピゲの地味な腕時計がカシオの黒いデジタルにかわっていた。壊したのかと聞くと、ここ七八年間は、いわゆる贅沢品は身につけないことにしたと阿紗子は答えた。ビールの席での話なので、そのときは、いつもの気まぐれだと思い、馬場は聞きながしたのである。これが馬場が確信した理由である。後で調べると、七年はこういう犯罪の時効の期限だ。
 馬場の確信を裏打ちする事実もある。それは紛失した金額だ。その金額が円周率のちょうど二億倍だということは、新聞や週刊誌を見る限り、だれも指摘していない。偶然そうなる確率は、九億分の一である。絶対に偶然ではない。それが犯人の遊び心か、その数字の入力が数タッチでできるようになっていたのかは、わからない。もしかすると両方だったかもしれない。
 そういうわけで一年半ほど前から阿紗子は馬場のところで働いている。一応、仕事がある時だけということで始めたが、ここ一年は馬場の事務所に、日曜日以外は毎日出勤している。仕事が立て込んできたときは、頼まないでも休日も平気な顔で出勤してくるところをみると、恋人はいないらしい。馬場が一番危惧したのが男の影だったが、それは杞憂だったようだ。
「働かなければ、やっぱり、と世間は思うからね」というのが阿紗子の屈託のない説明である。
 世間相場よりもいささか安めだが、もちろん給料はちゃんと払っている。通勤用の白い軽自動車は東隣の農協の駐車場に停めている。「軽」専用の狭い区画を割安で借りたのだという。
 馬場の事務所は、自宅の一階の、十畳と八畳の畳部屋を頑丈な板張りにかえただけのものだ。
 この家を設計したときから、馬場夫婦の生活は二階だった。商業地域のために建物が建て込んでいて、一階は日当たりがわるかったのだ。一階はもともと来客用の予備の部屋に作ったのである。
 十畳をコンピュータなどの機器類と阿紗子が使用し、たまに来客があれば、臨時の応接間になる。八畳に馬場の机をおいている。
 日当たりが悪い分だけ、一階の事務所は、コンピュータやプリンター、スキャナーなどには理想的な環境だった。


 西部電力本社ビルの正面玄関は閉っていて消灯してあったが、朝九時から夕方の六時まで、脇の通路の扉は開いていることを馬場は知っていた。
 明るさを下げたホールの受付に、中年の太ったガードマンが背筋をきちんと伸ばしてすわっていた。常務の名を告げると、すぐに通じた。
 待つ間もなく狩倉がひとりで降りてきた。
 背丈は平均以上で、馬場がダイエットの目標としている体型をしている。細い黒縁の眼鏡をかけていた。女子大の文学部教授といっても通るだろう。テレビ映えのする顔をしていた。
 薄暗い受付の横で、かれらは名刺を交換した。狩倉の肩書は「常務執行役員・安全推進部兼安全労務部担当」だった。安全担当の常務ということだろう。
 十階のフロアに狩倉のデスクはあった。フロアは人事部が大半を使用していて、狩倉のデスクは、天井まで届いている間仕切りで仕切って独立していた。
 窓のない応接間に狩倉は馬場を案内した。
 ペットボトルのお茶と紙コップも狩倉が運んできた。
 それにしても、実に奇妙な依頼だった。
 西部電力から分離した西部送電の対馬の現場で奇妙な死亡事故があったという。亡くなったのは西部電設工事という、西部送電の下請けの会社の社員である。その事故と事故をとりまく情況の調査が依頼事項である。
「西部送電は別会社ですね?」
 馬場が念を押した。
「建前はそうですが、離島でそれをやると、人件費ばかりが高くなってしまいます。それでうちが西部送電の下請けをするという形で、いままでと同じようにやっています。別の離島では、逆の場合もあります――たとえば、壱岐や五島列島ですね」
 常務の話は馬場の理解の範囲を超えていたが、そこは流した。
 事故が発生したとき、罹災者は明らかに作業中だったので、事故の原因は不明としたまま、とりあえず労働災害として処理された。つまり「労災扱い」である。そうなると、とうぜん労働基準監督署も調査したはずである。馬場などの部外者の出る幕ではないだろう
「焦点のはっきりしないご依頼ですが、この調査の目的はなんでしょう?」
 馬場の無遠慮な問いにも表情をかえず、狩倉はちいさく三四回うなずいた。
「わたしどもの事故はたしかに労災事故として処理されました。しかし、警察は殺人事件と見なしています。まずこれが第一点――」
 馬場は黙ってさきをうながした。
「この事故から半年後と一年後――つまり二件、わたしどもをふくめると全部で三件ということですが、ほぼおなじ地域で原因不明の死亡事故がありました。その二件はわたしどもとは関係のない事故です。いずれも原因というか犯人というか、それがわからないのです――三件とも死体の状況がまさに怪死だったそうです」
「ほかの二件も労災事故として処理されたのですか?」
「それがよくわかりません――原因不明の事故として処理されたはずですが、そのうち一件は、警察は殺人事件とみたようです。しかし、警察はくわしいことは発表していません。新聞は事故発生の報道だけしかしませんでした」
「西部電設を中心にして、この三件の事故のことを調査するのですね」
「ご専門じゃないと思いますが、警察に頼むわけにはいきませんし……」
 言葉は柔らかいが、常務の態度からは、強い意志が感じられた。
「専門外の仕事もたくさんやってきましたが、これほど異質な仕事は初めてです。ほかに適切な経歴のひとがいると思いますが――」
「一応わたしなりに調べてはみましたが――こちらの事情で大きな調査会社に頼むわけには行かないものですから」
「警察のOBのかたで、そういう仕事のコンサルタントをしている人がいるはずですが、そういうかたに頼まれたほうがいいのではありませんか?」
 常務の返答はちょっと意外なものだった。
「この一連の事件は文科系の人間の手には負えないとおもいます――かれらは世間の常識を捨てることができませんからね――目的よりも手順や法規を重視します。警察まがいの調査では、労基署の調査と同じ結果にしかなりませんしね」
「わたしだって、おおかた同じです。何の結果も出ないかもしれませんよ」
「それでもかまいません。それはそれでりっぱな結論です。何も手を打たないのは、どうしても気になるものですからね」
「なるほど、それでは調査の目的は、真実の事実の調査――ちょっと変な言いかたですが、そういうことにしておきますが、成果や結果が出なくても、調査料金は頂けますね?」
 おカネが絡むことは、きちんと念を押すのが馬場のやり方だった。つまり本質的にけちなのだ。きっちりしているという人もいるが、けちであることに変わりはない。
「もちろんです。こういう、時機を失した、しかも建前は社外にかかわる調査なので、わが社の名前でカネを出すというわけにはいきませんので、気心の知れた下請けを通して処理します。つまり支払いは領収書の必要ない現金です。これについては、わたしの名前で念書を入れてもいいと考えていますが……」
 念書の件は、もちろん、丁重に断った。
 ここのところほとんど休んでいないので、骨休めでもするか、という理屈をつけて馬場はこの奇妙な依頼を引き受けた――どう考えても、自分たちが選ばれた理由が納得できる依頼ではなかったのだが。
 人件費は馬場と助手の二人分、とりあえず一週間もあれば十分過ぎるだろう、と馬場ははじき、そう申し出た。
 狩倉は承諾した。
 事件の現場は、旅館があるようなところではないので、現場での宿舎と食事、対馬での「足」は会社のほうで無償で準備するという。いわゆる「あご・あし付き」である。
 二人で、一応正味七日間の予定で費用は滞在日数で精算するということにした。対馬への行き帰りの交通費は、会計上の理由もあって馬場負担という要望なので、それは同意した。ふつうの仕事ならこの倍の収入を見込めるだろう。馬場としては元雇用主への『サービス工事』のつもりだ。
「もしかすると、二三日で目途がつくかもしれませんね」
 馬場のほうでも、早くけりをつけたい仕事だ。北九州の、広大な埋立地に計画されているセラミック工場の基盤のボーリング結果がひと月後あたりに出る予定である。基礎岩盤に少々問題のある工事なのだ。
「それでなんらかの結論が得られれば、それでもけっこうですよ」
 馬場としては、一週間の物見遊山のつもりなのだから、おカネが貰えるだけ、儲けものだと考えることにした。
「報告書はわたしどものスタイルでよろしいでしょうか?」
「正式の報告書は必要ありません。そのかわりに、事情をみて必要だと思われたら、わたしの「携帯」に中間報告をください。内容が複雑なら、わたしのパソコンのアドレスあてにメールを打ってくださって結構です――パソコンは対馬の営業所にノートパソコンが余っていますので、それを使っていただきましょう」
「助手が自分のやつを持っていくとおもいますが――」
 阿紗子が使っているキーボードは、かなりキー配列を変えている。試しに打ってみたことがあるが、馬場の手には負えなかった。
「これは、ぜひとも私どもの機械を使っていただきたいのですが――もしかすると、部外秘のような結果になるかもしれませんので。その場合、そちらの機械の中にデータが残っていると都合が悪いものですから。もっとも、守秘義務さえ守っていただければ、そちらでコピーをとられるのは構いません」
 狩倉はきっぱりと断定した。表情は笑っているが、口調は断固としていた。その口調から、これが馬場を選んだ本当の理由だろうと、確信した。そういう場合も大いに予想されると常務は考えているのだ。一体、対馬で何があったのだろうか。
「これは、当然、会社からの正式の依頼でも、もちろん、常務さん個人の依頼でもありませんね――どこからの依頼なんですか?」
 馬場が尋ねると、身をゆすって狩倉は笑いだした。
「対馬営業所に山上という対馬総括所長がいまして、かれのしつこい依頼にわたしがしぶしぶ折れたというわけです。それ以上でも以下でもありません」
 大笑いするほどの内容だとは思わなかったが、これは狩倉常務の癖なのだろう。笑ってごまかすというやつだ。ごろつきや常識の通用しない相手をかわすときの癖が、つい、出たのかもしれない。
 稟議の起案者である対馬の総括所長を調査の責任者にしているので、詳しいことはかれから直接、現場で説明があると常務は言った。
 言うまでもなく、この程度の出費は電力会社にとって痛くも痒くもないことなのである。うるさく調査を依頼する配下がいるので、現場の士気も考慮して、適当に処理したというところだろう。
 ただ少し引っかかるのは、休みの日にわざわざ電話してきたことだが、これだって、事情はいくらでも考えることができる話だ。
 このような経緯で、馬場は依頼を引き受けた。そのときから馬場は阿紗子を連れて行くことに決めていた。話し相手がいないと時間を持て余すのは目に見えていた。話し相手として阿紗子とは波長と、それ以上にレベルが合うのだ。
 そのことは、妻には話していない。いらぬ疑いをかけられたくないからだ。それに、本当のことを話しても、口では笑顔で妻が承諾しても、内心では嫌な思いをしているはずなのだ。もちろん何の下心もないのだが、そんなことは口に出すだけ疑いを深めることになるだろう。このことはそのとおりに阿紗子に伝えた。
 二三日後の朝一番、阿紗子からの小声の報告では、馬場が対馬へ行って留守のあいだ、阿紗子は東京の友達のところに行くことになっているそうだ。これはその夜、妻からも聞いた。こういう機転は妙に利き、行動も速い。だが、このような嘘をつくことを何とも思っていないところは少し怖い――正直しか売り物がない女性よりはよほどましだが。
 今までも三四か月に一度、在京の女友達のマンションを基地にして、二三日から長くて一週間ほど、憂さばらしに阿紗子は東京に出ているので、それが都合よくカモフラージュになっていた。


    *    *    *


「残りの二件の死体の情況もそれ相当にひどかったそうで、いずれも圧死だったそうです――村の駐在から聞きました」
 小さく横に頭をふりながら、山上は小さいため息をつく。
「それにしても、原因もわからないのに、よく労災で処理されましたね?」
「そうですねえ、犯人や原因はなんであるにせよ、勤務中の事故だったことは間違いありませんから。労災には、弱者救済という基本的な線がありますから、その線に沿って処理されたのでしょう――それにしても、二か月たらずでおカネが支給されたのには驚きました。捜査本部ができて警察が介入してくるような事件では、常識的には支給まで一年でしょうね、それに未解決事件だし」
