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 (二十) 十月二十四日 (月曜日)

 年配の守衛の証言では、爆発は秋田副社長が玄関の受付を通って、二三分のあとに起こった。朝の六時三十分だ。守衛の勤務は八時交代の三シフトなので、受付にいたのは夜勤の遅番だった。秋田の出勤時間が正確なので、爆発の時間は間違いないという。
 爆発音はそれほど大きくなかった。青山通りを通る車のバックファイアかと思ったが、ガラスの割れる音がかすかに混じっていたので、もう一人の若い守衛に見回りに行かせ、かれから秋田の死体の発見の連絡を受けたのだ。見回りに行った新しい守衛が元・警察官だったので、連絡は正確だった。一目見て即死だとわかる状態だったそうだ。爆風で廊下の壁にたたきつけられ、その上、鉄片が前頭に刺さっていたのだ。

   *

 六階のフロアには作業制服の捜査員が溢れていた。土木本部前の副社長室の入り口では制服の警官が部外者、つまり報道関係者の立ち入りを拒んでいた。
「班長さんよ、これはダイナマイトじゃなくてアンフォだね――臭いでわかる。まず間違いないだろう」
 爆薬が入っていたと思われる鉄パイプの捻れた破片を手にして、鑑識課の植木主任が言う。
「〈あんふぉ〉というのは?」
「アンモニウムナイトレイト・アンド・フューエルオイル――硝安・油剤爆薬。爆薬の種類の名前だな」
 鑑識の植木主任は簡単にアンフォの説明をした。
「この爆弾がどういう仕掛けか、説明してください――」
「仕掛け自体はじつに単純だね。鉄パイプにアンフォと雷管のついたダイナマイトを詰めて、あの蛍光灯の代わりにセットした。そうすると、手前の蛍光管が邪魔になって、入り口のスイッチの位置からでは、まず目につかない。雷管の脚線をグローランプに繋いでおけば、壁のスイッチを入れた途端に、頭の斜め上でドカン、だ。単純だが、確実に爆発する――テロの教本にでも載せたいくらいの仕掛けだな」
 植木現場主任は、蛍光灯の跡形もない天井を指さした。吊り天井の化粧板はそこだけが飛ばされ、後ろにコンクリートが顔を見せている。
「このドアの把手には指紋が残っているが、被害者か守衛のものだろう――あとで詳しく照合はするがね」
「ところでこの壁ですが――」
 副社長室を間仕切っている化粧合板の壁を大場主任は指した。間仕切りの壁は半ば倒れかかり、数カ所に鉄パイプの鉄片が突き刺さっている。
「まわりのコンクリートの壁に比べると、強度はないに等しい。ひとの力で動かせませんか?」
「人力で動かすのは、無理だろう。防音用の薄い鉛を挟んだ合板の壁だけど、天井と床にはしっかりとネジで固定してあるよ。その厚さから防音性はあまり期待できないが、それ以外は立派な壁だよ」
 大場班長はため息をついた。
「この壁に問題があるのかね?」
 植木主任が聞く。ラインが違うので、植木主任の言葉は歳上のせいもあってぞんざいだ。
「守衛の巡回で、この部屋は間違いなく鍵がかかっていたことが確認されています――犯人はどうやって部屋に入ったか、ということですが」
「それはおたくの守備範囲の仕事だろう……」
「ああいう事件があった後なので、施錠の確認なんかは、念入りにやっていたと言うんですがね……ドアの錠はどうでしょう? 針金で簡単に開くやつじゃありませんか?」
 大場班長が聞く。
「どこにでもあるセミオートだけど、素人なら、針金では無理だろう」
「セミオート、とは?」
 班長が聞く。
「強いて訳せば半自動――室内側についているボッチを押して閉めると、自動的に鍵がかかるやつ――安い旅館にはこの手の錠が部屋の扉についているだろう? 高いホテルは全自動かな――捜査一課はまともなホテルなんかに泊まらないだろうからなあ」
 大場班長が不快そうな表情を見せた。それを慰めるように、植木主任が急いでつけ加える。
「ただセミオートは信頼性に欠けるという欠点がある……」
「どういうこと?」
「ノブを強く殴れば、ロックが外れることがあるんだ。いちど、靴の底でたたいてロックを外したことがあるけどね」
「それでは、大きい音がするでしょう?」
「大きな音でも一回だけなら、それほど注意は引かないんじゃないか。それに、副社長が帰った後に、土木本部の社員もすぐ帰ったそうだから、あのフロアには誰もいないはずだね」
 植木主任はすぐ立って、ドアの錠を調べた。
「少なくとも、硬いもので殴った様子はないね」
 二人はため息をついた。
「ところであの窓からは入れませんか? たとえば屋上からロープを垂らしたりして」
 植木主任は一つしかない窓を指して、聞く。頑丈なアルミサッシの、外開きの窓である。
厚いガラスが半分だけ残っている。窓の留め金は内側から掛かっていた。
「それはとっくに調べました。屋上にはなんの痕跡もない。もちろんロープを垂らした跡もない――ふだんは屋上は使っていなくて、屋上への出入り口には錠が掛かっていた」
 そう言って大場捜査主任は腕を組んで、もう一度あたりを見渡した。
「鉄パイプがあんなに小さく割れるものですかね? あれじゃまるで手榴弾だな」
 間仕切りの壁に突き刺さっている鉄片を見ながら、主任が聞く。
「割れるように工夫がしてあってね――パイプの周囲に碁盤目に浅い溝が切ってあって、小さく割れるようになっている。さらにその上、ギンギンに焼きを入れて、硬く割れやすくしてある。そこいらの過激派の作った爆弾とは、質と知識と熱意が違うね。テロの教則本に載せたいぐらいだね」
「どれぐらいの長さのパイプだったんですか?」
「破片がまだ揃っていないんで推定だが、蛍光灯の器具の様子と、天井板の壊れ具合から見ると、長さはあの蛍光灯の管と同じだな――直径は、六分というやつだな――八分の六インチ、約二センチ。そのソケットのおおきな破片が出てきたから、これは間違いないだろう――だいたい外径三センチ足らずの鉄パイプだな」
「ソケットが出てきたということは、繋いで使った?」
「あまり長い鉄管を、街中で持ち歩くわけには行かないやね。これも教則本に書いておきたいね」
 つまり、この鉄パイプ爆弾は最高の出來の凶器らしい。
「コーヒー茶碗が二つあったそうですが、指紋はどうでした?」
 大場主任は爆弾のほうはあきらめたらしい。
「そんなに一度に何もかもはできないね。でもねえ、割れたやつを集めて調べるんだから、あまり期待しない方がいいよ」
 主任はしばらく考えていたが、小さく首を振って植木主任に聞いた。
「これは勘でいいんだが、前回の爆弾と今度の爆弾とは、作った奴はおなじでしょうかね?」
「オレもそれを真剣に考えたんだが、わからない、というのが一応の答えだな。ともかく、今度の爆弾のほうがスマートだな。少量の爆薬で、被害者を殺すことに目的を絞り込んでいる――これだけは言えるね」
「ありがとう――」
 大場班長は小さく頭を下げ、それから頷いて言った。
「十一時から捜査会議だから、かならず出席してくださいよ、一課長も出ると言っていたから。この前のように、現場が急いでいたもので、という言い訳は二度と通じませんよ。それに、それまでにカップの指紋を割り出しておいてくれたら、ありがたいんですが」
「努力しましょう――でもねえ、コップや茶碗と違って、コーヒーカップは持ち手がついていて、指紋がつきにくいんだなあ」

