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400字詰め原稿用紙なら、442枚程度の長さです。気楽に読み飛ばせます。
この小説で重要な舞台である「作業用横坑」は、記載している位置に実在します。坑口の位置関係もほぼそのままです。ATCの位置も記載通りです。その後横坑坑口の周辺は開発が進み、様子は激変しています。
横坑坑口は地図で確認できます。ただし横坑の記載はありません。Yahoo地図でJR越後滝谷駅を探し、その付近の上越新幹線のトンネル入り口からちょうど2kmトンネルの中を進み、その点から北西へ55度、距離300mのあたり、「滝谷高原ゴルフパーク」の敷地内に、横坑坑口(トンネル入り口)の小さいマークがあります。モノトーン地図にするとよくわかります。航空写真では横坑口の確認はできません。Googleの地図ではこの坑口の記載はありません。
本文中では、トンネルの長さはちょうど5kmとしていますが、実際は、3kmの地点で30mほど地上に顔を出していますし、4.5kmあたりで220m程度、地上に顔を出しています。しかし完成時点では、それら地上部はすべてコンクリートで覆われ、トンネルになっています。
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12345678910123456789201234567893012345678940字
上の長さが40字です。横書きのまま読まれる方は、これくらいの長さがいちばん読みやすいと思います。
本のスタイルで、縦書き明朝体で読まれる方は、BookLive!がいいと思います。BookLive!上で青空文庫「西府章」で検索して頂くと、出てきます。もちろん、無料!
西府 章
〈一〉生い立ち――木山青年
木山宏が県立工業高校二年も終わりの頃、日雇い仕事で食いつないでいた父親が肝臓癌で亡くなった。素人が見ても原因は安い酒の飲み過ぎだが、医者も同じことを言っていた。酒でも飲まなければやっていけない人生もあるんだということは宏にも何となくわかっていたから、父親の日頃の行いを非難したことはない。父親も飲んだら話がくどくなるだけで、暴力をふるったり人生訓話のたぐいをくどくど繰り返すことなど決してなかった。死亡診断書の死因では臓器不全となっていた。すべての内臓がぼろぼろになっていたということだ。
母親は、宏がまだ物心つかないころ宏を捨てて逃げていた。
幸い宏の学業成績が抜群に良かったので、担任は何とか卒業させようとした。宏も、卒業だけはしたかった。機械や電気、安全に関して必要な国家資格を将来取得するとき、工高の卒業証書があれば何かと有利なことが多いのだ。それだけの理由だ。担任は校長に事情を説明して頼み込んだ。奨学金を何とか工面してもらえないかと言った。
当時の工高の教師や校長には、自分の学生を本当に大切にする、そういう男気のある先生たちがいた。工高は義務教育ではないので、市が学費や生活費の面倒を見る義務はないはずなのだが、校長を通じて市役所にも相談したところ、社会福祉協議会を紹介してくれて、そこが工高を卒業するまでの生活費と学費を無償で援助してくれた。学校も市役所もまだ若く、心底正義感に満ちていた。もしそれがなかったら、一年間だけ休学して働き、生活費を貯めて、工高だけは卒業するつもりだったが、その必要がなかったのは本当にありがたかった。まだ日本が右肩上がりに成長していた時期だった。
当時かれが住んでいたあたりに、工高の夜間部はなかった。
こどもはかれ一人である。母親は、名前は幸子だと聞いているが顔は知らない。母親が写っているすべての写真を、父親がたぶん焼き捨てていたからだ。
中学生のとき、近所のおばさんたちの溜まり場である雑貨屋で聞いた話では、母親は『ボーイフレンド』と一緒に駆け落ちをしたのだそうだ。「男好きのする顔立ちだったからねえ」と女性たちは嫉妬混じりの表情で教えてくれた。
その類いのうわさ話が好きなそういう女性たちでも、酒にだらしない宏の父親の悪口は口にしなかった。男盛りの父親が、わが子を育てるのに一所懸命だったのを知っていたからだ。そういう父に、もちろん女っ気なんかあるわけがない。近所の女たちが父の悪口を言わなかったのも、そういう類の妙な噂が、いっさい立たなかったせいだ。木山少年に彼女たちが遠慮なんかするわけがない。
「妙にストイックな親父だったな――」
市役所が行ってくれた葬式がすんだ夜、借家の、変色してすり切れた畳の六畳間でとうとう一人きりになって父親の位牌と向き合ったときの、それが感慨だった。火葬された骨は市役所と相談して、火葬場で処分してもらった。将来、自分の生活が確立し、独立することができて余裕ができたら、どこかのお寺の納骨堂を買い、位牌のコピーをつくって納め、盆正月には参拝するつもりだ。
* * *
木山宏の夢は、自分の自動車修理工場を持つことだった。
新潟県の工業高校の機械科を卒業すると、長岡市の郊外にある自動車修理工場に職を得た。学校の成績がよく特待生だったので、学校は、力のこもった推薦状を書いてくれたのだが、宏の家庭環境を敬遠してか、大企業と言われている会社はともかく、地元で名の知れた会社でさえ雇ってくれなかった。工業高校の推薦状はあまり実効はないのかもしれない、とそのとき宏は特別な感慨もなく思った。
食費、作業服代、会社の寮に住み込み、その部屋賃と風呂代、光熱費と健康保険や失業保険などの法定費用を工場に取られたあと、手元に残る額は、ほとんどなかった。たばこを吸うことさえ覚えられなかった。当時、自分で週刊誌を買った記憶もない。たまたま同級生と街で出会ったとき、そういう話をしたら、信じられないとかれは言った。
一年ほどたった頃、一キロほど離れたところで長岡市の下水処理場の工事が始まり、そこで現場の機械係を探しているという話を、車を修理に持ってきた地元の土建屋から耳打ちされた。その土建屋はその工事の下請けをしていて、人探しを頼まれていたらしい。
働いていた工場には内緒で、その土建屋に口を利いてもらい、話は簡単に決まった。ただし、そこの工事が終わるまでという条件であるが、そのことに関し宏にはなんの躊躇もなかった。工事は約三年の予定だった。給料の額面はいままでのおおかた倍だったし、法定費用のほかに手元から出て行くのは、現場の食事代と自分の下着代だけだった。作業服は無料で支給された。寝具も備品として宿舎についていた。前の修理工場では、宏の法定費用は支払っていなかったことを現場の事務員が教えてくれた。
宏は夜昼なく働いた。下水処理場という『明かり工事(坑外工事)』には珍しく、夜間も現場は動いていた。発注者側の用地の買収が滞ったので、着工が一年ほど遅れたせいだ。貧乏くじの現場だ、というのが現場の職員の言い種だった。しかし宏には天国のような職場だった。仕事が面白かったし、給与の良さもそれを後押しして、宏は身を粉にして働いた。機械の故障で真夜中にたたき起こしても、決して嫌な顔ひとつしない、と土木担当者は賞賛していた。
二年半たった秋、三十キロほど離れた柏崎市のはずれで、道路トンネルの工事が始まった。国道8号のバイパス工事で、いわゆる国道改良工事を呼ばれているものだ。建設省発注の工事である。
宏をたいそう気に入っていた年配の機電主任は、かれを連れてそちらへ移った。処理場の工事も仕上げ作業に入っていて、機械屋の出番もあまりなくなっていたし、三十キロ程度なら車で一時間なので、兼任もできる距離だ。運が向いてきたのかもしれない、と宏は思った。
その雪国のトンネル工事は、当初二年の予定が四年を要した。短いトンネルだったが、地質が調査時点の予想よりもはるかに悪く、施工にも時間が掛かったが、設計変更などの手続きにも時間を要し、つまり、工法がなかなか決まらず、結局、工期が二年も延びたのである。
その現場で機電主任は宏を準社員に強力に推薦した。それまでは、現採――現場採用員という身分である。現場事務所で採用する臨時の女子事務員や賄い婦が「現採」である。
機電主任の強力な推薦で宏は難なく準社員になった。準社員になって二年以上を問題なく勤めれば、正社員になることができる。学校推薦では問題になっていた宏の家庭環境も、こういう手続きを踏めば影が薄くなり、とりわけ本社人事部の注意を引かなかったようだ。現採あがりの社員という身分は、人事部の感覚では、正社員の範疇には入っていなかったのかもしれない。
それから二年ののち、こんども機電主任の推薦で、宏は正社員になった。着るものをある程度選択できる余裕ができたし、読みたかった『現場での焼入れ実務』というタイトルの専門書も、大きな決断をすることもなく買うことができた。外で飲むのが嫌いだったので、蓄えさえかなりできていた。つねづねほしいと思っていたディーゼル四駆の白いカローラも中古の一時払いで買った。
正社員になった年の春、現場の下請けの事務所で働いていた近隣の娘との結婚話が持ち上がった。宏が二十四歳のときだ。娘は宏と同年だった。
もちろん宏もその娘を知っていた。下請け事務所がプレファブの棟違いなだけなのだ。顔を会わせれば会釈ぐらいは交わす。宏の感じでは美人という部類ではないが、結構かわいいじゃないか、というのが第一印象だった。愛想がよかったのだ。
昔気質の機電主任はそういう世話ごとが好きで、宏のためにつねづね気を配っていたらしい。あとで主任本人から聞いた話では、宏と娘が事務所なんかで一緒になったとき、宏の視線が娘をときどき追っていた、というのが二人の中を取り持とうときめた理由だという。
坑口前の、二間三間の空色プレファブの機電控え室兼資材庫に主任は宏を呼んで、宏の決心を迫った。
主任の話では、下請けの所長を介して娘にそれとなく聞いてもらったが、娘の方もまんざらでもないようだという。下請けの所長の勘では、「あれは乗り気だな」だそうだ。このふたつで、主任の腹は決まった。現場たたき上げの主任は、ときどき下請けの事務所で、下請けの所長と盗み酒を交わしながら世間話をしていたのだ。
娘は四人きょうだいの次女で――つまり男二人、女二人のきょうだいだ――家が農家なので、家を出るしかない、のだそうだ。親には、娘に分けるほどの田んぼはない。それだけは承知してくれ、というのが主任の説明だった。主任の追加説明では、だから持参金なんか期待するな、と言う。
「親にも会ったんですか?」
あきれて宏は聞いた。
「こういうことは、年長者がきちんとやらねばな」
親代わりの口調だった。
「本当にわたしでいいんですか?」
宏は本心からそう聞いた。
「おまえがよかったら、娘はハッピーだそうだ――オレも一度でいいから若い女からそう言われたいもんだな」
主任は妙なところに英語を入れて、まじめな顔付きで話した。すでに娘には話が通っているのだ。
「今日、おまえにきちんと話すことも娘には言ってあるぞ」
「わたしの母親のことも話していただけましたか?」
「それは、ご両親にも第一番に話した。もちろん本人にもな――まったく問題ないそうだ。娘が言うには、歳とった夫の両親の世話をしないでいい条件なんて、夢のようなんだそうだ――リアリストだな。それにおまえには、親戚づきあいしているような累計もない、ということもちゃんと説明したからな」
そうまで自分を望んでくれる縁は、そうそうないだろう、というのが宏のぼんやりした結論だった。
主任は宏の表情をすばやく鋭く読んで、両手で合板の机を一つバンとたたいた。
「今日あすの話じゃないが――そういうことでとにかく、おまえの話はおれが勝手に進めるからな、いいな?」
「よろしくお願いします……」
宏は頭を下げた。これでいよいよ主任には一生頭が上がらなくなると思った。もちろん、悪い気はしなかった。
「月曜日には帰ってくるから、月曜の夜、二人で娘の親のところに行こう」
今日あすの話ではないが、しあさっての話なのだ。主任らしくせわしなかった。
翌翌日の日曜日、長岡市役所の戸籍の窓口は午前中なら開いているというので、自分の戸籍謄本を取りに出かけた。とりあえず戸籍謄本ぐらいは準備しておけと主任から言われたのだ。父の本籍が借家で住んでいた長岡市内なので、当然宏も長岡市内が本籍だ。戸籍を取るのは、高校卒業時の就職活動のとき以来だ。入学時の手続きはどういう風の吹き回しか父親がしてくれた。
十分ほどの待ち時間で、戸籍謄本は簡単に取ることができた。長岡市に本籍があるので当たり前のことだ。それを持って、車に戻る。
新潟・長岡の三月は道路の雪がなくなったばかりだ。市役所の駐車場のブロック塀の根元には除雪でかき集められた黒い雪がしっかりと残っている。だが、天気がいいので、車の中は本当の春だった。
自分に関する記載事項を念のため確認しようと思い、車の中で謄本を広げた。
母親は宏が四歳の時、離婚して除籍されていて、木山幸子の名前に×印が付いている。実際に家を出たのは宏が二歳ほどの時で、これは父親からそう聞いていた。四歳ならかすかな記憶があるはずなので、離婚手続きがおくれたのだろう。小学校に上がるまでは、保育園に夜遅くまでいた記憶があった。
父親は死亡しているので、これの名前の上にも×印が付いていた。
宏が気にしていたのは本籍だ。長岡の住所だが、そこは借家だったのだ。父は自分の家が持てずに、借家の番地を本籍にしていた。そのほうが便利なことが多いからだ。だから宏の本籍もその借家になっている。今の会社に就職して以来、宏はその借家を引き払っているので、たぶん今は、関係のない他人が住んでいるはずだ。結婚するとなれば、これは少し都合が悪いのではないか、と考えた。主任に言われたこともあるが、これが戸籍謄本を取ろうと思った動機のようなものだ。将来の諸々の手続きを考えた場合、娘の実家を本籍にするのがいちばん都合が良さそうだと思う。そう頼もうと思う。何かにつけ、結婚はややこしい、というのがそのときの宏の偽らざる実感だった。
そのとき宏の頭に少しだが引っかかるものがあった。父は若いときから、その借家に住んでいたわけではないだろう。どこかから長岡市に流れてきたのだ。父の幾つごろの話だろう? それまではどこに住んでいたんだろう? 所帯を持ったのは長岡市だと聞いている。それ以上の話は聞いたこともないし、当時は勉強とアルバイトに精一杯で、父親の来歴なんかに興味をもつ余裕はなかった。
宏はあらためて父の戸籍に目をやった。本籍のところに、『大阪市より転籍』と小さめの字の記載があった。
へえー、と思ったが、腑に落ちないものがあった。父が大阪弁らしい言葉を喋っているのを一度も聞いたことがないのだ。アクセントも、どちらかと言えば標準語に近かった。知的な職業ならともかく、父は日雇いの肉体労働者だったのだ。大阪で育ったのなら、酒を飲んだときなどに大阪弁が出るのが普通ではないのか? それとも、ほかの土地で育ったのだろうか? 何があったのだろう、というのが宏が考えたことだった。
さて、どうするか、と宏は思案したが、やはり好奇心のほうが強かった。ひとよりも強い好奇心はおれの長所だ、と思っている。それに、自分の結婚話がさらにそれを後押ししていた。
戸籍謄本を市の封筒に戻して、ふたたび戸籍係のところに行った。日曜日なので、ほかの課に女性職員が一人だけいるだけだ。戸籍係の青年も、すぐに戻ってきた宏を、かすかな不審顔を消し去った笑顔で迎えた。
「父親のこの記載以前の戸籍を調べたいのですが、どうすればいいでしょう?」
宏は結婚という理由は説明しなかった。
戸籍係は合点という表情を見せた。得意分野かあるいは戸籍係に多い質問かもしれない。
「ここではできませんが、調べられますよ、『改製原戸籍謄本』を取ればいいんです――取り方、お教えしましょう――手数料はかかりますが、千円以内ですむはずです」
カウンター越しに椅子を勧めながら、戸籍係は言った。
長岡市の担当者は親切だった。申請書と同時に宏の免許証のコピーを添付したほうがいいこと、その他こまごました事務処理上のことも教えてくれ、できあがった申請をチェックまでしてくれた。
宏は丁寧に礼を言った。
月曜日の夜、現場のすぐ近く、国道から三十メートルも下ったところにある小さい漁港の脇にある娘の両親のところに主任と二人で行き、主任が親代わりとして結婚を申し込んだ。娘よりも親の方が、とりわけ女親の方が喜んでいた。
主任はその夜、予定していたように酔いつぶれてそこに泊まり、宏だけが宿舎に帰った。歩いて十分ほどの距離だが、酔って上るには決心が必要な石の階段だった。大きく回り道をすれば狭い車道もあるのだが、夜や雪の日には誰も使わない。切り返さなければ曲がれないヘアピンが二カ所あるのだ。
娘が宿舎の近くまで一緒についてきた。普段着の上に赤いちゃんちゃんこを羽織っている。このあたりでは、この方が目立たないのだ。戻るときに「よろしくおねがいします」と丁寧に頭を下げて、帰って行った。
大阪市から現場事務所の宏宛に書類が送ってきたのは六日後の土曜日だった。その翌日の日曜日に初デートの約束を下請けの事務所で交わしていた。当時、とりわけ建設現場は、土曜は半ドンでもないし、休日でもない。トンネル工事は二十四時間連続で作業をしているので、夜も休めないのだ。現場が止まっているのは、日曜の朝七時から、月曜の朝七時までである。昼夜番の交代のためだ。
改製原戸籍謄本のコピーは縦書きで、古いタイプの明朝体で、漢字片仮名である。昭和三十二年の法改正で作り直したらしい。
父は二人兄弟の二男で、兄も亡くなっている。父の子供は宏だけである。父が生まれたところに、いま親類縁者は誰が住んでいるのだろうか? この戸籍簿からはわからなかった。
父と伯父の同じ出生地である大阪市の浪速付近の地名を宏は手帳に書き写した。現在、本籍地の名称は変わっているが、縦棒で消してあるので、旧称はわかる。それも書き写した。父は間違いなく大阪で生まれたのだ。宏は大阪には行ったこともないし、それがどのあたりかの見当もつかない。それでも浪速という地名は、歌謡曲なんかで聞いたことがある。宏の知識では浪速は繁華街だ。歌謡曲からの、いい加減な類推では、浪速は色町だった。
それにしても、親子の会話にも大阪弁がまったく出てこなかったのはなぜだろう?