「捜査本部ができたのですか?」
「明らかな労災事故でも死者が出たときには必ず警察の立ち入り調査があるのですが、この事故のときは、当然ながら厳原署に捜査本部が設置されました。つまり、立派な殺人事件というわけです」
 そう言って、山上はまた、ため息をついた。
 この場合、実質の元請けの現場責任者に直接の責任は間違いなくないにせよ、死亡事故は、それがどういうものであれ、現場の責任者の気分に重くのしかかるものなのだ。
「狩倉常務の話では、山上さんが調査の稟議の起案者だということでしたが――」
 スクラップブックをめくりながら、馬場が尋ねた。
「労災処理のスピードのようなことをふくめて、気になることがおおすぎる事故なものですから、懇意にしていただいている常務に無理を言いました――正直なところ、わたしの依頼をそのまま聞いてくれるとは思っていませんでしたがね」
 調査費の捻出に、常務もそれなりに無理をして、山上の依頼を承諾している。
 会社にとって金額はとるにたらない微々たるものだが、協力会社に架空の仕事を発注して裏金を現金で捻出させるのは、そこそこに厄介なことなのだ。まず何より、これは犯罪である。こういうことは、きちんとした会社ほど簡単には引き受けないし、きちんとした会社でなければ、発覚する恐れがある。税務署よりも内部告発が怖い。だから極めて少人数で処理しなければならないのだ。一旦発覚すれば、金額の多寡は関係なくなる。
 現金で百万の裏金をつくるには、それを頼んだ会社に二百万の架空の仕事を発注しなければならない。それらの、多大な注意と技巧が必要な事務を、関係者だけでひっそりと処理しなければならない手間が両方の会社の実務者に重くのしかかってくる。頼まれた下請けは、それらの見積書もそろえなければならないのだ。税務署の徹底的な調査を前提に、つじつまの合った書類を用意しておかなければならない。
 スチールの小振りの会議テーブルを挟んで、かれらは向かいあった。
「対馬はここ三十年のあいだに過疎化が一段とすすみまして、裏側つまり朝鮮海峡側の人口は三十年前の半分ほどになりました。そこに三四の小さな部落があるのですが、その分校の生徒数が今では五人ほどです」
 うしろの白い壁に、急拵えで用意した様子の、A3を貼り合わせて作った一間四方ほどの大きさの対馬全島の航空写真を手でさし示しながら、山上が説明する。
「いまから五十年ほど前まで、事故現場の近くに、鉛・亜鉛鉱山がありましてね、小学校の生徒数は当時二百人ほどいました。そのせいで、地元の人は、さびれた感じが一層強く感じられるそうです」
 そういう過疎地で、ここ一年半のあいだに三件の死亡事故があったという。いずれも今日まで未解決だ。
 一件目が西部電力のかかわる事故だった。一年半まえ、二〇一九年の九月末である。
「わたしどものような素人が、一年半前の事故を調べても、得るものはほとんどないとおもいますが――」
 過度に期待されるのが一番困る。釘だけは一本さしておく必要があった。
「たとえ何も得られなくても、それはそれで立派な結論ですから――わが社の狩倉もわたしとおなじ考えでしょう」
 山上は確信に満ちていた。
「ところで、わたしを指名されたのはどなたですか?」
「常務の狩倉です。うちのOBでコンサルタントをされている人がいるということで、馬場さんのことを社内でいろいろ聞いていたようです」
「警察出身の方で、私立探偵のようなことをやっている人がいらっしゃると思いますが、そういう方のことは考えませんでしたか?」
「ものに囚われない自由な考え方のできる人でないと、歯がたたないだろうと思います。常識に振りまわされるだけでしょうから」
 山上は狩倉とまったく同じようなことを言った。たぶんこちらがオリジナルだろう。死体の状況と現場を自分の目で見ているのだ。
 西部電力単独の事故だけが問題なのではなく、それに引き続いて起きた一連の事故の意味も知りたいのだと山上は言う。
 西部電力の事故が皮切りになって、ほぼ半年ごとに一件ずつ事故が起きた。今年の四月が二年目だが、四件目の事故はまだ起きていない。そろそろその時期なのだ。もしかすると狩倉常務はその時期を待っていたのかもしれないとも勘ぐられる。たぶん、間違いなくそうだろう、と馬場はこのときはじめて気づき、大企業で常務をしている男の一面を見た思いがした。
「対馬の西海岸の寒村で、おおむね半年に一件ごとの死亡事故です。もちろん犯人や原因、動機は、われわれにはまったくわかりません――警察はもしかするとわかっているのかもしれませんが、発表は一切していません。お渡ししました新聞の切り抜きはその記事です。事故は比較的せまい範囲で起こっています――」
 山上の癖だろうが、テーブルに両肘をついて、淡々と話す。
「一番考えやすいのは、例の北の国の謀略絡みでしょう。死体の状況からも、ふつうの人間の仕業ではないので、警察はその線で動いていたようです。公安の私服が現場に二三度きたことがあります。部落の駐在から、あれは間違いなく公安だと聞きました。しかし、結果は得られなかったようです」
「公安ですか――ちかごろは例の国も元気がありませんからねえ」
 馬場がつぶやく。
 山上は小さく笑った。
「つぎが変質者の線です。部落周辺のたたずまいを見ていただくとわかるのですが、これはまず考えられません。知らない人間が入り込むと、すぐわかります。事故がおこった範囲内なら、部落にいる犬の名前から猫の手癖まで、村民はみんな知っています」
 薄茶色をした皮表紙の手帳に四色のボールペンでメモをとりながら、うなずいて馬場は先をうながした。メモをとるのは、相手への礼儀だと馬場は思っている。コンサルタントはサービス業なのだ。「先生」とふんぞり返っているわけにはいかないのだ。
「しかし、一番の問題は動機です」
 水色のファイルから二枚のコピーをとりだし、馬場と阿紗子の前においた。
「被害者の一覧です。その下の地図にある『×』は事件が起きたところです――新聞記事をまとめました。ここから、共通の動機どころか、動機そのものも見当たりません」


 【事故一覧】
  ◇(一)  二〇一九年 九月 三十日(月)・晴
 ・男(四十三歳)・午前十一時頃
 ・西部電力工事(株)社員(厳原在住)
 ・圧死(?)。作業同伴者あるも、犯人を目撃していない。

  ◇(二) 二〇二〇年 四月十三日(月)・晴
 ・男(六十一歳)・時刻不明
 ・農林業(佐須在住)
 ・転落死及び圧死(?)。単独で帰宅中か。
 ・付近に高所なし。連れていた犬も一緒に圧殺されていた。

  ◇(三) 二〇二〇年 十月 八日(木)・快晴
 ・女(五十一歳)・時刻不明
 ・農業(阿連在住)
 ・圧死(?)。山中の椎茸栽培場で単独農作業中。
   
  ●被害者はいずれも対馬出身者。
  ●二〇二〇年四月九日から十一日までに(日時推定)、右記と は別に三匹の野犬が同一個所で原因不明の圧死(?)をしている。
  なお犬などの死骸は野犬、チョウセンイタチ、烏が食べるので、 上記のほかには確認できなかったとは断定できない。


「被害者の年齢が高いのは、このあたりに若者がいないからです。ただ一つの共通項は死因が無残な圧死らしいということですが、それにしても、圧死させる重さの物が近くには見当たらなかったようです」
 山上は二人を見た。
「犬の死が妙に目につきますね」
「このあたりでは犬は放し飼いですから、そうなるのでしょうが、なぜ犬まで殺すのか、さっぱりわかりません――たぶん、犯人に襲いかかったのでしょう」
 コピーから目をあげて、阿紗子が聞く。
「事故がおきた範囲の人口はどれくらいですか?」
「そうですね、範囲の取りかたにもよりますが、約百戸、三百人強です。気になってわたしも調べました――これには、小茂田浜の集落は含まれていません」
 バッグから小さい電卓をとりだして、阿紗子がキーをたたいた。
「一年半に三人の事故死として、一年では二人としましょう。それで、日本全体での事故での死亡者――交通事故以外の事故死亡者ですけど、数はどれくらいでしょうね?」
 何をもって怪死とするのか知らないが、馬場はそれのはっきりした数字を見たことがない。
「パソコン、お借りできますか――警察白書を見ればわかると思いますので」
 そう言いながら、阿紗子は立ち上がった。
「それ、もしかして、インターネットですか?」
 すわったまま、顔だけをあげて、おそるおそる山上が聞く。
「そうですが、何か?」
「この事務所から娑婆のインターネット、使えるのかなあ――」
 もちろん社内は電力会社専用のネットで結ばれているはずなのだ。
「山上さんはインターネット、お使いになっていません?」
 すこし声をひそめて、上から阿紗子が尋ねた。
「ネットのほうはどうも――コースのほうなら、まだ、何とか……」
 これも声をひそめて、上向きの真顔でこたえた。
 アハ、と声をあげて阿紗子は笑った。
「阿比留くん、この事務所で娑婆のインターネットは使えるのか?」
 天井に向かって山上所長は、さきほどとは別人のような大きな声をあげた。
「本社を通して使えます――」
 植木の向こうからすぐ返事がかえってきた。若い生真面目な声だ。
「お客さんを案内してくれ」
 阿紗子は阿比留青年と二人で応接コーナーを出ていった。
 本社と繋がっているパソコンのあるコーナーは応接コーナーから三間ほど先の、ついたてで仕切られた、窓のない柱の陰だった。
 十分ほどで阿紗子と阿比留青年は戻ってきた。
「殺人事件などで亡くなる人は、二年前の警察の統計では、年間約九百人でした」
「しかし、なにかと便利なものですなあ――」
 まじめな顔で、山上は言った。
「人口を一億二千万とすれば、それを三百人あたりに換算すると、〇・〇〇二人くらいです――全国で一年間に怪死する人の数です。ここの千分の一です。比較にならないくらい、小さい数ですね」
 手帳で計算して、独り言をつぶやくように阿紗子が言った。
「これはやはり山上さんのおっしゃるように、偶然の事故だとは考えられませんね」
 阿紗子を凝視して、山上は感嘆の表情をうかべた。
 それに馬場が異見を差し挟む。
「三つだけのサンプルでは偶然の可能性もあるよ。めったに起こらないことは、連続したように起きることがおおい――ポアッソン分布というやつの性質だな。稀にしか起こらないことが均等におこることのほうが、おかしいからね――二度あることは三度あると言う」
「それ以前の問題があるよ――定性的にも偶然じゃないよ。事故が起きたかなり正確な周期と死因が同じだということを考えると、偶然とは絶対にいえないよ」
 普段の事務所の口調に阿紗子はなっている――声が筒抜けのオープンオフィスという状況を考えているのか、普段よりは声は少し小さいが。
「なるほど、そう言われるともっともだな――ところで、この三件の事故を問題にしているのは、山上さんだけですか?」
 やや小声で、馬場が尋ねる。
「社内なら、わたしが知っている限りでは、そのようですが――」
 山上の声は二人よりも大きかった。
「地元には何か動きがありますか?」
「夜も安心して眠れない、何とかしてくれと、部落の世話役が厳原署に掛け合いに行ったのですが、受付けで迷惑顔の若い婦警から被害届のようなものを書かされただけで、まともには対応してくれていないようです。われわれにわかるような具体的な動きは何もありません」
 そこで山上は思いついたように言った。
「ところが、警察とはべつに、自衛隊が動いている気配のようなものがあります。これは現場に行く途中で見ることができます」
「新聞社は動いていませんか?」
 カップを持ったまま、阿紗子が聞いた。言葉にむだな遠慮のないのが阿紗子のいいところだ。
「動いていないようですね。実は、わたし自身で長崎と福岡の地元の新聞社に投書してみました。ふた月前のことです。『そろそろ死人が出る四月だ』と脅したのですが、なしのつぶてです。文章がヘタなものですから、まずそちらでボツになったのでしょう」
「半年おきに三件の死亡事故では、新聞社は動かないか――新聞社だって、それほど鈍くはないと思うけどなあ――」
 阿紗子がつぶやいだ。
 馬場は考えてみる気になっていた。これはいったい何だろう――離島の僻地で何があったのだろうか?