   *

 うしろの黒板に丸石建設の六階の見取り図が描いてある。全員が揃った。大場班長が一課長に小さく頷く。
「いままで判明したことを大場班長から説明してもらおう」
 いつでも前置きはなしだ。
「爆発は今朝の六時三十分前後です。被害者はいつもその時間に出社していました。受付にいた守衛から部屋のキーと朝刊を受けとり、エレベーターで六階に上がり、キーで副社長室の扉を開け、扉の脇にある蛍光灯のスイッチを入れた途端、天井の蛍光灯取り付け器具に仕掛けてあったパイプ爆弾が爆発、破片三発を体に受けて、死亡。とくに頭に受けた鉄片のせいで即死だそうです」
 このことはおおかたここのみんなが知っていることだ。
「爆弾が仕掛けられたのは、二十二日土曜日の十八時十五分から今朝の六時半までの間です。つまり二十二日の十八時十五分に被害者は土木本部にいた職員に帰宅する旨の連絡を電話でしています――以上についての、質問は?」
 鉛筆を持った手をキ留警部が上げる。
「副社長室は、まちがいなく鍵が掛かっていたのですね?」
「それは確実です。最後に帰った社員も施錠は確認しています。秋田副社長は部屋を出るときはかならず施錠する習慣があったそうです。それから、在室の時は、扉は開けたままにしておいた――誰でも気楽に入室できるように、という意図だったそうです。これに関しては、土木本部の社員の証言は皆一致しています」
 大場班長はここで言葉を切った。
「扉の錠はセミオートタイプで、室内についているボタンを押し閉めると、鍵がなくてもロックされるというやつですね。それに夜間には守衛の巡回があり、土・日曜とも副社長室の扉は確実のロックされていたそうです。爆破事故以来、夜間の巡視時には扉のロックにはとくに気をつけていたそうです。それにスペアキーの保管は総務課長がしていて、これが使われた形跡はありません」
 班長はみんなを見渡した。
「さらに、副社長室が施錠されていたと考えていい状況が二つあります。一つは、副社長室には、エアコンの吹き出し口しかないことです。扉を閉めにかかると、室内から風圧を受けて、扉はきっちり閉まります――ロックボタンを押し忘れていなければ、かならず施錠されます。これは土木社員なら全員がそう言っています。あと一つは、錠や蝶番の手入れがいいことです。これは被害者の癖みたいなものです。機械や扉が軋むのは手入れが悪いせいだというのですねえ。つまり副社長室の扉はいつでも滑らかに動くように、土木の社員が手を入れていたということです。もちろん副社長室に金目のものや重要書類は置いてなかったそうです――植木主任、扉の錠の動き具合はいかがでした?」
 植木警部が軽く咳払いをする。待っていました、といわんばかりの気合いが感じられる。
「大場班長といろいろ話した後で、班長が錠のことをひどく気にするもので、もう一度扉と錠を点検したんだが、おおきな見落としがあったことに気づいた――副社長室の扉は、プラスチックの下敷き程度の強度のある薄板があれば、鍵がなくても簡単に開くね」
 一瞬ざわめきが起きた。
「副社長室は間仕切りで仕切ってあるだけだね。扉がついている廊下に面した壁もおなじだね。しかも廊下を通る人に当たらないように、扉は内開きに付けてある。つまり、扉の内側についている目隠し縁のせいで、扉と壁との隙間は、室内からは見えないが、廊下側から見える。つまり、外からなら隙間は見えるが、室内は見えない――通常の扉の取り付け方とは、逆の取り付け方をしている。これは副社長の要望だったそうだ――廊下が狭かったので、扉を外開きにしたら人に当たるからね。しかも、デッドボルトが付いていない略式の扉だ――後付けの間仕切りは暗黙的には仮設だから、これは仕方ないだろう。盗難予防を考えた扉じゃないな。日本間の襖や障子みたいなものだね。社内、仲間に悪意の人はいない、という約束の上に成り立っている――」
 大場班長が手を上げる。
「その開け方は?」
「そんなの簡単だね。ラッチボルトのところに外から、隙間に入るぐらいでちょっと強度のある薄板を差し込めば、ラッチの形状から簡単にラッチは引き込む……現物は爆発で壊れているので、実験はできなかったけど、ラッチの形は確認してきたよ。かならず開く。開かなければ、クローザだけでは扉は閉まらないことになる」
 植木主任は黒板に簡単な画を描いて説明する。班長が納得してうなった。
「扉の当たる廊下側に、隙間目隠しをつければ、簡単に開けられることは防げるけど、それだとみっともないからねえ――副社長のセンスと優しさが裏目に出た、としか言えないなあ。それに、三四年ほどの予定の間借りだったという点も、ついていないと言えるね」
 植木主任が手を上げる。
「それから、コーヒーカップから犯人の指紋は採れないと思う。一つだけそれらしいものが出たんだが、まず間違いなく副社長のものだろう――」
「あとで爆発物の説明をお願いします」
 頷きながら、大場班長は植木主任に頼んだ。
「以上の説明でわかるように、犯人は副社長が帰宅した後に部屋に入り、爆発物を仕掛け、たぶん指紋を消して出て行った――もちろん窓から入った形跡はありません」
 平井刑事がすぐに手を上げた。
「土曜日に最後に副社長に会ったのはだれですか? 部外者なら、受付に記録がありますね?」
 班長は水色のファイルを開いた。
「二十五日の土曜日は土休日なので五十人ほどしか出社していない。最後に副社長に会った社員は人事部長で、かれは正午には帰っています。問題は、それ以降に会った者がいるかどうかですが、部外者が来たという記録はありません。土曜ということで外来者の数は七人で、これはすべて特定できていて、問題はありません。外来者が来ると、受付が担当者に電話を入れて確認して通していますので、まず間違いはないと思います。守衛の記憶では、土曜の十二時以降に受付を通って入社した外来者はないそうです。副社長が退社したのが六時十五分です」
「すると犯人は社員か、社員を装って侵入した者になりますか? それに、出る方はどうです? 犯人は六時十五分過ぎに出たことになりますからね」
 山根部長刑事が聞く。捜査本部で発言するのはほとんどが本庁の刑事だ。
 それには平チョウがこたえた。
「このビルの特殊事情で、出る方は、そのつもりなら、事実上チェックなしで出ることができます。お気づきのように、土木本部が入っているビルは、土木本部と副社長室が六階、総務課と安全管理室が四階、社史編纂室と資料用書庫が五階だけです。丸石建設本社ビルとは別の建物です。本社ビルが手狭になったので、すぐ横のビルの一部を借りたと言うことです――いずれ本社ビルをちかぢか増改築する予定だったと聞いていますが……それで、四、五、六階の一部だけを借りて、そのビルのほかの部分とは独立させて、使用しています。そういう事情で、非常階段が使えないので、六階と四階に本社ビルとの間に鉄骨むき出しの、長さ四メートルほどの短い渡り廊下を作っています。非常階段の代わりです。普段は使っていないそうですが、土木本部側から本社のビルには鍵なしで行けます。本社ビルからこちらへは、オートロックになっていて、鍵がないと来れません。非常階段を取り付けるのを避けるための渡り廊下ですから、機能上はこれで十分なのだそうです。滅多に使わないが、本社ビルの廊下には、こちらからなら、誰でもいつでも行くことことができます。社のバッジを付けていれば、本社ビルで誰何する者はいないのじゃないかと聞きました。とりわけ、本社ビルに入っている建築部は比較的後発のせいで、徹夜で仕事をすることが多く、深夜の出入りは普通だそうです――やっかいですね」
「本社ビルの守衛にも聞きましたか?」
 大場班長が聞く。
「聞きましたが、とりわけ不審者はいなかったと言っています――犯人が社員なら、誰も気づかなかったでしょうね」
 誰かが小さいため息をついた。
 平チョウが続ける。
「ともかく、副社長室に鍵がかかっていたという事実は、ある意味、大きいと思います。鍵がかかっていれば、月曜日の朝に部屋に入るのは被害者ということになります。そうなれば、部屋の蛍光灯のスイッチを入れるのは間違いなく被害者ですね――電灯のスイッチがある部屋の入り口から、パイプ爆弾は器具の形状上から見えません――つまり、この爆弾は被害者を狙い撃ちしたものですね。パイナップル爆弾が大砲の弾なら、パイプ爆弾はスナイパーのライフル弾でしょう」
 大場班長が頷きながら聞いた。
「そうすると、どうなりますか――土木部全員を殺そうとするのは、常識上は無理がありますね。それでパイナップル爆弾の目的は副社長だった、つまり、ひどい話だが、土木社員は単なる道連れだった、いうことになりますね。それが失敗したので、再度副社長を狙い、成功した――いずれにしても、この事件はこれで、ある意味で終わりでしょうかね? これらについて、皆さんの意見を聞きたいのですが」
 犯人社内説に班長は乗り換えたのかもしれないと平チョウは考えた。ただ、過激派説を採る一課長の手前、ここで旗幟を鮮明にするのは具合が悪いのだろう。
「植木主任、鑑識の意見を伺いたいのですが、パイナップル、小包、鉄パイプ、三種の爆弾に技術的な共通点はありますか?」
 植木警部は少し考えた。
「技術だけに的を絞れば、ありますね――いずれも、かなり凝ったプロの作品です。でも、使われた状況を加味すると、判断は難しい。パイナップルと鉄パイプには、遊びの要素が全くないような気がします。あるのは、殺戮という目的だけです。この二つに比べたら、小包爆弾には曖昧なところが多すぎます。電池の放電なんて、殺す意思がないことを主張しているのとおなじでしょう――それ以上に、副社長の自宅に送っても、誰も開けるわけがない。スイッチの構造は、そこいらにある文房具を使った、じつに凝ったものでしたがね。小包爆弾には、別の目的があったと思いますね」
「班長――」
 平井部長刑事が手を上げる。腕がきちんと伸びている。
「今度の爆弾には、沖縄の痕跡はないのですか?」
「今のところありませんねえ――犯人が直接取り付けていったものですから」
「なるほど、そうですね……犯人にとってそれが一番の弱点ですね。土曜の夜六時から、月曜の朝六時過ぎまでのある時間、犯人は東京にいたということですね。その間に東京にいなかった者は犯人ではない、と断定できますから……」
「何かこころあたりでも?」
 班長が聞く。
「それはありませんが、わたしは社内の人間を洗うのが、早道のような気がします。社員は約二千人だそうですから、洗えない数じゃない。多くはアリバイがあると思いますので、それほど時間がかかるとは思えません。社内に犯人がいなかったら、それから過激派に広げていった方がいいと思います。戦力は分散するな、というのがこういう戦術の基本だそうですから」
 むっとした顔つきで一課長は押し黙っている。
 ジッポのおおきな炎で、植木主任がたばこを点け、シャツのポケットから携帯用の灰皿を取りだす。携帯灰皿は主任がどこかの植樹祭に出席したときにもらったものだと言っていた。捜査会議は禁煙ではないのだが、課長と班長が吸わないので、ほかの人は遠慮しているのだ。机の上に灰皿は見当たらない。
「平チョウさんの意見は面白いですね」
 たばこを吐きながら、植木主任が言う。
「犯行の動機がわからないのだから、わかったところからひとつ一つ塗りつぶして行くしかないね。それには社内から手を付けるしかないと思う――犠牲者はみんな社内だからね」
 顔は平チョウのほうに向けているが、話を聞いてもらいたいのは一課長だろう。
 そのとき巡査が入って来て、一課長にメモを渡した。一瞥して、課長は立ち上がった。
「急用ができた――主任捜査官、あとは頼む」
 馬場班長にそう言って課長は出ていった。
 殺人課の課長に、殺人事件よりも重大な事案があるわけがないのだが。
 過激派説の課長がいなくなると、会議の方向は自ずと植木主任が言っていた方向に向かう。
「班長、わたしに沖縄方面を調べさせてくれませんか」
 平チョウが申し出る。
 それをきっかけに班長は各般の守備範囲を決めた。
「参考のために、鉄パイプ爆弾の説明をさせてください」
 植木主任が立ち上がって説明を求めた。班長が大きく頷く。
「皆さんが現場に行って調べるとき、つぎの条件を満たすところは、とくに気をつけてください――まず、ダイナマイトとアンフォを使っている現場ですね。これはそれほど多くないと思う。それに、鍛冶場のある現場だな。あれだけの加工をパイプに施すには、鍛冶場が必要です。このふたつです」
 鑑識の主任はまずアンフォのことを説明し、それからパイプ爆弾の細部を話した。
「鉄パイプにこんな加工を施すのは、街中の現場では無理だろうな。街中に火床のある現場は少ないと思う」
「それでは主任は、犯人は現場の人間だと考えているんですか?」
 山根部長刑事が切り込む。
「現場の人間でも、現場の事務屋には無理でしょう」
 二本目のたばこを植木警部は点けた。
「さて、ここで元に戻って、犯人の狙いというか目的というか、それを考えましょう」
 班長が会議机を見渡す。
「狙いは副社長一人だったのか、あるいは土木本部の中にもいたのか――これはどうですか? 勘なら現場数を踏んでいる皆さんのほうが遙かに鋭いはずだから」
 もういちど大場班長は机の面々を見渡す。
「そいつは難しいやね――」
 山根部長刑事が呟く。なりは時代遅れのやくざだが、声は優しい。
 平井部長刑事が小さく咳払いをして、話し始める。
「これこそ勘ですがね、目的は副社長一人だったという気がします。奥田組に犯行予告が来ましたが、あれは被害者を安心させるためのものだった、という気がします――タイミングからもね」
「そうすると、一人を殺すのに一ダース余の人間を巻き添えにした、をいうことになるけどねえ」
 キ留警部がうなるように言う。
「考えられないことじゃない、と思う。殺人にいろいろ動機を探していたら、それだけで係をひとつ作らねばならなくなる――殺人があった、犯人を捕まえた――まずこれで行くのはどうですか?」
 そう言ってキ留警部はテーブルを見渡した。
「山根警部、この一連の事件、ほかの一般の殺しなんかとは、雰囲気が違うような気がしないかな」
 頭を振りながら、平井部長刑事がうめくように言った。山根警部よりもかれのほうが歳上だ。
「というと――」
「今度の爆弾でもそうだけど、非常に凝っているんだな――爆弾を作ることが目的のように作り込んでいる。人殺しはおまけみたいな雰囲気さえあるんだなあ。それになにより、この事件にはゼニのにおいがまったくしない――このあたりが、一課長が過激派説にこだわる理由かなあ」
「なるほど、平チョウさんの言うとおりかもしれんなあ――偏執狂のにおいがするからねえ」
 遠くを見る目つきで、キ留警部が頷く。
「それで――?」
 平チョウが先を促す。
「動機ですがね、それがこのへんと関係ないのかと思いまして――爆弾ができたので、使ってみる気になった――ピストルが手に入ったので人を殺してみたくなった、というのとおなじです。つまり、平チョウの考えと同じになってしまいますが……」
 平チョウが口を利きかけたが、やめてしまった。