土木の主任が現場から事務所に帰ってきた。宏より五歳ほど年長だ。年の差だけしか威張らない、いい人柄で、宏は尊敬していた。少し調べものをしたいので長岡市の図書館に行く、と断って、早い昼食を食堂で一人でとり、白いカローラで出かけた。
図書館には暑すぎるくらいの暖房がはいっていた。
図書館の職員はみんな女性だった。カウンターにすわっている司書らしい五十年配の女性のところに宏は行って、父の本籍と旧称を書き写した手帳を広げた。
「すみません、この住所について調べたいのですが、どういう本を調べればいいでしょうか?」
婦人は手帳に目をやり、それからおもむろに宏を見て、それと気づかれないほどの微妙さで目を逸らした。
婦人は少し考えていたが、コピーの裏を利用したA6ほどのメモ用紙に書名を鉛筆で書いて、宏の前に置いた。メモには、『五十年のあゆみ――大阪市人権協会』と、あまり上手とも言えない楷書で書いてあった。
「たぶんこの本でわかると思います――『社会科学』の本棚の『人権』の欄にあるはずです――これは、貸し出しができない本です。わからなかったら、もう一度こちらまで来てください。ご案内しますから」
住所を調べるのに、人権がどう関わってくるのだろうかと、宏は訳がわからなかったが、とにかく教えられたとおりに『社会科学』の本棚を探した。本はすぐ見つかった。
きちんとした装丁とハードカバーの、学術本の雰囲気の漂うたたずまいだった。読まれた形跡はなく、新品に近い。その本が見つかったすぐ脇に丸いテーブルと椅子が二つ置いてあった。そのテーブルにすわって、宏は本を広げた。
その本は、大阪の被差別部落をくわしく、地図入りで記述したものだった。父の本籍の旧称は被差別部落の中の地名だった。現在の地名も併記してある。その事実が、まず、何の動揺も感慨もなくスッと宏の頭に入った。そのときは、了解したという以上の心の動きはなかった。
本の編者は大阪市人権協会で、れっきとした出自の本だ。戦後の間もない時期の出版である。紙の質がそれを物語っている。詳しい地名と地図が添えてあった。
(そういうことだったのか……)
父に関するすべてが一挙に氷解した、と宏は思う。母の出奔もそのあたりに原因があるのかもしれないと思った。それはしかし、母に関してだけはすべてが闇の中だ。
しかし工高の先生たちの親切さはそのせいではないと思う。宏の就職を学校が推薦しても、名のある複数の企業が採用しなかったとき、学校はその理由を問い、そのとき企業から秘かに知らされたのだろう。場末のどうしようもない自動車修理工場に宏を押し込まざるをえなかったのもそのせいだと思えば理由が立つ。市役所、社会福祉協議会の、規則を無視した親身な対応は純粋な親切心からだったのだ。その親切には、宏は本当に頭が下がった。かれらは宏に対して出来る最大限のことをしてくれたと思う。しかし、頭では理解しても、心情として納得できる話ではなかった。
やがて時間がたつにつれ、鉛を飲んだ、としか表現が思いつかない、重い気分に宏は落とし込まれた。A6のメモ用紙はいつの間にか左手の手のひらの中で小さい玉になっている。
ページをめくりながら、宏は結婚しようとしている相手のことを考えていた。事実を知った今、自分のやるべきことははっきりと決まっていた。
(家族という重い荷物を背負って、これからの人生をとぼとぼと歩むのは絶対に嫌だ――まして、自分の子供におなじ荷物を背負わせることだけは、絶対にやってはならない)
これが宏の今の結論だった。
むなしくページをめくりながら、二時間ほど宏は考え続けたが、結論はいつも同じところにたどり着いた。
本棚に本をどう返却したか、図書館を出るとき司書の女性と言葉を交わしたか、どの道を運転して事務所まで帰ってきたか、宏には思い出せなかった。それほど茫然自失していたのだろう。とにかく、事務所には午後三時ほどに帰り着いていた。
下請けの事務所に電話すると、娘はいた。あす日曜日のデートのとき、二人だけで話し合いたいことがある、と宏は言った。人の耳が気になっては気が散るので、話は車の中で話したいと言った。決心がついたときから宏の心は平常に戻っていたので、これらの会話はふつうにできた。娘は一瞬途惑ったようだが、快諾した。事前の約束どおり、柏崎駅で午前十一時を確認した。娘は列車で、宏は車である。狭い部落なので、あまり人目を引きたくないから、とこれは娘からの提案だった。
駅前の道路から三段しかない駅の階段の上に姿を現した娘は紺色のノーカラージャケットにそれより少し淡い紺のワンピースのスーツだった。女性としては大柄な背丈がスーツを引き立てていた。精一杯のデート用のおしゃれだと宏は思う。宏にもそれくらいはわかる。胸の膨らみがまぶしかった。
車の外で待っていた宏に一礼して彼女は助手席に乗り込んできた。
「はじめまして――仲森佳奈です……ちょっと変ですね」
娘はまじめな表情で言った。何となく恐れていた香水の匂いがなかったので宏は内心ほっとした。
「こちらこそ、はじめまして――木山宏です。二人だけになるのはこれが初めてだからね」
なめらかに口をついて出たので、宏は内心ほっとした。
「主任の松川さんには本当にあつかましいお願いをしました」
思ったよりも世間慣れした佳奈のこのひと言で、宏は救われた思いがした。宏はひそかに感謝した。
駅の真正面、道路を隔てて公園があり、結構広い駐車場があったので、宏はそこに車を入れ、エンジンを切った。通勤に使っているらしい軽自動車が三台、隅のほうに固まって止めてある。人影はない。
「うちの松川主任も、ぼくのことについては、いろいろ話したと思いますが、そのことについてぼくから付け加えることがあります。主任は知らないことです――これをあなたにぜひ聞いていただき、わたしの考えを聞いてください」
佳奈が身構えるのが宏には感じられた。
宏は自分の出自のことを話した。信じられないくらい、平静に話せたことが自分でも信じられなかった。
自分の本籍が長岡の借家にあることと主任に言われて戸籍謄本を取ったこと、単なる好奇心から転籍まえの父の本籍を調べたこと、ところが、それが大阪の被差別部落だったこと、そのことはまだ主任にも言っていないこと、言うつもりもないことなどである。大阪の中心あたりの出身の父が大阪弁をまったく消し去っていた理由も、推測を交えて話した。
「だから、わたしとの話は、なかったことにしてください――これがわたしの結論です。あなたには絶対に迷惑はかけられない――かけるわけにはいかない」
佳奈は大きく目を見開き、宏の目を見つめていた。それから目を伏せ、しばらく沈黙の時間があった。
「こんどは、わたしの考えを聞いてください」
宏にとって思いがけないことを佳奈は言った。上半身だけ坐りなおし、首を回して、助手席から運転席の宏をまっすぐ見つめ、静かに言った。
宏は佳奈を手で制して、聞いた。
「その前に確認ですが、佳奈さんは『被差別部落』の意味を知っていますか?」
佳奈は小さく、しかし、しっかりと頷いて、言った。
「知っています――柏崎支所の戸籍係でアルバイトを三年ほどしていましたので、上司からしっかりと口頭で教えられました」
新潟支店の若い営業屋から聞いた話では、柏崎周辺にそういう部落はないはずだった。
「戦前は『穢多』と言って、人間扱いされなかった――」
「その言葉は知りませんが、被差別部落の意味と現実は知っているつもりです――それで、わたしの考えを聞いていただけますか……」
佳奈の目を見て、宏はゆっくりと頷いた。
「わたしは、それでも宏さんと結婚したいと思います。その理由も説明できると思います――」
若い女性の言葉じゃない、と宏は思った。こういう場面でこう言い切れる――信じられない、と思う。架空の映画の中ので想像上のヒロインがしゃべっている、という感じがした。彼女の言葉にうれしさを感じる余裕が宏にはなかった。
「ただ、一緒になるために、ひとつだけ絶対に守ってもらいたい約束があります。それは、宏さんのお父様が宏さんと世間になさったことと同じことです――自分の出自を他人に絶対に明かさないことです。世間の善意を当てにしては、間違いなく裏切られます――」
静かに佳奈は言った。その静けさで宏はやっと自分を取り戻すことができたと感じていた。
「それでも、ぼくは父の出自を比較的簡単に知ることができた。他人も同じことをすることができる……」
佳奈はちいさく頭を横に振った。
「それは、あなたが自分のことを自分で調べたからです。これからの日本では、他人の戸籍を調べることは難しくなります」
そう言って佳奈は言葉を切った。
アルバイトの時に得た知識に自信があるようだった。
「ここ十年以内に、日本の大部分の市町村で戸籍は電子化されると聞いています。紙の戸籍簿はなくなります――支所でそう聞きました。事務処理の効率上、間違いなく、そうなります」
宏に言い聞かせるように、静かに喋っている。
「そうなったとき、古い戸籍は破棄されます。それでも、日本の戸籍法では、八十年間、戸籍はどこかに保管されていますから、戸籍をたどろうと思えばたどれます。でも、そうは言っても、それができる人は限られます」
佳奈はいったん言葉を切り、すこし考えていた。
「そういう類の身上調査が密かに行われるのは、第一が、結婚するときでしょう。第二は新卒で大きな企業に就職するときです――そのほかには、選挙に立ったとき、相手候補が調べるかも知れません――それぐらいです。宏さんの場合、第一と第二はクリアしています。あとは選挙に立つときぐらいですが――」
「それでも、他人の戸籍を調べることができることには変わりはないよ――そしていちばん厄介なのが、その好奇心だね」
「他人の戸籍を合法的に調べることができるのは、現在では司法関係者、警察関係者だけだと聞いています。法を破ってまで、密かに他人の戸籍を調べようとする第三者は、大企業の人事部と、結婚がらみで一部の興信所ぐらいだと思います」
「それはわかった……それで」
佳奈が何か言いたそうだったのだ。
「あなたのお父様は、生まれ育った大阪の言葉さえ捨てて、戸籍謄本なんか必要としない仕事を選んで、男手ひとつで、あなたを一人前に育てた――あなたはその重さがよくわかっているはずです。故郷を捨てて他人の中に紛れ込み、被差別部落出身という経歴を消し去り、消し去ることに事実上成功しました……本当に頭が下がります」
佳奈の口調には、説得しようとする強い意志のようなものが感じられ、ひしひしと伝わってきた。
「それに比べ、部落解放同盟なんかがやっていることは、きれい事の建前です。あんな運動で世間の偏見がなくなるわけがないでしょう――同盟の役員だけが自己満足と贅沢をしているだけでしょう」
戸籍係のとき、それに関わる経験があったのだろうか、と宏はいぶかった。
「本籍なんかたどれないようにすればいいんです――今の法規でも、誰だって本籍は簡単に変更できますから――被差別部落出身者は、みんな故郷を捨てればいいと思います――あなたのお父様がなさったように。今はそれが自然に無理なくできる社会になりましたから。それがいちばん現実的な解決方法だと思いますけど――戸籍係で三年間働いていたときに身にしみて感じたことです――河が澄むのを百年待っても、絶対に河は澄みません……人間のさがですから」
前を向いて佳奈はゆっくりと喋った。宏の視界の外だったが、あらためて彼女の首筋の細さと白さが目についた。宏はそれに訳もなくどぎまぎしていた。
思い直したように宏はしゃべり始める。
「佳奈さん、あなたの言っていることは現実的だし、多分正しいと思う。しかし、あなたがわたしと結婚することは、リスクを背負い込むことに間違いはないよ。わたしは完全に安全ではないはずだからね――わたしがあなたの立場なら、そういう大きなリスクは避けると思う――そのリスクは生まれてくる子供にも及ぶんだよ、実に不条理な話だけど、現実は間違いなく、そうだね」
佳奈は少しうつむいて、微かに頬笑んでいる。
「宏さんについてのわたしの知識は、すべて松川主任さんから得たものです――今たいへんなことを本人から聞きました。それでも、わたしの直感は正しかったと思っています。わたしは宏さんと結婚したい――」
佳奈が静かに話している分だけ、宏は全身で迫力を感じていた。認められた魅力を喜ぶよりも、押し迫ってくる圧力のほうを宏は感じている。
「佳奈さんはわたしと同じ歳だね――もちろんもう子供じゃないし、世間知らずのハイティーンでもない。その場の雰囲気に飲まれてしまうタイプでもなさそうだ。だから、その理由を説明してくれないか?」
精一杯に宏は押し返そうとしていた。
佳奈は小さく頷いたが、口を開くまで長い間があった。
「正確に表現はできないと思いますが、主任さんからあなたのことをいろいろ聞いているうちに、この人となら波長が合いそうだ――そう思いました。信頼できそうだ、今話を打ち明けられて、なお一層そう思いました。わたしは間違っていないと確信しました。たいへんおおざっぱな話ですが、それが、一番大切なことだと思います。それに……」
「それに――?」
「わたしだって、水飲み百姓、昔なら小作農の四人きょうだいの次女です。一生がだいたい読みきれる生い立ちです。そこに波長の合いそうな、好みの男性が現れ、しかもちょっとリスクの気配もある――このリスクは断然取る価値がある――少なくとも、後悔し続けなければならない退屈な一生だけは避けられそうだと。わたし自身、こう考えることを不真面目だとは思っていません……自分の感情に正直に生きたい――ちょっとキザな言い方かもしれませんけど」
宏は思わず感動していた。
「佳奈さん、あなたのような考え方をして、それに自分の一生を賭けて実行する――普通の人はまず、そういうことは考えないし、まして実行するなんて人はいないと思う」
「それで、宏さんの答は?」
真剣な表情で佳奈は答を迫った。
宏の心はすでに決まっていた。すでに圧倒的に押し切られていたのだ。
「元本割れどころか元本がなくなるかもしれないことをぼくは説明した、それでいいと佳奈さんは承知した――ぼくには絶対出来そうもない考え方だ。尊敬に値すると思う。それで、ぼく自身、たいへん無責任な気もするが、契約成立かなあ……」
佳奈の目を宏は見ることができなかった。負けた、とは言えなかった。
「ありがとうございます――よろしくお願いします……うれしい」
にっこり頬笑んで佳奈は頬をすこし染め、大きく頭を下げた。それから、思いついたような口調で言った。
「宏さん、わたしまだバージンなんです――チャンスがなかっただけですけど――これから、二人だけで婚約成立のお祭りをしませんか……」
さすがに後ろのほうは声が小さくなっている。
「今から――?」
一瞬のためらいを置いて、宏は思わず聞きかえした。本当に間の抜けた質問であることはあとで気づいたが――。
「はい。長生橋の向こうには、そういうホテルが何軒かありますから――」
そう言われると、そうだったな、と宏は妙に納得させられた。
* * *
その国道改良工事の現場が終わりきらないうちに、上越新幹線のトンネル工事に宏は配置された。工期四年の比較的長い現場だった。