「これは笑い話として聞いていただきたいのですが、これに関しUFOのことも調べてみました」
 こんどは、すこし声をひそめて苦笑いしながら山上が話す。
 阿紗子の紙コップの動きが、口の前でゆっくりと止まった。
「異星人が乗っているという、あのUFOですか――未確認飛行物体?」
 阿紗子が身を乗り出した。目が笑っていない。けっこう本気だ。
「誰が乗っているのかは知りませんが、そのUFOです」
 笑いながら、山下が応える。
「どのようにして、何を調べたのですか?」
 カップを置きながら、優しい声と目でたたみこむ。
「対馬の上島に自衛隊のレーダーサイトがありましてね、仕事がら、サイトの職員と付き合いがあります。それで、缶ビールを一ケース持ちこんで、はじめの事件の起きた前後一週間ほどの間、レーダーに正体不明の映像が映っていなかったか、聞いてみました」
 苦笑しながら山上が説明する。
 苦笑でごまかしているが、けっこう本気で調べたようだ。知り合いがいるのなら、電話で聞いてみる程度が普通のやり方だろう。
「もちろん異常なし、でした。その時わかったことですが、軍隊は日常の出来事をじつに綿密に記録しているのですね――以前はしばしばあった大陸や半島南北の戦闘機の領空侵犯も、ここ二三年はぐっと減ったそうです」
「それ以前の問題ですが、UFOはレーダーに写るのですか?」
 馬場が尋ねる。
「写るよ」
「写ります」
 阿紗子と山上が同時に答え、阿紗子が目で山上をうながした。
 山上がかるく頷いた。
「前世紀末のことですが――一九八〇年代の終わりごろでしょうか、『日経サイエンス』という硬い雑誌にUFOに関する記事が載りました」[註]
 少しの間、山上が遠い目つきをした。
「ご存知でしょうが、この雑誌に論文が掲載されると、学者としては、まあ一流とはいかないまでも一人前だと言われる部類の雑誌です――もちろん、アメリカの『サイエンス』とは雑誌の性格も異なりますけど。これ、ちょっと褒めすぎかな」
 微笑みながら、山上が続ける。
「記事の筆者は水産庁の調査船に乗っていた調査員の一人でした――観察のプロですね。もちろん本名での投稿で、たぶん農学博士だったはずです。かれを含めた乗組員の目撃をかれが代表でまとめたというスタイルでした。持ち込みの原稿だったそうです」
 ずいぶん丁寧に山上は読んだようだ。
「その調査船の乗組員たちがUFOを二度、いわゆる『見た』というのです――」
 一旦話を切って、馬場をちらっと見た。
「初めは南米のフォークランド諸島のちかくで、二度目は太平洋の真ん中、ハワイと日本の中間あたりです。正確には、目視と同時にUFOの飛行をレーダーでも見たというのです。一度は光が集団で移動するのも目視したそうです。それに、姿は見えなかったけれど、頭上を通過するときの音も聞いたそうです。ジェット機とは違い、比較的小さい、車の排気音のような感じだったと書いてありました。じつに厳密な記事でした。まさに学術論文でした」
 山上はいったん言葉を切って、阿紗子を見た。
 阿紗子が小さくうなずく。
「その記事によると、UFOはレーダーに鮮明に写ったということです。その記事の記憶があったものですから、すぐにレーダーのことを思いつきました」
 視線を落として小さく相槌を打っていた阿紗子が話を引き継ぐ。
「わたしも、その記事、三四年ほど前に図書館で読みました――レーダーの画面上で判断すると、タンカーくらいもある楕円形で、マッハ四ほどで飛び、Uターンならともかく、Vターンしたそうですね――UFOの存在を信じるようになったのも、その記事を読んだからです」
 うなずきながら、阿紗子が続ける。
「すこし残念なのは、レーダーの映像の写真がないのね。当時のレーダーには映像の記録装置はついてなかったんだって。録音装置もね――メモリーの容量がまだ小さかったのかな」
 阿紗子がよく本を読んでいたのは知っていたが、その読書の範囲がUFOにまで及んでいるのは、今まで知らなかった。
「山上さんは、なぜUFOのことを調べる気になったのですか?」
 馬場が聞く。山上もUFOを見たのではないか、とひそかに期待したのだ。対馬ならそれもありかな、と思ったのだ。
「考えられる可能性はすべて調べる――それだけの理由です」
 溜息をつきたくなるような、平凡な、優等生の答だった。
 その時、さきほどの若い職員が応接コーナーに入ってきた。
「そろそろお昼ですが?」
 小さい声で山上に告げる。
 夢の中からいきなり現実に引き戻されたような気がした。
 山上は腕時計を見て、「おう」と言った。
「うなぎ屋でいいでしょうか?」
 たちあがりながら、山上が尋ねる。
「コンビニの弁当で結構ですが……」
「実はうなぎ屋に予約してありまして――わたしも便乗してうなぎを食べたいものですから。うなぎがお嫌いなら、ほかにもメニューがありますから」
 にこりともせずに山上は主張した。
 そういう事情なら、反対する理由は何もない。阿紗子は満面の笑みだ。
 事務所を出て山上は、だまって裏通りのほうを指さした。そこには白い地にくねった黒い字で『うなぎ』と書いた看板が、店の入り口の黒光りする瓦屋根に見えた。
 うなぎ屋はかなり混んでいた。
 ブナらしい木でつくった頑丈なテーブルが五六卓ほどある。おおきい柱や厚い梁はどこかの古民家を解体してもってきたようだ。店の雰囲気も味の一部だと主張しているような気配がある。
 ほぼ満席だ。客の全部は日本人の観光客のようだ。店の紹介が有力な観光案内に載っているにちがいない。山上所長が予約していた意味がわかった。
 山上はビールも注文した。
「これからひと山、山越えをするだけです。ゆっくり走って一時間ちょっとでしょうか。現場には夕方着く予定です」
 そう言って山上は頷いた。
「山上さんは対馬の出身ですか?」
 阿紗子は座持ちがうまい。そういうことが馬場は苦手なだけに、ありがたかった。それに何より、事件の話はこの場の雰囲気にふさわしくない。
「下島の南端にある『つつ』というところの生れです――中学と高校は厳原ですが……『つつ』は――」
 『つつ』の漢字の説明が必要だと山上所長は思ったようだ。
「それはわかります――豆酘は美人の産地だそうですね」
 それを察して、阿紗子が聞く。興味津々といった顔つきだ。つまらないことをよく知っているとつくづく思う。
「民話起源の話ですから、現在の実情とはなかなか一致しません。現実はむしろ惨憺たるものです」
 頭を振りながら、きまじめな表情で山上は言った。
「豆酘の女性が聞いたら、怒りますよ」
 笑いながら阿紗子がにらんだ。
 店頭の看板に、「上対馬産天然ウナギ」とおおきく表示してあっただけに、歯ごたえがあって、おいしかった。調理の仕方は九州本土とすこし違うようだ。味について馬場にわかるのは、ここまでだった。値段は少し高いと思う。韓国の観光客対策だろうか。
 馬場と阿紗子でビール二本を空けて、かれらは席を立った。運転をするということで、山上は飲まなかった。阿紗子はビールなら飲める口だ。馬場と違い、顔にはほとんど出ない。
「対馬は初めてですか?」
 店を出たところで、山上が尋ねた。
「二人とも、まったくの初めてです」
「それでは、一時間ほどそのへんをご案内しましょう――帰りにご一緒できるとは限りませんのでね」
 ゆっくり歩いて十分ほどのところに、宗家の墓所があるという。鎌倉初期から明治の廃藩置県までの約六百二十年のあいだ、宗家は対馬を支配していた。
 その菩提寺は万松院といった。町中といってもいいようなところにあった。入口の山門の両脇に、埃をかぶった仁王天が格子の中に立っている。
 門をくぐると、すぐ右手に、ゆるい石段が上へ延びている。腹ごなしと酔い覚ましに頃合いだ。
「元寇のとき、対馬は文字どおりに大変でした」
 ゆっくり石段を登りながら、山上が説明する。元寇が昨日の出来事のような口ぶりだ。
 両側に、すこし風化した、時代を感じさせる石灯籠がならび、その背後に杉の大木が森をつくっている。手入れがいいのか、森の中は明るい。石段のすぐ右手の大木の一本に古い落雷の跡があったが、途中まで裂けたその杉は生きていた。
「宗助国という人が当時の領主で、元寇の役で戦死しました。これから行く事故現場の山ひとつ先の小茂田浜というところに、かれを祭ったやしろがあります。いまでは、砂浜沿いにあるンクリートの波返しのすぐ裏です。むかしは、もっと海が遠かったのでしょうがね」
「いったん事がおきると、国境の島は大変ですねえ」
 阿紗子が対馬に同情する。
「一回目の元寇のとき、対馬には十日あまりにわたり元と高麗の連合軍の船団が留まっていますからね――神風が吹いたのは、数年後の二回目のときですね」
 女は学校で習ったことは全部覚えているのかもしれない、と馬場は感心した。機械的に合格者を選別すれば、文学部の学生は全部女になってしまう、と大学教授の友人が嘆いていたのを馬場は思い出していた。
「対馬に入寇してきたのは元帝国だけではありません。その前に女真もきています――対馬では『刀伊』(東夷)と言っていますが、さんざん蹂躙されました。牛馬、犬、人がむさぼり食われたと聞いています。対馬の人間には女真族の話は学校で教わる歴史ではないのです、命がけの話なんです――国境の島の宿命ですね」
 幅のひろい石段をゆっくりと登りながら、山上が説明する。
 女真族とは満州族のことだったかな、と馬場は思ったが、聞き返すのは失礼に当たるような気がして、何も言わなかった。
 石段の途中に、何の説明書きもない小振りな墓が四五基見える。側室のものだろうか。
 すぐ近くで鴬がしきりにさえずっているが、姿はいっこうに見えない。
「しかし、やはり蒙古が一番ひどかったそうです。小茂田浜には元と高麗の連合軍の軍艦と補給船、九百艘が押し寄せ、兵四万人が乗っていました」
 元寇のことを山上は昨日の近所の出来事のように話し始めた。
「九百艘のうち軍艦は六百艘ですから、その数字が正しければ、一艘あたり七十人たらずの計算になります。非戦闘員を入れても百人でしょう――元の軍艦は二百人乗りだと本には書いてありますが、日本に来たときは高麗で朝鮮スタイルで急造したそうですから、それだけしか乗船できなかったのかもしれません。主力は高麗軍だったそうですから」
 山上の話は、学会の発表会のようだった。
「上陸したのは千人ほどだといいますが、こちら宋藩の武士は百人足らず、最初から勝負はみえています。日本人と見たら、武士はもちろん、非戦闘員も、赤子から老人まで皆殺しです。元軍は女は戦利品として連れていくのですが、小茂田浜では殺したようですね。船の収容能力のせいでしょう」
「ずいぶんお詳しいですね」
 阿紗子が尋ねる。
「まあ、対馬に生まれた者の常識です――いや、宿命かな。女やこどもまで殺したということは、小学校にあがるまえに、祖母から聞かされました――わたしたちがこどものころ、泣いたりすると、両親たちは口癖のように『むっくりこっくりの鬼の来るぞ』と脅したものです。むっくりは蒙古、こっくりは高麗のことです。もしかしたら、高句麗と勘違いしていたのかもしれませんが」
「わたし、それ、聞いたことがある――博多あたりでは『むくりこくり』といっていました」
 阿紗子の祖母は博多の商家の出なのだ。祖母から聞いたにちがいない。馬場はもちろん知らなかった。
 石段の最上段あたりに、大きな石材をつかった宗本家の墓があった。手入れがゆきとどいている。墓の前の砂には新鮮な箒目が立っていて、足跡を残すのがためらわれるほどだった。
 あたりはいっそう鬱蒼としている。
 墓に手をあわせたあと、三人は、登ってきた階段をゆっくりと戻った。
 下から吹きあげてくる風に杉の芳香がかすかに混じっている。さいわい、馬場も阿紗子も杉の花粉症には縁がなかった。
 かれらはふたたび事務所に戻り、現実に戻った。馬場の顔色もすっかり元に戻っていた。
 応接コーナーのテーブルには、温かい二本の缶コーヒーと紙コップがおいてあった。
「わたし、新聞はネットで丹念に読みますが、福岡の新聞には、対馬の事件は一行も載りませんでした――なぜでしょう?」
 阿紗子が山上に聞いた。
「庶民が半年に一人、離島の僻地で事故で死んだぐらいでは、内地の新聞では記事の価値はないのではありませんか?」
 山上が苦笑いして答える。
 さきほどの阿比留青年がインスタントコーヒーのカップを山上に運んできた。
「常務さんとの打ち合わせでは、ここでパソコンをお借りするようになっているのですが――」
 阿紗子が山上に尋ねた。
「空いているやつがあるのか?」
 山上が阿比留に聞いている。
「ノートが一台だけ、表向きは空いています」
「そんなことをなぜ常務が知っているんだ?」
「毎月、事務所のパソコンの活用報告を出すようになっていますが――」
 山上は舌打ちをした。
「所長、そういう約束だそうですから――それでは、適当なやつを見ていただけますか?」
 青年は気前がよかった。阿比留青年の口ぶりでは、複数台空いているようだ。
 二人はパソコン類が置いてある、奥まったコーナーに行った。
 五六分で青年だけが戻ってきた。
「モジュラージャックのついた電話線とその関係のちいさい部品を買ってきます――うちに遊んでいるものがないものですから」
「なんだ、その何とかジャックというのは?」
 業務用の上司の声になっている。
「全部で二千円以下だそうです」
 気の利いた返事を青年がかえした。
「はやく行ってこい」
 山上が言った。
 ノートパソコンを両手で体の前で抱えるようにして、阿紗子がコーナーから戻ってきた。
「所長さん、このパソコンを一台お借りします」