   *

 捜査会議が終わって、昼食を出前のラーメンですませ、平井部長刑事と藤田刑事は会議用テーブルについた。藤田刑事の前には数枚の雑用紙がある。
 かれら二人のほかに〈帳場〉に残っているのは、班長補佐役のキ留警部と電話係の若い巡査だけだ。まだ昼休み時間である。
「日本航空、全日空、日本エアシステム、南西航空それにアジア航空と中華航空、ノースウエストもあるか――那覇空港には各社、ずいぶん乗り入れているねえ」
 旅行会社が発行している航空機の時間表を見ながら、平チョウがうなる。
 とにかく沖縄にいる丸石建設社員の行動を調べることにしたのだ。二十五日に沖縄にいた者は、今回のパイプ爆弾の犯人ではない。それにはまず航空機の搭乗履歴だ。これの前提には、パイナップル爆弾と今回の爆弾の犯人は同じだという重要な仮定もある。消せるものから、消していこうという作戦である。
「どのあたりから始めますか?」
「そうだなあ――二十四日の金曜日から二十六日の日曜日までにするか――南西航空というのは、本社はどこだ?」
「確か沖縄のはずですが――」
 そう言いながら、電話帳で調べた番号を押している。
「やはりそうです、本社は那覇です」
「それでこのうち、本土との定期便を持っているのはどれだ――JAL、ANA、JASの三社だけだな」
 呟きながら時刻表を開いて、平チョウは日本航空本社の旅客課を呼び出した。
「こちら警視庁ですが、課長さんはいらっしゃいますか?」
 警視庁を強調したので、電話と取った女性はすぐに課長と替わった。
 平チョウは名乗って、切り出した。
「おたくの会社の搭乗者名簿を見せていただきたいのですが――今月の二十四日から二十六日の間の那覇発の便なんですが」
 上司と相談すると言って電話は保留になったが、すぐに返事が返ってきた。いまからプリントアウトするという。名前はカタカナになっているので、承知してくれと言う。こちらで持参しましょうか、というのを断って、教えてもらいたいこともあるので、こちらから伺うということにして、時間は二時にした。お待ちしています、と課長は言った。
 同じ電話をJALとJASにかけて、三時半と五時にそれぞれの本社に行く約束を取り付けた。
「平チョウさん、搭乗者名簿を調べるよりも、いきなり本人に聞いた方が早いんじゃないですか? すぐにばれるような嘘はつかないと思いますが」
 かすか不平を顔ににじませて、藤田刑事が聞く。
「本人に聞くのは、こちらの調査がすんでからだ。そうしなければ、相手の言うことを鵜呑みにする傾向がでるものなんだ――捜査の理想は、犯人が気づかないうちに、こちらの調査終わっておくことだな。楽をした捜査は、犯人に楽させるものなんだ」
「――諒解」
「諒解じゃない、わかりました、だろうが」
 二人はロッカーからネクタイを取りだし、シャツのポケットに入れた。結ぶつもりは二人ともない。お守りみたいなものだ。
 天王州の日本航空の本社には二時少し前についた。玄関正面の受付には連絡が既に届いていて、課長がすぐに降りてくると言う。
 待つまもなく課長が降りてきた。日焼けしたがっちりとした体に、濃紺のスーツをすきなく着こなしている。四十過ぎだろう。膨らんで紙袋を手に持っている。二人は受付と同じフロアの窓のない応接間に案内された。
 日航の課長と平井部長刑事は名刺を交換した。藤田刑事は名刺を出さなかった。名刺は自費なのだ。
「だいたい七千人ほどでございます。那覇空港から搭乗されたお客様の名前を打ち出しています――お持ち帰りくださって結構でございます」
 大型の封筒から百五十枚ほどの連続用紙を綴じたものを取りだし、課長は机の上に置いた。
「それで何かご質問がおありとか――」
 いつでも笑顔を絶やさないのはさすがだ。
「なにしろヒコーキには数回しか乗ったことがないものですから、よろしくお願いします」
 スーツの内ポケットから平チョウは手帳を取りだす。本当は沖縄往復の二回だけなのだ。
「まず、搭乗者名簿は、予約の時かチケットを購入したときのデータから作成されたもの、と考えていいでしょうか?」
「そのとおりでございます」
「そうすると、本人と記載されている名前が一致していることの確認はできませんね?」
「それはできません。もっとも、記載されている年齢とあまりに離れているとお聞きすることはあると思いますが、それも、ご婦人の場合は難しいでしょうね」
「なるほど、そんなものでしょうなあ――でたらめな名前で搭乗すると、墜落事故の時に困るのは、本人とその関係者ですからね」
 刑事の無神経な言葉にも旅客課長は笑顔を絶やさなかった。
「チケットの名前と年齢は予約番号だとわたしどもは考えています。ご承知のとおり、ほとんどの方が予約で購入なさいますものですから。それにお勤めの方は、会社を通すか旅行会社を通してご購入なさいますので、そのとき偽名をお使いになる人はほとんどいない、という感触を持っています」
 平井刑事が身を乗りだして聞く。
「割安の航空券というのがありますね。個人で安いチケットを買えば、旅費精算の時に正規の運賃を請求することもできるでしょうが、会社を通すと、それができないと思いますが――」
「詳しいことはわかりませんが、会社を通すと言っても、担当の社員が会社の名前で予約を取るだけですから、気の利いた女子社員なら、安い航空券を手配するでしょうね。旅費精算をチェックするのは、たぶん経理部や人事部でしょうから、利益を上げている会社なら、規定どおりの旅費精算ならパスでしょう――これは聞いた話ですが、その程度のごまかしは見て見ぬふりをしたほうが、士気というか会社への忠誠心が上がるそうです」
 平井部長刑事は手帳を閉じた。
「たいへん参考になりました。わからないことがありましたら、また教えてください」
 二人の刑事は頭を下げ、用意してくれた日本航空の紙袋に名簿を入れた。課長は最後まで笑顔を変えなかった。
 全日空と日本エアシステムでも、似たような返事だった。全日空では名前のほかに予約番号も使っていることだけが違っていた。
 赤坂署の講堂にかれらが戻ってきたのは、ちょうど五時だった。航空各社とも前もって資料を準備していて、思ったよりもスムーズに運んだのだ。さすがサービス業の雄たる各社だった。講堂にはキ留警部だけがいた。
 会議用テーブルにふたりは名簿を広げた。
 平井部長刑事が日本航空、藤田刑事が全日空を調べることにした。沖縄にいる丸石建設の六人の名前を、フェルトペンを使ってカタカナで雑用紙に書いて、二人の前に置いた。
 カタカナの名前を読んでいくのは、意外に神経を使い、時間がかかる。赤鉛筆でチェックしながら、目を通す。
「あった!」
 藤田刑事が声を上げた。ちょうど六時だった。
 赤鉛筆でアンダーラインを引いている藤田刑事を、平チョウとキ留警部が肩越しに覗きこむ。
「センドウ・トシアキ、年齢四十二――ええっと、これは二十五日土曜日の全日空一二四便、福岡行きだな……那覇発十三時ちょうど、福岡着十四時二十五分――定刻の五分前か」
 全日空の国内線時刻表を見ながら、藤田刑事はそちらにもアンダーラインを引いた。
「これで東京まで行くのなら、福岡で乗り換えなければなりませんね。守衛さんの話では、被害者が帰社してから受付を通った者はいないんでしょう――六時を過ぎて土木部のビルに入った者はいないのですね。それが可能な便があるのかどうかですね」
 時刻表を見ながら、藤田刑事が言う。
「飛行機を降りてゲートまで十分、羽田から赤坂まで、どんなにうまく行っても三十分はかかるから、十八時までに丸石建設の土木ビルに入るには、十七時二十分までには羽田に着いていなければならないな。まあ、ふつうは一時間はかかると思うけどね」
 時刻表の福岡発の欄を三人の刑事は覗きこんだ。
「十四時三十分以降の福岡発東京行きでいちばん早いのはJAL三六六便十五時三十分発の十七時着だな――これなら何とかぎりぎり間に合うかというところだな……あとはANAに福岡発十四時三十分発があるが、十四時三十分着では、福岡での乗り換えはできない」
 平チョウが呟くように言う。
「途中で乗り換える便はないか?」
 キ留警部が聞く。
 赤鉛筆でJALとANAの時刻表を藤田警部がチェックした。
「大阪、名古屋、小松――それから成田もだめですね」
 時刻表から目を離さずに答えた。
「JASはどうだ?」
 こんどは平チョウが聞く。
「――福岡発の東京行きは十六時十分発十七時四十分着だから、だめですね――それより平チョウさん、犯人は鉄パイプを持っているんだから、荷物は預けますよね。そうしたら、荷物の受け取りに少なくとも、十五分は余分に時間がかかりますよ、たぶん……」
 三人の刑事は顔を見合わせた。
「平チョウさん――」
 藤田刑事が見上げて言う。かれだけが椅子にかけていた。
「見方を変えると、会社の受付を通らないで、ビルに入ることができれば、どの便だっていいわけですね――これは、もう一度守衛さんに会う必要がありますね」
「そうだな、それに仙頭はいまも福岡にいるのか、それとも、いつ沖縄に戻ったのかも調べる必要がありそうだな。名簿のチェックも終わらせないとな……」
 そう言いながら平井部長刑事は電話番の巡査に丸石建設の電話番号を聞き、総務課長に電話した。電話の向こうがかなりざわめいているのがわかる。かなり待たされて、総務部長がでた。
「お待たせしました……課長がどうしても見当たらないものですから――」
「部長さんなら、なお結構です――ところで、二十五日土曜日の夕方、土木本部のあるビルの受付に勤務されていた守衛さんに伺いたいことがありまして――守衛さんはどちらにいらっしゃいますか?」
「すぐ近くにいるはずですが、そちらに伺わせましょうか?」
 さすがに部長は話が早かった。丸石建設から捜査本部までゆっくり歩いても、七八分の距離なのだ。
「それはありがたい――それでは、署の裏の体育館に行くように伝えてください。そこで待っていますから――それから、私服で来るように言ってください――ブン屋がうるさいものですから」
 乗客名簿に黄色の付箋を付けて、平チョウは綴りを閉じた。
 外はそろそろ暗くなり始めている。十月下旬の東京の「暮れ六つ」はだいたい五時半である。
 捜査本部を出た藤田刑事は、体育館の入り口の前で守衛を待ち、開いていた小さい会議室に連れこみ、電話で平チョウを呼んだ。特別捜査本部のある講堂なんかに連れ込もうものなら、帰りには記者に捕まり、こちらが聞いたことを全部喋らされてしまうだろう。
「お呼び立てして、どうもすいませんねえ――」
 愛想よく挨拶をして、会議机の椅子を勧める。その横に藤田刑事がすわる。私服の守衛は椅子に浅くかけた。
「気楽な気分で話してください――さっそくですが、二十五日土曜日のことですが、土木本部のビルに最後に人が入ったのは、何時ごろでしたか?」
「そうですねえ、うちの社員で六時少し前――五十分ごろでした。副社長がお帰りになったのが、六時十五分でしたから、よく覚えています」
 平チョウと藤田刑事が顔を見合わせた。羽田五時着の便で荷物を受けとっていたら、五時五十分までに土木本部に着くのは無理だ。
「――それが何か?」
 二人の刑事の表情を見て、守衛が聞いた。
「いえね、わたしたちが捜査本部で聞いた話では、六時以降はだれも出入りしなかったということでしたのでね」
「確かにそう言いました――そのときは、正確な時間を聞かれたものですから、間違ったらいけないと思い。安全率を考えて、そう答えたとおもいます」
 そういう受けとり方もあるのかと平チョウは思った。
「なるほど、聞きかたが悪かったのですね。それでは、最後にビルに入ったのはだれだかわかりますか?」
「わたしたちは、まずバッジと名札を見ます――最後に入った社員は、もしかすると、名札は付けていなかったかもしれません。そういえば、黒縁の眼鏡を掛けていましたかねえ」
「その人の歳の見当はつきますか?」
 守衛は頭をかしげた。
「三十から四十の間ぐらい、しか言えません」
「顔を見ると、わかりますか?」
「あまり自信はありません――ただ、階段を上っていったので、四階の安全専門室に行ったんじゃないかと思います。安全関係の人は健康志向が強くて、一人の時はたいてい歩いて上っていきますから――安全専門室におたずねになれば、わかると思いますが」
 そう言って守衛は手帳を取りだし、安全専門室の直通電話番号を雑用紙に書いた。平チョウはすぐに電話した。 
 係長の記憶では、土曜の午後には係長が当番で残っていたが、六時までには誰も来ていないという。
 五階の資料室には現在は担当者はいないと守衛は言った。
 六時少しまえに、階段を使って六階の土木本部のあるフロアに行った者が一人はいるのだ。それが副社長爆殺犯人である可能性が高いと平チョウは考えた。そいつは五時五十分ごろに守衛所を通っている。そのときもう一人の守衛は、副社長の車を地下の車庫から玄関前に動かすために、不在だった。
「その社員はどこから出て行ったんでしょうね?」
「守衛は、入るのは気をつけるのですけど、出て行く人は、名札かバッジを付けていれば、ほとんど気に掛けていないものです。土木本部のビルからでも、土木本部側からなら本社ビルを経由して出て行かれます。いったん入れば、出るのはフリーパスというのが実情です」
 守衛は明快だった。
「――どうもありがとうございました。何かありましたら、またご協力をおねがいします」
 平井部長刑事はていねいに頭を下げた。
 話は振り出しに戻ったのだ。
 藤田刑事が守衛を裏口に案内して、送りだした。
「もういちど沖縄に行ってみなければならんだろうなあ……」
「平チョウさん、小官はまだ飛行機に乗ったことがないんですよねえ――恥ずかしい話ですが」
 藤田刑事がそれとなく同行を申し出た。飛行機に乗りたいのだろう。
「そういえばきみはまだ新婚旅行がお預けになっているんだったなあ」
「事件のせいでお預けにさせられた、というのが正確な言い方です。だから女房には頭が上がりません」
「そのほうが平和でいいんだぞ――まだ名簿のチェックが残っているぞ」
 部下の謎掛けを無視して、平チョウが言った。
 外はすでに夜になっていた。




 (二十一)十月二十八日(火曜日)