いつか自分の自動車修理工場を持つという夢があるため、現場の修理工場の備品の揃え方、配置などにも人よりも何倍も気配りが利いた。すべては自分が工場を持つときの予行演習だと思えば、身の入れ方も違っていた。それが人目には勤勉で有能だと映った。とりわけ、現場の所長と機電主任はかれを誰よりも評価した。
妻は柏崎の実家にいる。海縁の半農半漁の部落で、実家は民宿も営んでいて、夏場はけっこう忙しいという。長男夫婦もいるが、手伝いが必要なのだ。それに、越後滝谷の新幹線の現場から車なら小一時間ほどの距離なので、宏は日曜ごとに帰っていた。
佳奈と相談の上、かねて考えていたとおりに宏は本籍を佳奈の実家に移した。両親はそれをたいそう喜んだ。
〈二〉上越新幹線・滝谷トンネル工事
好天つづきの盆休みも過ぎて、八月も終わろうとしていたが、信濃川に沿って広がる長岡市の山沿いのあたりには、まだ秋の気配はなかった。去年は感じることがあった秋風と紅葉の気配がことしはまったくないのだ。少雨だった夏の猛暑が尾を引いているのだろう。
宏が勤務する中堅ゼネコンが請け負っているトンネル工事はすでにおおかた終わっていた。今は仕上げの段階で、工期もまだたっぷり残っている。だから、作業は昼番だけだ。通常、トンネル工事は昼番と夜番の二交代制である。だから、そのまま二交代をつづけて一気に終わらせてしまうという考え方もあるのだが、指定された工期よりもあまり早く終わったのでは、工期を決めた発注者の顔がつぶれる。だから工事は昼番だけにして、時間と経費を浪費せざるを得ない。官公庁からの発注が百パーセントを占めるトンネル業界の、これが『常識』なのだ。
工事の最盛期には二十人以上いた職員も、いまは宏を筆頭にみんなで三人だ。あと半月もすれば、宏一人になる。今いるほかの二人は、工事誌の校正などをしながら、新しい現場の受け入れ準備が整うのを待っている状態だった。
宏の会社では、規模の大きい現場には、工事誌の提出が義務づけられている。自分が書く工事誌に自分の深刻な失敗を書いて残すサラリーマンなんかいるはずはないし、その上あちこちに自慢話をちりばめるので、工事誌は読んで面白いはずがなく、他現場の工事誌なんか、たぶん誰も読んでいない。
今は他現場に所長として赴任しているここの若い公務主任は、土方の親方にしか見えない風貌にかかわらず学究肌だった。工事誌に自慢話は書かない、結果の数字は統計処理をする、という方針を決めて、けっこう熱心に工事誌と取り組んでいた。工種別の損益も概算で出していた。自分のために作っていると宏に漏らしたことがある。何となく宏と気があったのも考え方の底辺が似ているせいだろう。統計学の初歩を学ぶことを宏に勧めたのもこの主任だった。十箇以下のサンプル数の場合はt分布を使って処理する、ということを教えてくれたのもこの主任で、宏は感謝している。理解できないだろうと思いながらも分厚い統計学の参考書を宏が買ったのもそのせいだった。
この日、本社御用達の写真屋の若主人が竣工写真の撮影に来ることになっていた。本社の土木部から昨日ファックスが来ていた。ここの最盛期に坑口設備の撮影に来ていたし、前の国道トンネル工事の現場にも、この若主人が竣工写真の撮影に来ていたので、三度目の顔合わせになる。かれの店は前橋市内にあり、父親は名の知られた山岳写真家だった。図書館の写真雑誌で宏はかれの父親の作品はいくつか目にしていた。数々の賞も取っていたと思う。
若主人が現場の事務所に顔を出したのが、午後の四時過ぎだった。トンネルの現場は、夜昼が関係ないので――つまり坑内が主現場なので、どうしても夜なべ仕事になる、というのが若い写真屋の、遅くなった説明と意味不明の釈明だった。
工事現場に来る写真屋だけあって、事務所に顔を出したときにはすでに白いヘルメットをかぶっていた。かなり使い古してあった。
「こっちだって、そちらの夜なべ仕事につきあうつもりはない」と宏は言った。
すでに出来上がっているトンネルを通って、写真屋を上流の工区境まで案内して、そこに置いてくるつもりである。部外者をトンネルの中に放っておいても、大丈夫な状況なのだ。『117』に乗ってきているので、撮影が終わったら、そのまま勝手に帰ると写真屋も言う。終わるのは二十二時を過ぎそうだから、事務所に連絡には寄らないから、あしからずと言うわけだ。
それに宏は文句を付けた。
「零時までなら起きているから、坑口見張りの構内電話でひとこと連絡して帰ってくれ――そうでないと、安心して寝られない――もちろん零時すぎでもいいぞ」
その工区境から下流の長岡側に向かって、工事用の薄暗い蛍光灯の明かりを頼りに、トンネルの中の竣工写真を撮るのが、写真屋のこの日の仕事だ。作業用横坑も含め、二十枚ぐらい撮る予定だと言う。トンネル以外の工事なら、竣工写真は百枚以上は撮影するのだが、トンネルは、とりわけトンネルの中はどこを撮っても同じなので、撮影枚数は少なくなる。この工事で使われる竣工写真はせいぜい十枚だろう。横坑と本坑と横坑の交点、それに本坑の三枚に、坑口の設備五六枚だ。今はもう撤去したガントリークレーンが立っていた坑口設備はすでに撮影済みだ。
工区境といっても、境があるわけでもないし、仕切りがしてあるわけでもない。『上越新幹線滝谷隧道第二工区 施工・大和開発株式会社 施工延長2000・0m』と彫られた四十センチ角の鋳鉄製の銘板が、右手のコンクリートの壁の膝の高さに埋め込まれているだけだ。竣工年月日は、他社が施工する配線などの付帯工事が全部終わったときに、別の銘板に彫られて埋め込まれるそうだ。その位置のコンクリート壁にはすでに深さ二センチほどの箱抜きが作られている。大きさは隧道銘板と同じだ。
竣工年月日は前もって決められているので、同時に設置すれば一度に済むのだけれど、そういうことにうるさい人が鉄道建設公団の上の方にいて、そういうふうになったと聞いている。要するに誰かの気まぐれのせいだ。
普通に市販されているカメラよりも一回り大きい黒いカメラを三脚に付けて、ASA6とか10の低感度のフィルムを十分間とか十五分間とか露出し、ときどきフラッシュも光らせる。これが坑内など暗い場所の撮影の仕方である。
トンネルの中には、二十四メートルごとに、右手の壁に工事用の蛍光灯が点いている。その配電盤の位置を写真屋に教えて、帰りにはかならず消灯して帰るように念を押した。坑外の横坑坑口のその配電盤の位置には街灯が点っているので、それで不便はない。
「歩いているおれが写ったら、具合が悪いんじゃないか?」
宏の疑問に若旦那は声を立てて笑った。
「ご心配なく――動いていたら、写りませんから」
それから、思いついたように、つけ加えた。
「それにしても、横坑というトンネルは面白いですねえ――脇腹に突きつけられた匕首というイメージですから」
写真機をセットしながら、青年は笑った。
入坑する前に、坑口のプレファブの見張り所で、壁の合板に貼ってある平面図を使って、坑道の位置関係を簡単に説明したのだ。
「なるほど、その例えは新鮮で面白いね――われわれには、横坑は認知されない妾の連れ子、だけどね」
「何です、それ? それじゃ、まるっきり説明不足ですよ」
「後で自分で考えろ。説明していたら長くなる――」
もう一度質問されたら、説明しようか、と宏は思う。
「ところで木山さん、黒澤明の『天国と地獄』という映画、見ました?」
宏は見ていないし、だいたいの筋書きさえ知らない。
宏の表情を読んで、青年はつづける。
「身代金目当ての、いわゆる営利誘拐を扱った映画で、身代金を受けとる側の人間には、参考になるプロットでしたね」
「受けとる側の人間とは、犯人のこと?」
「もちろん、そうです。それで、金づるの社長の子供を拉致しようとして、間違って、お抱え運転手の子供を連れ去るんですね――そして、そのまま社長を脅迫する、お前が身代金を払えってね」
「その犯人は実務者の鑑だな――転んでも、ただでは起きない」
青年は笑って、つづける。
「身代金目当ての誘拐でいちばん問題なのは、身代金を受けとる方法ですね――安全に受けとる方法ですね。戦後、これに成功した奴はいないそうですから――わたし、調べたんです。それで、この映画では、身代金の受け渡しに、走っている特急列車を使うんです。白旗を振っているので、それを目がけて、身代金を投下せよ、というアイデアですね――このアイデア、ノウハウで特許申請したいぐらいのものですね」
宏が初めて見るアグファというフィルムの黒い箱を開けながら、写真屋が説明している。手がときどきお留守になっている。
「でもこれは、考えてみれば犯人にとって極めて危険な賭けですよ――ヘリでも飛ばされれば、一発でアウトですからね――そう言えば、映画じゃヘリは飛んでいなかったなあ。それに昼間なら、いい写真機を使えば、犯人の写真ぐらいわけなく鮮明に撮れます――顔ぐらいは隠しているんでしょうが、足が付くチャンスは増えますね」
これから写真技術の宣伝が始まるのかな、と宏は思った。
「なるほど、それで、話はどうなるんだろうね?」
聞いてやってもいいかな、という気に宏はなっていた。
「この横坑と本坑を利用してそれをやるんです――具体的にどうやればいいのか、それはわかりませんけど」
若旦那は意外なことを言った。
「平地でやるのよりも犯人にとって安全ですよ。五キロのトンネルのほぼ中ほどに、五百メートルほどの小さい抜け道があるなんて、関係者以外、誰も知らないでしょうからね」
横坑の長さはほぼ三百メートルだが、訂正するまでのことではない。
「若旦那、こんなトンネルなんか使う必要はないよ――ヘリが怖ければ、平野の中の線路の脇で、夜中に発煙筒をたいて、それを目印にすればいいじゃないか――高圧線の鉄塔が通っているようなところを選べば、夜間にヘリは飛べないからな。車のライトを消して逃げれば、逃げおおせるかもしれないね。でもねえ、列車から身代金を落とすというやり方は、もうすでに、きみを含めてみんな、もちろん警察も知っているんだから、まず無理だな、うまくいかないと思うけどなあ――」
わりに真剣に考えている自分が宏はおかしかった。それから、ふと思いついて、付け加えた。
「とりわけ近年は携帯電話というものが実用化されて、警察はすでに持っているだろうし、ちょっとした会社の重役なんかも使っているそうじゃないか。そいつを使われたら、夜中でも逃げおおせるのは難しいよ」
「いい思い付きだと思ったんですがねえ、やはり駄目か……」
「悪いことをしようと思ったら、世の中の流れぐらいには目を配っておかなくてはな――実際にやるつもりだったの?」
笑いながら、宏が聞く。
「将来、食えなくなったときの保険として、考えておいてもいいかな、なんて考えたんですがね――親父が生きているうちは、親父の名前でうちも何とか食えるでしょうが、わたしの代になったら、厳しくなるでしょうからね――世間はそんなに甘くないですから」
「へえ、ずいぶん謙遜するじゃないか――見上げたもんだよ」
宏の言葉を無視して、青年はつづける。
「ただ、誘拐する子供の年齢制限が狭いんですねえ、二歳から四歳ぐらいかな」
「どういうこと?」
宏は思わずたずねた。
「乳飲み子じゃ、お乳とかでお守りが大変ですね。五歳以上になったら、ちかごろのガキはテレビなんかで社会的な訓練を受けているので、顔なんかを覚えられる――だから、二歳から四歳」
そう言って、写真屋の青年は大笑いし、それから、けっこう真剣に、ため息をついた。
写真屋は坑内撮影の準備を終えた。
笑いながら写真屋と別れ、まだレールの敷かれていない新幹線のトンネルのなかを、下流の横坑との交差点に向かって戻りながら、木山宏は鉄製のズリ桟橋の撤去のことを思案していた。かねをかけて撤去したほうがいいのか、それとも、そのまま残して、桟橋の鉄材とも地元の土建会社に渡したほうが有利なのか、決定しかねていたのだ。これには、かね勘定の損得だけでは決めかねる要素があった。
桟橋の土地の所有者である地元の土建会社はそのまま残してほしいという。使うあてがあるらしい。ところが、その土建会社は地元の評判があまりよくないのだ。おかねに汚い、と地元の人は言う。地元におかねを落とさないらしい。第三者から見れば、堅実な会社ということだが。そこの社長と地元が喧嘩した場合――今までも何回も喧嘩している――桟橋を口実にして、トラブルの処理を、その社長・地元の両方から、木山の勤めている大和開発に持ちこまれる恐れがあるのだ。土建業では、手離れが悪い現場は、生理的に嫌われる。そこの現場所長の評価にもつながる。それでも木山の考えは、現状のまま地元の会社に渡すほうに傾いていた。
本坑から横坑へ折れながら、宏はまだ桟橋の撤去のことを反芻していた。そのときには既に、写真屋がけっこう真剣に喋っていたおとぎ話は頭の中からさっぱりと消えていた。
坑外の、初秋の紅葉の雰囲気が、なんとなくトンネルの中でも感じられる。まだ閉じられていない四・五キロほど上流の浦佐側坑口からゆっくりと流れ込んでくる空気の匂いのせいかもしれない。本格的な秋になり、トンネルの中の風向きが逆転する気候になってきていた。秋になれば――トンネルの中の温度が外気温よりも高くなれば――海抜が二十メートルほど高い上流の浦佐側坑口から、坑内で暖められた空気が流出し始める。自然換気の理屈はストーブと同じだ。煙が高い煙突に抜けるのは、外気よりもストーブの中の空気のほうが熱くて軽いからだ。もしストーブの中の空気のほうが外気よりも冷たければ、ストーブの中の冷気は下部の焚き口から流れ出て、高い煙突から外気が入ってくる。
山の方では、そろそろ初雪が舞うこともあるだろう。
下流の長岡側工区の現場から、電動ハンマーの甲高い金属音がとぎれとぎれに響いている。
約四・五キロのトンネルを三つの工区にわけて、三社が工事を請け負っていた。長岡側から、二千メートル・二千メートル・約五百メートルだ。上越新幹線の工事は、工区を分割して発注されるのが常態だった。共同企業体――ジョイント・ベンチャー――による発注方式が主流になるのは、それから数年あとのことだ。
このトンネルは、長岡側から浦佐側まで、完成すれば延長二十キロを超える長い一本のトンネルになるが、掘削工事中はあちらこちらの谷で短く地上に顔を出していた。これらの地上部分は、完成時にはコンクリートで覆われ、二十キロの長い一本のトンネルとなる。このあたりは日本有数の豪雪地帯で、雪害を避けるための必然の結果だった。
木山が勤務する大和開発が施工しているトンネルは三つの工区の真ん中だ。その工区のために、延長三百メートルの横坑と称する工事用トンネルが、下流の長岡側坑口からちょうど二千メートルの地点に、突き刺さるように貫通している。四千五百メートルの本線トンネルの脇腹に、三百メートルの小さいトンネルが斜めに突き刺さっている図を想像すればいい。これは四・五キロの連続しているトンネルを三社に別個に掘らせるためのトンネルだ。その横坑――つまり作業用トンネルの、会計検査に対する説明、釈明は、完成後の点検兼避難用トンネルとして必要、というのであるが、これは全くの詭弁だ。詭弁だということはもちろん施主側、つまり鉄道建設公団側はもちろん十分にわかっているし、検査側もいわゆるおとなの事情で気付かないふりをしているのかもしれない。