 こういうところに遠慮はない。
「誰も使っていないやつですね?」
 山上は所長らしい反応をした。
「そうだと思います――阿比留さんの指定ですから」
「とんだ恥さらしですねえ――それで、そのパソコンだけで、どこででもインターネットができるのですか?」
「このパソコンと、モデムに接続するための部品さえあれば、これで世界中と話ができます――プロバイダーとの契約とモデムは必要ですけど」
「それで、何を話すのですか?」
「世界中に聞いてみます。日本のあるところで、こういう事件があった――あなたの知っているところで、似たような事件がありませんでしたか、と。アメリカとバチカンにそういうことを書きこむ、かなり有名なボードがあります」
「英語でやるのですよね?」
「英語なら、OSに翻訳ソフトもついていますので――一応チェックは必要ですけど」
「なるほど、ちょっと油断している隙に、世の中、進んでいますね」
 店の名前入りの、小さい白いビニールの袋をさげて青年が戻ってきた。ずいぶん早い。
 すぐ近くに電器の専門店があるらしい。対馬市厳原町は対馬の『島都』なので、いちおう都市の機能は凝縮されているのだろう。
「千三百二十円でした」
 阿紗子に袋をわたしながら、青年は山上に報告した。
 阿紗子は中身をたしかめ、パソコンとの接続だけを試して、袋をたたんでポケットに入れた。
「そろそろ出発しましょうか――現場に着いたら、夜は宴会もありますから」
 軽い掛け声で山上は立ちあがった。
「そういう気は使わないでください。しっかりおカネを貰って仕事をしに来ているのですから
 馬場たちも立ちあがった。
「宴会も仕事のうちと思ってください――神事と同じです。『なおらい』の酒盛りまでが神事ですからね」
 いい例えだと馬場はすこし感心した。
「部落の人たちとの顔あわせみたいなものです――気のいい人ばかりで、楽しい飲み会ですよ」
 玄関まで次長が見送りに出てきた。縁なし眼鏡をかけ、作業服のジャンパーの下には紺無地のネクタイを締めている。四十がらみだろう。眼鏡は同じような縁なしだが、山上とは人間のタイプが違う。
 玄関前に、朝、山下が運転してきた白のフィルダーがまわしてあった。ハイブリッドの五人乗りだ。
 山上所長が運転するつもりのようだ。
「本業のほうは放っておいていいのですか?」
 見送りに玄関に立っている次長の耳を気にして、馬場は小声で尋ねた。
「あと半年で定年ですし、後任もしっかりしていますので、わたしがいなくても日常業務にとりあえず支障はないのですよ」
 馬場の気遣いを無視した声の大きさだった。
「それは結構なことですね」
 はい、と言って、山上は軽く頭を下げた。まったく屈託がなかった。
 阿紗子は助手席に、馬場は後部座席にすわった。見送りの部下に軽く頭を下げて、山上はゆっくりと車を出した。
 大通りに出てしばらく走ると、町並みがとぎれるあたりの道路の正面に、アイボリー色のコンクリートの大柄な校舎と、これだけが古風な御影石の門柱が見えてきた。
 道路はその近くで十字路になっている。
 黒く塗装した、何の飾りもない鉄格子の門扉は、春休みのせいか、閉まっている。運動場では十人ほどの、剣道着の男女生徒がトラックをゆっくりと走っていた。車の中まではかれらの掛け声は聞こえて来ない。
「わたしの母校の厳原中学です――二年生の時に豆酘から転校してきました」
 観光バスのガイドのように、山上が説明する。
 車は十字路の信号を左折して県道44号に入り、谷川沿いに上る。十字路の信号から二キロほどのところで谷川を渡る橋があった。その橋を頂点として県道はヘアピンカーブを描いている。道路の勾配とカーブがすぐにきつくなった。崖の木々が道路に緑のトンネルを作っている。いつの間にか黄色のセンターラインがなくなっていた。
 三四分駆け上がると谷川が見えなくなり、路面にふたたび黄色のセンターラインがあらわれ、道は見通しのいい緩い曲線になった。右手が緑色の深い谷、左手が崖のような山だ。山腹沿いに山頂に向かっている。稜線の上は雲一つない紺碧の空だ。
 山頂らしいあたりで道は二手にわかれ、右手の道に紺地に白文字の「上見坂公園」の標識がみえる。
「このあたりが分水嶺です。道の右に降った雨は対馬海峡、左は朝鮮海峡へ流れ込みます」
 同じゆるい速度で山頂を通過しながら、山上は左手で、右と左を指さした。
 道は稜線に沿ってゆるい下りになった。右手に展望がひらけている。浅茅湾だという。湾とは言っても、東は対馬海峡に通じ、西は朝鮮海峡に繋がっていて、対馬を上島と下島に分割している。
 右手の見通しのいいカーブがつづき、その先に、紺の地に白字の、国交省タイプの注意看板が道路脇にたっていた。
 「この先検問所あり
 一般車通行止め」
 山頂の分岐点から、二キロほどのところだろう。その先、山に遮られて展望は悪くなる。
「大丈夫なんですか?」
 看板を目で指して、阿紗子が尋ねる。
「大丈夫です。電力会社の車ですから――脇腹にそう書いています」
 山上は看板を意に介しているふうではなかった。
「馬場さんと連歌屋さんは、車の免許証を持っていますか?」
 前を見たまま、山上が聞く。
 下りの勾配が険しくなってきた。
「二人とも持っていますけど……」
 助手席の阿紗子が応える。
「それで、山上さんにお願いなんですけど、このさき、ミス阿紗子と呼んでいただければ、気分がいいのですが――『れんがや』では言いにくいでしょうから」
「それ、いいですねえ、そうしましょう」
 山上はすぐ反応し、声をあげて笑った。
「このすこし先に、自衛隊の検問所があります。そこで何か身分証を求められますので――ある日突然、検問所ができました。一年半まえのことです。最初の事故が起きた直後です」
「演習場でもあるのでしょうか?」
 阿紗子が尋ねる。
「国有林の一部をこれから演習場にするというのですが、地元には何の説明もないのですよ。この話、小学校からの友人が市会議員をしているものですから、かれから聞きました。それどころか、自衛隊にいきなり県道を封鎖されて、対馬市議会も長崎県も一切クレームをつけない。奇妙なことに、共産党も黙っています。もっとも地元の車は今のところ実質的にフリーパスですが――」
 馬場と阿紗子は顔を見合わせた。
「検問所はここ一か所ですか?」
「そうです。これから行く部落とその先の小茂田浜に通じているのは、この道一本だけなのです。二年前に、厳原の測候所始まって以来だという記録的な大雨がありましてね、その雨で、ほかにあった山越えの道は壊れて通れなくなりまして、今だにそのままです。もっとも、バイクなら通れる山道は、三本ほどありますが――」
 バンは発電ブレーキをきかせながら、ゆっくりと下っている。
「とりあえず、この車は通行できるのですね?」
 阿紗子が念を押す。
「できます――よそから来た人でも、身元保証人さえいれば、通れます」
「身元保証人とは?」
「地元の人間ならだれでもなれるようですよ」
「それで検問になるのですかねえ?」
 今度は馬場が聞く。
「ならないでしょうねえ」
 山上は当然のように答えた。
「しかし、検問所さえつくっておけば、状況が変わって本当に検問が必要になったときに、その方法を変えればいいわけですからね――今は検問の肩慣らしみたいなものでしょう」
 二人の話に阿紗子が加わる。
「つまり、今は三件の事故以外のことは何も起こっていないということでしょうか――それに、本当のことは誰にもまだ何もわかっていないということでしょうね」
「わたしもそう思います」
 そう言って、山上が大きく頷く。
「日常の生活には何の差し障りもないので、地元民は黙っています――それに、地元には、村道の舗装とか上水道の整備とかで、封鎖の見返りもけっこうあるものですからね」
 自衛隊がよく使う手だ。自衛隊の提案に住民がちょっと難色を示せば、東屋のついている小さい公園ぐらいはすぐにできるのだ。
「そういうことなので、二人とも、わたしの親戚になってください。観光で親戚のいる対馬にきている、ということにします――まちがっても、事件の調査にきたなんて喋らないでくださいよ」
 笑いながら、山上が念を押す。
「浮世離れした話ですねえ」
 馬場があきれる。
「二十一世紀の日本にこういう浮世離れした場所があるとは、今の今まで知りませんでした」
 笑って阿紗子が言う。
「軍隊が動いている気配があるといったのは、このことです。偶然の一致とはとても考えられませんからね」
「まったくそのとおりでしょうね」
 馬場が同意する。
 道路が広くなっているカーブの手前で、山上は車をとめた。
「ここなら、大丈夫です――誰にも見られていない」
 山上は自信に満ちていた。
 パーキングボタンを押し、駐車ブレーキをいっぱいに引いた。
 そこで山上は二人の免許証の住所を確認した。
「福岡県の大野城市と太宰府市ですか――大野城市は福岡県のどのあたりですか? 太宰府市はわかります」
 二枚の免許証を並べて見ながら、山上が尋ねた。
「そうですねえ、太宰府市の西隣、つまり福岡市寄りだといえばお判りでしょうか
「それならわかります。太宰府天満宮には二度ほど参拝しましたから――こどもの入試の合格祈願です――これ、預かります」
 そう言って、山上は二人の免許証を胸ポケットに入れた。
「天満宮、効いたでしょう?」
 すこし間をおいて、まじめな顔つきで、阿紗子が念を押す。
「はい、おかげさまで、ふたりとも第一志望――」
 満面の笑みで山上が答える。
「失礼な言い草かもしれませんが、実は本当に効くんですよ、太宰府天満宮は――天満宮の総本山、オリジナルですからね」
 これは馬場だ。
「ただし、山上さんのように、親御さんか直接本人がお参りに見えた方に限るようですよ――」
 阿紗子が真顔で乗ってくる。声も「真顔」だ。
 車の三人は楽しそうに笑った。それから、気を取りなおしたように山上が言った。
「お二人は歴史が趣味で、元寇の史跡を調べているということにしましょう。もし何か聞かれたら、そのほかのことは、本当のことを言ってください――職業はコンサルタントで結構です。免許証の記載事項はどこかでチェックしているはずですから、事実関係の嘘はすぐばれると考えておいたほうがいいでしょうからね」
「それなら、山上さんと親戚だというのはまずいのではありませんか?」
「遠い近いを別にすれば、日本人ならだれだってみんな親戚ですから、大丈夫です――」
 そこからヘアピンカーブを通りすぎたところで、正面の左手に検問所が見えてきた。左から黄色い砂岩の、緩い傾斜の地層が露出した切り立った崖がせまり、右は深い谷だ。検問所には絶好の地形だ。おざなりに検問所を作ったわけではないことが感じられる。
 道路の左脇奥にある深緑色に塗った小体な一棟のプレファブ兵舎と、その前のトラ模様に塗った電動の頑丈な遮断機が、これが軍事施設であることを物語っていた。そのゲートのすぐ左脇に、一間四方ほどのプレファブの歩哨ブースがある。これも深緑色だ。二三人なら常駐できるだろう。
 そのブースの手前、目の高さに、砂岩の肌を隠すように、横長の一畳ほどの看板があって、紺色の地に白のゴシック体で
「ありねよし
 対馬の守りに
 ご協力を
    防衛省」
と四行にわけて縦書きで書いてあった。
 検問所という表示はどこにもない。
 歩哨ブースから迷彩服の、少女のような細い体つきの若い兵士がゆっくりと出てきた。目深に暗緑色のヘルメットをかぶっている。あご紐がきちんとかかっていた。
 どこかで車を見張っていたことをしめす、ゆったりとした自信にみちた足取りだった。
 ゲートのまえで山上は車を停め、パーキングのボタンを押して、窓ガラスを下げた。
 車の前を横切って、兵士が山下のほうに来た。ゲートは下がったままだ。
「連れは親戚――はい、三人の免許証」
 ドア越しに山上は三枚の免許証を差しだした。
 車の横腹の社名と山上の作業服にちらっと眼をやって、兵士は黙ってうなずいた。幼なげな顔に気むずかしそうな表情が漂っている。
 助手席のドアをあけて、そろえた両足からさきに出る優雅な慣れた身のこなしで、阿紗子が車を出た。
「お疲れさまです――この先に、おたくの施設があるんですか?」
 にっこりと頬笑みながら、ボンネット越しに阿紗子が尋ねた。
 若い兵士の頬が急激にゆるみ、普通の若者の表情になった。
「演習場の設営準備中です……」
 声がまだ固い。
「入っても大丈夫? 流れ弾が飛んできたりしません?」
「大丈夫です――どちらまで行かれますか?」
 一瞬気を取り直したように、山上に聞いた。
「小茂田浜の神社――親戚が元寇の歴史に興味があるものでね」
 山上の言葉にシンクロして、阿紗子が笑顔でおおきく頷く。
 三人の免許証をもって、兵士はブースに消え、すぐに戻ってきた。それと同時に遮断機が円弧を描いてゆっくりと上がる。
 かれらはあっさりと通された。
 通過するとき、窓ガラスをおろした車のドアから、助手席の阿紗子が若い兵士に派手に両手をふった。若い兵士は、すこし恥ずかしげに手首の動きだけで応じた。
 ゲートがバックミラーから消えたところで、馬場は山上に聞いた。
「ずいぶん雑な検問ですね。ややこしい記帳でもさせられるのかと思っていましたが……」
「帰りは普通はフリーパスです」
 山上は気軽に言った。
 下り勾配がまた険しくなって、車は速度をおとした。
「国道なんかにあるNシステムとおなじような仕掛けで、兵舎の中から車の写真を撮っているようです――これは上島のレーダーサイトで小耳にはさみました」
 山下所長が説明する。
「そうでしょうねえ。軍隊ですから、それくらいの管理はするでしょう」