 トライスターは定刻の十一時二十分に那覇空港に着いた。スポットに着くまでまだ少し時間がかかる。
 平チョウと藤田刑事は二人とも、申し合わせたように濃紺のスーツに紺のネクタイだ。今回は藤田刑事の〈執拗な〉沖縄行きの要望が通ったのだ。
 空港の待合室にはいつものように栄野比部長刑事が出迎えに来ていた。まだ開襟シャツだ。
 平チョウは藤田刑事を簡単に紹介した。
「昨日はたいへんでしたねえ――こんどはどんな用件ですか? やはり今度も沖縄に関係があるのですか?」
 辺りをはばかって小声で栄野比刑事が聞く。
「こんどは沖縄との関係はわかりません。ただ、ここまできたら、まず丸石建設の社員をひとり一人洗おうということになりましてね、それで出向いてきたというわけで」
「ホシは丸石の社内に?」
 いっそう声を落とす。
「そういう意味ではありません――もっと消極的な理由からです。つまり、アリバイのある者は、消していこうということです。犯人を見つけるのではなくて、犯人ではあり得ない者を消していけば、犯人が浮かび上がるかもしれない、というわけで――言うなれば、行き詰まっているということです」
 栄野比刑事も小さいため息をついた。
「このつぎは、仕事抜きで来てください――いいところですよ、沖縄は」
「大事に取ってある新婚旅行に来ます――刑事の安月給じゃ、ハワイは無理ですからね」
 真顔で藤田刑事が応じている。
 駐車場の入り口のシーサー(獅子)の前で、若い男女がタクシーの運転手から写真を撮ってもらっている。片膝をつき、アップの構図で、運転手はかなり手慣れた様子だ。
 栄野比刑事のいつもの覆面パト転用のクラウンは、駐車場の通路に停めてあった。平チョウが助手席に、平井刑事がうしろに乗った。閉め切ってあった車内は、真夏だった。
「本部に挨拶をして、丸石建設の沖縄営業所に挨拶に行きたいのですが、丸石の営業所はご存じですか?」
 この便で沖縄に来て、営業所をたずねることは、丸石の本社を通じて連絡していた。県警への挨拶もあるので、栄野比刑事に電話すると、迎えに行くという。タクシーを使うからと断ったのだが、課長の指示だからと、どうしても聞き入れない。
 正午少しまえに県警の捜査第一課帳に挨拶をして、県警本部を出た。
 営業所に近い小学校の正門の前でクラウンを降りた。すこし前方に赤煉瓦の壁の小さな食堂が見える。
「腹ごしらえをしておきましょう――」
 栄野比刑事が言う。
 昼休みなので赤煉瓦の食堂は混んでいた。県庁や市役所が近いのだ。三人は沖縄そばを頼んだ。待っている間に、平チョウは丸石建設の沖縄営業所に電話を入れて、十二時三十分ぐらいに伺いたい、と申し入れると、営業所長は快諾した。
 すぐ近くだというので、車は食堂の駐車場において行くことにした。営業所までは歩いて一分ほどだったが、スーツにネクタイでは汗が出るだろう。営業所は市役所の裏手の通りに面したビルの二階にあった。
 テレビを消して、営業所長は愛想よく出迎えた。女性事務員が一人いた。
 建設会社の営業所に入るのは、平チョウは初めてだった。想像していたよりも質素で、狭い。丸石建設のパンフレットが並べてあるラックが、飾りらしい飾りだった。
 かれらは名刺を交換した。女性事務員がお茶を出す。机の配置からみて、所長と女性事務員の二人だけのようだ。
「遠いところからご苦労さまです」
 所長は三人を三点セットのソファに手で案内した。
「何なりとお聞きください。知っていることなら、すべてお話しできます――ぜひ犯人を捕まえてください……」
 所長は小太りで、ごく普通の背丈だった。笑顔を絶やさない。営業所長だけあって、如才がない。
「正直に申しまして、犯人の見当がつきません――ただ社内の人間か、あるいは過激派かというところですかね。ご存じのように二件の爆発事件と一件の未遂があるのですが、いずれもダイナマイトとアンフォが使われていましてね、爆薬のプロの仕業だとわたしは考えています――」
 そこで平チョウは笑って続ける。
「沖縄に伺ったのは、丸石社員のアリバイ調べです――」
「全員を調べるのですか?」
「一応、そうですが、力点はダイナマイトが扱える工務の関係者です。こんどの爆弾は二十五日土曜日の午後六時十五分から二十七日月曜日の朝六時三十分の間に、副社長室に仕掛けられました。だから、この間のアリバイがあればこんどの事件の犯人ではない、というわけですね」
 もういちど平チョウは笑った。平チョウの頭の中には、パイナップル爆弾の犯人と今度のパイプ爆弾の犯人は同一だという仮定が入っているが、そのことはもちろん喋らなかった。
「しかし刑事さん、日曜日を挟むと、独身の社員にはアリバイなんかない奴のほうが多いのではありませんか。これは大変ですよ、うちの社員は二千人ですから」
「そのとおりでしょうね――それでわたしの独断の予想ですが、爆弾は土曜日の夕方から夜に掛けて仕掛けられたと思っています。日曜日の出勤者は少なくて、担当の班の話では、土木本部ビルに出入りした社員と部外者の名前はわかっているようです――数人だと聞いています。ところが土曜日の人の出入りは多くて、名前の確認なんかできないそうです。その程度の事情は犯人にもわかっていて、それなら、日曜日に爆弾を仕掛けるバカもいないでしょうから」
「わかりました。土曜の夜のアリバイですね……そういえば、わたしにはありませんねえ。単身赴任なものだから、下宿でちびりちびりとやりながら、テレビを見ていましたからねえ」
「まあ、沖縄は飛行機を使わなければ東京往復は無理ですから――どなたか沖縄の人で、土曜日に県外に出られた人はいますか?」
 所長と女性事務員が顔を見合わせた。
「どなたか出かけられたのですか?」
 とぼけて平チョウが訊く。
「――仲川ダムの仙頭所長が定期の帰宅で、福岡まで帰っています。具志堅さん、何時の便だったかなあ?」
 所長が事務員のほうに体を回して、聞いた。
「二十五日土曜日の十三時発のANA一二四便でした。福岡着は十四時三十分の予定でした」
 淀みなく彼女は答える。
 銀色の細身の万年筆で、藤田刑事がメモを取っている。
「お詳しいですね」
「沖縄の社員の航空券は多分百パーセント、わたしが頼まれて、買っていますので」
「ほう、何か理由があるのでしょうか?」
「知っている沖縄の旅行会社から、かなり安く買えるものですから……」
「なるほど、すばらしい」
 平チョウは素早く反応した。
 営業所長が会話を引きつぐ。
「それで刑事さん、仙頭所長は土曜の夜は自宅にいましたよ――仙頭所長が持ってきた営業情報で、追っている案件があるものですから、その件で仙頭所長からわたしの下宿に電話が来ました。あれは夜の十時ごろですかねえ。帰ったばかりだと言っていましたから」
「夜に仕事の電話をすることは、よくあるのですか?」
「珍しいことではありません――月に二三回ですかねえ。まあ、夜の十一時を過ぎることはありませんが」
「――なるほど、それで、自宅から掛けていると、どうしてわかるのですか?」
 じつにさりげなく平チョウが聞く。
「こちらからすぐに掛け直しましたから。夜間料金といえども、福岡・沖縄ではバカにならない通話料ですから――仕事の話のときは、いつもそうしています」
「恐れ入りました――心憎い配慮ですねえ……それにしても、仙頭所長はそんな時間までどうしていたのでしょう? 福岡に着いたのは、十四時半でしょう?」
 女性社員がにやっとした。
「たぶん映画だと思います、仙頭所長は映画キチガイですから。いつものことですけど、福岡に帰るときはいつも、航空券を受け取りにここに来ます。そのとき、この事務所から福岡の映画館に電話しているんです――いま何を上映しているのかと聞いているんです。そんな私用の電話代は払ってくださいと言ったことがあるんですが、女は杓子定規だからつまらない、なんて言って、払う気はないようです……」
 そう言って彼女は営業所長のほうをちらっと見た。なかなか気が強そうだ。
「二十五日の土曜日も福岡の映画館に電話していたのですか?」
「はい、正々堂々と――観たい映画だったようです、機嫌よく、ありがとうなんて言っていましてから」
「なかなかユニークな所長さんですね」
 女子事務員がここで嘘をつく必要なんかないだろう。(かれはシロか)と平チョウは思った。
「ダム現場のほかの社員はどうでしょう?」
 これは営業所長に訊いた。
「かれらは現場の〈共同生活〉ですから、誰にも告げずに半日でも現場を空けると、現場のみんなが騒ぎます――事故でどこかで倒れているんじゃないか、とね」
 平チョウはため息をついた。
「沖縄の現場は、全員シロですかね」
 平チョウが呟いた。
 そう言いながらも、仙頭所長だけはもう一度チェックが必要かな、と思う。刑事の本能のようなものだった。
 藤田刑事が手帳をしまった。
 ちょうど一時になっていた。
「どうもありがとうございました――参考になりました」
 二人の刑事はていねいにお礼を言った。
 営業所長がダムの現場に電話をすると、午後は所長と主任がいるという。
 二人は営業所を出た。
 沖縄自動車道を通って仲川ダムまでちょうど一時間だ。ちょうど二時に着いた。
 乃木主任は机でパソコンを打っていた。その横に仙頭所長が立っている。
「遠いところをご苦労さまです」
 そう言って仙頭が二人を会議室に案内した。
 仙頭と乃木は藤田刑事にだけ名刺を出した。
「所長さんは映画がお好きなそうですね」
 笑いながら平チョウが訊く。
「どこでお聞きになりました?」
「営業所に寄ってきたものですから――」
「彼女が喋ったな」
「映画館にはもう十年以上足を運んでいませんねえ――面白いですか、映画は?」
「映画館で見るというのが面白いのでしてね。もちろん映画にもよりますけど――土曜日に観た〈凱旋門〉は傑作だと思いましたよ」
「〈凱旋門〉というとあのレマルク原作の――?」
 藤田刑事がちらっと平チョウを見る。冷笑でない笑いが若い刑事の顔を走った。
「そうです、イングリッド・バーグマンが出ているやつです。時々やっているんですよね、懐かしの名画週間とか銘打って。同時上映が〈恐怖の報酬〉でした。イヴ・モンタンが出ているやつですね――道を塞いでいる岩をニトロで吹き飛ばすシーンから見たものですから、正味二本半見たことになりまして――」
「たまに帰宅するのに、映画を観て遅くなるのでは、奥様から苦情がでませんか? お宅はどちらですか?」
 笑いながら平チョウが聞く。
「太宰府というところでして――両親がそこで小さい食堂をやっていまして、女房はその店を手伝っています。だから、土曜日の夜は十時前に家に帰っても家には誰もいません。土曜日の夜は娘たちは祖母のところですし、だから早く帰ってもだめなんです――これは失礼、つまらない話をしました。こんな話をしている場合ではありませんからね」
 そこで乃木主任が咳払いをして聞く。
「今回もやはり沖縄に関係があるのですか?」
「正直なところ、今回はわかりません――爆弾のセットは二十二日土曜日の夕方から夜、爆発したのは鉄パイプに詰めたアンフォでしてね、明らかに副社長一人を狙ったものです。それで犯人は社内というのがわたしの勘です。そうすると、皆さんには今回もアリバイがありそうですね。何しろ飛行機を使わなければ事実上、県外に出られないという条件がアリバイには非常に有利に利きますからね」
「近ごろ、それも選りに選って土曜日に飛行機に乗っているのは、うちの所長ですから、刑事さん、よく調べたほうがいいですよ」
 そう言って主任は楽しそうに笑った。
「しかしおかしいなあ――」
 それから、主任は真顔で首をかしげた。
「何がおかしいのですか?」
 すかさず平チョウが訊く。
「なぜアンフォなんか使ったのでしょうね――ダイナマイトのほうが取り扱いが簡単で強力なんですが。しかも、アンフォは起爆させるのにダイナマイトが必要なんですよ。アンフォを使うには、雷管・ダイナマイト・アンフォが必要なんです。そのうえアンフォは粉で、吸湿性もあるし、取り扱いやすい物ではないんです。ダイナマイトは粘土みたいなものですから、いうなればテロリストが好きなプラスチックな爆弾みたいなものですから、取り扱いがたやすくて、簡単なんです」
 藤田刑事がメモをとっている。
「なるほどねえ、何か考えられる理由はありませんか?」
 平井部長刑事が尋ねる。
「常識的な答えなら、ダイナマイトが足らなくなったということでしょう。ダイナマイトがあれば当然そちらを使っているでしょうから」
 乃木主任が答える。
「ところで、アンフォの実物を見せていただけませんか――見たことがないものですから」
 平チョウが二人を見渡す。
「残念ですが、発破を使う採石場の作業は全部終わりまして、火工所も取扱所も昨日から解体を始めていまして、それも、今日ほぼ完了です――」
 二人の刑事は顔を見合わせた。
「――いつ終わったのですか?」
「十月十一日土曜日に発破作業は終わりました。この間部長刑事さんがお見えになったのが台風の前の日だったから、十月八日ですね。今日はもう二十八日だから、あらから二十日もたっています。現場は進んでいなければ大変です」
 笑って仙頭所長が答える。
「何となくきつい指摘ですねえ――うちの捜査はちっとも進んでいませんからねえ」
 平チョウが苦笑する。
「部長刑事さん、犯人は社内とお考えですか」
 所長が聞く。まともな答えは期待していないだろう。
「本当はよくわかりません。まず社内を調べて、社内がシロとなると、つぎは過激派ですかねえ。こうして伺っているのもそのためなんです――全員のアリバイ調べ。理想は、同時に捜査も進めるのがいいのでしょうが、人手が足りません――こればっかりは、機動隊に応援を頼むわけにはいきませんしねえ」
 平チョウはまともに答えた。仙頭が大きく頷く。
「所長さんの勘を伺いたいのですが、もし犯人が社内だとすると、犯行はつづきますかねえ? これは愚問だったかな」
 そう言って平チョウは苦笑した。
「もう終わりでしょう――これ以上は本物の愚行になるのではありませんか……誰だって社員はそう考えているでしょう」
「乃木主任さんの感じでは?」
「所長と同じです。ところで、犯人は複数あるいは複数組とは考えられませんか? こんなことを言うのは、刑事さん方のようなプロには失礼になりますかね」
 意外と乃木主任は真剣だった。
「捜査会議では、そういう話は出ませんねえ――これは、ここだけの話ですよ。しかし、面白い考えです」
 主任の話に平チョウは、しかし、興味は持てなかった。複数の人間が連絡を取りあって殺人を伴う犯罪を行う場合、それはおおきな金銭的な利益を伴わなければ成り立ち得ないだろう。この犯罪に金銭のにおいはまったくないのだ。怨恨のような動機では、連係プレイのきっかけにはなり得ないだろうと思う。怨恨による犯罪は、共同作業にはいささか不向きだと思う。
 それから二人の刑事は、盛り立て工事が完了しているダムの工事を見に行った。火工所、取扱所の解体も確認しておきたかった。
 モータープールの外れにあった火工所、火薬類取扱所は基礎のコンクリートだけを残して、完全に撤去されていた。火工所のさき五十メートルほどのところに、プレファブの建物が見える。いままでは火工所、取扱所に遮られて、なんとなく見落としていた。
「あの建物は何でしょう? 前からありましたか?」
 とくに気にかかったわけではない。
「最初からありましたね――重機の修理場です――鍛冶場とも言いますけどね。ブルやバックホーなどの部品などを保管して、重機を修理しています」
「へえ、ダムの現場にも鍛冶場があるんですねえ――知らなかったなあ」
 平チョウがしきりに頷く。
「ダムやトンネルの現場には、だいたい鍛冶場はあります。たいした設備ではありませんので」
「火床は?」
「小さなブロアーがあれば簡単に作れますので、ありますよ。火床が何か?」
 乃木主任が興味深げに聞く。
「いえね、そういう工作に個人的に興味があるもので――定年後は趣味でナイフ作りをやってみようかと考えているものですから」
 平チョウは嘘をついたが、定年後のナイフ作りはまんざら嘘でもなかった。庭木の大ぶりな枝を払えるような大型ナイフに、既製品では満足な物がなかったのだ。刃渡り三十センチほどで軽量の刃物を作りたいと思っている。刃物の材料は工業用金切り鋸の刃だ。厚さ三ミリ、幅四センチほどの既製品がある。材質はクロム・モリブデン鋼で、研ぎ出せば刃物として申し分ない。法的には問題がある刃渡りだが、自家用なので目をつぶろうと思っている。
「鍛冶場があるのは、ダムとトンネルの現場だけですか?」
「長期の現場、つまり大規模な現場なら、たいていあると思います――建築の現場は知りませんが」
 鍛冶場のほうに歩きながら、主任が説明する。
 鍛冶場にはコンクリートを打った土間があり、小型の旋盤とボール盤、頑丈な木製の机に取り付けられた大きめの万力などが目についた。ほかに手作りの小さな設備も見える。火床もそのひとつだった。ペンチやスパナ、パイプレンチなどの工具が位置を決められて、きちんと壁に掛けられている。
「ほう、よく整理されていますね」
「機電主任の性格でしょう――旋盤やボール盤などは会社の備品ですが、事実上は、機電主任が現場を持ち歩いていますね」
 笑いながら仙頭所長が答えた。

