台湾関連の写真集

 最初の現場の林(リン)小姐。原住民(タイヤル族)なので、簡単な日本語が話せる。
 写真を撮るといったら、着替えてくるといって、大変だった。写真は平服。
 最後の現場(碧海)の小姐。向かって左は日本語通訳。若いが2児の母親。小学4年から中学2年まで日本にいた。言葉だけ聞けば、まったく日本人。精神構造も日本人に近い。「祖国とは母語だ」というのは本当です。彼女は北京語、台湾語(文字が確立していない)、日本語のトリリンガル。
 これを見ても、英語教育は中学からでいいと思う。
 碧海現場の英国人の職人。12人のヨーロッパ人がいたが、6人が入れ墨をしていた。この現場はヨーロッパの職人とタイの労働者が大半。日常会話程度の簡単な英語はやはり話せたほうがいい。ぼくは、とんと不調法だけど。
 サヨン橋。サヨンについては、ここ(←)を参照。地元の老人の話では、この少し下流でサヨンは遭難したそうだ。
 右の石碑には「莎韻橋」と書いてある。完成は89年頃か。揮毫者は李登輝()。橋の名前は、計画時から決まっていたそうだ。
 橋を渡った少し先に、つまりサヨンが遭難した箇所に、下の写真の碑が、ひっそりとあったが、現場が終わるころには、鐘の塔と鳥居()付きの立派なサヨン公園が、ずっと下流に建立された。
 右が戦時中のオリジナル。「愛国」乙女「莎韻」遭難之碑と彫られていたが、戦後、「愛国」と「莎韻」が削られた。
 左側の碑が新しく(91年頃?)建てられたもの。なお、上記の鐘の塔と鳥居付きの記念公園にはこの碑は移設されず、「あの碑はどうした?」と部落の人に聞くと、すぐ近くの川の左岸にペアで移設され、立派に管理されていた。従って、左の写真の位置には現在は何もない。
 左の新しい碑を建てたのは、日本人のグループだと聞いている。【地元の新聞でその記事を読んだことがある】 サヨンの先生(と駐在所の警官を兼ねていた日本人の青年。サヨンと近々結婚する予定だった)の関係者らしいと地元の人は言うが、よくわからない。
 「サヨンの鐘」(歌です。西条八十、古賀政男、渡辺はま子という立派なトリオ)をわたしがまったく知らないというと、通訳のご老人は「非国民だ」と言った。飲み会で請われるとご老人は3番までかならず歌った。つまり、現地のカラオケに入っている。台北のカラオケでは聞いたことはないけど。
 なお、現在歌われているその歌は、映画(サヨンが主人公でタイトルは「サヨンの鐘」)の主題歌ではなくて、映画が作られるまえにできた方。都はるみに歌わせると、はやると思う。カラオケで歌いやすいのです。この歌はインターネットで聴けます。「サヨンの鐘」で検索してください。映画の主題歌のほうの「サヨンの鐘」は、一種の南洋小唄です。
 碧海という現場ではこういうヘリを資材運搬に使っていたが、土木工事としては邪道だ。道路か索道を作ったほうが安くつくに決まっているが、発注者(台湾の政府)の偉いさんがリベート絡みで取り決めたらしく、どうしても使えという。「アジア的後進性」と言うやつだ。「リベート」は社会に深く根を下ろしている。その程度は、日本の比ではない。



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