 道路が狭くなり、ガードレールが車に迫ってくる。ところどころに大型車のすれ違い箇所が作ってある。
「この奥に鉱山があったころは、この道を通って厳原の手前の積出港まで精鉱を運搬していましたから、そのための拡幅ですね」
 そう言われてみると、10tダンプがすれ違えるだけの幅も長さもある本格的な拡幅だ。
「山上さん、さきほどの看板ですけど、『ありねよし』って、何ですか?」
 阿紗子が聞く。対馬の枕ことばとは思うが、もちろん馬場も知らなかった。
「対馬の枕ことばです……意味は専門家にも諸説あるようですね」
「自衛隊にも、しゃれた人がいるんですねえ――わたしが知っているのは、落語で聞いたチハヤフルだけですけどね」
 阿紗子が本気で感心している。
 検問所をすぎ、やがて道幅が広くなり、それから二キロほど下ると、西に流れる山川の右岸に出た。川は道路から十メートルほど下だ。川原は大小の玉石ばかりだったが、流れは伏流していなかった。水量が豊富な証拠だ。
 そこからしばらく下り、やがて道の勾配が緩やかになったところで、右手の山のほうから、深い谷の、流れの急な支流が合流してきた。その合流点にはバスがすれ違うことができる幅の、長さ二十メートルほどの、まだ新しいコンクリートの橋がかかっていた。
 その橋を渡ってすぐの川沿いにある、猫の額ほどの平地に山上は車を停めた。以前は家屋があった気配が残っている。川側の崖に柵などはない。まだ私有地なのだろう。
 三人は車をおりた。
 上見坂との分岐点あたりまでの登り道では、三四台の乗用車と出合ったが、そこをすぎてから今まで、一台の車にも出会っていない。
「この橋、事件がはじまる二年ほど前に掛け替え工事が完成しました」
 視線で橋をさしながら、山上が説明する。
「橋の工事にあわせて電柱を移設しましたので、よくおぼえています――この支流、日見川というのですが、この川沿いの上流一キロぐらいのところに、一九七〇年代まで亜鉛鉱山がありましてね、最初の事故現場はそれからさらに二キロくらい上流になります」
 日見川沿いには比較的新しい舗装道路があって、橋の近くの山沿いに、「しらたけエコーライン」という立派な大型の看板が見える。古い木の電柱二本を柱に再利用して、エコーラインの説明と案内のついた、気合いの入った看板だ。旧道や林道を改修して観光道路を作ったらしい。
 しかし、そのすぐ左横に、白く塗った「さぶろく」(三尺・六尺)の合板に、赤いペンキで子供が書き殴ったような字体の「2・5q先、地崩れのため交通止め――迂回路なし」というまだ新しい表示が立っていた。道路に交通止めはない。
「仕事がら、その鉱山のことは少し知っています。たしか対州鉱山という名でしたね」
「営業所で山上さんから教えて貰って知ったんですけれど、昭和まで対馬に亜鉛鉱山があったなんて、まったく知りませんでした」
 阿紗子はあたりを見渡した。
「鉱山関係者と厳原のひと以外は、ほとんど誰も知らないと思うよ――こういうことは金属鉱山全般に言えることだけどね。世界遺産になった石見銀山だって、世界遺産になる前は、普通の日本人は誰も知らなかったんだから――終戦前は、イワミギンザンといえば殺鼠剤のことだったんだ。副産物として砒素がとれたからね」
 馬場が教える。
 濃い緑の地に明るい新緑色を撒き散らした山が、すぐ近くまで迫っている。このあたりまで来ると、山はそれほど険しくない。
「日本で最初に金が採れたと記録に残っているのは対馬だよ。西暦七百年のごく初め頃だったそうだ。それを祝って年号が大宝にかわっているから、大事件だったんだろうね。大宝律令の大宝だね」
「それ、まったく知らなかった!」
 阿紗子が反応して、続ける。
「日本という国号が使われだしたのも、そのころからだよね――白村江の敗戦がきっかけだったのかな。大陸から攻められるかもしれないのに、内輪もめしている場合か、というところかな。日本の第一のターニングポイントだね。第二は元寇、第三は黒船――どのポイントでも舵を切る方向を間違えなかったから、現在の日本があるんだよね」
 阿紗子が注釈を付ける。こういうことには妙に詳しいのだ。知識が偏っている。
 それを無視して馬場がゆっくりと応える。
「でもねえ、対馬で金が採れるわけがない。金鉱脈ができる地質条件がないし、したがって砂金もない――これは事実だね。だから、朝鮮半島の金を対馬で採れたと嘘をついたらしいんだな」
「そんな嘘をついて、どんな利益があったんだろう?」
「利益というより、保身と謀略だろうね。九州本土と朝鮮半島の間で生き抜くには、自分の存在価値をいつも知らしめておく必要があったんじゃないかなあ。対馬の領主である宗家なんか、平然と国書さえ偽造しているからね。その偽国書、このまえ太宰府の九博で実物を見たよ」
「それって、むちゃくちゃに勇気いるなあ」
「国書を自分に都合のいいように書き換えて、偽の国印を押している。それくらいの覚悟と度胸がなければ、国境の島では生きていけなかったんだろうね。だから宗家は鎌倉から明治を経て現代までつづいている――関が原では豊臣側だったんだけどね」
「地政学の教科書に出てきそうな話だね――これも国境の島の宿命かな」
「対馬では、そのかわり、銀はたくさん採れた。対馬の調、つまり租庸調の調だな、これは銀だったんだ。当時の大宰府政庁に納めていた。延喜式にそう書いてある――最近の発掘調査の結果では、当時、銀の灰吹き法はすでに日本全国で行われていたから、島内で精錬までやっていたんだろうね――金のでっち上げ話から下ること二百年、西暦九百年あたりの話だね。記録によれば、銀はおもに『さす』というところから産出していたそうだな」
「そうなんですか、このあたりが『佐須』ですよ!」
 静かに聞いていた山上が、突然、大きな声をあげた。
「今まで下ってきた本流が佐須川です――対州鉱山は、地元厳原では『佐須の鉱山』と言っていましたからね」
「面白い! ひしひしと歴史を感じますねえ――」
 大きくうなずきながら、珍しいものでも見るように、馬場はあたりを見回した。
「千年以上も変っていないんでしょうねえ、このあたり――千年前のカネ掘りの坑夫たちも同じ景色を見ていたんですねえ」
「現代の対州鉱山では、銀も採っていたの?」
 馬場の感傷を否定するように、阿紗子が聞く。
「銀は副産品――主産品は亜鉛と鉛」
 ちょっと考えて馬場は答えた。
「銀は昔の人が掘ってしまって、昭和まで残っていなかった――大ざっぱにいうと、そういうことだな。そのかわり、平安、鎌倉の人が無視して残しておいた鉛・亜鉛の鉱石を昭和に掘ったというわけだ。銀は鉛・亜鉛と一緒に産出することが多いんでね――だから、鉛の鉱石である方鉛鉱を使う銀の灰吹き法は、比較的昔から知られていたんだね。聞いた話では、現代の対州鉱山の鉛・亜鉛の鉱石には銀の含有量がかなり多くてね、それだけでも結構な儲けになっていたらしいよ――掘っていたのは東邦亜鉛という会社だけどね、株屋の呼び方はトーホーナマリ、今でもちゃんとあるよ」
 そう言って馬場はもう一度まわりを見渡した。
「このあたり一帯は新旧とり混ぜ、廃坑だらけじゃないかなあ」
「『はいこう』って?」
「廃止された鉱山や使われなくなった坑道のこと――学校で習わなかったか?」
「習わなかった」
 自信をもって阿紗子が答えた。
「さすが専門家だけのことはあるね」
 すこしおざなりに阿紗子が褒める。
「宿舎まで行きましょう。すぐ近くですから」
 頃合いをみて、山上が先を促す。
 二三分ほど走ると、川に沿って平地が少しずつ広くなってきた。なかば疎林となっている廃棄された田があちこちにある。昔の休耕田かもしれない。ここまで来て、空の軽トラックに初めて出会った。
 その狭い平地の右手に、白い壁の目立つ、四棟の集合住宅が見える。ベランダや出窓のない、古いタイプの箱型の建物だ。そこには、それだけしかないので、いやでも目に飛びこんでくる。三階建てで、新しくはないが、ここからみても、外壁は塗り直したようだ。
 超過疎地という山上の説明とは印象が違う。
「あのマンションは、かつて鉱山が稼働していたころ、当時の厳原町が建てた町営住宅です。実質は鉱山の住宅だったそうです――当時の厳原町の大口の納税者だったのですから、その見返りだったかもしれません」
「むかし、よく聞いたような話ですね」
「全部で四棟で約七十戸あるんですが、われわれが宿泊する一番手前の棟で、いま使われているのは三戸だけです――ほかの棟も二三階は空いているようです。とくに隣の棟は水回りの傷みがひどいそうで、一棟、完全に空き家です」
 山上はこのあたりの事情に詳しかった。
「われわれの泊まる棟は、一戸は交番になっています。一戸は分校の先生夫妻、一戸はわが社が借りています――正確には、借らされているのですが」
 その集合住宅に向かって車は右に曲がって、川を離れた。路面は、一度はアスファルトの簡易舗装をしたようだが、今は砂利だけになっている。
 建物の前面のあまり手入れをしていない芝生に、目の高さで「佐須交番」と書いた、新しい小振りな看板が立っている。アルミで縁取りした白地に、ゴシック体の紺の文字だ。
 看板のそばに山上は車を停めた。
「交番は以前は県道脇にあったんですが、古くなったので、こちらに移りました――十年も前ですかねえ」
 マンションの階段の登り口のわきに、さらに、佐須交番と墨書した長さ五十センチほどの木の標識がかかっている。こちらは年代を感じさせる色をしている。以前の交番のものだろう。
 その横の、灰色の塗料を塗ったばかりの鉄製の扉がひらいて、小柄な小太りの婦人が出てきた。車の音を聞きつけたのだろう。五十年輩で、無地の黒がかった色の地味なワンピースを着ている。目の優しさが、天使の粉のように周囲を輝かせていた。
 山上と顔見知りであることはすぐわかった。
「駐在さんの奥さんです」
 それから、山上は馬場と阿紗子を夫人に紹介した。
 その間じゅう、夫人は人なつっこい笑顔を絶やさなかった。
 駐在は仕事で小茂田浜に出かけていると言う。やわらかい声をしていた。
 ――どういう育ちの人だろうか、と馬場は思った。人をそういう思いにさせる雰囲気があった。
「われわれの食事の世話をおねがいしています――奥さんは管理栄養士の資格をお持ちですから、安心です」
 そう言って、山上所長は一人でうなずいた。
「味より安全と栄養価優先ということでございますよ」
 微笑のように声も柔らかかった。かすかに果実の匂いがする、上等の日本酒を彷彿とさせる声だった。
 マンションは3Kだった。馬場と阿紗子の部屋はすでに割りふってあった。
 交番の右隣が馬場、そのつぎが山上、交番の左が阿紗子、その隣は分教場の先生夫妻が使っている。両側、つまり先生のところと西部電力が借りている山上のところは3LDKだ。これで一階は全部ふさがったことになる。西部電力の部屋は部落の臨時の集会所にも時々使用されているという。
 一番奥の先生のところの前に、シルバーの小型のミニバンが、こちらを向いて止まっていた。
「シャワーでも使って、それからわたしのところに来てください。六時ごろには村の老人方と分校の先生が来ます。気のいい人ばかりですから――それから、外からの戸締りは必要ありません。念のため、現金やカードなどはわたしが預かりますから」
 山上の部屋には鉱山の事務所で使っていた大型の金庫があると言う。防水・防火仕様だそうだから、安心していいという。
 部屋には、中古で調達したと思われる小ぶりの冷蔵庫とその中に缶ビールが一ダースほどあった。スリッパやタオル、新品の歯ブラシ、風呂場には手桶と腰掛け、ボディソープとシャンプー、もの入れにはけっこう立派なハンガーが数個、台所にはスチロールのコップが数個、ミッキー・マウスの柄のちり箱、使いかけの石鹸などもあって、とりあえずの生活ならすぐにできるようになっていた。みごとな段取りだと、缶ビールと落花生の袋をみて馬場は感心した。バスタオルがないのも好ましいと馬場は思う。こういう状況で、バスタオルなんて邪魔物でしかない。ドライヤーは見当たらなかった。
 居間にはクーラーを取り外した跡があった。水まわりの設備はかなり老朽化していた。建物自体がいつ取り壊されてもおかしくない古さなのだから、それは仕方がない。だが、シャワーをひねると、すこし間をおいてちゃんと湯がでる。バスタブは取り外してあったが、馬場は気にならなかった。一人用の新品のベッドは、スーパーの家具売り場などで見かける鉄製の折りたたみ式だ。紺色のマットがついている。窓の黒色の網戸は張り替えてある。ただすこし気になるのは、建物に耐震補強がしてないことだが、これは目をつぶり、祈るしかないだろう。ウオッシュレットが新品なので、それと帳消しだ。
 真新しい白っぽい緑と深緑を混ぜた山が窓のすぐ近くまで迫っている。雑木が優勢で、植林はここ五六十年はしていないようだ。
 五時になろうとしている。山あいなので、あたりには夕暮れの気配が濃く漂っていた。
 シャワーを使い、六時すこし前に山上所長の部屋に行くと、阿紗子は先に来ていて、ダイニングの角テーブルで缶ビールを開けていた。インターネットの講釈を山上所長にしたそうだ。
 山上は隣の部屋で宴会の準備のようだ。
 阿紗子は、ジーパンを木綿地のベージュのパンツにかえている。
「電話の回線は、もちろんメタルね。名義は電力さんになっていて、ファックスの回線は交番ではほとんど使っていないんだって」
「駐在さんに迷惑じゃないのか?」
「玄関口は交番に改装してあって、部屋の中とは完全にわけてあるそうよ」
 すでにパソコンをセットしてあるかもしれない。
「もう接続したのか?」