   *

 ホテルの近くの、川の脇にある沖縄風の居酒屋に、二人の警視庁の刑事は栄野比刑事を招待した。いままで何のお礼もしていなかったのだ。
 八時を過ぎていたが、店の客は彼ら三人だけだった。混みはじめるのは十時を過ぎたころからだという。奥の座席にすわり、料理と酒の注文は栄野比刑事にまかせた。
 紋切り型の挨拶を平チョウがして、三人は乾杯した。
「本土の現場をあたっているほかの班に聞いたのですが、ほとんどのメンバーは犯人は社内だと見ているようです――副社長派の派閥意識があまりに強烈だったものですからね」
 オリオンビールを二本空けて、泡盛に切りかえた。
「派閥意識? それが動機ですか?」
「一ダースの社員を爆殺するには、ちょっと弱いでしょうね。ただ、土木本部という派閥の牙城とそのトップの副社長がいなくなったことは事実です。だから、この二回の爆発を内心ほくそ笑むやつが多くて、その方面からのアプローチがむつかしい状況でしてね――派閥なんて、定年後に頭を冷やして考えれば、実につまらない、あたかも、動物園の猿山のなかにしか起きないような現象だそうですがね」
 最初の料理がきた。まず口に入れてみてほしいと栄野比刑事が言う。こりこりした食感のゼラチンのようなもので、味は無味に近い。
「ミミグァーと言いまして、豚の耳のスライスです――あとの料理は見ればわかる材料ですから、安心して食べてください。本土の知人が言っていましたが、台湾料理のほうが本土の人間には安心して食べられるそうですね」
 まじめな表情で沖縄の刑事が言う。
「こんどはしかし、犯人が爆弾を直接しかけたのだから、はじめの爆弾のように、雲を掴むような話ではありませんね――」
 栄野比刑事が言う。
「と言いますと?」
「副社長が部屋を出るのを待って爆弾を仕掛けたのでしょうから、犯人は当然、それほど長く待つ必要がないようにしますね――副社長は土曜日でもそんなに遅く帰っていたのですか?」
「通常では、会社の食堂で昼食を食べて帰っていたようです」
「それを知っているのは?」
「知らないのは、新入社員でもぼんやりした奴ぐらいでしょう。副社長の日常行動はことこまかに社員に伝わるようなシステムが、派閥のメンバーを通じて出来ていたようです」
「そういうことなら、もし犯人が社員なら、土曜日の午後遅く、大きめのバッグでも持って土木本部に来たはずですから、そういう奴をしらみつぶしに調べればいいのではありませんか? そんな条件の社員の写真を守衛に見せたら、何かわかるかもしれませんねえ」
「いい考えですねえ――帰ったらさっそくやってみます。渦の中にいたら、ものが見えませんねえ」
 そうは言ったが、それは最初にやっていた。守衛の記憶からは何も出てこなかった。いちばん疑われそうな仙頭にはかなり強力なアリバイがあった。
「そうだ、ついでだから藤田刑事、帰りに福岡で降りて、仙頭所長が見たという映画の裏をとっておいてくれ。〈恐怖の報酬〉の終映時間を調べればいいだろう――時間だけなら電話でも用はたせるが、実際にその映画館を見ておくと、浮かぶイメージが違うからね」
「それで、明日中に戻ればいいんですね」
「博多の中州をうろつくカネはないだろう?」
「もしその二本立てがまだ掛かっていたら、観ておこうとおもいまして――」
「ほう、なかなかいい心掛けだな」
 平チョウは藤田刑事に泡盛を注いだ。
 九時になろうとしている。ほかに客はまだ一組もない。




 (二十二) 十月二十九日 (水曜日)

 十一時二十分に羽田に着いた。定刻だ。
 平井部長刑事は腕時計をラップタイムにセットする。こういうときにはデジタルは実に便利だ。禁煙席だったので、一台目の場内バスに乗ることができた。
 空港の手荷物受取りテーブルまで八分。テーブルでの待ち時間は十五分。ただしこれは想定の時間で、実際に最初の手荷物が出てきたのは十二分。いちばん遅いので二十分だった。ターンテーブルからモノレール乗り場まで十四分。モノレールの待ち時間五分。
 モノレールで羽田から浜松町まで二十一分。浜松町から新橋までJRで待ち時間を含めて五分。新橋から地下鉄に乗り換えて赤坂見附まで、十一分。赤坂見附から丸石建設ビルまで歩いて八分。
 これらを合計すると一時間二十七分である。羽田空港から丸石建設まで、どんなに急いでも最短で一時間は掛かるという仮定は間違っていない。どちらかと言えば、一時間では不可能に近いだろう。
 午後一時過ぎに本部に戻ってきた平チョウは、その足で丸石建設の人事部に出向き、沖縄にいる全社員の顔写真を借りてきた。すでに顔見知りになっている人事課長はその用途をしきりに知りたがったが、たんなる事務手続きのようなものだと、平チョウは逃げた。
 その帰りに土木本部のビルに寄り、受付で、捜査本部に来てもらった守衛に会って、もう一度赤坂署の会議室に来てもらうように頼んだ。
 会議机の上に平チョウは借りてきた写真を広げ、守衛に見せた。
「この中に、二十五日土曜日の午後、土木本部のビルに入った顔はありませんか? 土曜日の午後だから、入った人の数は少ないはずですよね」
 真剣に守衛は写真に見入っていたが、とうとう頭を振った。
「ああいう事件のあとですから、それなりに気は配っていましたが、わかりません――黒縁でうすい色つきのレンズのめがねを掛けていましたので、それの印象が強すぎたのかもしれません」
 沖縄の職員でめがねを掛けているのは、事務主任と若い二人だった。
 ゆっくりと平チョウはため息をついた。それから丁寧に守衛を送り出した。
 神経に引っかかっていた小さい骨が、平チョウは、やっととれたような気がする。仙頭の行動には、妙にきっちりしているところがあるような気がしていたのだが、これだけ揃うとやはり説得力がある。やはり気のせいだったのか、と平チョウは思う。
 写真を片付け、会議用テーブルにすわった。仙頭所長に関するメモを作っておこうと思ったのだ。
 とにかく鉄パイプ爆弾が仕掛けられたと思われる二十五日土曜日に沖縄を離れたのは仙頭所長だけなのだ。
 ●十月二十五日土曜日
  ANA沖縄発十三時〇〇分→福岡着十四時三十分 ※搭乗記録あり。
 ●十月二十七日月曜日
  JAL福岡発十時〇〇分→那覇着十一時三十五分 ※本人申告
 十四時三十分以降の福岡発で羽田着十六時五十分以前の便を各社の時刻表から書き抜いた。
 ●ANA福岡発十四時三十五分→羽田着十六時〇五分 ※福岡での乗り換え時間は、事実上ない。
 ●JAL福岡発十五時三十分→羽田着十七時〇〇分。十七時五十分までに丸石建設土木本部に着くのはまず不可能。
 福岡の近くの他の空港を利用することは、ちょっと考えても、不可能なのだ。
 念のため、帰りの便も調べてみた。副社長が土木本部のビルを出たのが十八時十五分なのだ。パイプ爆弾の犯人はそれ以後にパイプ爆弾をセットし、土木本部のビルをでて、一時間以上を掛けて羽田まで行ったのだから、羽田発十九時十五分以降の便を調べればいい。
 ●JAL東京発二十時〇〇→福岡着二十一時四十分
 ●ANA東京発二十時十分→福岡着二十一時五十分
 これだけしかない。
 仙頭の自宅は太宰府というところで、福岡空港からタクシーを使っても三十分はかかる。九時四十分についても、タクシーに乗るには早くて九時五十分だろう。仙頭が営業所長に電話したのは、十時前後だったという。
 平チョウは沖縄営業所に電話した。直接、所長がでたので、まず昨日の礼を言った。
「ところで所長さん、仙頭所長と電話で話された正確な時間がわかりますか? いえ、これはたんなる書類作りのためのものですから」
「そうですねえ、あまり確かではありませんが、十時の五分か六分前だったと思います――〈加山雄三ショー〉のフィナーレの時間でしたから。テレビを観ながら電話を取りましたので――この程度でいいでしょうか?」
「ありがとうございます、それで十分です」
 受話器を戻して、平チョウはため息をついた。近頃ため息が多いと思う。あとは藤田刑事の報告を待って映画の時間を確認して、仙頭所長に関する調査は終わろうと思う。
 午後七時過ぎに、藤田刑事は捜査本部に戻ってきた。
「供述どおりですね。〈恐怖の報酬〉の終映が午後八時三十分です。中洲の映画館からかれの家のある太宰府まで、西鉄という電車でちょうど一時間でした。時間があったので太宰府まで行ってきました。つまり、家に着いたのが九時半から十時の間というのは矛盾はないと思います。かれが福岡に着いたのが二時半ですから、二本半の映画を観る時間はたっぷりとあります」
 音を立てて藤田刑事は手帳を閉じた。
「これだけアリバイが揃うと、まあシロだろうな」
 平チョウは鉛筆をメモ用紙のうえに投げた。
「平チョウさん、なぜ仙頭を疑ったのですか?」
「これは勘じゃないぞ――まず仙頭は、ダイナマイトやアンフォを手に入れることができる。パイプ爆弾が仕掛けられたと考えられる二十五日土曜日に沖縄にいなかった。それに、社内では主流派じゃなかった――つまり、副社長派ではなかった。昨日会ったときも反副社長派であることを隠そうともしなかった――これ以上の殺戮は愚行だといったかれの言葉は、今になっては、おれには実に重く響くね――そのときはそんなものかとしか思わなかったがね。それにこれが一番引っかかったんだが、仙頭は事件の最初から沖縄にいた、ということだな」
「それじゃパイナップル爆弾にも関係がある、と考えたのですか?」
「そう、裏の裏、というやつだな。自分の現場からパイナップル爆弾を送ったのだからな。いちばんに疑われる立場だからね。そんなところから送るわけがない、と普通は考える――そうはいっても、動機が弱い。動機なら、小山のほうが強いが、かれには二十五日の完璧なアリバイがある」
「パイナップル爆弾と今度のパイプ爆弾の犯人は別、とは考えられませんか?」
「おれの理屈では、それはあり得ない、と思うぞ。六日月曜の爆発では、一ダース以上の人間が殺されているんだぞ。そんなのに他人が相乗りする気になるかね? 捕まれば間違いなく死刑だ。おれはごめんだね。その爆発でターゲットとしていた副社長は死ななかった、だから、副社長を殺したのは、まちがいなくパイナップル爆弾の犯人だ。この考えに、どこにも無理はないとだろう?」
 藤田刑事はしげしげと平チョウを見た。頷かざるをえなかったのだ。