トンネルの中で車両が火災になった場合、複線・単線を問わず、トンネルを走り抜けよ、というのが鉄則なのだ。これは在来線でも同じだ。燃えている列車がトンネルの中で止まってしまえば、狭いトンネルは一瞬で黒煙で満たされ、歩いて脱出することは不可能なのだ。だから列車トンネルに待避トンネルは不要なのである。
この横坑は、認知されない妾腹の子みたいなものなのだ。多分、完成後は正式の書類上には残っていないだろう。保安上、残さないほうが望ましいものなのだ。
このトンネルを二社で施工すれば、上流側と下流側から掘り始めればいい。三百メートルの横坑トンネルなんか必要ないのである。
これらの不都合、不経済を解決するために、数年後から、官公側の発注形態はジョイント・ベンチャーになった。つまり、五千メートルのトンネルを四社に発注したいのなら、二社ずつのJVとして、上下から掘鑿すればいい。多くの会社に工事の機会を与えるというのは、官公側としては正義だし、だれも文句を付けないだろう。
四年をかけて掘削・覆工した、受け持ち工区の二千メートルの本線トンネルを、時速二百キロの新幹線は四十秒足らずで通過するのがなんとなく空しく思えた。土砂と割れ目の多い頁岩と押し寄せてくる土圧、たびたびの出水、湧水――トンネルの中で、それらと格闘した四年間はほんとうにつくづく長いと思う。
しかし今、このトンネルの土木工事はおおかた終わっていて、あとは、それぞれ専門の設備業者が施工する電気関係の工事と軌条の敷設工事が残っているだけだった。
宏の働いている中規模のゼネコンである大和開発が受け持っているトンネル工事もほとんど終わっていた。現在工事をしているのは、出水箇所の導水工事の手直しだけだ。地下水がある所では、十二メートルごとのコンクリートの打ち継ぎ目から、ところどころで水が漏れ出ていた。この漏水を点検用の通路の脇の排水溝まで導くのである。当時はまだ、コンクリートの巻き立ての裏に止水シートを張る工法は開発されていなかった。
宏の現在の主な仕事は、工事のために会社が借地した土地の返還に関することだった。そのいちばんの『難関』と考えていた火薬庫の借地返還の話し合いも、午前中に地主の老人と何とか折り合いがついたのである。
火薬庫は爆薬庫――ダイナマイトを保管する倉庫――とそれより一回り小型の雷管庫――電気雷管を保管する倉庫――の、独立した二棟から構成されている。
盗難に配慮して火薬庫は、すこぶる頑丈に作られていた。扉は外部に蝶番の露出しない構造で、三・二ミリ厚の鋼板で作ってあり、錠前が二個取り付けてある。外部はすべて一・六ミリ厚の、黒色の艶消しペイントで塗られた鋼板で覆われ、鋼板の下の松板の厚さまで火薬取締法で決められている。鋼板の色は上空からでも目立たなくするためだ。工事中は無線の警報装置も張り巡らされていたが、いまはもちろん撤去されている。
夜間はまったくひと気のない場所の、農機具や山で使う道具の保管倉庫としては、そういう意味で、火薬庫は最適だった。火薬庫のまわりを取り囲んでいる、高さ五メートルの爆風防止の土堤がいささかじゃまだが、これだって、大雨の時、増水した谷川の水が進入するのを防いでくれる。火薬庫は土手に守られたすり鉢の底にあるようなものなので、雨が降っても水が溜まらないように、土手には五インチの排水パイプが三本埋めてあって、そのパイプには、外部から水が浸入しないように逆流防止弁を付けているという芸の細かさだ。
畑と山との、ちょうど境に火薬庫はあった。そういう位置なら土堤の半分を省略できるので、作るのに経済的だ。山の斜面を掘り込み、その掘った土で手前の土堤を作ればいい。その山の所有者も、坑口の土地の所有者と同じ老人だったのだ。
そういう状況をすこし大げさに説明して、爆薬庫と雷管庫の二棟をそのまま残していくので、土堤の原状復帰――土堤の土を撤去して、わずかな元の畑に戻すこと――はしない方がいいのではないか、ということを説明し、気むずかしい小柄な老地主の合意を取り付けたのだ。それは、第三者から見ても、合理的な判断だと宏は考えていた。ウィンウィンの関係である。
新幹線本線のトンネルから、横坑トンネルを通り、外へ出た。
横坑は、その中にバッテリーカーや坑車など工事用車両を通すので、幅と高さが四メートルほどの、蒲鉾形をしていた。
秋の午後の陽がまぶしい。工事用のレールを取り払った坑口前の工事用地では、コンクリート舗装の継ぎ目に、すでに数株のススキが生いしげり、白い穂をつけていた。山側の蔓草も進入を伺っている。
坑口にとめていたマイカーの白いカローラで、山裾の事務所へ戻った。横坑口から資材置き場だった広場を横切り、工事用のゆるい坂道を下って農道に出て、県道370号まで二百メートルほどだ。坑口から越後滝谷駅の近くの工事事務所まで車で三四分ほどの距離である。
水色のプレファブの二階にある事務所の、ほこりっぽい広い室内に残っているのは、机ひとつと草色の電話器だけだった。元所長室に畳を敷き、寝室にしている。食事は三軒隣の『レストラン富士』を使っているが、契約しているわけではない。その都度現金払いである。『富士ラーメン』という名の中華そばと陽気な躁気味の主人が取り柄の店だ。
二棟の火薬庫――つまり爆薬庫と雷管庫、その土堤を残すことの念書を筆ペンで二通つくり、火薬庫の鍵の束を引出しからとりだして、地主の家にカローラで出向いた。車で五分ほどの県道わきの田んぼの中の集落だ。約束の時間は午後七時だった。自宅で夕飯を一緒に食おうと老人が言うのだ。火薬庫の鍵は予備があったはずなのだが、事務所を探しても見あたらなかった。とりあえず一組わたしておけば支障はない。もし聞かれたら、火薬庫に予備の鍵はつくらないということにしようと思う。
二十畳はあろうかという、農家の広い客間だった。夕食の席で酒が出て、老人は「月の沙漠」をア・カペラで、正座して歌った。奥さんも正座して、にこにこして聴いている。その聴き方があまりに自然なので、いつものことなのだろうと思った。案外うまい、と宏は意外だった。予備の鍵の話は出なかったので、嘘をつく必要もなく、宏はすこし気が楽になっていた。運転できる程度に宏は酔っ払った。久しぶりだった。
こういう『終戦処理』には、次期所長クラスの土木の担当職員が当たることがおおい。地元との付き合いかたに慣れさせるためである。地方の工業高校卒の、機械電気担当の木山宏がこの役目を任されたのは、それだけ、期待されているということのほかに、かれの人柄もおおいに利いていた。人当たりがいいのである。
『終戦処理』は公私を含めて対人関係がものをいう仕事なのだ。妥協の仕方を学ぶ場でもある。
もしかするとかれの容貌も、宏を選んだ所長の判断に影響を与えたに違いない。中肉中背、どこにでもまぎれ込め、しかも、相手に劣等感も憐憫の情も抱かせない程度の容貌――『三億円犯人』のモンタージュの顔なのだ。ある意味でサービス業である建設業の人間にとって、こういうことは、部外者が考えるよりも、重要なことだった。
その年の暮れ、中古で買った白のカローラを、ディーゼルで四輪駆動の同じタイプの新車――当時、五速が最高の選択だった――に買い換えたとき、もとの車のトランクのスペアタイヤのわきに、爆薬庫と雷管庫の予備の鍵の束が見つかった。鍵といっても、ちいさいモンキースパナほどの大きさの、厚さ三・二ミリの金属の板を鍵の形に削りだしたものだ。ずしりとしている。捨てようかと思ったが、材質がモリブデン鋼だと聞いていたので、刃物にでも加工できるかとおもい、廃油を塗ってプラスチックでくるみ、新車のトランクへ放り込んだ。
新車で買ったら九年で買い換えるのがたぶんもっとも経済的だが、宏は三十年は乗り続けるつもりだ。自動車修理工場を持つのが夢なので、そのための腕磨きと試験台にするためである。磨き上げた二十年もの、三十年ものの車はそれだけで、その工場の広告塔になるだろうと思うからだ。ディーゼルエンジンなら三十年は大丈夫だし、三十年乗り続けるためには、それ相応のメンテナンスは必要だろう。塗装の技術も必要だ。とりわけ、電装関係の知識の習得とその関連の腕も磨く必要がある。いずれにせよ、新車で買ったカローラはよい試験台だと思う。
マイカーを持っていない建設工事の現場職員は稀である。とりわけ土木の現場ではそうだ。
これは不文律だけれど、大和開発の現場に勤務していれば、マイカーの燃料費とオイル代は現場負担だ。つまり、タダである。マイカーの社用私用のこざかしい区別なんかしないかわりに、現場では通勤費に類することは一切支給しない。現場の連絡にも、現場の連絡車が混んでいる時には、マイカーを使う。そのかわりに、車はもちろん自費だし、税金や保険類も個人負担だ。そのうえ、自分の車を社用に使ったときでも、事故はすべて個人持ちである。会社も社員も、互いにこの条件で得したと思っているので、ながく続いている制度だった。
宏の新車のシートとマットは、専門業者に頼んで、すべて厚い透明のビニールで覆ってもらった。これは機電係員だけの特権だ。トランクの中も同じだ。もちろんそういう費用も会社持ち――正確には現場持ちである。現場の機電屋は、油や泥にまみれた部品や資材を自分の車に積まなければならないからだ。いくら気をつけても、いつの間にかシートやマットが油や泥で汚れてしまうのだ。
機電担当なので、車の維持管理はお手の物だ。将来の夢が自分の自動車修理工場を持つことなので、現場の車の修理はすすんで引き受けた。現場の社員の車も、部品代金は貰ったが、工賃はタダで修理した。一級小型自動車整備士の資格も、実務経験年数が満たされた年に、すぐに取得した。工高機械科卒なので、簡単に取ることができた。
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一九八二年(昭和五十七年)十一月十五日、上越新幹線の大宮・新潟間が暫定開業された。
* * *
現在は群馬県の山の中にある、東京電力が造っている揚水発電用導水路の現場である。坑口標高が千二百メートルだ。工期七年の長い現場だ。
年配の機械主任松川は定年で一旦退職して参与という肩書きになったが、実質はかれの上司だった。この主任からはまだまだ学ぶべきことが多かった。とりわけ部品や資材の納入業者との付き合い方と捌き方には正義と公正の筋が通っていて、見事だった。ただ、酒癖は悪かった。
「木山はおれの両腕だ」というのが主任の酔ったときの口癖だった。その口癖が出始めると、市販の睡眠薬を、気付かれないように、量に注意して、酒に混ぜて飲ませて、暴れ出さないようにして、宿舎に連れて帰り、寝かせてしまうのが、宏の重要な、もう一つの仕事だった。
八月十四日。
外はすっかり暗くなっている。
停めていた車の外に出てはじめて、いまも雨が降っているのに宏は気づいた。助手席の草色の作業服を取り、羽織った。
夏の盛りにふさわしくない霧のような雨だ。
県道3号沿いにあるスーパーの自動販売機で買った、睡眠薬と目覚ましをかねた背の高い缶ビールの酔いがまだ残っている。まだ頭がぼんやりしていた。
現場が止まっている盆休みの間にしかできないコンプレッサーの整備を、徹夜で今朝の八時頃までメーカーの技術者と二人でやっていたのだ。せっかくの盆休みをこれ以上つぶすのは嫌だったので――メーカーの技師ももちろん同じだった――徹夜して、なんとか終わらせてきたのである。
建設現場の機電担当の係員は、土木の係員と違って、職人の仕事もできなければ勤まらない。職人であることを求められる。人も使うが、自分も体を使わなければならないのだ。土木の職員が削岩機やスコップを握ることはないが、機電の職員は常時スパナは使うし、テスターや電気溶接機は使いこなさなければならない。下請けに機電担当者はいないのである。
三時間ほど現場の宿舎で仮眠をとってきたのだが、やはり途中、渋川を過ぎて大胡あたりで眠くなり、所沢のアパートに着くまで耐えられそうもないので、車のなかでしばらく眠っていくことにしたのだ。しばしばやっていることだし、躊躇してはならない決断だ。
それに今は、妻は出産準備のために、柏崎の実家に帰っているので、急いで所沢のアパートに戻る理由もない。柏崎の妻のところに行ってもいいのだが、妻を実家に返した一週間前、郵便物と新聞の配達を停める手続きをしていなかったので、とにかく、アパートに帰ることにしていた。
エンジンをかけたままにして弱くクーラーを利かせているのだが、それでも、首筋やすねがべとつくのは、この霧雨のせいだろう。
こういう場合、車の燃料は会社持ちとはいえ、ディーゼルは燃費を気にしなくていいので、気が楽なのだ。宏の一・五リットルのディーゼルは、信号機の少ない田舎道の長距離ならリッターあたり二十五キロは走る。低速からすぐターボが利くせいだ。高速自動車道では三十にもう少しで手が届く。燃料費は、同じクラスのガソリン車の半分以下である。ただ車の購入費が同じクラスのガソリン車に比べ十万円ほど高い。それでも宏がディーゼル車を選んだ理由は、水に強いからだ。土木の現場で車を使う場合、タイヤ半分ほどの水たまりを走る機会は結構多い。そういう時、高圧の電気を使用しているガソリン車は電気関係の故障が多発するのだ。ディーゼル車は高圧電気を使用していないので、比較的水に強い。それに、ディーゼルの特性上、エンジンが頑丈に作ってあり、ほとんど故障しないという何よりの長所がある。
目が覚めたのは腹痛に似た便意のせいだった。現場の水道の生水をうっかり飲んだのだ。そうすると、いつもこうなる。
宏が現在働いている現場は沼田市の山の奥だ。測量などで山に入るときは、腰に熊よけの鈴を付けなければならない環境だ。現場まで四キロほどの専用工事用道路があり、その入り口には検問所を置いて頑丈な遮断機を設置しているので、警察といえどもそこでいったん停められ、無線を使って報告が事務所に来る。そういう『浮き世離れした』現場なのだ。
宿舎の標高が千百メートルを少し超えている。そういうところなので、飲料水に谷川の水を使っている。もちろん砂で濾過し、目に見えない濁りは専用の薬品で取り除いているが、上流に人家はないし、登山者が通るような道もないので、装置はつけているのだが、塩素殺菌はしていない。もちろんこれは保健所には内緒だ。下請けの作業者を含め常時百五十人以上が使用している飲料水だから、設備は保健所に届け出ている。
飲料水の管理は事務担当の仕事である。塩素をけちっているのは事務屋がけちだからだ。たぶん、熊やカモシカなどの排泄物が混入しているのかもしれない。しかし、問題はそれほど単純ではない。飲んでも平気な者が大部分なのだ。上水に関し下請けからクレームが来たことはない。ここの生水を飲んだら下痢をするというのは職員だけで、宏を含めて三人なのだ。根拠にするには微妙な数だ――結局、放っておくか、ということになりそうだ。