「結線はしたけど、ネットへの接続はまだ――ネットへ 発信するのは、しばらく見合わせたほうがいいかもしれないね」
 冷蔵庫からとりだした缶ビールを馬場に手渡しながら、阿紗子は言った。めずらしく慎重だ。
「ほう、阿紗ちゃんにしてはめずらしくしおらしいな」
 テーブルの木の椅子にすわり、ビールを一口飲んで、馬場は言った。テーブルには、大ぶりの缶に入っているピーナッツが出ている。缶のラベルは、イラストから察するにたぶんオランダ語で、福岡近辺では見かけないものだ。駐在夫人が長崎市の出身だから、ハウステンボスあたりから買ってきたのだろう。
「インターネットで返事を貰うには、こちらのメールアドレスを明かさなければならないよね。そうすると、本名ぐらい、その気になればすぐ探れる――つまりね、この一連の事件に興味を持っていることを日本中に公表するのは、すこし時機尚早かもしれないと考えたわけ」
「それはいささか、考えすぎじゃないのか?」
 真剣な考えがあっての反論ではない。条件反射のようなものだ。
「あの検問を見たでしょう? あれは中途半端じゃないよ」
 ところが、阿紗子の口調は真剣だった。
「ゲートの基礎はきっちりとコンクリートで固めてあったからね。仮設なら穴を掘って立てるくらいだよ。演習場の予定なんか、ひとことも聞いていないと山上さんは言ったよね。山上さんはがちがちの地元でたぶん、名士だよ。それに、県道に検問所をつくるのだったら、まず地元説明から始めると思うんだけど、それを、一挙に省略したし、野党や共産党も説得した――そんなことができるのは、生半可な力じゃないよ。しかも検問が始まったのが、事件がおきて文字どおり間もなくでしょう? 何だか不気味な感じがしない?」
「なるほどね――そう言われると、そのとおりだな」
 馬場の反応は頼りなかった。
「きっちり半年ごとに、対馬の僻地の狭い範囲で三件の殺人が絡んだ事件が発生しているのに、どの新聞もそれを一連の事件としてあつかっていないのよ。考えてみるまでもないけど、誰だって気づくよ、そんなこと――週刊誌なら、ちょっとした猟奇事件だよ」
 そのとき、夫人と主人の警察官がダイニングに入ってきた。同時に山上も戻ってくる。
 警察官は紺色の合い服の正装である。ただ、無帽で拳銃はつけていないから、厳密に正装とはいえないが。
「遅れてすみません。密航船らしい船を見た、という電話があったものですから――善意の間違いでした」
 二人に挨拶をして、駐在は言った。密航船の監視は国境の島では警察官の重要な任務のひとつだ。あとひとつは半島由来の拳銃の密売の取り締まりだが、これはおもに厳原の警察の仕事だ。
 おおきな竹のざるに黒い皮の魚の切身をたくさん盛ったものを両手で捧げるように、夫人は持っていた。
「けさ採れた石鯛です、本当においしいんですよ」
 夫人の言葉どおり、実においしそうだった。
 駐在も夫人とおなじような小太りだった。小柄な夫人とおなじぐらいの背丈だ。ラフな服装をさせれば、絶対に警察官とは見破られないだろう、と馬場は思った。目が優しいのだ。
「駐在さんは、それは大変な特技をお持ちなんですよ」
 笑いながら山上が駐在に缶ビールを手渡す。駐在は本気で照れている。食卓の椅子に腰をおろして、照れかくしに、駐在は缶ビールを一口飲んだ。
 馬場は見当もつかなかった。思いつくのは裸踊りくらいだが――。
「二十年ほど前の話になりますが、もうちょっとでオリンピックのピストル射撃の選手になるところだったそうです」
 駐在は笑っている。夫人に似たいい笑顔だった。
「ところが、なにかの不都合でなれなかった――?」
 これは笑顔の阿紗子だ。ビールがあれば阿紗子の人生はいつでも満開なのだ。もちろんビールの銘柄は問わないし、発泡酒でもかまわない。
「そのとおりですが、その不都合が傑作でしてね」
 駐在は話を自分で引き継いだ。
「自分で言うのもなんですが、拳銃の腕前は相当なものでした――競技用ピストルを使えば、五十点満点のうち、四十九点をとったことは何回もあります。ところが、直前になって、たぶん容姿で落されたのですねえ、これが」
「容姿ですか? 重量挙げとか砲丸投げなんかの力ものの選手には、ずいぶん個性的な容貌のかたがたくさんいらっしゃいますけど」
 阿紗子が生真面目に応じる。
「ピストル射撃の選手は、日本では警察官か自衛官に限定されますね。つまり、日本の警察官、自衛官を代表して出場するわけです。わたしの容貌と背丈が日本の警察の審美基準に達していなかった、というわけです」
「それは不見識でしょう――非常識です。面と向かって直接そう言われたのですか?」
 阿紗子がたたみかける。瞳は笑っていない。
「はじめから長崎県警勤めで、そのときは長崎市にいたのですが、思案橋の署行きつけの居酒屋で、酒癖の悪い、キャリアの上司が、酔って得意げに喋りました。わたしも若かったから、本当に荒れましたねえ――オリンピックで入賞するかもしれないと言われていたものですから」
 そのことと、駐在がいまここにいることの間に、なにか関連があるのだろうか。
「駐在さんは長崎市のご出身――?」
 阿紗子が尋ねる。こういう間合いは絶妙なのだ。
「いいえ、対馬です。峰町というところです。上島の中間あたりです。実家も親戚もみんなそこにいます――女房は長崎市出身ですが……思案橋の近くです」
 そとに軽トラック二台の止まる音がして、三人の老人がつかつかと足早に入ってきた。
 歳のころは七十前後というところだ。みな背中がきちんと伸びている。三人ともデザインはばらばらの、色だけは同系統の似たような草色の作業服だ。
 肉体労働で張りつけた筋肉が、三人とも、まだほとんど目減りしていないことが、服の上からでもわかる。
 台所の食卓で缶ビールを手にしていた馬場と阿紗子を目にして、老人たちは軽く目で挨拶をした。
 山上が素早い動作で立って、かれらを八畳の部屋に通した。そのとき馬場と阿紗子も一緒に案内された。
 八畳には、緑と黄で木の葉の模様をプリントした安手のカーペットが敷かれ、そのうえに新聞紙を三四枚重ねて敷いて、ガスボンベ式のコンロが二つ置いてあった。コンロには、ひとつずつ形の違った大振りの土鍋がかかっていて、澄んだ汁がたぎっていた。夫人が仕込みをしている。
 老人三人と駐在を、山を背にした上座とおぼしきところにすわらせ、山上たちはかれらと対座した。薄い座布団の上で、阿紗子はきちんと正座している。
 分校の先生はすこし遅れてくると山上が言った。これでメンバーが揃ったのだろう。
 山上所長がかるく咳払いをした。
「ご老人三人は地元、佐須の出身で、五十年ほどまえの閉山までここの対州鉱山で働いておられました――鉱山が出鉱を止めたのは四十八年ほど前ですが、完全な撤収までそれから五年かかったそうです――鉱山は選鉱場、排滓捨て場、自家発電設備など、設備をたくさん抱えていましたから。その撤収作業に、この三方を含めた地元出身の人たち十人ほどと本社の事務屋一人が当たっていました。今でも、鉱山の連絡事務所がここから少し下流に残っていて、電話連絡は取れる建前になっています。駐在さんの横の増田老だけが小茂田浜で、あとのかたは佐須です。一番奥が川本老で下原部落――つまりここから歩いて五六分、そのつぎが西村老で経塚部落です。皆さん、歩いて十分以内ですね」
 山上の紹介は滑らかで、要を得ていた。
 三人とも中肉中背で、西村老だけがほかの二人よりも骨太でがっしりしていた。
 確認するように山上はかるく頷いた。
「それから、お三方とも頭と口と耳は達者ですから、遠慮はいりません。三件の事件のことはもちろんご存知です。それに、馬場さんたちお二人のことは、わたしから前もって話しています」
 すこし軽い口調で山上がつづける。馬場の助手が若い女性であることは、たぶん話してはいないはずだ。時間的に不可能だから。
 それから、山上の音頭で、缶ビールで乾杯した。
 その間、夫人が鍋の準備をしている。山上所長の後ろに一升瓶の焼酎が二本見えるから、メインドリンクは焼酎になるのだろう。「やまねこ」というラベルだ。名前から対馬の地酒に違いない。
 鍋の料理はとびきり単純だった。
 昆布をしき、椎茸をたっぷりいれた煮たっている鍋に、切身の黒鯛とニラと白菜をいれるだけだ。魚は鯛でなくても、硬い白身ならなんでもいい。魚に火がとおったら一旦火を消し、汁のあくを丁寧にとり、かすかに色がつく程度に醤油を入れ、もう一度火をつける。酢醤油をつけてたべる。味の濃淡は各自の好みである。その料理にきまった名前はないそうだ。
 これがこのあたりの代表的な料理であると夫人が、正調なアクセントで説明した。味は酢醤油が決める。今日の酢醤油は増田老の家のもので、このあたりでは一番うまいという評判だそうだ。終戦前までは、増田老の家は酢の醸造をしていたそうだ。
 黙っているわけにもいかないので、馬場は、少しおざなりに阿紗子との関係を説明した。山上の紹介に抜けていた部分だ。
「皆さんは、ずっと対馬ですか?」
 そんな自己紹介がすんで、馬場が曖昧な質問をした。
「まあ、そうです、三人ともな。たぶん、先祖代々だな」
 いちばん年長らしい川本老が答える。かれの作業服だけにはアイロンがかかっている。洗濯してあっても一二回だろう。
 鉱山が閉山して、そこで働いていたほとんどの者は島外に出稼ぎにでた。おおかた五十年前のことだ。当時の鉱山は、本社採用の職員でも、現地採用の鉱夫でも全員が正社員だったので、閉山後の転勤先は会社が世話した。三人も、資材の撤収などが終わった後、再就職で対馬を離れ、二十年ほどまえに島にもどってきた。内地では、鉱山の経験をいかし、三人とも会社は別だが、トンネル工事の現場にいたという。新幹線や高速道路が盛んに作られていた時期である。
 いちど島を出ると、二三男は島には戻ってこないが、長男はおおかた全員が戻ってくる。とりわけ、鉱山で働いていた者には、坑内作業者という割増のついた年金がつくので、田畑の二三反かあるいは漁業権と小さい漁船でもあれば食料が自給できて、悠々と食っていけるからだ。ここの三人はみんな長男だそうだ。これは川本老の説明だ。
 正座をして、阿紗子は目を輝かせて聞いている。未知の世界の話なのだ。興味津々たる態度の若い女性は、話す者には最高の聞き手だろう。
「失礼だが、お嬢さんは独身かな?」
 ひととおり経歴の披露がすんだところで、唐突に、視線をきちんと合わせて、川本老が真顔で尋ねた。
「バツなしの独身です――それで、今後、『ミス阿紗子』と呼んでいただけませんか。姓のレンガヤでは呼びにくいでしょうから」
「若い女の人は、ここには一人しかいないから、お嬢さんで間違いようがないと思うが」
 駐在夫人に同意を目で求めながら、川本老は食い下がる。
「お嬢さんは十九歳までです。それでは、いくら何でもサバの読みすぎです――『お嬢さん』では良心が痛みます」
 にっこり頬笑みながら、阿紗子もゆずる気配がない。
 二三の押し問答と夫人の裏切りのすえ、阿紗子の気迫に、笑いながら川本老が押し切られた。
 それから三老人も互いを紹介した。
 ――川本老と西村老は鉱山では採鉱担当で、とくに西村老の鑿孔と発破の腕は神技だったと川本老は言う。硬い石英斑岩でさえ羊羹のように切りとられ、ダイナマイトで発破された岩石が箒で掃いたように、一箇所にかたまっていた。ときどき、排水ポンプや変電設備のような既設の設備の近くで発破をする必要が生じるが、そのときには必ず西村老の指名があった。
 ――増田老は腕のいい機電屋で、なんでも改良した。鉱山で使う百メートル以上の高揚程の排水ポンプには、運転を停めた時に、水撃という轟音を伴う大きなショックが発生し、それがポンプの寿命を縮める。これをなくすためには、高価な装置を付けなければならない。ところが、ポンプの停止と同時に、ポンプ直上の排水パイプに細い管で圧縮空気を十秒ほど吹きこむという簡単な仕掛けで、増田老はそれを解決してしまった。坑内の機械は安全上、圧縮空気をエネルギーにしているので、坑内なら圧縮空気はどこででも使用できるのだ。しばらくして、それを見た排水ポンプのメーカーがそれで特許をとった。改善ばかりではない。廃車になったダンプトラックのセルモーターを利用して、坑内用の乗用電車を坑内で試作して、係長からしこたま叱られた。法規違反なのだ。もちろん、十分に実用になり、係員はたいへん重宝した。片道四キロの坑道を歩かなくてすんだのだ。以上は川本老の説明だ。
 ――増田老が言うには、川本老は人使いの名人で、選別の目をくぐり抜けて、たまに入社してくる、どうしようもないクズはみんな川本老のもとに配置され、川本老の手練手管でまともに通用する坑夫になり、送り出された。人間は変わることができる、ということを教えられたという。川本老だけが、三十歳になる少し前から職長をしていた。通常は五十代にならなければ、職長にはなれないのだ。
 三老人は生き生きとしゃべった。馬場にはほとんど未知の分野の話なので、聞いていて実に面白かった。だが頭を冷やして冷静に聞くと、それは紹介というよりは、いささか鼻白む仲間褒めだった。自分自身の自慢ではないのが少し救いだが、そうは言っても、酒の席とはいえ、おおかたしらふで、初対面の人の前でする話ではないだろうと馬場は思う。馬場がかつてつきあったことがある、いつも自慢話をしたくてうずうずしている三流企業の社長を思い出していた。そういえば、こういうシーンをどこかで見た記憶がある。テレビだ、と馬場は思い出した。例えばある番組の出演者が数人集まって、テレビでしばしばこれををやっている。この三老人もテレビの影響を受けたのだろう。こういう過疎地では、テレビの影響力は都会地の比ではないはずだ。