   *

 午後八時から会議室で捜査会議が始まった。
 鑑識課の植木現場主任が手を上げる。
「鉄パイプ爆弾のことについて、わかりましたので報告します。まず設置した正確な位置です――副社長室に設置されていた蛍光灯の器具は岩崎電気製のもので、一つの器具に四十ワットの蛍光管二本がむき出しでついています。副社長室には、この器具が二個ついています――二個の器具とも、ごくありふれた配置です。一個が入り口のスイッチのすぐうえの天井です。パイプはこの器具の中に入れてありました。もちろん外からは見えません。長さは約七十センチ、外径は三十ミリです。これだと、器具の中にうまく収まります。犯人が六分のパイプを使ったのは、このためでしょう」
「そんなに簡単に蛍光灯の器具の中に設置できるのかな?」
 会議室の天井の蛍光灯を見上げながら、星野デカチョウが尋ねる。会議室の蛍光灯は天井に埋め込まれているので、器具なんか見えるわけがない。
「簡単にできます。二本の蛍光管を外し、手で回せるような形式の二本のネジを外せば、浅いV字型のカバーが外れます。その谷にパイプ爆弾を入れて、カバーを取り付け、あとはアルミ外管の二本足の点灯管を一本だけ外し、そこにパイプに連結されている点灯管を差し込んで、V字カバーを元に戻して、設置完了です。ただこのV字の谷は岩崎のものがいちばん深くて、もしNEC製なら、谷が浅いので、六分のパイプはうまく収まりません――」
「待ってくださいよ、そうすると犯人は、副社長室の器具が岩崎電気のものだと知っていたことになりますか?」
 勢い込んで大場班長が聞いた。犯人がそれを知っていたら、犯人の範囲はかなり狭くなるのだ。普通、蛍光灯の器具など誰も注意して見ていないだろう。犯人はそれを調べに部屋に入った可能性が高い。捜査員たちはその意味に気づき、固唾をのんで機電主任の返事を待った。
「知らなかったと思われる証拠がありました――これです」
 ビニールの袋に入れてある、Ωの形をした、薄い金属の部品を取りだした。幅は二センチほどで、手のひらで包めるほどの大きさである。
「完全な形で残っていたのは、これ一個です。四五個は使ったと思われます。材質はアルミで、キリンビールの缶を切って作ってあります。これをパイプに巻き付けて、瞬間接着剤でパイプと固定してありました。V字の谷にパイプが収まらなかったら、蛍光灯器具に瞬間接着剤で固定するつもりだったんでしょう。そのための、接続具です」
 誰かがため息をついた。
 しかし平チョウは別のことを考えていた。犯人は副社長室の蛍光灯器具の形まで知っていた。知っていたことを隠すために、接着剤用の固定用具まであえて取り付けた。この犯人なら、これくらいは考えるだろうと思ったのだ。キリンビールの缶の代わりに、オリオンビールの缶でも使ったら、これはやり過ぎだろう。かえって意図を見破られると考えたのかもしれない。
 明日からは、関東周辺の丸石建設の現場を回っている班に、平チョウたちは合流することになっていた。




 (二十三) 十月三十日 (木曜日)

 まさに沈みきろうとしている太陽を背にして、伊是名、伊平屋の島々がくっきりと水平線上に浮かび上がっている。眼下の塩屋湾に先ほどまでいたボートの影がいつの間にかなくなっている。
 もうすぐ六時だ。南の観光地のホテルには西日がよく似合う。
 客の多い恩納あたりのホテルのほうが、かえって目立たなくていいのだが、自宅に近いので、順子はどうしても嫌だという。
「ねえ、俊明さん、現場には何と言ってきたの?」
「友達が来たので、案内すると言ってきた――ここの電話番号も言っているので、電話が鳴ってもきみが取ったらだめだよ」
「わかったサ」
 沖縄日本語になっている。
「きみは家に何と言ってきたんだ?」
「同窓会なのでちょっと遅くなる、ってね――二時前にはここを出るよ」
 ベッドから順子が答える。
 沖縄の飲み会は、午前三時ごろまでが普通なのだ。だから、飲む量も食べる量もその時間に会わせて、沖縄の人は調節している気配がある。
「起きてごらんよ、夕日がきれいだよ――」
 窓際の籐椅子から仙頭が声を掛けた。
 床に落ちていたバスタオルを体に巻いてベッドをおり、ガラスのテーブルを挟んでいるもう一つの籐椅子に順子は腰を下ろした。正面から見たときは胸はふつうに見えるのだが、こうして横から眺めれば、小さく見える。ウェストもヒップも小さいので、初めて抱いたとき仙頭は、少年を愛撫しているような感じにおそわれたものだ。そのとき順子は従順だった。求められたことを一所懸命に行おうとしている様子がよくわかったのだ。物わかりがよく、少年のように肉の薄い、しかし信じられないほど柔らかい、青みがかった体に、次第におぼれていこうとしている自分を仙頭はどうすることもできなかった。
 体だけに惹かれたのではない。仙頭はそれほど若くはなかった。従順さ、優しさだけに気を奪われたのではない。それらが渾然と混ざり合った、女としか表現できないものに惹かれたのだ。
「いやサ、思い出し笑いは――」
 床から天井まであるガラス戸を通ってくる残照が、青白いからだにだいだい色を混ぜている。
 自分を取り戻したような順子の乳房を、仙頭は右手のひらですくい上げた。ゆっくりと順子が目を閉じる。
 ――小山直樹のことを彼女は忘れたわけではない。忘れようとしていることもないはずだ。それは仙頭には直感としてよくわかる。彼女の中で小山直樹はおおきな量と位置を占めているはずだ。それにもかかわらず、じつに素直に体を仙頭にさらけ出している。仙頭は彼女がよくわからなくなっていた。
(ぼくといる時間を順子は貪欲にむさぼっている、それもかなり露骨に下品に――この場合、下品は高価な薬味だった――どうだっていいじゃないか、小山のことなんて)
 とりあえず仙頭はそう考えることにした。
 仙頭は腕を引いた。
 バスタオルを引き上げ、彼女は体を隠して、すこし動いて、椅子に深く腰を下ろした。
「副社長さん、死んでしまったね」
 余韻の残った声でぽつりと呟いた。
「狙い撃ち、だったな……」
「この事件、これで終わりかしら?」
「これ以上続いたら、愚行になってしまうよ――犯人だってそれほどバカじゃないだろう」
「それもそうね……」
 あたりの森から、わき出てくるような虫の声が低く聞こえてくる。夜鳴く蝉の一種だと、JVの沖縄の社員から聞いたが、名前までは知らないそうだ。
「ねえ、犯人は社内にいると思うカ?」
「社員は口には出さないが、今回の副社長の狙い撃ちで、誰だってそう思うんじゃないかな。パイナップル爆弾だけでは、もしかして過激派という考えも成り立つんだけどね」
「警察もそう考えているのかなあ?」
「こんどの事件でそう考えたんじゃないかなあ――パイナップル爆弾のときは、過激派説が主流だったそうだけどね」
「どうして繰り返し副社長さんを狙ったのサ――犯人が社内なら、警察から的を絞られるのにね」
「パイナップル爆弾の仕上げとして、ぜったいにやり遂げたかったんだと思うよ――巻き添えになった犠牲者に申し訳ないという思いもあったのかもしれないね、ピント外れもはなはだしいけどね」
「どういう意味?」
 眉根を寄せて、真剣に考えている。バスタオルで胸だけを隠しているときの表情には、ふさわしくなかった。
「パイナップル爆弾はもともと副社長を狙っていて、おおかた一ダースの道連れは、動機を隠すためのたんなるカモフラージュじゃないかなあ――警視庁でも最初は過激派犯人説が強かったようだからね。あれだけ多くの無関係な人間を一時に殺せば、過激派説も意味を持つからねえ」
「その説には矛盾があるサ」
 笑って順子が言う。
「パイナップル爆弾のあとに、副社長さんの家に爆弾が送り付けられたよね――新聞には爆発しない爆弾だと書いてあったけど、それが本当なら、意味がないような気がするけど」
「そのつぎに奥田組に爆破予告が届いた――このふたつで、丸石建設はもう終わったというメッセージにならないか――副社長宅の爆弾は、個人は狙わないという意思表示、黙示ともとれるからね。これで、深読みができる副社長は本当に安心したんじゃないかなあ」
 すこし間を置いて、仙頭が続ける。
「爆発しない爆弾については、別の解釈も成りたつかな――週刊誌の記事では、爆発しない原因は電池の放電だと書いてあったからね。ダイナマイトと雷管以外は、どこにでもある部品を使った起爆装置で、出色の出來だったそうだよ。そうだとすると、うまい起爆装置を思いついたので、試作してみたところ、いい調子だったので、他人の評価を聞きたくて、送ってみた、というのはどうだろう?」
「そんなの、なんだか、説得力ないサ」
 順子は頭を振った。
「とにかく警察は、犯人は社内、と考え始めたようだよ。月曜日に警視庁の刑事が来たときにも、そんなことを言っていたからね」
「もう刑事が来たの? それも警視庁から――?」
「事件は都内で発生したのだから、担当はとうぜん警視庁だね」
 ふうん、と言って順子は辺りを見回した。
 仙頭は目で訊いた。
「お酒がないかと思って――」
 仙頭は立って、ダブルベッド脇の小型の冷蔵庫を空けた。
「泡盛、ビール、缶入りのジンフィズ、ウィスキー――どれがいい?」
「ジンフィズ――」
 冷蔵庫の上のコップとジンフィズの缶、それに氷を入れたコップをもって、仙頭はガラスのテーブルに運んだ。
 ホテルのまわりに夕闇が訪れようとしている。小さいテラスに面したガラス戸を引くと、室温よりもすこし冷えた外気がゆっくりと流れ込んできた。
 テラスの手すりに映った光の具合だけから見ると、両隣は空いているようだ。下弦の月はまだ出ていない。そのかわりに宵の明星が月のように明るい。
「蚊はいないかしら?」
「ここは五階だから、たぶんいないね」
 室温がすこし下がったので、仙頭はガラス戸を閉めた。
 ふたりはコップを合わせた。
「ねえ、俊明さん、警察には犯人の目星はついているのかしら?」
 コップの氷を小指の先で回しながら、順子が聞く。
「現場に来た刑事は犯人社内説だったが、それ以上のことはもちろん、何も言わない。言うわけがないだろうね」
「無関係なひとを一ダースも殺した犯人が、社員だなんて……」
 順子はため息をつき、つづける。
「こんどの事件の犯人については何か言っていたカ?」
 仙頭は頭を横に振った。
「こんどのパイプ爆弾事件のアリバイ調べに来た、と言っていた。社員全員のアリバイを調べるようだね。今回は犯人が自分で爆弾を仕掛けたんだから、まず社員から、というわけだろう」
「どうしてそんな危険を冒したのかしらねえ――」
「たぶん、作品を完成したかったんじゃないかなあ」
「前は無差別で、今回は狙い撃ち――」
「犯人にだって、心境の変化もあるだろうし、ほかの事情もあるかもしれない――それでぼくのアリバイだけどね、刑事は納得したみたいだったなあ。土曜の夜から日曜までのアリバイが、ぼくにはあったんだね――偶然だけどね」
「日曜日に掃除の人が副社長の部屋に入るというようなことはないのカ?」
「それはないんだ――副社長室を掃除するのは、土木本部の女性社員で、だいたい八時半と決まっているんだよ。副社長が部屋にいないときは、原則として掃除はしないんだな」
「――詳しいね?」
「副社長信者が有り難げに言いふらすから、土木の人間なら、誰だってそれくらいは知っているよ」
 神妙に順子は頷いた。
「この一連の事件では、犯人は一人?」
「一人かひと組――警察はそう考えているようだよ。うちの土木主任の犯人複数説には見向きもしなかったからね」
「そうするとパイナップル爆弾の犯人も社内ということになるのカ?」
「誰だって社内の事情を知っている者なら、そう考えるだろう――あれは確信犯だね。練りあげた犯行だね。警察がどう見ているかは、わからないけど」
 いつも間にか順子のコップが空になっている。ガラストップのテーブルからジンフィズの缶を取り、コップに半分ほど注ぎ、氷を落とす。腕を伸ばしたとき、バスタオルが解けて乳房が出たが、気にする様子はない。
 仙頭のコップはまだ半分も減っていなかった。
「犯人を見たような口ぶりサ――」
 仙頭は小さく頷いた。
「警察がどう考えているかは、推測がつくんじゃないかなあ」
「へえ、たいした自信サ――ぜひ伺いたいなあ」
 順子はバスタオルを胸の前で結び直した。
 ジンフィズを一口飲んで、仙頭はコップを置いた。
「パイナップル爆弾の犯人は小山さんかもしれないと警察は考えていたと思う――少なくとも、そう考えていた刑事が一人はいたと思う――ぼくが二度会っている警視庁の平井という刑事のことだけどね」
 仙頭の目を正面から見ただけで、順子は何も言わなかった。コップをゆっくりと傾け、一口飲んだ。
「そうするとダイナマイトを運んだのはわたし――? もちろん納得させるだけの理由があるんでしょう?」
 頬笑みながら順子が聞く。
「そんなのはないけど、状況証拠はそう言っている――そう考える刑事もいるだろうという程度の話だけどね」
「それはわかった――話して」
 身近な人の噂話を催促する口調だった。
 仙頭は小さくため息をついた。
「きみたちにはまず動機がある――でもこれは説得力はない。動機だけから犯人を捜せば、掃いて捨てるほどいるからね。それでつぎの状況だけど、小山さんはダイナマイトを入手できる環境にいた。沖縄を出てからあとの北海道での三年間は、防衛庁の弾薬庫を作っていたよね――これは山の崖に横穴を掘るみたいなもので――つまりトンネル工事と内容は同じで、その気になれば、ダイナマイトの二十キロや三十キロなら簡単に入手できるからね」
 仙頭は言葉をいったん切った。
 順子の表情は少しも変わらない。
「土木本部への発送は沖縄からだけど、もちろんそれには理由がある。警察はこのあたりにいちばん興味を持つだろうね。それでその理由だけど、そういう手順を踏めば、小山さん自身のアリバイはまったく必要なくなる。ただ、この方法の唯一の欠点は、沖縄に協力者が必要なことだ――ところが沖縄にはきみという強力なシンパがいた。刑事が目を付けるのは、まずきみの存在だろうね。糸満の取次店にパイナップル箱を持ち込んだのが女だったかもしれない、という話を刑事から聞いたとき、ぼくはまずきみのことを思い浮かべたもの――刑事だってきっとそうだよ。きみたちが未だに刑事の取り調べを受けていないのは、きみと小山さんのことを、まだ誰も喋っていないからだろうね」
 残照に光る眼下の塩屋湾に視線を投げたまま、順子は立ち上がり、それからゆっくりと籐の椅子に腰を下ろした。
「面白い話だけど、シンパの女のことなんか、新聞にはどこにも載っていなかったサ」
「そのとおりだね。新聞には〈やさおとこ〉としか載っていなかったね――女かもしれないと言ったのは取次店のおばあさんでね、今のところ、おばあさんの直感を信じているのは、沖縄に来た警視庁の刑事とぼくだけだろうね。九十近い老婆の直感ということで、捜査本部でも無視されたようなんだな――これはぼくが直接、その刑事から聞いたことなんでね」
 これはある意味、渦中にいた仙頭の特権だろう。
「それからもう一つ、爆発あとから坑内用ダイナマイトである〈榎〉の、多分、包み紙が出てきたよね。それで警察は〈榎〉が使われたと考えているようだね。ところが、パイナップル爆弾のように木箱の中でダイナマイトを爆発させるような場合には、まずダイナマイトの包み紙は全部剥がして、おおきな一つに練り合わせ。ビニール袋にでも入れて密封する必要がある。ダイナマイト一本ずつでは、爆発しないものが何本も出るし、密封しなければ、きつくてどうしようもない臭気があたりに漂うからね。そうした処置をすれば、ダイナマイトの包み紙なんか出てこない。爆発現場に包み紙が出てきたということは、そうなるように包み紙を入れていたということだね。考えられる理由は一つしかない。名前を借りた仲川ダム現場に迷惑を掛けたくなかった――小山さんならやりそうな気配りだよ――もちろん、うちの現場のような明かり工事(坑外工事)では坑内用の〈榎〉は一本も使っていないんだ。そんなことは土木屋なら常識だからね」
 仙頭の話の途中から、順子の瞳に光がともった。いたずらの対象を見つけた少年のような目の輝きだった。仙頭の話が終わるのを彼女は待っていた。
「話がそれだけなら、状況証拠というのかしら、そんのものばかりサ。それじゃ検察は起訴しないだろうし、裁判官も証拠として認めることなんかできないのじゃないカ? 担当した検事にもよるだろうけど」
 順子の言うとおりなのだ。証拠なんて何もない。仙頭の勘、と言われれば返す言葉はない。
「きみの言うとおりだね――でもね、順子は勘違いをしているんじゃないか。ぼくは警察と関わりを持つつもりは全くないんだよ。ぼくが言いたいのは、いずれ警察はきみと小山さんのことをどこかから聞き出し、かならず調べに来るということだよ。とりわけ事件が長引けば、今は無視されている刑事の考えも取り上げられるに違いないからね。その心構えはしっかりとしておいたほうがいい」
 ここまで喋って、仙頭は大きく息を吸い込んだ。
「そうはいうものの、そうならない場合が一つだけあるよ――」
 ゆっくりと順子がコップを傾ける。
「それは犯人が捕まった場合さ――きみたちでない別の犯人がね」
「ねえ俊明さん、それで真実を知りたいカ?」
 かなり飲んだのでアルコールが効いてきたのだろう。順子の顔が赤くなっているのが月の明かりの下でもわかる。
「そんなものは知りたくもないし、関心もない――ただ……」
 順子は立って、すこし開いていたバルコニーのガラス戸をきっちりと閉め、仙頭の後ろに回って、肩から腕を回して、ぶら下がるような格好で、耳元でささやいた。
「ただ……なあに?」
「順子だけは失いたくない――いい歳をしてと言われそうだが、これは本当だ」
 視線をガラス戸の外の薄闇に投げたまま、仙頭は言った。
 耳元で順子が含み笑いをして、ゆっくりと耳たぶを咬んだ。快感とはほど遠い電流のようなしびれが、仙頭の右半身を駆け抜ける。
「……わたしも、俊明さんと離れたくない」
 嘘でもいいと仙頭は思った。ただこうして逢えればいい……。
 二人は立ち上がった。バスタオルが足下に落ちて、順子の手のひらが腹のほうにおりてきた。