三時間以上車で眠っていたことになる。盆休みが始まったばかりなので、もともと交通量の少ない大規模農道――スーパー農道――まで紛れ込んでくる車もいなかった。ときどき利用する道だから、そのあたりの事情はよく知っているし、それに最新の道路地図にもいまだ載っていない。そういうことで、普段でもゆっくり眠ることができる場所なのだ。
道の両側五十メートルほどは桑畑で、人の背丈ほどの桑の木が粗い生け垣を作っている。
激減はしたが、このあたりには、いまだに養蚕をしている農家があると聞いたことがあるので、そのための桑畑だろう。
すこし先の道路の左脇に、電柱に取りつけられている誘蛾灯が深い紫光を放っている。そのまわりには蛾やカナブンなどの大型の昆虫が、黒い点となって飛び回っている。
道路はアスファルト舗装でコンクリートの側溝を伴った立派なものだが、農道なので二車線ぎりぎりの幅しかない。両側にある無蓋の側溝は三十センチぐらいの幅だ。側線は引かれているが、センターラインはない。
この農道は国道50号と県道3号を結ぶ近道だが、通る車はかぎられている。利用するのはほとんどが地元の車だろう。
宏はエンジンを切って外に出た。
周囲を見渡して、近くに人影がないのを確かめ、それから草色の作業ズボンのベルトをゆるめながら左側の桑畑に入り、屈み込んだ。それほど便意が険しかった。
おおきい桑の葉から落ちてくる水滴が首筋をぬらす。それでなくても、はやばやと切り上げたい状況だった。
水様の便だった。足のしびれと引き替えに、腹痛も治まりかけて、やっと立ちあがろうとしたとき、虫のかすかな鳴き声をかき分けるようにして、足早の足音がかすかに聞こえてきた。あたりはそれほど静かだった。
若さがその足音から立ちのぼっていた。そういう小気味よい速さと軽さだった。足音はスニーカーではなくて、通学用の革靴のようだった。だからここまで聞こえたのだ。スニーカーなら、近くまで来なければ足音は聞こえないだろう。
(中学生か小学五、六年生だな……男じゃないな)
小さく舌打ちをして、とりあえずベルトだけは締めて、それから場所を少し変えて、ジッパーを上げてから、宏はまた腰を落とした。
この舞台装置で、ズボンをあげながら年頃前の娘と顔を合わせるのは、なんとしても具合が悪い。すこし前方に誘蛾灯の明かりがあるとはいえ、霧雨で夕闇という状況で、娘の前にいきなり現れたら、相手も驚くだろう。十中八九、痴漢と間違われる。
腰をおろしたまま、宏は足音を十メートルほどやり過ごした。もう宏の車を通りすぎただろう。車のエンジンは切っていたので、あたりはやたら静かである。
足音の少女は、二百メートルほど先に明かりが見える農家の娘だろうか、と思ったりしているうちに、あたりがわずかに明るくなり、車の音が聞こえてきた。こいつもディーゼル車だが、宏の車より排気量は大きいようだ。足音が聞こえて来たのと同じ方向である。
周囲に満ちていたかすかな虫の声が排気音に打ち消される。
かなりのスピードを出しているのがわかる排気音だ。対向車がいないと確信しているのだろう。
農道はこのあたりでゆるい曲線を描いていて、桑の木のせいで、見通しはあまりよくない。
(駐車位置が悪かったかな――)
宏は心配になってきた。エンジンを切ったときに、点滅灯を点けてこなかったのだ。
しかし、普通なら十分に避けられるはずだと思う。それに宏の車は白色だ。こういう状況を考えてそうしたわけではないが、『安全』を考えて白色を選んだのだ。路上で一番目につくのは白色だからである。夜間のヘッドライトの下では、白色の車なら、たとえ無灯火でも遠くから目につく。
近づいてきた車が、余裕を持って宏の車をかわしたと思った瞬間、鋭くタイヤが鳴き、鈍い、だが大きい音と短い悲鳴があたりを一瞬凝固させた。
宏は息が止まり、その場で一瞬身動きできなくなった。
われに返ると、ベルトを手で確かめて、宏は思わず立ち上がった。
宏のところから斜め二十メートルほど先に、黒か濃紺らしい大型のワンボックスカーが、前方を右に振って、斜めに止まって、道を塞いでいた。
エンジンが止まっている。ロービームのライトは点けたままだ。辛うじて側溝への脱輪は免れている。
車のすぐ後に人が倒れているのが尾灯の赤い光でわかる。車の左側だ。誘蛾灯の青い光に青く浮かび上がっている側溝のコンクリートの縁に、ジーンズの一方の足がかかっていた。
桑の高さがかれの首ほどまであった。
あたふたと男が運転席から飛び出て、車のうしろのほうに走って来た。若い男のあわてた動きだが、顔まではよく見えない。一人だった。
男の動作が一瞬止まり、それから、走って車に戻り、エンジンをかけて、もう一度タイヤを鳴らせて、走り出した。
後輪がおおきく振れる。
走り出す車の、右だけのライトがあたりの桑の葉に反射して、車の横腹に書かれている文字を一瞬照らしだした。
西山工務店、前橋市――。車のドアいっぱいに白色で書かれたゴシック体の社名が読み取れた。
宏は一瞬のうちにナンバープレートを読んだ。9369という覚えやすい数字だった。サブロクのカブだ。
ベルトをもう一度締め直しながら、側溝を飛び越えて、宏は道路に走りあがった。
草色の作業服の胸ポケットにいつも差している1・2ミリ芯のシャープペンシルで、作業着の袖に『西山9369』と書きつけながら、倒れている黒い人影に近づく。女の子で、前方の誘蛾灯に薄青く照らされた、飛び出しかけた両の眼球が、宏を恐怖に陥れた。頭を強打しているのだ。すでに明らかな死相だった。
宏は一瞬ひるみかけたが、頭をちいさく振って、すぐに気をとりなおした。
脚と上半身が不自然にねじれている。中学生くらいの、紺色らしい色の私服の女の子だった。ジーパンを穿いていた。
(かわいそうに――白っぽい服なら、撥ねられなかったかもしれない……)
宏は一瞬そう思った。この色合いの服装で後ろ姿なら闇に紛れて、ドライバーにはまず見えない。
一条の大きい黒い筋が、右の耳からほおを伝わっていた。
救急員の資格を会社から取らされている宏は、耳からの出血の意味を知っていた。
念のため、宏は目をつぶって、耳を少女の顔に近づけた。もちろん息はない。
屈み込んで胸に耳を当てる。まだ温かい胸に鼓動はなかった。念のため、手首を握ってみたが、脈があるはずもない。
頭を強打され、脊椎を折られて即死だろう。
すこし先に紺か黒の布製の手提げ鞄が落ちている。誘蛾灯の明かりでは、本当の色はわからない。
あたりに人影はない。もう虫が鳴き始めている。
そのとき宏は頭の中に響く、死んだ父親の声を聞いた。その瞬間、あたりを見まわしたほど、宏は明瞭に聞いた。
『ためらうな、やれ!』
もういちどあたりを見まわしたが、声の主がいるわけはなかった。
その声が空耳だとは、宏にはどうしても考えられなかった。
宏は決心していた。
「わかった、おやじ!」
小さく声を出して宏は応えた。
(これで復讐してやる――)
これが宏の頭を一瞬横切った考えだった。
何に対する復讐か――そんなややこしいことを考える余裕なんか今はない。とにかく、復讐だった。これで復讐できる、そう感じたのだ。目の前に、遙か水平線まで延びる一本の道が一瞬だが確かに見えたのだ。この道を突き進まなくてはならないと確信したのだ。
もちろん、前もって考えていた状況ではない。一瞬の躊躇の後の決心だった。だが意識のどこかで、こういう場面に遭遇することを考えたことがあるような気もしていた。運命の出会いというやつだ。一瞬に決心ができたのは、そのせいに違いないと思う。もしかすると、既視感のようなものを感じたかもしれないが、よくわからない。トンネルの中で若い写真屋と交わした『天国と地獄』についての会話も触媒の作用をしたかもしれない。
自分の出自を知ったときから、自分の人生は緩やかに破局に向かっているという気がしてならなかった。それに対して、負けてたまるか、という思いが強かった。そういう世間に対する復讐かもしれなかった。
目の前に立ちはだかる強大な壁に立ち向かうには、『復讐』という手段しかないと、いま確信したのだ。
生物の進化は、目の前に現れた状況を処理するのに、その場その場で最適と思われる判断、選択をした結果だとどこかで読んだことがある。それが正しいのなら、自分にとって正しい選択は、この道だと宏は確信した。一瞬だが確かに見えたこの道しかないと感じたのだ。
(おれの人生でリスクをとらなかったら、きっと後悔する)
同じことを言った妻の顔が、一瞬浮かんだ。彼女も何かに復讐しようとしたのだろうか? だが、今そんなことを考える余裕は宏にはなかった。
もう一度周囲に人影がないのを確かめて車に乗り込み、ゆっくりと少女の脇まで前進させて、宏は車のトランクを開けた。
まず両の手のひらで少女の目蓋を上から下に強くなぜて、眼球を押し込んで元の位置に戻し、目を閉じさせた。それから、抱擁するように少女の両脇に腕をいれて抱え、トランクへ上体から押し込む。
カローラはトランクの口が深く下にえぐってあるので、重いものをトランクに積むのに積みやすいのだ。カローラの設計者に、(やるじゃないか――)と心の中で拍手を送る。
まだ十分に残っている体温が挑発的に伝わってくる。
鞄を拾い、トランクに投げ込んで、閉める。
路面に散らばっている前照灯と黄色いウィンカーカバーの破片を、大きいものは急いで拾って作業服のポケットに入れ、小さいかけらは足で側溝へ蹴った。
路肩に落ちていた片方だけの黒い革靴は、助手席の座席の下に押し込んだ。
トランクの締まり具合を確かめて、宏は運転席に戻った。息が切れていた。
おおきく深呼吸を一回だけして、フォッグランプを点け、ゆっくりと発進させた。
誘蛾灯の明かりの外に出て、それから明かりがついている農家の前を十分にすぎたあたりで、ロービームも点ける。
バックミラーを見たが、車が来る様子はない。
安心した途端に、心臓の動悸が急激に高まり、ハンドルを持つ両手が小刻みにふるえだす。
少女の死体をトランクに押し込めるまでの自分の落ち着きが嘘のように、宏には感じられた。こういう類の恐怖は一足遅れてやってくるものらしい。
五百メートルほど先を、右から左に三両連結の電車が通りすぎた。乗客はほとんど乗っていないようだ。意外に線路と近いのだ。
左手のずっと先のほうに一軒だけのパチンコ屋のネオンサインと明かりが、煌々と暗闇に浮かんでいる。近くに建物がないので、わけもなく不夜城という言葉を連想させられた。小さい鎮守の森がいままでその光を遮っていたので、出現したときの印象も強かった。時間こそ違うが、ときどき通る道なので、あたりのおおよその位置は知っていたのだが、先ほどの現場とこのあたりがこれほど近いとはいままで気づかなかった。
わけもなく宏はぞっとした。
(雰囲気に流されるな!)
宏は心の中で叫んだ。
知で処理しろ、と自分を叱った。
農道を左に折れ、県道3号へ出る。
通りすがりにパチンコ屋の中へ素早く目を走らせたが、人の気配に異常はなかった。客は少ないようだった。
すでに宏の動悸はもとに戻りかけていた。度胸がいいのは自分でもわかっていた。
(落ち着いてやれば、絶対に大丈夫なのだ)
宏は自分に言い聞かせた。
県道3号はこのあたりでは上毛電鉄と並行して走り、やがて県道34号と大胡町の先で交差する。
県道34号は、大胡と渋川を結ぶ主要地方道である。赤城山の山麓を縫うように走っているその道は、周辺に工場がほとんどないせいで、夜ともなれば、車の通行量は激減する。それでも昼のうちは、土地の車や事情を知っている定期便が国道17号や国道50号の混乱を避けて入ってくるので、しばしば混むことがある。昼と夜との交通量の落差が大きい県道だった。
県道34号に入るまえに、宏は県道3号を右に逸れ、上毛電鉄の踏切を越えて、大胡の町に入る。
町をつらぬく通りの下り側に、かなり大きい雑貨屋があるのを宏は知っていた。切妻の庇にかかっている年代物の看板には、右書きに「……金物店」となっていたはずだ。かすかに金泥が残っていた。
昼遅く通ったときには、店は閉まっていなかったはずだ。昔からある古い町では、こういう金物店や雑貨屋が、工事現場で使う機材や、火薬やダイナマイトを取り扱っていることが多いので、宏にとって何となく親しみやすいところだった。地方では旧家や名家がやっていることが多いのだ。含み資産がなければやれない商売なのだろう。
店はまだ開いている。このあたりは七月の新盆で休むのだろうか。
道路からすこし引き込んだ店の前に車を止めた。
すこし雨脚が強くなってきている。本降りになればフォッグランプや前照灯の小さいかけらは路面から流されてしまうだろうと思うが、流されなくてもかまわない。
車を降り、さりげなくトランクまわりをチェックする。
血などのたれている形跡はない。トランクには座席と同様に厚手のビニールを敷き詰めているので、少々の出血なら、それが外に漏れることはないはずだ。
まばゆいばかりに明るい店先で、宏は吊してある剣先スコップを手にとって、奥行きの深い店の中に入った。ブルーシートもほしかったのだが、これはあきらめた。大きな物を包んで埋める、という連想を誘うことを恐れたのだ。
店番をしている少女は、トランクの少女と同じ年頃だった。短くカットした髪型も不思議に似ていた。この店の娘だろう。その歳ですでに旧家の娘の雰囲気を持っている。田舎町のいいところだけを体現しているようだった。
「領収書の宛名は、大町工務店ね――」
偽名の場合、『大(おお)』を付けると何の関連もない偽名が自然にできるという説をどこかで読んでいたことを思い出したのだ。これの本当の意味は、何でもいいから出だしを一つ決めておけ、と言うことだろう。
はいと返事を返した少女の字は、練習を積んだ嫌みのない達筆の行書だった。
宏の今の現場はJVなので、作業服の胸についている会社のマークは外してあった。JV工事が多くなってきたので、作業服の社名はワッペンで縫い付け、いつでも取り外せるようになっていた。それに社給の作業服はどこにでもある典型的な型の、草色だった。草色は、遠くからでも見分けがつくし、そのわりには汚れが目立たないという目的から選ればれたようだ。会社のケチとそういう類の合理性がこういうところで役に立つとは考えてもいなかった。
「へえー、字もきれいだね」
「も」を強く発音して、宏はにっこり笑った。
すこし間をおいて少女はぱっと表情を輝かせた。
「ありがとうございました!」
これもすこし間をおいて、車へ戻りかけている宏の背中に少女は元気のいい声をなげた。
宏は前を向いたまま、左手をあげて少女にこたえた。
だが宏は、自分の軽はずみを反省していた。かれのリップサービスで、少女は宏の印象を強めたはずだ。いまの宏は、こういうことは絶対に避けるべきことだった。領収書を貰うという気の利いた咄嗟の思いつきに、つい気をよくしていたのだ。
スコップを後部の座席に置いて、宏は車の前後をじゅうぶんに確かめ、発進させた。
こんなところで事故をおこしたら、拾った千載一遇の機会を逃すだけではすまないのだ。いま車で事故なんか起こせば、待っているのは地獄だけに違いない。
(知に動け!)