 それに、やはりかれらの歳になると脳も萎縮しかけ、痴呆が忍び寄りかけているのかな、と馬場は心のなかで肩を落とした。自分の近未来を見たような気がしたのである。「おれは自慢話をしなかっただろうか?」と日に三省する必要がありそうだと馬場は自戒した。
 頼りになるのは山上所長だけか、と思う。
 ひと通りビールが空いて、すぐに焼酎になった。焼酎はオンザロックである。馬場もそのほうがよかった。対馬の焼酎はアルコールが二十五度なので、ゆっくり飲むと水っぽくなると川本老が馬場に注意している。
 阿紗子の前にだけ缶ビールがおかれていた。
 駐在夫人はアルコールがまったく駄目だと山上が言う。
 ひとしきり区切りがついたところで、馬場が口をきる。
「皆さんのお知恵を拝借したいのですが――」
 馬場は老人たちを見渡した。
「一年半前の九月末に、電気工事会社の方が奇怪な事故で亡くなりました。これがこんどの一連の事件のはじまりですね」
 老人たちは大きく頷いた。
 最初の事件の時も二回目の時も、県警はこのアパートを臨時の捜査本部にした。殺人事件と見なしたわけである。その度に――といっても二回だけだが、ほかの村人よりも社会経験のあるこの三老人が呼びだされ、いろいろ事情を聞かれたので、事件のことは、当然、よく知っていた。これは三老人をよく知っている山上の注釈である。
 三件目の事件は厳原署の管轄外だったので、ここは使われなかった。
「わたしたちは警察のような捜査の専門家ではないので、専門家と同様の調べかたをしても、何も得るところはないと思います――」
 馬場は言った。べつに深い意味はなかった。
「ほう、それじゃ、どんな方法で調べるのかね?」
 小茂田浜の増田老がたたみかける。口調に悪意は感じられない。あるのは好奇心だけのようだ。
「それは、わかりません」
 馬場は正直に答えた。裏の気配のない問いには、真正面から答えるべきだというのが、馬場の信念だった。
「皆さんの話をきいて、現場を見て、それから、考えます」
 これも正直に答えた。
「それはそれで正直でいいが、そういう答え方じゃ、少し頼りないと言われるかもしれないなあ――わたしは好きだが」
 川本老がにやりとする。口は達者なようだ。
 そのとき、軽く頭を下げて、先生が入ってきた。上着は茶色の着古したスーツを着ている。下はジーンズだ。
 山上が自分の上座の座布団を手で示す。
 目が生きている。生き生きしている。それが馬場の第一印象だった。全体に荒削りな輪郭で、何にでも応用のきく顔だが、小学校の先生にだけは、野性味が利き過ぎてミスキャストのようだ。それに、俳優でも志すのならともかく、先生の雰囲気には、痩せ過ぎだ。
 先生がすわると、こんどは駐在が馬場たちに先生を紹介した。
 駐在もふくめて、三老人とは飲み友達らしい。
 先生の自己紹介では、夫婦とも四十になって初めて子供ができたので、大事をとって今日、奥さんを実家に帰したのだそうだ。親戚の者が車で迎えに来ていて、その送り出しで、手が放せなかったと言う。
「奥さんの実家は遠いのですか?」
 阿紗子が聞く。
「ここから車で二時間少しかな――豆酘というところです――対馬の南端です」
 豆酘という漢字をどう説明しようかと先生が言い淀んでいるうちに、急いで山上が割って入った。
「奥さんの実家がわたしの実家の近くでしてね、奥さんは赤子のときからよく知っていますよ。小さいときから本当にかわいい女の子でしたね」
「先生は対馬のご出身ですか?」
 阿紗子が遠慮なく聞く。
「そうです。比田勝町というところです。上島の北端です――対馬にいたのは中学までですが」
 どうぞ続けてくださいと馬場に言って、先生は自分で焼酎をコップについだ。
 いい飲みっぷりだ。生徒五人ではかえってストレスがたまるのかもしれない。
「それで……一年半まえの九月末――はじめの事件がおこる前後に、このあたりで、何か変ったことはありませんでしたか? とりあえず、事件の前、でしょうね。何でもいいんです――関係ないと思われるようなことでもいいんです。たとえば普段より犬の遠吠えが多かったとか、ネズミが異常発生したとか、どんなことでもいいんです――」
 成果を期待しての質問ではなかった。正直なところ、ただ思いつきで喋ったまでだ。
 島の人たちは顔を見あわせた。こういう質問ははじめてだったのだろう。それでもコップを傾けながら、黙って思い出している様子だった。質問が風変わりなだけに興味をそそられたのだろう。
 しばらく会話が途絶えた。
 はじめに増田老が口を開いた。
「変ったことを話すには、変わったことという言葉の定義がはっきりしていなければ何も言えないのだが、まあとにかく、ややこしい話は抜きにして、大雑把なことでいいのかね?」
「もちろん、それで結構です」
 そう言いながら、馬場は内心、すこし驚いていた。ついさきほどの仲間褒めのときのボケは、何だったのだろう?
 上目づかいに天井を見て、増田老が話す。
「最初の事件は十九年の九月の末日だったな――おおかた一年半前だ。あの年は天候不順でね、一月から三月まで雨ばかりだった。その仕上げでもあるまいが、四月のはじめに大雨が降って、あちこちで山崩れとか出水とかがあって、大変だった。佐須に通じている三本の道のうち二本はその時の山崩れで、いまだに不通だ。その反動かね、その年はそれから十月まで極端に雨が少なかった。つゆも空つゆだったな。だから、四月始めの大雨はよく覚えている。四月一日の夜から真夜中にかけて大雨が降った――本当の土砂降りで、五時間の間に五百五十ミリは越えていたからね。つぎの日が抜けるような天気だったので、なおさら印象が深かったな。そのほかに変ったことはないなあ――何しろこのあたりは、冬から春にかけて風こそ強いが、そのこと以外は、静かで平穏なところだからね。若い奴らは寂しいところというけどね」
 思いだしながら増田老はゆっくりとしゃべった。
「五時間で五百五十ミリはすごいですねえ――時間百十ミリ強が五時間ですから。それで、その値は推定値ですか?」
 阿紗子が聞く。
「うちの庭先での実測値だ。正確には五百五十五ミリだったな――空のドラム缶を外に置いていたのに気づいて、朝いちばんにそのなかに溜まっている水の深さを計ったからね。厳原で一晩で百三十ミリといっていたから、このあたりだけの集中豪雨だったんだな」
 文句のつけようのない報告だった。ただ、事件との関係はあまり期待できない。
「そうですね、あの雨は本当にひどかった。学校の裏の山が崩れて、物置が流され、いまだにそのままですからね――運動場だけは何とか片付けたけれど」
 先生も同意した。小学校の前を県道が走り、その向こうに佐須川が流れている。そのあたりまで来ると、佐須川の両岸にひろい砂利の河床が広がっているが、それでも県道が冠水したそうだ。
「あの雨であちこちに山崩れがおきてねえ」
 西村老が話を引き継ぐ。
「うちの田も半分ほど土砂に埋まってしまった。復旧を市にかけあっているが、まずだめだ――このあたりは、農家の意向に反して、減反政策の強力な対象地域だからな」
 このあたりの農家は、自家消費用にまじめに米を作っている。しかも馬鈴薯や玉ねぎの裏作までやってる。ところが県の農政部は離島の米作なんか、無くす方針だというのだ。もう、あいつらの言うことなんか絶対に聞かない、というのが西村老のせりふだった。
 老人たちの話にさしたる収穫は期待していなかったが、それでも、馬場は落胆した。もう少し事件にかかわる話が出るのではないか、と思っていたのだ。
 今夜は懇親会に徹して楽しく飲もう、と決心した。
 話はつづいている。
「うちの山も崩れた。五十年杉の二百本は大損害だった」
 川本老が話に加わる。植林して五十年ほどたった杉だという。杉の本数は自分で数えたことはない。約二千五百本が親からの申し送りだ。そのうち約二百本がその雨による土砂崩れで倒れた。川本老のところは、田畑だけではなく、山林も持っている。さいわい長男が帰ってきたので、山の杉、桧を製材までして、小茂田浜から韓国に輸出する方法を考えているところだ。手続きは密貿易である。プサンにそういう専門業者がいる。
 川本老は飲むより食べるほうだった。
「そう言えば、あの雨で日見の上流に古い坑が出てきたなあ――あんなところに坑口が埋まっていようとは思いもしなかったが」
 増田老が西村老に話しかける。西村老も当然知っていた。
「でも、あれは深くないな。せいぜい三十間だね。掘りかけて、銀が出なかったんで止めたやつだろうね――鉱脈があっても、あのあたりは白岳の裾で、石英斑岩だから採れるのは鉛亜鉛だけどねえ」
 西村老が応じている。
 馬場は三十間をすばやく計算した。間をメートルに直すには、二倍して八掛けにすればいい。約五十メートルだ。強力な懐中電灯なら、光がとどく距離だ。西村老が言うとおり、途中で放棄した廃坑だろう。でも、どうやって三十間とわかったのだろうか?
「西村老、その廃坑に入ったのですか?」
 阿紗子が聞く。馬場が気になったように、やはり阿紗子も測定方法が気になったようだ。
 古い坑は、空気より少しだけ重い炭酸ガスやその結果の酸欠ガスが充満していて、危険きわまりない。いきなり入るのは無茶だ。
「入るわけないだろう。あの坑には炭酸ガスはないと思うが、なにか有害ガスがあるかもしれんのでね」
 あきれたように、西村老が言う。
「穴の深さは、坑口で叫んでみれば、その反響でわかる。正確なのは、まあ、せいぜい五十間までだがね。坑内で発破をするとき、これが役にたつ。待避する距離の目安になる。直線なら五十間以上離れよ、というのが発破をかけるときの鉄則だからね」
 先ほどの話では、発破は西村老の得意分野なのだ。
「あの坑はなかなか古いな。鑿の跡が溶けかかっているからね。あんな丁寧な掘りかたは鎌倉までだ。もしかすると、鎌倉以前かもしれんな」
 川本老が考古学者のような判定を下した。
「あの……鎌倉というと、鎌倉時代のことですか?」
 すこしためらって阿紗子が尋ねる。
「わしの時代鑑定を疑っているな、お嬢さんは」
 かなり本気な抗議だった。呼称を訂正できる雰囲気ではなかった。
「いえ、そんな決して――そんなに古い坑道が残っているなんて、思ってもいなかったものですから」
「洞窟や、硬い岩に掘った坑道は、時代を経ても壊れないんだよ――時間に強いんだよ。地震のとき、周りもいっしょに同じように揺れるから、壊れないんだな。それに岩石は風化に強いしね。時間があったら、ほかの時代の坑にも案内しようかね」
 川本老は案内するつもりらしい。
「鎌倉までだな、掘った職人のぬくもりが坑に感じられるのは。戦国以降はどうも、力まかせの仕事だね」
 真贋をうんぬんするような話ではなかった。阿紗子はすっかり呑まれていた。
「そういえば、その鎌倉の坑は初めの事故があった場所のすぐ近くです――四五十メートルは離れているかな」
 駐在が初めて口を挟んだ。
 明日は最初の事故の現場まで行って、ついでに、いわゆる鎌倉時代の坑口でも見てみようと馬場はきめた。これでとりあえず、明日の予定はたったわけだ。なにから手を着けていいのか、まったくわからない。こういう場合の常套手段として、とにかく、現場を見ることなのだ。
 今回の依頼に、意味のある結果が得られるとは、馬場は初めから考えていなかった。これは今も変らない。
「わたしからお聞きしていいでしょうか?」
 自慢の笑顔をせいいっぱい顔中にひろげて、阿紗子が小首を傾げて聞く。すこし声を落としている。夫人が出て行くのにタイミングを合わせたようだ。
「何でもどうぞ」
 川本老が笑顔で応じた。お気に入りの孫と話しているような顔つきだった。
「本当に勘でいいのですが、つぎの犠牲者がもうすぐ出ると思いますか?」
 駐在の顔が一瞬で凍りついた。老人たちも三人とも、かすかに表情をこわばらせた。
 表情をすぐに解凍し、反応したのは、増田老だった。
「あれが止んだ、という兆候や証拠は何にもないからな。今後、何も起きない、というわけにはいかんだろうな――」
 これが触媒となって、みんなの表情が平常に戻った。
 上着のポケットから小さく折った二万五千分の一の地図をとりだし、山上はそれを馬場の前にひろげた。インターネットを使うことができればまず使わない官製地図の部分コピーである。A4の大きさだ。事故の一覧表に複写してあった地図の原図だ。
「三つの現場を示しています。どう見ても日見川上流あたりが中心です」
 小さい赤い×が三つ書いてある。
 三点を通る円を描けば確かに日見川上流が中心だろう。下島のほぼ中央あたりになる。
 しかし、このつぎの類似の事件が離れた場所で起きれば、一連の事件の中心を日見川流域と断定することはむずかしくなる。ただ、対馬のほかの場所で似たような事件は起きていないのだから、日見川周辺の事件だということは現時点なら言えるだろう。
 赤い×はそういうような分布をしていた。
「つぎの事件、起きると思いますか?」
 駐在が馬場に聞く。
「まったくわかりません。たった三件で、しかも共通項がほとんどありませんからね」
 それから馬場は三老人に体を向けた。
「ご老人方、事件で亡くなったかたを、皆さんはご存じですか?」
「初めの電気工事の人は厳原なので、知らないなあ。二件目は佐須の人だから当然知っていた。それから、三件目の女の人は阿連の部落の人だが、隣部落だからな、名前ぐらいは知っていたよ」
 川本老が答える。
 三件目の現場だけが、図面の十一時の位置にぽつんと離れていた。強いていえば、この一件だけが佐須川・日見川の流域から僅かに外れていた。日見川の分水嶺を少しだけ越えていた。