 (二十四) 十月三十一日 (金曜日)

「小山課長いらっしゃいますか?」
 山城順子が静かに尋ねる。
「はい、わたしですが――」
 いつものように小山が出たので、思わず順子は安堵のため息をついた。
 電話をするのは金曜日の五時を過ぎたころ、と二人の間で決めていたのだ。安全専門室は、事故が起きない限り、残業をする部門ではなかった。
 小山は金曜日には、いつも六時まで会社にいることにしていた。五時を過ぎると一人になることができるからだ。隣の総務部との仕切りは、間仕切りボード一枚だけなのだが、電話の声程度は何とかごまかせる。そういう状況を順子は聞いて知っていた。
「わたしです。六時にいつものところに掛けてください」
「わかった――」
 こういう口調の返事を小山がするのは、周囲に人がいないときだ。
 順子は静かに受話器を戻した。バイオパークの駐車場にある、野バラの蔓を絡ませた公衆電話から彼女は電話していた。
 腕時計を見た。五時三十分だ。駐車場の隅に停めている白いスターレットに乗りこむ。駐車場にはあと二台しか残っていない。いずれも従業員の車だ。
 国道に出ると、那覇のほうに向かう。十五分ほど走ると、右手に松林に囲まれた二階建ての小体なホテルが見える。あまり目立たず、落ち着いた雰囲気だ。
 順子はその駐車場に車を入れた。
 ガス灯を模した街灯が立っている。駐車場の三分の二ほどが埋まっていた。
 五時五十五分に順子は、ホテル入り口の階段の脇にある電話ブースに入った。六時少しまえに電話が鳴った。
「何か、急用?」
「すこし長くなるけど、いい?」
「大丈夫だ……」
「きのう仙頭所長と会ったんだけど、彼が言うには、パイナップル爆弾の犯人はあなただと刑事の一人が考えているらしいよ――」
 電話の向こうで一瞬声をのむのがわかる。
「それで――?」
 しばらく間を置いて、小山が聞き返した。
「だから、気をつけたほうがいいって」
「まさか……」
 ゆっくりと間を取って答える。すこし考えている様子だ。順子にはそれがありありと見えた。
「――みんなあなたのせいにしようとしているのかしら?」
 しばらく待って、順子が聞く。
「よくわからないなあ――それだけ、不気味だけれどね。しかし、どんなことがあっても、きみには迷惑はかけない」
 小山に具体的な方策があるとは思えないが、それはそれでいいと思う。自分のことは自分で考え、処理しなければならないだろう。
「ありがとう、でも、そんな心配はしなくてもいいよ」
「いい度胸だけど、仙頭くんが言っていたとおり、警察には気をつけたほうがいい」
 自分自身に言い聞かせているのかもしれない、と順子は感じた。
「すこし真剣に考えてみるか……」
 そう言って、思いついたように聞いてきた。
「……それで、もしかして仙頭くんはきみを口説かなかったか?」
 順子は含み笑いをした。
「わたしをかわいいと言ってくれたサ」
 仙頭がバイオパークに順子を訪ねたとき、彼女は小山にそのことを知らせていたのだ。
「きみが自分の人生を楽しむ分には、いっこうに気にならないつもりだ――」
 「ジンセイ」という生煮えの言葉の意味がわかるまで、順子はすこし考えなければならなかった。
「直樹さん、わたしの気持ちがわかっていないみたい――あなたとの関係は体だけのことだったの?」
 小山にあわせて順子もすこし紋切り型の表現を使った。もちろん声に甘みを利かせて。彼と話すときは、彼にあわせて、ときどきそうなるのだ。小山と知り合ったはじめのころは、かれと話していると、沖縄育ちの順子には、いかにも日本語を使っているという緊張感があって心地よかったものだ。
「そんなつもりで言ったんじゃない――ぼくはただ……」
 順子は小山を遮った。
「安心していいサ――ただ……」
 そう言って順子はのどの奥で笑った。
「どう言ったらいいのかな――不愉快じゃなかったことは確かね」
「それは、それは――」
 すこし皮肉が混じっていた。
「直樹さんがそんなに気にするのなら、わたし、仙頭所長に会わなくてもいいんだけど――」
「そんなこと、気にしないよ――ときどき仙頭くんに会って、警察の動きを聞き出してくれないかなあ。仙頭くんは、何とかいう警視庁の刑事と気が合うみたいだから」
「わかった、そうする……それでこんどはいつ会える?」
 思いきり甘い声を作った。小山の気持ちは繋いでおきたかった。女の欲だということは自分でもよくわかっていた。
「十一月七日に福岡で会議があるんだ。それで、八日の土曜日と九日の日曜日は休めるので、福岡まで出てこないか? 旅費はぼくのほうで何とかするから――いろいろ話し合っておく必要もあるみたいだしね」
「そんなこと、もう少し早く連絡してよ」
 思わず声が弾んでいた。
「今日決まったんだ、会議にぼくが出ることがね」
「今から飛行機の切符、とれるかなあ――あす同じ時間にもう一度電話して――切符何とかしてみる」
 声が甘くなっているのが自分でもよくわかる。
「わかった――仙頭所長にはあまり気を許すなよ」
「わかっています、ご心配なく」
 ふたりの男の仕草や体のことなど、順子は比較して楽しんでいる自分に気づいていた。




 (二十五) 十月三十一日 (金曜日)