宏は自分に言い聞かせた。
(燦然たる日の光が、いま、おれに当たろうとしているのだ。失敗なんかしてたまるものか――『おしなべて我が青春は暗闇の嵐なりけり』なんてことはまっぴらだ)[註]
地方の古い町の面影を残している大胡町を抜け、ふたたび県道3号へ出て、そのすこし先で渋川へむかう県道34号へ曲がる。このあたりは、週に二度は現場とアパートの行き帰りに通っている道だ。
急に雨が強くなってきたかと思うと、すぐに元に戻る。
二三分走ると、畑の中にかまぼこ型のビニールハウスが遠い街灯の光に三列、雨に濡れて薄く光っていた。
道路脇に停車して、車を四駆にして、バックでその脇の、砂利の農道にゆっくりと車をいれ、停める。ライトを消す。
ダッシュボードの小物入れから、赤い柄の大型のカッターナイフを取りだした。近ごろ流行りの刃が折れるやつだ。
現場の機械係員なのだ。車には現場で必要な基本の工具一式はいつも積んでいた。
県道を小型トラックが渋川の方に通過する。
たとえ宏の車に気づいた者がいても、雨の中でわざわざ車を止め、降りて誰何する者はいないだろう。このあたりのビニールハウスのなかは、蔬菜なのだ。メロンやスイカなどの高級な農産物ではない。だから付近に見張り小屋なんかはない。このあたりを通る車なら、それくらいは知っているし気づいているだろう。運悪くパトカーにでも通りかかれたら「腹の調子が悪くて――」と答えるつもりだ。
ビニールハウスの入り口の、ビニールシートを下げただけの扉は開け放たれていた。室温調節のためだろう。念のために中をのぞいてみたが、もちろん人の気配はなかった。
宏は道路から二十メートルほど奥へ歩いた。
近づいている車がいないことを確かめて、宏はカッターの刃を短く出し、目の高さのビニールの壁を水平に二間ほど切り裂き、両端を下に切り下ろした。ビニールシートは遠くから見た感じよりも、厚手だった。
それをすばやく巻いて後部座席に押し込んだ。
また強くなった雨が、作業服をとおして肌をぬらしているが、気にしているゆとりはない。
ゆっくりと農道から県道へ出て、車がいないことを確かめて、ライトを点ける。
渋川のほうに五六分ほど走ると、生け垣に囲まれた町営のゴミ処理場が右手の奥の方に見えてきた。紙やプラスチックの焼却と生ゴミなどの埋め立てを同時に行っている処理場だった。最終処分場という施設は当時は存在しなかった。瓶や缶などの燃えないゴミは別の場所で処理しているはずだ。
焼却場に灯はともっていない。ときどき通る道なので、夜間は稼働していないことは知っていた。それにたぶん今は盆休みだろう。
県道から焼却場の入り口まで、五六百メートルはあるだろう。
宏はゴミ処理場に向かって県道を右に逸れ、フォッグランプにして進んだ。左手には、埋め立て地を隠すための夾竹桃の厚い生け垣がつづいている。
黒い鉄柵で囲まれた処理場の道へ左へ曲がる。専用の進入路は百メートルほどある。宏はライトを消した。黒い鉄の門が、焼却場の煙突の赤い航空警戒灯に光っている。
サイドブレーキをかけて、車を門の前につけた。このような状況では、ブレーキは絶対に踏んではならないのだ。辺りが暗いところでは、ストップランプの赤色灯はいちばん目立つからだ。
門はかんぬきだけで、施錠されていなかった。屋外に盗られるものがあるような場所ではなかったのだ。たとえ施錠してあっても、大型のカッターが車にあるし、シリンダー錠ぐらいなら、バールで簡単に壊すことができる。
形だけの鉄の門を開ける。耳をふさぎたくなるような音で門はきしんだ。
(油ぐらい、差しておけよ――)
宏は無言で、焼却場の担当者に愚痴た。
焼却場の奥の松林が黒い。右手は一面の野菜畑だ。
夾竹桃の生け垣のある、県道につながっている進入路の左はそこそこの谷になっていて、そこがゴミの埋め立て地だ。かすかな異臭が漂ってきている。谷の排水は県道に埋め込まれた大口径のヒューム管を通って下流に抜けているようだ。谷の三分の二ほどはすでに埋め立てられていた。週二回は通る道なので、だいたいの様子はわかるのだ。
五十メートルほどで、焼却場の建物に着いた。どの入り口にも、大きな幅広のシャッターがおりている。ライトグリーンの地に草花が描いてある。
進入路からの人目が届かない、焼却炉の高い煙突の脇に車を止めて、車を降りた。煙突にも野の花が描いてある。
目が慣れてくると、煙突の高いところに取り付けられているヘリコプター用の航空障害灯の点滅する赤い光で、あたりのだいたいの様相が一層はっきりと見てとれた。
周囲は平坦に均した小さい広場になっている。焼却場の裏の、低い山肌が削られているのが、夜目にも見える。
生ゴミは、県道のほうに伸びている谷に埋められ、その表面は裏山の赤土で覆われているのだろう。
煙突の脇から広場の端まで宏は歩いた。五十メートルほどだろう。
そこでは赤土の下から、ビニール袋に包まれた腐臭のする野菜屑や残飯、正体の見分けられない汚物が、夜目にかすかに見える。
そのあたりの被覆土の固さを確かめた。
ギアを一速に入れて、広場の端のほうまでゆっくりと用心して車を進める。四輪駆動なので、こういう場合は心強い。停めるときはもちろんサイドブレーキだ。
表土はけっこう締め固められていて、雨にもかかわらず、タイヤはほとんど沈む気配がない。埋め立ての端あたりで、ゆっくりと車の方向転換をする。
運転席で社給の紺色の軍手をはめ、外に出る。
先ほどよりは小降りになっているが、まだ本降りのうちだ。
買ってきた剣先スコップを地面に突き立ててみた。かすかな弾性の手応えが柄に伝わってくる。被せた赤土の厚さは三十センチほどのはずだ。同様の処理場の工事現場を知っていたのだ。その下は腐敗の進行しつつある塵芥である。腐敗で発生する大量のメタンガスを放出するため、百ミリ径ほどの鉄パイプが数本、不揃いな長さで、オブジェの生け花のように突き刺さっているのが、遠い街灯をかすかに反射して、見分けられる。
車の脇の被覆土を宏は掘りはじめた。進入路からの視界を車体が遮っていた。
案の定地面は赤土なので、それほど固くない。三十センチほど掘るとスコップの先に当たるものがやわらかくなり、強い臭気が鼻を打ち、涙が出る。それでも、吐き気は何とか押さえることができた。
小一時間で胸の深さの穴ができた。そのころには、臭気にも慣れていた。嗅覚はいちばん早く馴れることができる感覚かもしれないと思う。
ときどき県道を通る車のライトが、夾竹桃の生け垣の向こうでかすかに点滅する。
穴から這い上がり、体に付着した正体不明のさまざまな汚物をすばやく払う。
いつの間にか雨はやんでいる。裏山の松林のかすかなざわめきと遠い虫の低い合唱音が聞こえるばかりだ。
ビニールハウスから切り取ってきたシートを車の後ろに敷いた。
少女の体は思ったよりもずっしりと重かった。すでに体温はかなり失われていた。それはまちがいなく一個の物体になっていた。周囲の暗さのせいで、少女の顔が、輪郭しか見えないのがいちばんありがたかった。
あたりの暗さのせいで宏は落ち着くことができた。
少女の死体をシートの上に丁寧に寝かせ、折りたたんで包み込み、粘着テープでとめる。粘着テープは道具箱の常備品だ。
半透明のシートをとおして、顔の白い輪郭だけが闇にかすかに浮かんでいる。
短い合掌をして、一礼する。
死体をビニールシートで包む必要はないのだが、宏は、死体をゴミの中にそのままで埋める気にはどうしてもなれなかったのだ。死体を包むシートは絶対に必要なものだった。それを手に入れるために、小さい危険を冒すだけの必要が、宏にはあった。
ゆっくりと包みを穴へすべり込ませる。いい具合に底に落ち着いた。
穴の上からもういちど合掌し、それから埋め戻しにかかる。それはすぐにすんだ。
跡を丁寧に踏みかためる。人の足で踏み固めるのは、ブルドーザーで踏み固めるのと同じかそれ以上の効果があることを宏は知っていた。簡単な計算ですぐにわかる話なのだ。戦国時代、築城するときはその位置に盛り土して、しばらくの間そのうえで市を開かせたのはそのためだ。
もともと埋め立てたばかりのところだ。少しぐらいの変状に気づく者はいないだろう。たとえ気づいたところで、その下を調べるために、強烈な臭気にたえつつ、ちょっと掘ってみようとする物好きは、警察以外にはいない。警察だってサラリーマンと階級社会の縮図だ。処理場から異常の連絡が来なければ、こういうところには、近づきたくないだろう
車の非常用ライトを軍手の中にいれて光度をおとし、車のまわりを見て回った。落とし物でもあればあとがめんどうである。こういうところに、何はさておき、少女の痕跡だけは絶対に残してはならないのだ。
異常はない。車の中の片方の革靴は、どこか途中で捨てればよい。
車をそこに置いたままで、スコップとライトを持って建物のほうに走る。五十メートルほどだ。
長いホースのついた水道の蛇口はすぐにわかった。ゴミ収集車を洗うためのものだ。
まずスコップを洗い、紺の軍手と非常用ライトを洗う。スコップは現場に持って帰り、現場の倉庫に入れておくつもりだ。現場で使っている『タイガー印』と同じなのだ。
作業服をつけたままホースで頭から水をかぶった。それから作業服を脱いで軽くゆすぎ、作業シャツの上からもう一度水をかぶった。これでほとんど臭気は取れたと思う。
さすがに冷たいが、それよりも皮を剥ぐように臭気が落ちてゆく快感のほうがはるかに心地よかった。
ベルトをゆるめ、作業ズボンのなかにも水をそそぐ。
犬のように体を振って水を切った。それから、顔と頭だけは拭こうと思い、いつも腰に下げているタオルを手探ったが、タオルはなかった。いつものように確かに腰のベルトに挟んでいたはずだ。
まわりを見渡したが、落ちていない。白いタオルなので落ちていたらすぐわかるはずだった。水道の近くにも見当たらない。
落としたとすれば、ズボンをさげて屈んだあの桑畑だ。あのタオルには『安全第一』という緑色の文字とともに同色で社名が染めてあるはずだった。腰に下げていたタオルは現場で催し物などの時に配る『安全タオル』だった。
(戻るべきか……)
一瞬の逡巡ののち、戻ってはならない、と宏は自分自身に言い聞かせた。
そのタオルと少女の失踪を関連づけるものは何もないのだ。万一そのタオルで身元が割れ、調べられたら、死体と事故のことを除き、ほんとうのことを言えばいい。事故が起こる前に現場を去ったということで押し通せばいい。五分や十分間の特定など不可能だ。それに、もうすでに現場に警察が来ているかも知れない。『犯人』は絶対に現場に戻ってはならないのだ。宏は自分に言い聞かせた。
疑いを振り払うように、走って車へ走って戻った。もう一度埋めたあとを点検し、車輪の跡を目立たなくするために、広場をゆっくりと走り回り、入り口へ向かう。それから、ゆっくりと門を出る。
入り口の門の外に車を出し、ほかの車が来ていないことを確かめ、フォッグライトを点けて低速で側道を戻り、県道へ出た。
県道を四五分走ったところの県道脇の売店のある駐車場で車を停め、公衆電話で現場の留守番に連絡した。盆正月の現場の留守番は、独身の一番若い社員の役目だ。社用も、もちろん私用も着信はなかった。盆休み中なのである。留守番には、ちょっと取るつもりの二度目の仮眠が長引いたと言った。
車の時計がちょうど十時を示していた。はじめてこの時、宏は時間を見る余裕を持った。雨はやんでいた。
エアコンの温度を高めにし、風量を最大にセットして、作業服の上着は脱いで後部座席に広げ、宏は車を発進させた。渋川までこの県道を戻り、そこから国道17号を通って所沢まで帰ることにしたのだ。帰省する車で下り車線は混んでいるが、上り車線はまだ比較的空いていた。業種によっては盆休みが終わるころなのだ。
クーラーの除湿効果のせいで、シャツや作業服のズボンから大量の水分が蒸発していくのがじつに心地よい。
あらかた水分が取れたところで、国道にあるパーキングエリアへ車をいれた。渋川市の外れだった。下り線のパーキングは混んでいるが、上り線は普通と同じ混みようだった。
少女の鞄をトランクの隠し物入れに移し、片方の靴は、車にいつも備えている黒のゴミ袋に入れて、ゴミ箱へ捨てた。
パーキング入り口にある時計が午後十一時になろうとしている。
喉が渇いていた。パーキングの自動販売機のお茶を飲むために建物の中に入った。
食堂から流れてくるうどんの匂いで、宏はこのとき自分の空腹にはじめて気づいた。いつものように、わかめうどんに卵をおとしたものを注文した。ベージュ色の作業下着の湿気はまだ残っているが、外から見た限りでは、普段と変わらない。
食堂から車に戻り、運転席のシートにすわり、エンジンをかけると、クーラーが効き始める。はじめてほっとした気分になって、ラジオをつける。
切れのいいピアノだけの伴奏とともに、『ジェリコの戦い』が流れてきた。FMの濁りのない音だ。歌っているのはまちがいなくマヘリア・ジャクソンだ。『真夏の夜の夢』という古い記録映画で彼女の歌に『一目惚れ』したのだ。そのときトリの彼女が歌っていたのは『主の祈り』だった。文字どおり、圧巻だった。英語なんかわかるわけがない。とりわけこれはゴスペルソングだ。キリスト教の素養なんかあるわけないから、日本語に訳してもらってもわからないだろう。それでも彼女の歌は宏に訴えかけてきたのだ。
『ジェリコの戦い』との遭遇に幸福な気分になって、宏はゆっくりと国道17号の上り本線に合流する。
FMではマヘリア・ジャクソン特集をやっているらしい。左手でハンドルを叩きながら、宏は身体でリズムに乗った。
[註]
燦然たる日の光/ここかしこ漏れ落ちたれど/おしなべてわが青春は/暗闇の嵐なりけり
【右の詩の作者(訳者)が筆者にはわかりません。三島由紀夫の随筆の中で読んだような気がします。原詩はボードレールの左記の詩だと思います。】
詩集「悪の華」から「敵」 (壺齋散人訳)
「敵」
我が青春は陰惨なる嵐に似たり/時に一筋の光明なきにあらずも/すさまじき雷雨吹き荒れ/ひとつの果実とて実を結ぶことなし
〈四〉段取り
所沢のアパートに帰り着いた時には、午前三時になっていた。建物はプレファブ・コンクリートの三階建てで、雑木林の中に一棟だけ建っている、個人所有の賃貸アパートだった。全部で十二室あるが、一階の二室は空き家である。会社からは何の補助もないが、借りるときは保証人になってくれた。それにどういうわけか、引っ越しの費用だけは理由の如何を問わず会社が払った。
現場から比較的遠い所沢を住居に選んだのは、佳奈の強い要望があったからだ。若いときに、東京の近くに一度は住んでみたいというのだ。その気になれば、いつでも銀座に行けるところに住んでみたいそうだ。そういう気持ちは宏にはなんとなくわかった。ただ、二人で銀座に出かけたことは、まだない。
閉め切った部屋の空気は、昼間の熱気を吸って昼の暑さの名残りをたっぷりと残している。
佳奈は出産のために柏崎の実家に帰っていた。出産予定日は十一月の中旬だそうだ。女の子だとうれしそうに言っていた。
居間――といっても、ダイニングキッチンと居間しかないのだが、そこのクーラーのスイッチを入れ、キッチンと居間の間の引き戸を開ける。温度は二十八度に設定されているのを確認する。
身につけているものをすべて青いポリバケツに入れ、洗剤と水を入れて二三回かき混ぜて、これは明日の朝まで放置だ。洗濯機を回すのは朝になってからだ。夜間の騒音を押さえる意味もあるが、こうすると汚れの落ちがいいのだ。現場ではいつもそうしていた。
それから、シャワーをあびる。
パンツだけで部屋に戻ると、冷気が気持ちよく肌を刺す。
冷蔵庫から氷とポッカレモンの瓶を取り出す。安物の分厚いコップに半分だけ焼酎を注ぎ、氷で一杯にしてレモンの汁で白く濁らせた。手のひらについたレモン汁は、首筋に擦りこんだ。
五六回かるくコップを回し、氷を残して半分ほどを一気に喉に流しこむ。
喉から胃へ酸っぱい生気がゆっくりと落ちていく。
残った氷へもう一度レモン汁をそそぎ、焼酎で満たして、クーラーの利き始めている居間へ移る。
カローラのトランクから持ってきた少女の濃紺の手提げ鞄の中身を座卓の上にひろげる。
英語と数学の教科書、ノートが四冊、それに宏が名前を知らない少女のキャラクターのついた金属製の筆入れだ。学習塾の帰りらしい。
鞄のなかを見ると、小さい内ポケットがあり、そこにビニールのケースに入った学習塾の身分証明書があった。赤白のまだらの紐で鞄と結んである。
少女は春田京子といい、中学二年だった――眼球の飛び出しかかった死に顔と、温かみの残っている体の柔らかさが鮮明に甦った。
おもわず宏は眉をひそめた。
レモンの匂いの強いアルコールを一口飲んで、頭を左右に強く振った。
少女の筆入れを開ける。
クロスの〇・五ミリのシャープペンシル、どこにでも売っている四色のボールペン、黄色い蛍光色のマーカー、普通の消しゴム、短い赤鉛筆とユニの2Bの鉛筆、ドイツ製の小さい鉛筆削り。それに特に目を引いたのが、オノトの万年筆だ。開けてみるとカートリッジ式で、半分以上インクが残っている。そのほかに余分なものは何も入っていない。
筆入れのなかは、この年頃の娘の持ち物にしては、かなり凝っている。親か歳の離れているきょうだいが買い与えたものだろう。気配りの利いた、豊かな家庭で育った様子がしのばれる文具だった。その程度のことは宏にも推測がつく――それが正しいかどうかはわからないが。
ノートの表紙、教科書の裏表紙の裏には万年筆で少女の署名があった。右上がりの癖の強い字体だ。訓練した字ではない。調べてみると、すべての本とノートに同じ署名があった。『田』の筆順も標準とは違う。ふつうなら三画目は縦棒だが、それが四画目になっていた。つまり三画目は最初の横棒になっている。
(これは使える――)
宏は確信し、運が向いてきたと思った。
サインの真似は比較的たやすいという話を本で読んだことがあるからだ。しかし、日本人にはサインは印鑑と同じで真似はほとんど不可能だという思い込みが強い。
そのサインが、日本ではほとんど出回っていないオノトのインクでされていたと判明すれば、署名の真偽はまず疑われないだろう。脅迫状のインクの化学分析などはたやすいことなのだ。もっとも、それが日本製のふつうのインクでもサインの筆跡さえ一致していればいいわけだが。
テレビの上のデジタルの置き時計はちょうど午前四時を示している。
今夜はこれまでだ。明日――正確には今日だけれど、明日からは忙しくなるのだ。
盆休みは今日から五日間しかない。その五日間の間にかたを付けなければならないのだ。後悔やためらいはこれから数日間は遠ざけていなければならない。賽はすでに自分で投げたのだ。これから必要なのは細心の注意力と頭の冴えと、それから体力だ。
現在でも出稼ぎの労働力に頼っている土木工事の現場では、盆正月の実際の休暇は短くて十日、普通は二週間で、十日は短い部類に入る。ただ仕事はしていなくても、施主、支店、本社とのかねあいで、職員は一週間ほどしか休めない。
コップに半分残っている焼酎を一口であけ、小さくなった氷のかけらが隠れるくらいまで焼酎を入れて、氷だけを残して飲みほした。宏は酒はあまり強くない。これだけ飲むと、いつ倒れてもおかしくない状況なのだ。とにかく今は眠らなければならない。体力を回復しなければならない。
酔いがまわる前に敷き布団を押入から引き出し、クーラーを切ってシャツをつけ、布団に文字どおり倒れ込んだ。
忘れていた疲労が、全身にのし掛かってくる。
(もしおれがこの事故に出会わなかったら、何事もなく、一生を終えたのだろうか? あるいは、どこかの時点で、おれの人生は破綻するのだろうか――とにかく、負けてたまるか!)