「三人に共通することが何かありませんか?」
「何もないなあ。親戚どうしでもないしな」
 増田老が即答した。すでに何度も警察から訊かれたのだろう。
 サッシの窓ガラスの外は、いつのまにか、とっぷりと暮れていた。交番の正面に立っている、スズランを模した街灯が、あたりを睥睨するように橙色にかがやいている。
「今度事件がおきたら、先生はどうされますか? 生徒たちをどうするかということですが」
「とりあえず、全員といっても五人ですがね、事情を話して厳原の小学校にあずけます――わたしの話を信じてくれるかどうか、わかりませんが……」
 先生はまだ迷っていた。
「三件は微妙な数ですからねえ――」
 同情するように馬場が言う。
「そのうち一件は労災扱いですからね。地図の上におとさなければ、三件が地理的にかなり近いということは、まずわからないでしょう。偶然だと主張されれば、まず否定できません。ところが不幸にして四件目が佐須川流域で発生すれば、これは説得力があります」
 馬場は先生に言った。
「それに、手の打ちようがない、というのが一番困りますね」
 ため息をのみこんで、先生が言った。
「駐在さん、この一連の事件に対する警察の対応はどうなっていますか?」
 制服の警察官に対するとき、知らないうちに馬場の口調は、少し紋切り型になっていた。
「ご承知のように警察は対外的には何も発表していません。厳原署でも、もう今は動いていないとおもいます。しかし……」
 馬場と阿紗子は駐在の言葉を待った。
「警察関係らしい人間がときどきこのあたりを二人連れでうろついています。半年目が来ているものですから、その頻度が近頃高くなったようです。警察もやはり半年の周期に気づいています――当然といえば当然ですが。一週間ほど前にもこのあたりで見かけましたし、昨日も古茂田浜に来ていたようです――例の国を疑っているんでしょうね。かれらが警察の関係者であることは目つきと、あとは勘でわかります――動作が微妙に鋭いんですねえ。長崎の県警本部にいる友達に聞いてみたのですが、県警は、このことで刑事も公安も動いている気配はないそうですから、考えられるのは警察庁がらみでしょう――県警の頭越しに動いているようです、小官の推測にすぎませんが」
「警察庁ですか?」
 思わず馬場が聞き返す。
「近ごろまた、見知らぬ二人づれをときどき見かけるが、あれは警官だったんだね――新聞記者じゃないんだね」
 増田老が念を押すように言った。
「警察関係者であることは、間違いないでしょう」
「私服の警官にしては何となく垢抜けしていたけどねえ――」
 川本老が呟いた。
「局や本部の連中は、近頃は、結構垢抜けしていますから」
 駐在が答える。
 普通の事件なら、長崎県警が出てくるはずだ。県警の頭越しに警察庁が動いているということは、明らかに大きな政治絡みの気配があると馬場は思う。オウム真理教が引き起こしたあの地下鉄サリン事件のときでさえ、直接動いたのは警視庁――言うなれば都警で、その時の警察の責任者は警視総監、つまり都警のトップだった。対馬のこの僻地で起きていることは、地下鉄サリン事件のような単なる国内事件ではないのだ。駐在の話を聞いて、馬場は初めてことの重大さに気づき、鳥肌がたつ気配を感じた。
「警察庁と自衛隊が秘かに活動している、ということはアメリカが動いているということですね。こんなところで、いったい何が起きているんでしょうね」
 馬場が問いかける。
 馬場と山上が互いに頷く。このことを狩倉常務は知っていたのだろうか? 山上所長に問いたい気がしたが、思いとどまった。
「――アメリカなの?」
 阿紗子が馬場に聞き返す。
「アメリカが裏で糸を引いているというのは、いくら何でも、ちょっと大袈裟じゃないの? 風と桶屋の話みたいだよ。ここは日本の西の果ての離島の、しかもそのなかの僻地だよ。われわれが調べているのは、都大路の出来事じゃないのよ」
 阿紗子が反論した。
 馬場はずいぶん意外な気がした。この事件には不気味なところがあると言いだしたのは阿紗子のほうだった。馬場は阿紗子の意見に同意して、考えを発展させてつもりだった。
「ちっとも大袈裟じゃないとおもうよ」
 馬場が応じる。成り行きで意見を変えるのは阿紗子の癖のようなものだから、ここは少し注意してやるかという気になったのだ。
「警察と自衛隊を、有無を言わせずに秘かに動かすことができ、日本のマスコミと、与党と共産党を完全にコントロールできるのはアメリカしかないだろう? 日本国の『雇われ首相』には絶対に無理だね――それだけの力もないし、いざとなれば暴力を使うだけの勇気もたぶんないからね」
 めずらしく阿紗子は静かだ。馬場は続ける。
「アメリカが一枚噛んでいる可能性が高いという結論には、ちょっと筋道を立てて考えれば、すぐにたどり着くよ。論理の必然だね――この場合、場所なんか関係ないねえ」
 ちょっと大人げない言い方だったかな、と馬場はしゃべりながら、内心少し反省していた。
「そうかしら――筋道を立ててきちんと考えた結果、答は間違っていた、という話は世の中にはたくさんあるよ」
 案の定、阿紗子が反論してきた。
「例えばひとつの例だけどね――」
 阿紗子は一旦、言葉を切った。
「あの悪名高きPCBだってそうね。PCBができた当初は夢の物質だったんだからね。なにしろ、燃えない、変質しない油だからね。これは工業的には本当に重宝するよ。実際しばらくは賞賛されたんだからね――電気のトランスやラジエターのクーラントなんかに大量に使われたんだからね。ところが、まさしく、その夢の部分があだになったというわけ――今でも、処理するための分解方法はわかっていないんだからね。ところで、この次のいわゆるPCBの候補、皆さんは何だと思います?」
 突然の質問に、慌てたように、みんな小さく頭を振った。
「わたしの勘だけれど、たぶん抗生物質だという気がするんだけれど――ペニシリン、テトラサイクリン――」
 みんなの顔を見て、阿紗子は賛同を求めた。
「久しぶりに知的な会話が楽しめますねえ」
 ほっとしたように、新町先生が笑った。老人たちも笑っている。
「それでは何を頼りにものごとを判断するんだろう? とりあえず論理、理屈しかないんじゃないのか?」
 周囲の笑顔につられながら、馬場が聞いた。
 その反論に、僅かに間をおいて阿紗子は答えた。
「そうねえ、おとなの直観――経験豊かなおとなの直感、しかないんじゃないかなあ――」
 元プログラマーの言葉とはとても思えなかった。しかし馬場はちょっとだけ感心し、気持ちよくなった。
 大きく何度もうなずきながら、山上が阿紗子に賛意を表した。
「明日、最初の事件の現場に行きたいと思いますが――ついでに鎌倉時代の坑口――大雨で姿を表した廃坑口も見られますか?」
 馬場が山上に聞いた。
「第一の事件現場の少し手前だから、嫌でも目に入りますよ」
 任せてほしいという口調で山上が言う。
「わしらももちろんお供しますよ――ミスさんに、鎌倉の旧坑の講釈もたれねばならないのでな」
 そういって西村老はにやっと笑った。
「それに、なんと言っても地元だからな」
 川本老だけは、部落の親戚に法事があるので明日はつきあえないという。
 西村老は増田老の車に便乗するので、足の心配はしないでいいと言った。川本老も西村老も日常の足は九十CCのスクータだ。もちろん、軽トラックも持っている。僻地では車がなければ、生活が成り立たない。
 四月十一日が日曜日なので、つまり十一日まで学校が休みなので、新町先生も付き合うと言う。馬場たちと一緒に、かれは山上の車に便乗することにした。駐在は公用バイクのカブがあった。
 明日の出発の時間は九時とした。現場に朝日が射す時間がその頃だった。その時間よりも早いと、露で足が滑るのだという。
 今晩は、一番遠い増田老は、駐在夫人がサンバーを運転して送って行く。ここから自宅まで二・五キロほどあるのだ。戻りは増田夫人がМiEVで送り戻してくれる。増田老によれば、島こそ電気自動車に最適な環境だという。走行距離が短く、しかもガソリンスタンドがあまりない。休耕田に設置している太陽光発電装置を全量売電しているので、家はオール電化にして、EVを使用しても、とっくに元は取ったそうだ。
 残りの二老人は、軽トラックをここに置いて、歩いて帰った。歩いて帰れないほどに飲んだ時は『臨時集会所』に泊まればいいと言っていた。
 老人たちを送りだし、馬場と阿紗子は山上の部屋の後片付けを手伝った。
 それが終わって外に出ると、例のスズラン型の街灯はいつの間にか消灯している。タイムスイッチで点滅させているらしい。このあたりでは夜中に出歩く人なんかいないのだろう。
 天の川が北の山から南の山のほうに流れているのが見えた。高気圧に覆われているのでひときわ鮮明で、せつない。星の瞬きが鮮やかだ。漆黒の山の輪郭を天空の星が描いていた。月はまだ出ていない。
 何十年ぶりに仰ぐ、北から南へながれるフルスケールの天の川に馬場はわけもなく感動した。人工の光があふれている都会では絶対に見ることのない夜空だった。
「ちょっとお話をしよう……」
 そう言って阿紗子は馬場の部屋に立ち寄った。
 テーブルにすわると周囲をみまわした。
「あの奥さんのことだ、きっとどこかにつまみがあるよ」
「冷蔵庫に煎った落花生がある――」
 馬場は教えた。
「駐在の奥さん、ミステリアスだね……何となく気になるなあ」
「ミステリアス? そんな感じはないけどなあ――」
「場違いな感じがするということ――軽井沢あたりの由緒ありげな別荘からひっそりと顔をのぞかせたら、似合いそうな感じじゃない? 彼女の背後に長い物語がありそうで、気を引かれるなあ……」
「あまり顔を突っ込むなよ、ひとの人生に」
「おじさま、やさしいね――そういうところがいいんだなあ」
「おれは既婚者だ、惚れるな」
「ばかばかしい」
 真顔で阿紗子はそう言った。
「みんな暇なんだね。三老人はわかるけど、先生も駐在さんもわたしたちの調査につきあってくれるというんでしょう――」
 小さい冷蔵庫から落花生のビニール袋を取り出しながら、阿紗子が言う。
「駐在は仕事のうちだろうからね――三老人と先生には山上さんが声を掛けていたに違いないね――みんな初めからわれわれの仕事につきあうつもりで集まってきたようだからね。もしかすると山上さん、あの連中に裏手当ぐらいは払っているのかもしれないね」
「根回しがすんでいたんだ――山上さん、ダテに所長をしているんじゃないね」
 感心しながら、しばらく静かに阿紗子は缶ビールを傾けていたが、それから、小さいため息をついて、言った。
「おじさま、この事件、考えれば考えるだけ、異様だよ――アメリカ絡みは考えすぎとしても、何か奥があるような気がする……」
「それこそ大人の直感か?」
「そう、女の直感――わたしねえ、これからの人生、やさしくて、床上手ないい男をみつけて、大いなる快楽とちょっとだけの贅沢を楽しみながら、楽しく気楽に生きていくつもりなんだからね、命を狙われるようなことは絶対に嫌だよ」
 足を組みなおしながら、ゆっくりと、本気で喋っている。
「なるほど、わかりやすい、たいした人生観だな」
 馬場が笑う。
「どこからか警告ぐらいは受けるかもしれないが、われわれが命を狙われることはないだろう」
「この一連の事件、死体の様子といい、それを取り巻く周囲の動きといい、現場に来て、実感すればするほど、何だか不気味だよ。適当にお茶を濁して引き揚げようよ」
「それはできない。契約とはそういうものじゃない。やれるだけはやる――これがぼくの信条だ」
「なにを粋がっているのよ――男って、そんなだから戦争ばかりしているのよ」
 缶ビールをすでに一本あけている。
 阿紗子が持ってきた缶ビールを馬場も開けた。
「犯人はやはり例の北の国かな――そうすると、アメリカが絡んできてもおかしくないね。昔、こんなことがよくあったそうじゃないの?」
 阿紗子が呟く。
「どうもそういうこととは違うような気がするよ――被害者に政治性なんかかけらもないからね。それよりも、もっと異質な事件のような気がするんだがね」
「例の国の拉致被害者は、政治性のない人ばかりだったんだよ――」
 持ってきた缶ビールをもう一本あけ、それから阿紗子は、何となく浮かぬ表情で、消えている街灯の下を通って、黙って自分の宿舎に戻って行った。
 名前を知らない虫がチーチーと近くで小さく鳴いているのが、聞こえてきた。下弦の月が出るのは真夜中を過ぎてからだ。



●[註]
『風聞書』(ふうぶんがき)(デジタル大辞典・小学館)
【江戸時代、各地の風聞を書き記したもの。特に、諸藩が江戸に人を送って、風聞を書き送らせた文書】

『日経サイエンス』(日経サイエンス社)
 一九八八年九月号「調査船『開洋丸』が遭遇した未確認飛行物体の記録」『筆者 永延幹男』 下記はサイエンス編集部の前書き。【未確認飛行物体は、再現性がなく第三者が再確認することができない。また、実験で確かめることもできない。目撃者の報告があるだけである。そのため、科学誌での扱いは難しい。
 この報告は、筆者の永延氏から『サイエンス』への掲載が提案されたものである。この報告の場合、観察したのが観測・調査の専門家であり、しかもその専門家が複数で観察している。さらに観察者がはっきりと名前を示して体験を語っている。こうしたことからみて、その信頼性は高いものと考えられる(以下略)】

『月齢、上弦・下弦、干潮などの月に関する描写は、その章の日時に合わせている。』
 

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