 プレファブの事務所の前に五台の乗用車が止まっている。そのうち二台はあたらしいモデルのブルーバードとローレルだ。残りの三台もまだ新しい。
 平井部長刑事と相棒の藤田刑事はタクシーを降りた。
「景気がいいんですねえ、建設業は」
 車の列を見て、藤田刑事が言う。
 かれらは埼玉県内の現場の聞き込みに当たっていた。午後のいちばんは、所沢の外れにある下水管を敷設している現場だ。この時間に行くことは前もって連絡していた。
 平チョウは腕時計を見た。午後一時半だ。現場の打ち合わせはおおむね終わっている時間だろう。丸石建設の現場は、午後一時から打ち合わせをしていることを聞いていた。
 事務所では所長と事務担当者が待っていた。ほかには誰もいない。机はあるようだが、女子事務員の姿は見えない。人払いをしているのだろうか。
 丸石建設のどこの現場でも、事務所の中の机の配置はだいたい同じだ。おおきな現場では所長室があり、そこに応接セットが置いてある。この現場には所長室がないので、応接セットは事務所の所長の机の前に置いてあった。
「犯人の見当はつきましたか?」
 肘掛け椅子からお茶を勧めながら、所長が聞く。挨拶代わりというものだろう。四十がらみで、背が低くてやせている。髪が赤みがかっている。どちらかというと貧相だと思う。
「それが、なかなか――」
 こういうたぐいの質問に対して、平チョウは嘘をついたことがない。こざかしい駆け引きが性に合わないのだ。
「過激派ではないのですか?」
「過激派が六階の副社長室まで入り込めると思いますか? 不可能ではないが、危険が大きすぎる――二度目の今回の事件で、犯人は社内だとわたしは確信しましたよ」
 所長と事務主任が顔を見合わせた。
「こんどの爆弾も、沖縄と関係があるんですか?」
 所長が身を乗りだして聞く。
「わかりませんが、わたしの勘ではイエスですね」
「動機はなんでしょうか? パイナップル爆弾のほうは、新聞や週刊誌では過激派説が強かったような気がしていますが、今回はどうも……」
「なるほど、動機ねえ――犯罪の記録を見ると、一応どこにでも動機らしいものが書いてありますが、たいていはこじつけでね、人を殺すのに動機はあまり必要ないものでしてね――必要なのは殺意でしょう。それに前回も今回もおカネのにおいはしませんね――まあ、いちばん高尚な殺人の動機は、殺したくなったというところでしょうか――警察官がこんなことを言っていたんでは、どうしようもありませんがね。他言無用ですよ」
 こう言って平チョウは声を立てて笑った。
「ところで皆さんは、もう、よその現場からお聞きになったでしょうが、みなさんのアリバイを調べています。まず、作業安全指示書と下請けから出ている作業日報を見せてください」
 それらはすでに応接セットのテーブルに準備されていた。先に済んだ現場から連絡が来ているのだろう。こういう横の連絡はじつに徹底していた。たぶん隣の会議室あたりには、下請けの所長を待機させているに違いない。
 二十五日土曜日は五百立方メートルほどのコンクリートの打設作業だった。朝の八時から夕方の七時ほどまでかかっている。これくらいの量のコンクリートを一度に打設する作業は常識で考えても、あまりないはずだ。職員はてんてこ舞いだっただろう。
 テーブルには生コン工場が発行した百枚以上の伝票と、コンクリートポンプ車の作業日報まで準備してあった。
「いいときに大量のコンクリートを打ちましたねえ」
 平チョウがにやにやして聞く。
「予定では金曜日だったのですが、どうしても準備のほうが間に合いませんで、土曜日になりました。おかげさまで、アリバイにはなりそうですが」
 前もって連絡してある刑事の訪問を迎える準備は、現場の所長によってずいぶん違う。何も準備していない現場も半分以上あった。背も低く、痩せて貧相な、見栄えのぱっとしない所長に平チョウは好感を抱き始めているた。
「ここから本社まで行くのに、時間はどれくらいかかりますか? 車で二時間というところでしょうか?」
「道に慣れれば、一時間ちょっとです。これでアリバイになりますか?」
 笑って所長が聞く。
「本来ならひとり一人に会ってお聞きするのですが、そこまでは必要ないでしょう」
 にこりともせずに平チョウが言う。
「どのあたりの現場まで、こうして回られているのですか? まさか日本全国じゃないでしょう?」
「まず関東周辺ですね。それから飛行場に近い周辺の現場ですね――沖縄、福岡、大阪、札幌あたりです。ローカル空港が二十ほどありますが、それは適当にというところでしょうか――ダイナマイトを使う現場だけという考えもありますが、それだけじゃ、調べるほうも不安ですからね」
「それなら、新幹線もありますね――大変だ」
 喋りながら、平チョウ自身もうんざりしていた。社員はたかだか二千人というが、それが日本全国に散らばっているのだ。新幹線まで考えれば、離島以外は、全国なのだ。新幹線まで考えていなかったというのが実情だ。捜査の範囲を狭める方策はないものだろうか、と思う。
「パイナップル爆弾は沖縄の現場の名前で発送されたものでしたね。本名で爆弾を送りつけるバカはいないでしょうが、それでも、沖縄の現場はよく調べました――そのとき、面白い〈副産物〉が出たのですよ」
 今まで回った現場で、こんな話はしたことがなかった。話す必要もない。自説を無視した捜査本部への当てつけという気分もすこしはあった。ここの所長への好感もあったに違いない。
「パイナップル爆弾は、新聞でも報道していたように、糸満の取次店から発送されたんですが、取次店に爆弾を運んだのは、もしかすると、女だったのかもしれない、という話があるんですよ」
「そこまでは、新聞には出ていませんでしたね?」
「本部の中ではマイナーな意見だったものですからね。外に出るのは、オーソライズされたものだけです。それで、いかがですか、沖縄・女・ダイナマイト・社員という四点セットで思いつくものはありませんか?」
 所長と主任が思わず顔を見合わせた。
「心当たりがあるんですね?」
 さりげなく平チョウがたたみかける。藤田刑事がかすかに身を乗りだした。
「――ほかの現場ではどうでした?」
 視線を落として所長はお茶をすすった。
「ほかの現場で聞いた話は、話すわけにはいかないのですよ。言ってみれば、刑事の仁義というやつですかね」
 きっとした表情で平チョウが言う。
「いずれわかることでしょうから……」
 所長は心を決めたようだ。
「もう五六年前の話ですよ……」
 平チョウが小さく頷く。
「当時、小山という所長が沖縄の現場にいまして、そこで沖縄の女性とできたという噂が立ちました――わたしは又聞きの又聞きぐらいで聞いた話ですから、本当のことはわかりませんよ。もちろん小山所長には妻子がありましたし、いまもありますが。そのことが、亡くなった副社長の耳に入りましてね、小山所長はすぐに北海道に転勤になりました。副社長はその手の関係がたいへん嫌いでしたからね。これだけの話です。本当にそういう女性がいたのかどうかさえ、わたしにはわかりません――噂話だけで飛ばされた例がありましたからね、それ以前に」
 事務主任がその話を引きつぐ。
「社内に戯れ歌がありましてね、『あいつを飛ばすに力はいらぬ、噂の一つもすればいい』と言うんです。副社長の副作用ですね。これはまずいでしょう」
 すこし小声になっている。
「それじゃ、女性の名前なんか、わからない?」
「まったくわかりません――ただ、その女性が美人だったという〈尾鰭〉は耳にしましたが」
「それで、小山所長はいまでも北海道ですか?」
「一年前から本社にいます――安全専門室という部署です……それからですねえ――」
 平チョウが所長を手で遮る
「わかっています、ここの名前はどこにも出しませんから安心してください。それで小山所長は北海道でどんな種類の仕事だったのですか?」
「たしか防衛施設庁発注の弾薬庫だったと聞いています――」
 そう言って主任と目を合わせると、主任は小さく頷いた。
「弾薬庫というと、建築の仕事ですか?」
「弾薬庫は、丘か崖に横穴を掘って作るのがふつうですね。行き止まりのトンネルを掘るようなものです」
「なるほど、トンネルねえ――それで、その女性との噂はその後聞きませんか?」
「話を聞きませんから、別れたのではないでしょうか――北海道と沖縄では、サラリーマンの給料では、そうしばしば行き来できる旅費ではありませんからね」
「もっともですなあ――いや、たいへん参考になりました」
 ふたりの刑事は手帳を閉じて、立ち上がった。
「タクシーを呼びましょうか?」
 事務主任が聞く。
「いえ、帰りはバスにします――大通りにバス停がありましたので」
 天気もいいので。歩きながら、いまの話を藤田刑事と整理してみようと思う。それに仙頭所長がそのことを知らなかったというのもおかしい。何を隠しているのだろうか。仙頭所長のところでも、糸満の女の話は出したはずだと思う。




 (二十六) 十一月八日 (土曜日)

 部屋の照明を消し、カーテンを引くと、ネオンに染まった那珂川が眼下に見える。シングルの部屋に別々に十五分間隔で投宿したのが、七時過ぎだった。順子が先に来て、待っていた。サンドイッチとおにぎり、ジュースにウィスキーと簡単なつまみを持ち込んでいた。
 外では絶対に、一緒にいるところを人に見せてはいけないと小山が強く言ったからだ。それはとうぜん順子にも理解できる。
 バスを使い、ウィスキーの水割りをふたりで飲み、酔いが回らないうちから、ほとんど無言で、むさぼり食うように抱き合った。小山に抱かれている時、仙頭をいちども思い出さなかったのに順子は満足していた。そのあとで一時間ほどまどろんだ。
 目が覚めたときには、ウィスキーの酔いも覚めていた。サイドテーブルの埋め込みの時計が、青い文字で十時過ぎを示している。
 外のネオンサインの明かりと、冷蔵庫の中の照明をたよりに水割りを作り、サンドイッチの包みをバッグから取りだし、テーブルに置く。
 浴衣をきちんと着て、ふたりはテーブルを挟んで、腰を掛けた。小山は椅子だが、順子はベッドだ。
「おなか、すいた――」
「ぼくもだ。バッグには何が入っているんだ?」
 ゆっくりと品物の名前を順子が告げる。コンビニで調達できるものばかりだ。腐敗を考えると、仕方がないことだった。
「まるでピクニックだね」
 嬉しそうに小山が言う。
「明日の分までだから――」
 こちらも楽しそうだ。
 ふたりは黙って乾杯した。順子だけが、コップをテーブルに置いた。
「今週の火曜の朝、ホテルのラウンジで刑事と会ったよ――」
「火曜というと十一月の四日ね。ラウンジに呼び出されたの?」
「そう、場所は向こうから指定してきたんだ」
 捜査本部に呼びつけるか、会社で会うのが普通だろう。なぜホテルなんか使ったのだろうか?
「まず二十五日のアリバイを聞かれた――副社長室に爆弾が仕掛けられたと考えられている日だね。全社員を調べていると言っていたけど、明らかにぼくを狙って来ていたようなんだ……それで全くの偶然なんだけど、二十五日のぼくのアリバイは完璧なんだよ。ところが、刑事は露骨にきみとのことを聞いてきたんだ。いずれいつかは明らかになることは覚悟してはいたけどね。それから、本社に来る前の現場、つまり北海道の現場のことも聞いてきた。ダイナマイトが入手できる現場かどうか知りたかったようだね」
「それは考えすぎじゃないカ?」
「違うな、あれはブラフじゃない。あの聞き方は、沖縄にいる女がキーだという聞き方だった……」
「女? 新聞には〈やさおとこ〉と書いてあったサ――もしかして日本語では〈やさおとこ〉は女のことカ?」
 まじめな質問だった。
「やさおとこは間違いなく男だね――平井という刑事だったけど、もしかして、かれだけが掴んだ情報かもしれないけどね」
 順子にはよく理解できない話だった。
「仙頭くんからの電話での話では、その刑事からかれに問い合わせがあったそうなんだ。順子の名前、年齢、勤め先の電話番号なんか聞いてきたので、いずれわかることなので、名前と前の勤め先、調査会社を教えておいたそうだ――」
 小山はウィスキーのグラスを傾ける。いらだちが出ている飲み方だった。
「それで、どうしたらいいのサ」
「じっとしておればいい――ただ気持ちの準備だけはしておいたほうがいいな。それで十月四日、爆弾が発送された日のアリバイだけど、アリバイなしで通したほうがいい。バイオパークには、頭痛か何かで休んだことになっているんだったな――それで通すしかない」
「生理痛で休んでいるサ――ほんとうに生理だったからね」
「そのこと、お母さんは証言できるか?」
「生理痛なんかで休むと母親がうるさいので、残波岬まで車でいって、寝ていたということにしておくね、実際そうだから。母に証言なんかさせられないサ」
「それでいい――それで通してくれよ」
「ところで、あなたのアリバイって?」
 群馬の現場で起きた事故のせいで、二十五日は完璧なアリバイがあることを小山は話した。
「いったい犯人は――」
 そこまで言って小山は息をのんだ。かれの考えていることは順子にも手に取るようにわかる。
「副社長さんを殺した犯人、わたしたちにその罪も被せようとしているのカ?」
 そう言って順子も息をのんだ。
「副社長さんの部屋に爆弾が仕掛けられた日に、あなたには偶然アリバイがあるのよね。もしその偶然がなかったら、どうなっていたと思う?」
「わからないなあ――土曜日の午後だからね。普段なら、たぶんアリバイはないはずだよ。普通の土曜日なら、家に着くのは八時ごろだからね――本屋を回ったり、展覧会を覗いたりするから。妻子持ちの男は、一度帰宅すると、なかなか出にくいんだなあ」
 気を取り直すように、小山はつづける。
「今回は明らかに副社長一人を狙ったのだから、動機から追い求めるのが有効かもしれないね」
 新しい水割りを順子が作る。これで二人とも三杯目だ。順子はいっこうに酔いを感じない。小山も顔は赤いが、酔った様子はない。
 土曜日の夜というのに、目の下の中洲の橋を通る車の量も、歩いている人の数も、十一時あたりになると、めっきり少なくなる。飲み屋のほかに開いている店はない。それは他郷の人間を否定しているように順子には感じられた。終電車の時間のせいだとわかっているのだが、いかにもよそよそしい感じなのだ。沖縄ではこの時間ならたいていの衣料品店や食料品店、雑貨屋は開いているし、小さい子供を連れた家族連れも少なくない。繁華街の人通りが少なくなるのは、一時を過ぎたころからだ。
「順子、きみに十月四日のアリバイがないのを知っている者はいる?」
 唐突に小山が聞く。
「わたしが休んだのを知っているのは、〈バイオパーク〉の人たちだから、彼らなら知っているかもしれない――」
 そこまで言って、順子は小さく叫んだ。
「――知っている人がいる」
 小山は言葉を待った。
「仙頭所長が知っている――〈バイオパーク〉に初めて来たとき、刑事が聞くかもしれないので、十月四日のアリバイは考えておいたほうがいいと言うんで、そのとき、アリバイはないことを喋ったと思う……」
「仙頭くんには十月四日のアリバイはあるんだな?」
「あると思う。何と言ってもパイナップル爆弾の発送元だからね。警察が第一番に、全員のアリバイを詳しく調べたそうよ――もちろん、それはパスした。こんどのパイプ爆弾にもアリバイがあると言っていた――二十五日に沖縄を出ているんだけど、警察の調べはパスしたと言っていた……」
 小山は考え込んだ。
「仙頭くんのアリバイがどんなものか、彼に尋ねてみてくれないかなあ」
「仙頭さんを疑っているの?」
「わからないが、何か引っかかるんだ」
 そう言って椅子の背にもたれて、小山は両手を頭のうえに組んだ。
「わかった、調べてみる――だけど仙頭さん、わたしを誘惑するかもしれないよ」
 にやっとして、順子が言う。
「順子を独占する権利はぼくにはないから――」
 まじめな表情で言う。たぶん、本気でそう考えているんだろう。
(相変わらず、甘いなあ――純真というのか、世間知らずというのか、だから男は面白いんだけど……)
「独占されたいのよ、わたし」
 グラスをあげて、片目をつぶる。
 小山が笑った。久しぶりに目にするいい笑顔だった。
「もう一度、独占して――」
 ベッドから立ち上がり、浴衣の帯を解きながら順子が言う。
「連投の利く歳ではないんだけどなあ……」
 元気よく小山は立ち上がった。

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 【殺意4】