疲れを半ば楽しみながら、宏は考えた。
(自分の一生は自分で決める。絶対にうまくやり遂げてやる――たまたま事故に出くわしたから脅迫者になろうとしているのではなくて、いつか脅迫者になろうと思っていた者のところへ、事故が歩み寄っていったのではないか――)
酔いと眠りのなかに引き込まれ、考えをかき混ぜられながら、たぶんそうだろう、と宏は投げやりな気分で、そう思った。
〈五〉捜索依頼、報道自粛
春田京子の家は、畑のなかの農道の十字路にある消防署からさらに〇・五キロほど先にあった。広い庭と大きな松の木が目印の、りっぱな瓦葺きの寄せ棟造り平屋の広い日本家屋だった。新しくはない。
家と塾との間の、軽自動車での送り迎えは、家を継いでいるいちばん上の兄か父親がしていた。彼女の家には自動車が三台あり、町内での使用は、軽と決まっていた。普段は塾が終わると娘が塾の公衆電話から電話して、塾から五分ほど先にある、人通りのおおい商店街のバス停で待ち合わせることにしていた。そこにはバスの待合室があり、大抵人影があったたからだ。
講師たちの熱意のせいで、塾の終業時間は一定していなかったのだ。ほとんど、予定よりも十五分以上遅れるのである。
たまたまその日は、盆の準備に家の者はみんな時間を取られ、電話を受けた兄は迎えに行くのを忘れていた。春田京子の家はいわゆる本家なので盆には親類縁者の来客が多く、その受け入れ準備がたいへんだったのだ。
「今、バス停、ゆっくり歩いて帰っているから、迎えに来て――傘は持っている――」というのが、バス停の公衆電話からの迎えの催促の電話だった。家では、盆の準備で忙しいのを知っているので、遠慮がちだった。
催促の電話を受けてすぐに『軽』で家を出た兄は、しかし、途中で娘に出会うことができなかった。兄はその足で大胡の塾まで行き、塾の先生から娘がおおむね十五分遅れの『定時』に塾を出たことを告げられた。受けた電話の時間もそれを裏付けていた。
(別の道を帰っているのかもしれない)
兄は行きとルートを変えて帰宅したが、やはり妹と会わなかったし、帰ってもいなかった。
午後十時になっても帰らなかった。こういうことは、もちろん、いままで一度もなかった。
午後十一時まえに父親は大胡警察署に相談に行った。行く前に前もって警察署長に電話を入れた。日頃、地域のボランティアで、懇意にしていたのだ。校区の防犯懇談会の委員長もしているし、元教育委員だし、何より地元の有力者だった。
署長が対応した。午後十一時にとりあえず署長は前橋市の群馬県警本部に一報を入れた。県警本部は、とりあえず十二時まで待って、それから本式に捜索依頼を受け付けた。県警本部はすぐに新聞記者たちに報道自粛を申し出た。春田家がこのあたり一帯の元庄屋の資産家で、身代金目当ての営利略取の可能性がおおいに考えられたからだ。
大胡署の四人の警察官はただちに動き始めていた。二人は逆探知の連絡をNTTと取り、春田家に張り付いた。残りの二人の刑事は、塾の職員、先生から話を聞いたが、何も得るものはなかった。ただ、他言しないことだけは強く要請した。
その日、娘はとうとう帰らなかった。消息はどこにもなかった。
両親と兄は、一晩で憔悴しきった。妹からの迎え依頼の電話を忘れていた歳の離れた兄は、とりわけ打ちひしがれていた。
〈六〉脅迫状
翌朝は暑さで目が覚めた。眠ろうとしてクーラーを停めたとき、窓を開けるのを忘れていたのだ。八時になっている。
急いで、キッチンとベランダの引き戸を開け放った。
冷蔵庫を開けたが、なかにあるのは半箱ほどのチーズと堅くなった食パン四枚、それに十本ほどの缶ビールだけだった。
チーズの残りを半分ほどちぎり取り、食パンを取りだした。
水道の水でインスタントコーヒーを溶き、製氷室から氷を取り出して一掴み入れて冷たくし、それに堅くなったパンを浸して、口に入れる。パンでもビスケットでも、堅いものはコーヒーかミルクに浸して食べるのが好きなのだ。待ち時間を節約できるせいもある。
階下の新聞受けにあふれている新聞を取ってきて、今日の朝刊を取りだし――妻を親元に帰したとき、新聞の一時配達停止を依頼するのを忘れていたのだ――ダイニングの食卓に広げる。
予想どおり、少女のことは載っていなかった。群馬版にも間違いなく載っていないだろう。
真っ黒になるほどに濃くて冷たいインスタントコーヒーを大ぶりのカップで二杯のみ、その間にジーパンに着替え、深い緑色のポロシャツを着た。それから回転式の電気カミソリでひげを剃る。ひげを剃りながら、電話機のところの壁に貼ってある新聞配達所の電話番号を確かめ、八月二十日から来年二月末までの配達停止を頼んだ。事情を説明すると、新聞販売店はすぐに納得し、帰った来たらまた継続して取ってほしいと言うので、承知した。今後、夕刊は不要なことはそのとき念を押しておいた。
アパートのまわりにはまだ武蔵野の面影を残す木立が残っていた。
車はアパートの前の木立ちの間に停めていた。半ば指定の位置だ。正確には市有地らしいが、アパートを借りた時、不動産屋が、そこならだれも文句は言わない、と教えてくれたのだ。その代わり、市の職員あたりから文句を言われたら、適当に移動するという条件付きだ。移動先は不動産屋が面倒見るそうだ。すぐ近くに同様の空き地があるのだという。武蔵野の国有林・市有林はまだのんびりした管理だった。
白いカローラで家を出たときには十時になっていた。途中、新所沢の郵便局に寄り、十二月二十八日までの不在時の処理を相談したら、局は三十日間しか預かることができないので、帰宅したときに受けとりに来て、その都度、不在届けを出す方法を勧められ、そうすることにした。
新所沢インターから関越道に乗り、首都高に入って八重洲まで行き、地下駐車場に車を入れた。
まず最初に、地下駐車場に近い丸善へ行って、事務用品の売り場で安いプロジェクターを探した。
紙に書いたものがそのまま投影できるタイプがほしいのだ。会議などで使用する本式のプロジェクターでもいいのだが、用途を考えると、あまりに高価すぎる。宏は自分の要望を年配の女性の店員に伝えた。
「たぶんデパートの文具かおもちゃ売り場ではないでしょうか――もし適当なものがなかったら、本格的なもののレンタルを探されるのがいいと思います。文房具の専門店でやっているはずです」
宏の要望を聞いた女性店員は親切だった。老舗の伝統を思い知らされる商品の知識と親切さだった。
きちんと礼を言って丸善を出た。
手頃な値段の小型のプロジェクターはすぐ目の前の高島屋の文具売り場にあった。家庭で写真を壁などに投影し、拡大して見たいときに使うものらしい。フィンランド製だった。おぼろげな記憶ではフィンランドや北欧の常用電圧は二百二十ボルトだったはずなので、百ボルトで使えるか聞いたら、輸入したときに日本仕様にしてあるから大丈夫だという。ついでにそこで、ありきたりの茶封筒も買った。メーカーのマークなどは何も印刷してない、ごくふつうの安価な茶封筒だ。
それらを地下駐車場に停めている車のトランクに一旦しまい、それから地下街との出入り口にある地下の休憩所に向かう。
一時預けのコインロッカーと樹脂製の白い椅子があり、掃除も行き届いている。飲料水の自動販売機が二台並んでいた。
制服を着た、ジュースを飲んでいた年配の二人の女性が出て行ってから、宏は、入り口近くの公衆電話台に行き、職業別電話帳をめくる。
衆議院議員会館の電話番号がほしいのだ。宏は家に電話を引いているが、家の電話帳は埼玉県のものだ。それに議員会館の電話番号を調べるのに、家の電話器を使うのはこの場合おおいにまずい。
それはすぐに見つかった。あたりに人影がないのを確かめて、その黄色いページを破りとり、ズボンのポケットに入れた。
休憩所から駐車場までの間に、このあたりの従業員用らしい、小さな売店があった。そこでシュガーレスのチューインガムを一箱買った。二十枚入っている。その一つをとりだし、三枚一緒に口に入れる。すこし大きめの飴玉ほどだ。
慎重な運転で、八重洲出入口から外へ出る。真夏の真昼の熱気が車に押し寄せているはずだ。ちかごろ顕著なヒートアイランド現象のせいで、外気は四十度を超えているだろう。
慎重な運転で大手町のほうに出て、街頭の電話ボックスを探した。
盆休みなので、街は撮影が済んだセットのように、人影がない。昼休みがおわったばかりのせいもある。
濃く茂った街路樹の陰に電話ボックスがあった。レトロ風なデザインだ。歩道の向こうは古い赤煉瓦の建物である。日本にもこんな風景があったのかと宏は意味もなく感心した。
その電話ボックスのよこに車を停め、エンジンを切って、ボックスに入る。送話器を通してディーゼルのエンジン音を聞かれないためだ。なかの温度は四十度を超えているような感じだ。扉は開けておきたいのだが、念のため閉める。
破り取ってきた黄色いページを見ながら、宏はゆっくりと数字のボタンを押す。電話先は群馬県の有力衆議院議員だ。大胡町あたりが選挙区で、大臣候補程度なら誰でもよかった。とりあえずすぐ頭に浮かんだのが、大物の大田原代議士だ。警察官僚上がりだが、選択の余地はなかった。この場合、『陣笠』は不適格なのだ。もしかすると、大胡町は選挙区ではないかもしれないが、群馬県内ならそれでもかまわないだろう。
胸の動悸が激しくなる。
年内に衆議院の解散は必至ということなので、秘書の一人ぐらいは議員会館の事務所に留守番をしているはずなのだ。もしそこに不在なら、前橋市の選挙事務所に電話すればいい。そうしなかったのは、犯人の所在地が北関東周辺だということをぼかしたいためだ。
「大田原の事務所です」
ぶっきらぼうな男の声だ。本気で他人に頭を下げたことがない種類の人間の声だった。
「わたし、群馬のオオサワと申します。ちょっと大田原先生の関係者の方のお耳にいれておいた方がいいと思うことがございまして……」
案外すらすらと喋ることができた。思わずにやりと笑ってしまった。
「わたし大田原の秘書ですが、どなた様のご紹介で?」
口の利き方が横柄だった。もしかすると、横柄でなければつとまらない職業なのかもしれない。
「紹介状はありませんが、こんどの選挙に大いに関係があると思いますし、それに、そのあとの総裁公選にも……」
「群馬町のオオサワ様ですね」
全部を言わないうちに秘書は電話を受けた。
予想どおりに『選挙』と『総裁選』が利いたのだ。かれほどの大物でも、選挙ともなると不安なのだろうか?
それに群馬と言ったのに、相手はそれを大田原の出身地である群馬町と思いこんだようだ。いっそう好都合というものだ。
「そうです。重大なことをお伝えしますので、よろしくお伝え願い、慎重に対処していただいたほうがよろしいかと思います」
宏はいっそう丁寧に喋った。
受話器の向こうから、かすかに構える気配が感じられる。
口の中のチューインガムが少しは声を変えているはずだ。
「わたしはハルタ・キョウコという少女を誘拐しています。少女の住所は大胡町です。その身代金を大田原先生に支払っていただきたい。もし拒絶されるようでしたら、そのことを新聞社や雑誌社に知らせます。もちろんその場合、娘さんの命はないと考えてください。娘さんのことについては、地元の警察にお問い合わせいただくとわかるはずです」
「もしもし!」
咳き込むように秘書は叫んだ。
「もしわたしの要求を拒否されるようなことがあれば、大田原先生はマスコミから叩かれ、総理にはなれないでしょうね。今回の総裁公選は激戦だそうですからね。こんど負けるようなことがあると、年齢からいっても、先生は総理にはなれないでしょう――誘拐した少女の名前はハルタ・キョウコ、詳しいことは手紙で連絡します。手紙の宛先は前橋市の先生の連絡事務所にします」
一気に宏は喋った。
何か叫びかけようとする気配を無視して、受話器を置いた。
案ずるよりは産むがやすし、だった。何しろこういう本格的な脅迫ははじめての経験なのだから、勝手がつかめないことおびただしいのだ。大田原の前橋の連絡事務所は、週二回の通勤の行き来のときにその前を通るので、住所はよく知っていた。事務所の看板に番地まで書いてあった。本事務所は高崎市にあるようだが、実質は前橋市の連絡事務所が本事務所だと新聞か週刊誌に書いてあった。
今後、大田原の議員会館事務所と前橋の本事務所にかける電話はすべて逆探知されるはずだ。電話がデジタル化されて、逆探知も簡単になった。警察が通信事業者に要請すれば、交換記録が残っているので、発信機の位置はすぐわかる。逆探知の時間は、警察とNTTとの連絡時間で決まってしまう。あらかじめ、脅迫されている者と警察とNTTが連携していれば、警官が発信者の電話機まで到達するのは、公衆電話の場合でも、だいたい二分だと言われている。110番や119番に電話すると、その電話機の番号が担当のディスプレイに映し出されるのは、その応用である。
あたりに気を配りながら受話器の指紋を慎重にハンカチで消して、宏はその公衆電話を離れた。この公衆電話が確定されるには、しばらく時間が必要だろう。
帰りにアパートの近くのちいさいスーパーマーケットで三日分ほどの食料、つまりインスタントラーメンやカップ麺を買った。同時に、透明な使い捨ての炊事用手袋も五組買った。それから、その横の金物店に寄り、透明ラッカーのスプレーを一缶、三メートルの延長コードを一つ買う。
所沢のアパートに戻ったのは、午後二時頃だった。いちばん暑い時間帯だ。
居間のクーラーをつける。
シャワーを使って出てくると、部屋の温度は肌に心地よいほどになっていた。
昨日の疲れがやはり体全体に残っていたが、休んでいる時間はなかった。ここは得意の体力勝負だ。
黒い遮光カーテンを引き、室内を薄暗くする。二十四時間動いているトンネル現場の宿舎のカーテンはすべて遮光性の強いカーテンだ。現場の宿舎を建てたときに、担当業者に頼んで貰ってきたものだ。現場宿舎の設営は機電担当職員の仕事である。
部屋の中央にダイニングテーブルの木製の椅子を置き、その上にプロジェクターをセットする。プロジェクターの電源コードが結構短く、やはり延長コードが必要だった。
スイッチを入れると、壁の上半分に矩形の光のシートができる。壁は隣との境のプレファブコンクリートで、化粧のために白いビニールの壁紙が張ってある。
押し入れの、立て付けの悪い木製の引き戸を一枚はずして、その壁に立てかける。仕切りの壁は押しピンが刺さらないのだ。
押入から少女の教科書を取りだし、署名のある裏表紙を剥ぎ取り、プロジェクターにセットする。
右上がりの、強い癖のある字体が、ぼんやりと、立てかけた板戸に写った。下手な字ほど個性が出るようだ。
プロジェクターの高さをネジ付きの脚で微調整し、ピントを合わせると、少女のサインが筆遣いの細部の癖まで拡大されて、鮮明になる。
ゴミ袋の黄色いポリ袋を解いて、光いっぱいの広さに押しピンで留め、その上に模造紙を留めた。
それから細手のフェルトペンの筆先をつぶして柔らかくする。
これで準備完了だ。
目よりすこし高い位置にA3ぐらいの大きさの「春」の字があった。
これからやってみようとする方法がサインを真似するための最良のやり方であり、こういう方法があるのが、サイン制度の一番の弱点だということを、工高の時、本で読んだことがあるのだ。印鑑制度の歴史などを述べた印鑑に贔屓側の本だったので、かなり割り引いて考えなければならない、とその時思ったものだった。その後、『太陽がいっぱい』というフランス映画で、同じ方法をアラン・ドロン扮する殺人犯が用いていたので、その道の人なら知っている、ポピュラーなやり方かも知れない。
この方法がほんとうにうまくいくのかどうか、宏にはわからない。やってみた、という話は当然書いていなかった。
百パーセント似なくてもいい。オノトという日本ではほとんど使われていないだろうインクでサインするのだから、そちらのほうがものを言うだろう。とにかく、やってみることだ。まず「春」の字からだ。
ゆっくりと丁寧に、宏は字をなぞっていく。力の込めてあるところ、はねてあるところに、とりわけ注意を払う。
「春」の字を十遍ほど繰り返し、つぎの「田」へ移る。田の字の筆順が違うのはもちろんそのままだ。三画は横棒で、四画と最後の五画が軽く続いている。
一字ずつの練習のつぎは、拡大率を少し下げて、姓と名の二字ずつだ。字と字の間隔にもじゅうぶんに気を配った。一時間ほどで、「春田京子」まで、ひととおり終わった。
からだじゅうに汗が噴き出ている。
流しの横の冷蔵庫から缶ビールを取りだし、一口飲む。喉を軽く刺しながら、冷たい液体の塊が体の中に吸いこまれていく。
それから、プロジェクターの載っている椅子を引き戸のほうに寄せて、写っている字を半分の大きさにした。からだに当たっているプロジェクターの光の熱が、わずかに強くなったようだ。
それを同じようにフェルトペンでなぞっていく。
テレビの上の時計が緑色の数字で四時五十分を示している。はじめてから三時間ほどがたっていた。
もう一本缶ビールを開け、テレビのスイッチを入れた。
五時のスポットニュースでも、少女のことは何も報じていなかった。強い報道管制が敷かれているはずだ。
便箋をまえに置いて、少女の鉛筆削りで筆箱の鉛筆を削る。気分転換に、脅迫状の下書きを書くのだ。
螺旋状の木くずが新聞の上に落ちた。久しぶりに嗅いだ鉛筆の木のにおいが懐かしいが、昔の鉛筆のほうが匂いが鮮烈だったような気がする。
とがった鉛筆の芯を見つめながら、しばらく頭のなかを空にして、それから、一気に書いた。
脅迫状
アラタマノ春田京子ノ命ノタメニ、八月十七日マデニ、使イ古シタ、連番デナイ一万円札デ二億円準備スルコト。
少女ノ命ハ貴殿ガ支払イヲ拒マナイ限リ保証スル。嘘ヲツカナイコトガ、ワタシノ唯一ノプライドダ。
生キテイル証拠ニ、下ニ彼女ノ署名ヲ入レル。
準備シタカネノ処理ニツイテハ、追ッテ連絡スル。
大田原代議士 机下
暗号名・夏ノオリオン
八月十五日
「あらたまの」は春の枕詞だ。枕詞と暗号名はすこし遊びすぎかとも考えたけれど、これくらいのお遊びは許してもらえるだろうと思う。そうは言っても、少女の命を保証するとした段には忸怩たる思いがあるのだが、とにかく、背に腹は代えられない。
少女が姿を消していることはすでに確かめているだろうし、県警も大田原の命を受けて、フル回転しているに違いないのだ。群馬県警は上を下への大騒ぎだろう。おまけに大田原は警察庁出身なのだ。
この脅迫状も当然、徹底的に調べられるはずだ。
紙幣の番号は必ず控えられているに違いない。連番でない一万円札と書いたが、数種類の連番を混ぜてしまえば、確認するのは厄介だ。あえて古い札と書かなかったのは、とにかく準備をスムーズにさせるためだった。こんな命令が守られるとは初めから考えていない。これはすぐに使うつもりはないので、あまり気にとめていない。
通し番号であっても、一年もたてば記憶しているものなどほとんどいないだろう。それに、少なくとも、十年間は手をつけるつもりはない。
脅迫状の日付には新聞を使うことにした。
それが当日の新聞から切り取ったものであることは、すぐにわかるだろうし、春田京子の署名の意味も重大になる。日付の日まで彼女は確実に生きていることになるのだ。彼女のサインがなくても警察は、少女が生きているものとして動くだろうが、そこには自ずと動きに差が出ようというものだ。
宏は便箋にオノトでサインをしてみた。
まだ、ぎごちない。素人はだませるだろうが、プロの目を欺くにはまだ無理があると思う。
宏は腹を決めて、サインの練習をはじめの大きさから始めた。こんどは筆速をすこし速めた。
閉めたカーテンから漏れてくる外の明るさがいつの間にか消えていた。その練習は、午後六時頃まで何回となく繰り返した。五十枚ひと束で買ってきた模造紙が半分以上減っている。
それから、ふたたび便箋に書いてみた。こんどはなかなかうまくいったと思う。練習の成果が出ていると思う。サインは偽造可能だというあの本の記述はやはり間違っていなかったのだ。
アパートにパソコンやワープロは置いてないので、脅迫状は、定規を使って筆箱の黒ボールペンで書くことにした。
横線はできるだけ水平に、縦線はできるだけ垂直に、斜め線はできるだけ四十五度になるようにする。点は水平か垂直だ。筆跡はこれで隠せる。わざと字を間違えて警察の判断を混乱させることも考えたが、工業高校卒という自分の学歴を考えたとき、それは避けたほうがよさそうだと思った。
炊事用手袋をはめて、原稿どおりに脅迫状を横書きで仕上げた。そのいちばん下に、八重洲の地下の売店で買ってきた新聞の日付を切りとって貼った。
五六分、糊が乾くのを待って、日付に一カ所だけ、春の字の第四画のはねを被せて、少女のサインをする。日付にサインが完全に被さっていたら、あまりにあからさまで、かえって疑いをまねくだろうという配慮だ――まあ、どうでもいいことだが。
封筒の宛名ももちろん定規を使って書いた。
切手の下の空いているところに、すこし斜めに、やはり定規を使い、赤鉛筆で「脅迫状」と赤書して、同じ赤枠で囲った。その字だけは明朝体様に飾りを付けた。こうしておけば、明日のいちばんの配達で、それも特命の配達で、脅迫状は大田原のところに届くに違いない。
八時五十分になろうとしていた。
冷蔵庫に残っていたパンにチーズを挟み、トマトジュースで胃に流し込む。そのあとインスタントコーヒーを濃いめにして大きめのカップで二杯飲む。こういう場合こそ、カフェインの助けはおおいに利用しようと思う。
これから、まだ一仕事残っているのだ。
体力だけは自信があるつもりだったが、やはり体の深いところで疲れを感じていた。
慣れないことをするのは、疲れるものだ――宏は内心で苦笑した。
三十分だけ休むことにする。
テレビのスイッチを入れ、布製の安物の長椅子によこになる。長椅子が小さくきしんだ。
NHKのニュースが始まったが、少女のことはなにも出ない。当然、報道規制を敷いているはずだ。
――車に撥ねられた痕跡はあの雨で流されてしまっただろうか?
破損した方向指示器の破片が発見されても、それを少女の失踪と結びつけるのは、困難なことに違いない。それについて、次の手を打たなければならない、と宏は思う。
しばらく横になっていると、疲れは消えていた。
ちいさい掛け声をあげて起きる。
洋服ダンスを開けて、ジーンズと紺色のシャツを選ぶ。闇に紛れやすい色を選んだのだ。
教科書とノートを押入の毛布の間に隠した。
木戸に張っていた模造紙とビニールシートも取った。それらは練習済みのものと一緒にして、できるだけ小さくはさみで切って、黒いビニールのゴミ袋に入れた。それと一緒に手提げ鞄もカッターナイフで切り刻んで、入れた。
国道の適当な駐車場のゴミ箱に捨てるつもりだ。それらのゴミ箱は、最低一日に一回、決められた業者が機械的に処理しているはずだ。いちばん安全な捨て場所だった。熊本県内の高速道路上り線、サービスエリアの『紙くず等一般ごみ』に捨てられた若い女性の頭部が、他の人の目に触れることもなく、灰になってしまった例もある。
手紙は道路地図に挟んだ。
アパートのコンクリートの階段を、足音を遠慮させて降りる。
車はアパートの前の木陰に停めてあった。このあたりにはまだ武蔵野の面影が残っていて、木立も多かった。木を切ったり、ゴミを捨てたり、畑にしたりしなければ、車を置くぐらいには目をつぶる程度の鷹揚さがまだ市には残っていた。
エンジンのキーを『予熱』に回す。
橙色のグローランプは一瞬で消えて、エンジンはすぐに目覚めた。
所沢から前橋までなら、関越道を使うのが時間としてはもっとも早いのだが、宏はもちろんそれを避けた。
サインを練習した用紙の処分もあるけれど、自動車道の出入り口で車内を調べられる恐れがあるのだ。自動車道入り口にあるNシステムもできるだけ避けたい。トランクの隠しスペースだってそれほど期待してはいない。
川越に向かって国道254号に入り、東松山を出る。それから県道で熊谷まで行き、そこで国道17号を横切り、利根川を渡って伊勢崎へ向かう。
このあたりなら、二車線以上の道路に限定すれば、たいてい知っている。所沢を中心にして、車で現場に通ったからだ。それにこのルートを通ると、Nシステムを避けられるのだ。ルートを選ぶ際の重要な条件だった。Nシステムを避ける道順は、道路地図を眺めながら、国を相手の一種のゲーム感覚で調べたものだったが、調査というものは、どんなときに役に立つのかわからないが、とにかく役に立つということはわかった。
JR前橋駅の駅北口に着いた。その北側の通りの奥に、郵便局がある。一方通行の通りに囲まれたようなところだ。その局の前に、郵便ポストがあるのを知っていた。夜の交通量が少ないところだ。
この脅迫状はできるだけ早く大田原に届いてほしいのだ。何しろこちらには時間がない。だから、あえて大田原の事務所に近いこの郵便局を選んだ。これから後の脅迫状は、前橋市内ならどこでもいいと思う。これ以後、市内の郵便局は、『脅迫状』と表に赤書された太田原宛の封書なら、直ちに大田原の事務所に届けるはずだ。それくらいの連絡と手配はすぐにするはずである。
四角いポストの前に駐車し、右手に透明な炊事手袋をはめる。
脅迫状の封筒を後ろポケットに入れ、垂らしたティーシャツで隠して車を出る。目立たないように右手はポケットに突っ込む。
ポストのわきのコーラの自動販売機に百円硬貨をいれながらあたりを伺ったが、それらしい人影はもちろんない。監視カメラのチェックもしたが、このあたりには設置されていない。まだ全国的に、設置台数が少ないのだ。
左手でコーラを飲みながら投函する。
すこし用心のしすぎかな、と思う。
(これでいいのだ――相手は次期首相の有力候補なのだ。警察は最強の布陣で臨むだろう。ふつうの誘拐拉致でさえ大ニュースなのだ。ましてや、そこに政界の大物が引きずり込まれているのだから、警察は面子をかけて必死のはずだ。次回から、このポストは監視されているはずなので、絶対に使えない――ここは二度と使うつもりもない)
これだけ確認し、車に戻り、ゆっくりと発車させた。
途中の伊勢崎市のはずれのコイン洗車場で、トランクのビニールシートをはずして石鹸で洗い、念のため、トランクの中も洗った。ビニールシートは丸めて、後部座席に入れた。トランクの中が乾いてから、敷くのである。所沢のアパートにつくころには、乾いているはずだ。少女の髪の毛が一本トランクに残っていて、それが警察に発見されたら、それこそ身の破滅なので、トランクの掃除は一刻も早くしたかったのだが、アパートの駐車場でそれをするのは避けなければならなかった。すこしでも目立つことは、決してしてはならないのだ。
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